第28話 頼みの綱


 数日後、エリックは師匠の住まいにお邪魔していた。

 リビングの長テーブルの一方にベンソン、妻、そして娘が腰掛けている。もう一方には神妙な面持ちのエリックと、茶髪の男性が座っている。天然パーマに黒縁眼鏡をした、そばかす顔のノア・クラークである。


 今日の為にレオが変装メイクを施したのだ。

 ノアはパーティー当日にベンソンと顔を合わせる確率が高い。彼が信用に値しない人物である可能性を鑑みての対策だ。

 今日はエリックの友人で擬似夢クリエイターのピーター・ジョーンズという設定である。


「エリックにピーターさん、今日は遠いところお越しいただき本当にありがとう。雨は大丈夫だったかな?」

「はい。今日はお時間をくださってありがとうございます。カミラさんもお久しぶりです。アシュリーは覚えていないかな、最後に会ったのは六歳の時だし」


 カミラと呼ばれたベンソンの妻は虚な瞳で、形だけの笑みを浮かべた。十四歳になったアシュリーは、その年頃の子どもより大人びて見える。まるでこれから始まることを予期しているかのように。


 かつてエリックは、アシュリーとチャーリーを肩に乗せ庭を駆け回った。カミラの絶品の夕食を戴いたのち、師匠と国を守る者の心構えを夜が更けるまで語り合った。

 語り合う、というには語弊があるかもしれない。あの頃のエリックはまだ少年と青年の狭間にいて、ベンソンの語る物語の数々に驚嘆し、その背中を追いかけることで精一杯だった。

 

 かつて笑いに満ちていた家族は影も形もなく、あの日を遠ざけるかのように移った郊外の家は、降り続く雨のせいか陰鬱さに包まれていた。

 そんな空気に耐えかねてか、ベンソンが話を切り出した。


「それで、本当に出来たのですか? 例の擬似夢が」

「ええ、ご要望通りのものが」


 ノア改めてピーターは、おもむろに擬似夢が入ったチップを取り出した。

 まるでそれがこの世界の全ての問題を解決してくれるかのように、ベンソンは瞳に希望の光を宿し、隣の妻を見た。しかし、カミラはまるで興味がないようだ。


「……それがなんだっていうの」

「おいカミラ、やめないか」

「私はチャーリーを守れなかった。私に生きる資格なんてないのよ」

「でも今、貴方は生きていらっしゃいます」

「そうね、死ぬべきなんだわ」

「ママ……!」

「ノ…… ピーター、言葉に気をつけろ」


 本日は初めから戦闘体制なご様子のノアが、エリックに諭され一息つく。

 アシュリーは静かに母の背をさすっている。その仕草はとても自然で、これが彼女の日常に染み付いた行為だと嫌でもわかってしまう。それがどうにもノアの心をざわつかせた。


「もう、生きる意味を見出せないんです。どの面を下げて笑えばいいの? どうして私が幸せを望めるっていうの? あの子の全てを奪ってしまったのに」

「奪ったのはあの強盗犯だ! 君のせいじゃない!」


 幾度となく繰り返されたであろう問答。そして、その度にかけられた言葉のどれもが、カミラの心には響かなかったのだろう。

 ノアは遠慮なく口を挟んだ。


「すみませんが、私はカウンセラーじゃありません。貴方の心に寄り添うことは私の仕事ではないのです。断る理由が無いのなら、私の擬似夢をご覧いただけますか?」

「……そうね、貴方にこんな話をしても意味ないわよね。遠いところお越しくださったんだし、拝見させていただきます」


 それで諦めがつくのなら、といった様子だった。

 エリックの話によれば、ベンソンとアシュリーはこの一年、様々な手を講じてきたそうだ。思う存分泣かせてみたり、友人を呼んでみたり、それこそカウンセラーにも頼った。

 その結果がこれだ。きっとこの擬似夢が最後の頼みの綱なのだろう。


「甘い夢に縋って、惰性で生きるのも良いかもしれないわ」


 カミラのそんな言葉に、ノアは先日のリリーを重ねた。

 母の生を放棄した言い草に、アシュリーは顔を曇らせる。


「それでは、寝室へご案内いただけますか」

「はい」


  ◇ ◇ ◇


 通された寝室のベッドにカミラが横になる。エリック達は隣の客間で待機している。ノアの提案で、カミラが見ている擬似夢をモニタリングすることになっているのだ。

 ノアがいそいそと配線を繋げている間も、カミラは虚な眼差しで天井を見つめていた。


「チャーリーに会わせてくれるの? IDEO製でもそんな精巧な夢作れないでしょうけど。ごめんなさいね、こんな事に付き合わせてしまって」


 カミラの言葉には耳も貸さず、ノアは配線作業を終え、彼女のスキャナに擬似夢をセットする。


「貴方には生きがいがある? 貴方の生きる理由は何? 考えたこともないのかしらね、そんな人に私の苦しみを癒すことなんて出来っこないのよ」


 ノアはチップをセットして、接続の最終調整を行なっている。

 カミラは疲れ果てたような乾いた息を漏らした。この男は仕事を済ませて金を貰えればそれでいいのだと言いたげだ。


「これじゃ、擬似夢の程度もたかが知れているわね……」


 ぼそりと呟かれた嫌味にも動じず、ノアは淡々と仕事をこなす。


「何処にも違和感はありませんか? 私の擬似夢は脳波に殆ど影響しませんが、異常があればすぐに止めますので、ご安心を」

「ええ」


 事前に飲んでいた睡眠導入剤の効き目が現れ始め、カミラは微睡みながら答えた。


「それと……」

「はい」

「縋れるものなら、縋ってみてください」

「……え?」


 返事をするので精一杯だった。




 ゆっくりと、夢に堕ちていく––––








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