第26話 Xデー


「なるほど、それは…… 危険ですね」

「だよ…… ですよねぇ」

「ふふ、良いですよ。敬語なんて使わなくて。私はもう貴方達のお仲間のつもりなので」

「じゃっ、お言葉に甘えて!」


 ノアが立花に温かいコーヒーを差し出した。立花は一口啜ると、店で出されるような深いコクと味わいに感激する。


「潜り込むというのは難しいと思います。招待客は勿論、従業員の人数まで完璧に把握していると聞いています。どうでしょう、我が家にいらした変装の達人の手を借りるのは?」

「レオのことですか?」

「ええ、私もそこまで馬鹿じゃない。娘の家庭教師の顔くらいちゃんと覚えていました。でもあの日、まさかボディーガードと家庭教師の彼が同一人物だったとは全く気が付かなかった。彼の変装術なら十分通用しますよ」

「レオが師匠に化けるってことか」

「いや、お師匠さんのメイクをエリックさんに施すのがベストですね。ただ見た目を変えるだけじゃ、一緒に働く同僚にバレてしまう。普段から警備隊長として指示を出している貴方なら、隠し通せるのでは?」


 IDEOへの潜入、想像はしても具体性を帯びなかったそれが、急加速で現実味を増している現状にエリックの表情は強張った。

 ノアも同様に不安を拭えないでいる。


「エリックは使えないわけじゃない、だが、彼は出来る方でもない」

「はっきり言うなよなぁ!?」

「おだてたって仕方ないだろう。失敗は命取りだ、言葉の綾なんかじゃない」

「……」

「……」


 沈黙する二人に変わり、立花が口を開いた。


「そこでなんですが、ノアさん。貴方も潜入、しちゃいませんか?」

「え?」


 立花はスーツの内ポケットから、一枚の黒い封筒を取り出した。


「今日はこの為に来たんです。実は私の元にも届いたんですよ、パーティーの招待状が。一枚につきもう一人まで招待ができます」


 立花が支援を始めたのは半年前からだ。このタイミングでパーティーに呼ばれるのは何も不思議なことじゃない。

 ノア達の存在や立花との繋がりが向こうに筒抜けで、罠に嵌めるためにおびき寄せているとは考えにくい。


「……なるほど、私は立花さんの招待人として潜入するわけですか」

「後任の秘書でも、旧友でも、いくらでも言いようはあります。悪くない話ですよね」

「どうするんだ、ノア?」


 鍛え上げられた肉体にそぐわない、不安を滲ませた声でエリックが尋ねる。立ち向かえるだけの情報が揃うまでは近づかない…… 世代交代や独立というのはノア達で作り出した仮説に過ぎない。こんな状態で潜入などしていいのか? 

 しかし、悠長にしていられないのもまた、事実だった。


「わかった、やろう。ただし、潜入するのは僕だけだ。変装はバレてしまった時の言い訳が付かない」


 エリックがグッと悔しさを飲み込んだ。喜びは暑苦しい程に表現するくせに、怒りの感情を周りに当たり散らすことは滅多にない。

 いつもは間抜けな単細胞のくせに、こういう時の保護者然とした態度にはどうにも敵わないと、ノアは密かに思うのだった。


「情けない話だが、自分でも師匠になりきるのには無理があるって思うぜ。下手をして尻尾を掴まれるより、ここはノアに任せるべき、なんだよな」

「悪いな、エリック。お前を信用していない訳じゃないんだ」


 エリックはニカッと笑うとテーブル越しにノアの頭をくしゃっと撫でた。ノアは不満たっぷりに睨みつける。


「分かってるさ、兄弟! サポートは他にもいくらだってできる。俺は俺のできることをするまで、だろ?」

「お前にしては、分かってるじゃないか」


 乱れた髪を整えながら、ノアは小さく微笑んだ。彼のアッシュグレーの瞳が、煌めいて揺れる。


「パーティーは、何日後ですか」


 先程までの笑みは、もうどこにも無かった。怒りや憎しみとは程遠い、ただ静かな覚悟だけがそこにはあった。その緊張が立花にも伝播する。


「ちょうど三週間後の、十二月二十日です」


 Xデーは、近い。

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