第27話 寝言
あの日から、雨は暫く降り続いた。鈍色の空から凍てつくような雫がとめどなく落ちてくる。傘を差した人々が速足で通りを行く。誰も彼もが己の足元ばかりを気にしていた。
ノアは行き交う人々を眺めながら、窓際で雨音を録音していた。最悪の天気ではあるが、この雨音のアンサンブルは存外ノアの疲れを癒してくれる。
「ねえ、本当に一人で潜入するわけ?」
「ああ」
「考え直しなよ〜。下っ端の隊員に金握らせてさ、そいつの代わりにぼくも潜入するから」
「だめだ」
「なんでよ~!!」
レオは暖炉の前で靴を脱ぎ、濡れた靴下を乾かしながら不貞腐れた。かれこれ一時間この態度ではさすがにノアもうんざりしてしまう。
今までカメレオンとして様々な舞台に潜入してきたレオだからこその視点もあるのだろうが、やはり変装での潜入はリスクが大きすぎる。相手はあのIDEOなのだから。
「ねえ、せめてさ、当日ぼくにメイクさせて?」
「それもだめだ。女性ならともかく、僕が化粧をする理由があるか? 万が一化粧がよれた時の言い訳はどうする?」
「そこまで不思議なことでもないでしょ~」
「僅かな注目も浴びたくないんだ」
「それなら余計しなくちゃ」
「?」
「そのままのノアは美人過ぎるもん。会場の誰よりも目立っちゃうよ」
「寝言は寝て言え」
ノアは小さい溜息を吐いて、採取した音声を機器に落とし込みにかかる。
レオはソファーに深く体重を預け、暖炉の温もりにまどろんでいる。しつこいのは通常運転だが、仕事の内容にケチをつけることは殆どなかった。
立花氏の一件で演じた新聞記者の演技が相当に下手だったのだろうかと、ノアは少し自信を失う。
「ねえ、ノア。せめてカラーコンタクトをしてよ。そうしてくれたらもう何も言わないから。君の瞳は美しすぎる」
データのダウンロードが始まり、ノアはやっとレオの元へ向かった。ソファーの前で屈むと、彼のブロンドの前髪がはらりと垂れた。
「この瞳だけは偽りたくないんだ。何があっても」
アッシュグレーの瞳がレオを捉える。その左目は、電子暖炉の揺れる炎を受けて、ちらちらと緑がかってみえた。レオが諦めたように笑う。
「ノアがうんと不細工だったら良かったのに」
「そうしたらお前は僕の仲間にはならなかったんじゃないか?」
「ぼくが顔で好きになったと思ってるの~!? 心外!」
「違うのか?」
レオが頬を膨らませ、いつもの下らないプレゼンテーションを繰り広げようとしたので、ノアは再びデスクへ向かう。
ぽん、と軽くレオの頭を叩き、顔を背けて言葉を吐く。
「悪いな、心配をかけて。必ず手掛かりを掴んでくるから、待っていてくれ」
「……ノア、忘れないで。ぼくは君の計画に従っているわけじゃない。ぼくは君と、この夢屋が大好きだから、君の力になりたいからここにいるんだ。IDEOだろうが何だろうが、君に危険が及ぶって言うんなら、ぼくは計画なんてかなぐり捨てて、ただ君の元へ走るよ」
馬鹿にしたような、呆れたような、そんなお決まりの返しをレオは期待していたのかもしれない。しかし、振り返ったノアは当たり前のような顔をして––––
「そんなの、僕がお前でもそうするよ。仲間は道具じゃない」
普段の眠たげなレオの瞳がハッと大きく見開かれる。胸の奥からこみ上げる何かを必死に飲み込むように、彼は代わりに小さく笑った。
「やっぱり、ノアには勝てないや」
「当然だ」
雨はもう、止んでいた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます