第31話 あの日と同じ雨


 目を覚ますと、カミラは宙を浮いていた。


 ああ、そうだ、私は死んだんだ


 発した声はエコーがかかったように響いた。

 下を見ると、ちょうど自分の葬儀が行われていた。棺に抱きつき、声をあげて泣く夫が見える。


 ダメじゃない、貴方が親としてしっかりしていかないと、子供たちを守っていけないでしょう?


 私はそれが出来ていたかしら––––


 泣きじゃくるチャーリーの手を強く握るアシュリーは、涙をぐっとこらえている。親が泣き、娘が涙をこらえる光景を、カミラは冷静に見つめていた。


 アシュリーはあんなに大人びていたかしら––––


 でも、それでも、これが一番いい形なはずだ。未来あるわが子の命を救うことが出来た、どちらかしか選べないのなら、これがベストな選択なのだ。


 しかし、彼女の目に映る光景はとても幸せとは言えなかった。

 チャーリーは学校には行かず、家に引きこもるようになった。あんなに喜んでいた野球バットは、真っ二つに折られゴミ袋に入れられていた。

 暗い食卓、少しでもチャーリーを元気づけようとベンソンとアシュリーが作ったビーフシチューは、母の味には到底及ばなかった。チャーリーは一口食べると、目に涙を浮かべる。


「ごめんよチャーリー、上手に作れなくて」

「これからはお姉ちゃん、もっとお料理勉強するから」

「……謝らなきゃいけないのは、僕だ。ぼ、僕がクローゼットに隠れてなんかいないで、あいつに立ち向かっていたら、ママは死ななかったんだ。僕が、ママを死なせちゃった、僕がママを殺したんだ」


 なんてことを言うの、チャーリー!

 私はそんなこと思っていない! 


 必死に叫ぶ思いは、当然彼らの耳には届かない。


 ベンソンとアシュリーがどれだけ手段を講じようと、チャーリーの笑顔が戻ることはなかった。まだほんの十歳なのに、目はクマで覆われ、髪も肌も艶を失っている。

 そして、季節は移ろい、何日も雨が降り続くある夜のこと……


「あの日もこんな夜だった。今夜なら、ママに会えるかもしれないな」



 殺風景な子ども部屋には、一本のロープが吊るされていた––––



  ◆ ◆ ◆



「やめてえぇ!!!」


 叫んだと同時に目を覚ます。心臓が激しく脈打ち、息を整えることが出来ない。


「カミラ! 大丈夫だ、ここは寝室だよ。擬似夢を見ていたんだ。現実に戻ってきたんだよ」

「ママ、大丈夫? どこか悪いところはない?」


 傍らには目に涙を浮かべたベンソンと、不安そうな顔のアシュリーがいた。その後ろで心配そうに顔を覗かせるエリックと、脳波をチェックしているピーターがいる。

 カーテンが開いたままの窓に目を向けると、外は強い雨だった。


 チャーリーは自殺していないという安堵と、もうチャーリーはこの世にいないという現実が同時に襲ってきて、カミラは半ば混乱に近い状態だった。

 ノアはカミラに近づき、彼女のこめかみを抑えると、その瞳をじっと見つめた。次第に目の焦点があってきた彼女に一安心すると、グラスに注がれた水を飲むように促した。


 そうして正気を取り戻した彼女に、ノアは静かに語り掛ける。


「いかがでしたか、私の擬似夢は」

「……出来は最高です。でも、内容は最低です」

「最低ですか。それは残念だ、依頼内容に即したつもりだったんですが」


 まだ本調子といかないカミラは、ノアを睨みつけるだけで精一杯だった。たとえ擬似夢であろうとも、最愛の我が子を自殺に追い込まれた怒りは相当なものであった。


「カミラさん、今一度、貴方の生まれてきた意味を教えてください。貴方が生きる意味は何ですか?」

「それは夫と娘と息子だった…… でもチャーリーが欠けてしまった今、私にはそれが分からない。私は…… これから何を理由に生きていけばいいのか、分からない……」


 カミラはベッドサイドのテーブルの引き出しから一枚の写真を取り出した。涙と手垢で色褪せたそれは、家族四人でハイキングに出かけた時の写真であった。

 ノアはその写真を一瞥すると、こう続けた。


「質問しておいて何ですが、私はね、生まれてきた意味だとか、生きる理由だとか、そんなものは恵まれた者の娯楽だと思っているんです」

「ご、娯楽?」


 てっきり使い古された綺麗事を並べられると思っていたカミラは、思わず写真から目を離し、目の前のノアを見つめた。


「だってそうでしょう。自分の意志で母親の産道を潜り抜けてきた赤ん坊を見たことがありますか? 他人から託された想いはあれど、自ら意味を見出して生まれてくる人間なんて一人としていない」

「私はそういうことを言っているんじゃないわ」

「そういうことですよ。生まれてきた意味や生きがいというのを、生きる原動力にすべきじゃないって話をしているんです。そういうのは人生に満足していて、心に余裕のある人間がコーヒーブレイクしながら暇つぶしに考えるものなんですよ。あれば良いけど、なくても良い、その程度のものじゃないでしょうか」


 チャーリーを失って以来、毎日自分に問うてきたものを「なくても良い娯楽」だと宣う目の前の男に、カミラは呆然とするしかなかった。


「貴方は日々問いかける、何故生かされているのか? 何のために生きるのか? 分からなくて当然だ。それは、貴方が生きる意味を失ったからじゃない。もともと持ち合わせていなかったものを必死に探しているだけなんだ」

「そんなのって、あんまりに寂しいわ」

「理由がなきゃ生きられない人生の方が、もっとずっと息苦しいと思いますがね」


 カミラは反論の言葉が出てこなかった。上手に息ができているとは、お世辞にも言えない毎日を過ごしていたから。


 そうしてノアは、一番に伝えたい言葉を紡ごうとしていた。この夢を作った張本人だからこそ、痛いほど分かる気持ち–––– 

 ノアはそれを、カミラに告げた。


「自分の人生を、ただ、生きてほしいと願ったのでしょう?」


 刹那、痩せ細った首にロープを通す我が子が脳裏に浮かぶ。


「そう…… 私はチャーリーに…… 生きていてほしかった。自分のために、生きていてほしかった。それだけで良かったのよ」


 カミラの瞳から大粒の涙がつたう。


「そうですね。無理に忘れなくていい、無理に背負わなくていい。ただ毎日を、自分と大切な人のために生きていってほしかったのでしょう?」


 カミラはこくこくと頷いた。泣いているのか、呻いているのかも分からない。突っ伏したベッドカバーに、涙の染みが広がっていく。

 ノアは彼女の震える背中を優しくさすった。


「私たちみたいに棺桶に片足をつっこんでいるような輩はね、生まれてきた意味より、死ねない理由に目を向けるべきなんだ。そして貴方のそれは、すぐ近くにあるみたいですよ」


 カミラが視線を上げると、彼女を見つめる夫と娘がそこにいた––––



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