第20話 安楽夢


 窓の外には夕焼け空が広がっていた。近所の子ども達が遊びを終えて家路に着く笑い声が聞こえて来る。


「懐かしいね。昔はエリックよりも私の方がやんちゃだった。木登りだって駆けっこだって……  ノアは最初だけ付き合って、気づいたら木陰で本を読んでたっけ」

「二人のお守りは大変だったよ」

「あはは! いつも嫌がるノアを二人で引っ張って行ったね。……そんな日がずっと続くと思っていた。あの火事がなければ」

「ホワイト家のみんなは、僕にとっても家族同然だったよ」

「本当に、ノアのことも我が子の様に可愛がっていたわね。 ……ねえ、貴方さっき、綺麗なあの子にも近づけるって言ったけど、それは嘘だよ。私のこの醜い顔は、どうやったって誤魔化せない」

「君は醜くなんかない」


 リリーが乾いた笑い声を漏らす。

 卑屈と諦めで作り上げられた笑い声を。


「ノアは本当に優しいね。どんどん素敵な紳士になっていく。それに比べて私は、あの火事の頃から何も成長していない。お隣の家の赤ん坊の声が、いつの間にか『ママ、パパ』って言う様になって、その子が通りを駆け回る音が聞こえる。なのに、私は日に日にベッドから起き上がる回数も減っていく」


 ノアは彼女の言葉を遮ることが出来なかった。彼女の声が徐々に震え、鼻を啜る音がして、ただ、彼女を抱きしめることしか出来なかった。


「私のウエディングドレス姿を早く見たいと言ってくれたお母様はもう居ない。彼氏を連れてきたら一発殴ってやるって言ったお父様ももう居ない。目を瞑ればみんな笑いかけてくれるのに、みんなみんな何処にも居ない…… ねえ、ノア。貴方はいつからこんなに逞しくなったの? ねえ、ノア、世界がどんどん進んでいくの。私を置いて行ってしまうのよ」

「置いていかない、誰も置いていかないよ。一分一秒、みんな平等に時は進んでいる。みんな一緒に生きているんだよ。仮に世界中が君を置いてけぼりにすると言うのなら、僕だけは待っているから、君の手をちゃんと握っているから」


 リリーの白濁した瞳からは涙が止めどなく流れていた。

 こんなに小さな身体でこんなに泣いてしまっては体力が保たない。ノアはサイドテーブルの水差しの水をコップに注ぎにいった。


 それをリリーに飲ませようと近づくと、彼女は小さくつぶやいた。


「安楽夢を作って欲しいの」


 今聞いた言葉の意味を、脳が正常に読み取る事を拒否していた。ノアが返事をしなかったので、リリーは先を続けた。


「お父様とお母様は海外出張が多くて、お兄様は二人とも学園寮にいたから、私はいつもこの大きな家でマーサと二人きりだった。そんな私の為にノアが作ってくれたんだよね、私の家族の擬似夢。火事の前は、よく見せてくれたじゃない」

「……その夢が、なんだって?」

「だから、その夢を安楽夢に……」

「ふざけるな!!!!!」


 叫んだ拍子に扉が開いた。きっと外で様子を伺っていたのだろう。エマが引っ張る様にノアを部屋の外へと連れ出す。

 マーサは申し訳ないという表情でこちらを見つつ、リリーの背中をさすっている。


「リリー、とりあえず落ち着けよ! 暗いこと考えちまう日だってあるよな、また前向けそうになったら言ってくれよ、今日はありがとうな! マーサも、ココア美味しかった! 見送りはいらねえよ、じゃあ、!!」


 上着を羽織りもせず、足早に外に出た。通りに出たところで、やっと動きを止めた。

 エマが上着を羽織りボタンを留めていると、首にストールが巻かれた。


「……人に優しくしてる余裕あんの?」

「今、僕の親切を無下にしたら許さないぞ」

「へいへい。……なあ、夢屋寄っていい?」

「気を遣っているなら結構だ。人に愚痴をこぼすタイプじゃない」

「あたしはココアを一杯飲みそびれたんだ! だから極上の一杯を淹れてもらう権利があんだよ」

「はあ、仰せのままに」


 紫がかった空に、一番星が輝いていた。



 

 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る