第30話 やり直し


  ◆ ◆ ◆


 外は強い雨が降っている。テレビから、最新の気象情報が流れてきた。記録的な豪雨だそうだ。

 夕食の時間になったので、チャーリーが二階から降りてきた。


「お腹すいた~! ねえ、チャンネル変えていい?」


 返事をする前に、息子はコメディ番組に切り替えてしまっていた。真っ赤なスパンコールのスーツに身を包んだコメディアンが、会場の笑いを攫っている。

 手元のスマートホンに通知が届く。


≪アシュリーと無事に合流できたよ。今から帰る≫


 ああ、私はあの時、なんと返しただろうか…… 

 手元が震える。チャーリーはまだ、テレビに夢中になっている。

 玄関へ急ぐと、カギは締まっていた。それを開けようとするが、なぜかドアノブがビクともしない。カミラは急いでリビングに戻った。


「チャーリー、ママから離れないで。二階へ行くわよ」


 決して離すまいと掴んだ息子の手。カミラのもう片方の手には、包丁が握られていた。


  ◆ ◆ ◆


「一体何をしているんだ!? こんな夢を見て、私の妻を殺す気か!?」

「落ち着いてください、脳波は正常です」

「そんなわけ……」


 モニター横の脳波メーターを見てベンソンは驚愕する。


「まさか、そんな…… こんな擬似夢を見せられて、脳波が正常だと!? いや、このメーターがインチキな可能性だってあるだろう!?」


 ベンソンは脳波メーターから目を離すと、怒りで顔を真っ赤にさせてピーターとエリックを睨んだ。


「いいから早く中断するんだ! エリック、君は全部知っていたのか!?」

「いえ、俺は…… ピーター、これは一体どういうことなんだっ」


 何が起きているのかさっぱり追いつけていないエリックを無視して、ノアはアシュリーを見据えた。

 アシュリーは画面の中の母と、怒り狂う父を交互に見比べ、決心したように父の腕を掴んだ。


「パパ、最後まで見よう」

「なっ、何を言い出すんだ!? ママがどうなってもいいのか?」

「もうなってるじゃない!! 毎日泣いてばかりで、ご飯も碌に食べないで…… ママの時間はあの日から止まっちゃった。それって、あの日に死んだチャーリーと何が違うっていうの!?」

「なんてことをっ!」


 思わず振り上げられた手を、エリックが咄嗟に掴んだ。

 自分でも娘をぶつなど考えてもいなかったベンソンが、己のとった行動に誰よりも戸惑いを見せる。


「師匠、それはダメです」

「……エリック、すまない。しかし、こんなやり方は……」

「終わらせてあげよう、あの日を。ママの時間を進めてあげなきゃ」


 その時、モニターからガラスの割れる音がした。一同が注目すると、忘れもしない、あの男が映し出されていた。


  ◆ ◆ ◆


 そうだ、あの男は子供部屋の窓から入ってきた。

 だからチャーリーは客間のクローゼットに隠れていれば大丈夫。これで、あの日を無かったことに出来る……


 男と対峙したカミラは、傍に落ちているぬいぐるみを片っ端から投げつけた。本当は震えて一歩も動くことが出来ないのだが、体が勝手に動いてくれる。

 これがこの擬似夢のシナリオなのだろうか、ピーターには感謝しなければならない。

 あの男をこの手で殺すことが出来るだなんて。


 怯んだ奴めがけて、カミラは包丁を構えて一直進に体当たりした。刃が肉をかき分ける、首筋を冷や汗が伝う。途端、男がうめき声を上げ、カミラの胸元に異様な感覚が伝わった。


 あの日チャーリーの命を奪った男の刃が今、カミラの胸元を穿っていた。

 不快な息遣いに交じって、耳元であいつが嘲り笑う。


「二度も奪われるもんですか……」


 興奮からか、これが擬似夢だからか、いや、もうカミラには擬似夢の中にいるという自覚は消え失せていた。

 男の腹を刺した包丁を力いっぱいに抜き、それを幾度も突き刺した。精一杯の憎悪と、決別を乗せて。


 どれほど繰り返したろうか、男が人形のように動かなくなり、カミラはようやくその手を止めた。

 背後から物音と小さな悲鳴が聞こえる。振り返ると、目に沢山の涙を浮かべたチャーリーがいた。


「マ、ママ。だ、大丈夫?」

「ああ、チャーリー。私の愛しい子。ママは大丈夫。見ちゃだめ、こっちへ来ちゃだめよ」


 怯える息子をなんとか宥めようと笑顔を作る、が、上手くいかない。視界がぼやける。体が上手く動かない。ああ、そうか––––


 死ぬんだ


 それでいい、私の代わりにチャーリーが生きてくれるのなら、それほど幸せなことはない。だからせめて、もう一度……




 貴方を目一杯抱きしめたかった––––



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