第17話 陰謀論者


 後日、ノアとエリック、エマの三人は夢屋の事務所に居た。立花から得たIDEOの情報の整理を行うためだ。


「IDEOは薬品の開発・研究に対して支援を求めていた。使用用途のほとんどが研究所の増設とドリーゼの錠剤化の研究費用に充てられている。それ以外は備品補充などの雑多なものしかないな」

「ドリーゼの錠剤化か…… 正直納得いかねぇな」


 エリックがそう言ってドスンとソファーに倒れこむ。隣に座っているエマがその勢いで浮かび上がり、露骨に迷惑そうな顔でエリックを睨みつけた。


「けどまあ、これが本当なら大分助かるんじゃない? 医療施設で直接注射打たれるより、自宅で錠剤飲んだ方が楽だもん」

「だからこそ信じられない。錠剤が出回れば、他の製薬会社が類似品を続々と作り出すだろう。独自開発のドリーゼを完全管理しているからこそIDEOの立場は確立されているんだ。脱獄者の跡も追えなくなる。錠剤化はただの名目で、支援金は別の用途に利用されていると考える方が無難だな」


 エマがそれを聞いてぶすっとする。ノアが険しい表情をエマに向けた。


「エマ、まさかIDEOに行っていないだろうね」

 

 ノアは三人に定期的に擬似夢チップを渡している。至極簡単な夢ではあるが、それでもIDEO製や市場に出回っているものよりよっぽど出来は良い。

 ノアの擬似夢を見続けることで、三人は脳波を乱すことなくロッドを回避している。

 立ち向かえるだけの情報が揃わないうちはIDEO本体には近づかない、それが夢屋におけるルールだった。そのためドリーゼを打ちに行くことも避けているのだ。

 エマが不貞腐れた様子で答えた。


「行ってねぇよ。ただ錠剤化が実現すれば、助かる奴らが大勢いるのになって…… この間死体処理の仕事で現場に着いたらさ、路地裏で冷たくなってたのは昔の仕事仲間だった。死因はロッド。親の作った借金が全然減らねぇってよくボヤいてたよ。急に会わなくなったから、別の稼ぎ口でも見つけたのかと思ったのによ……」

 

 俯いていたエマが次に顔を上げると、そこには精一杯の笑顔が張り付けてあった。しかし、その声は微かに鼻声だった。


「嫌になるよな! あたしだけが安全で、助けられる奴も助けてやれねぇ。こんなクソみてぇな世界が少しでも良くなるんならって、ちょっと思っただけだよ」


 ノアがやるせないような、複雑な表情を浮かべた。エマがそれを見てあたふたとする。


「お前を責めてなんかねぇぞ!? 誰彼構わず夢を作ってやったら、IDEOにバレて狙われちまう。ノアが死んじまったら、それこそこの世の終わりだ。擬似夢はいざって時の切り札! 今のこのやり方が最善だって、ちゃんと分かってるから」


 ノアが言葉に詰まっていると、エリックが間に入ってきた。何も考えていないようで、人の心の痛みには誰よりも敏感な男なのだ。


「それにしても、何年も尻尾を出さなかったIDEOがここにきて目立つ行動を取り始めたのには理由があんのかね?」


 エマの話はここで終わりにするのがお互いにとって良いのだろうと判断して、ノアもエリックの話題に移ることにした。

 

「……企みを実行に移す準備ができたと考えるのが妥当だろう。または、方針を変えたとも考えられる」

「企みってのは前に出た独立ってやつか? 考えたくはねぇが、最悪を想定して動かねぇとやられるのは俺たちだからな」

「そういやぁランドルフってやつの調査はどうなってんの? エリックの仕事だろ?」


 エマとノアがエリックを見る。ノアには逐一報告がいっているが、エマにはまだ話していなかったので共有することにする。


「それが、俺たちが追ってたランドルフ卿とは別人だったみたいなんだ。逃げてきた信者が言ってたランドルフ卿は、写真の男の兄だったんだよ。まぁその兄が今年に入って死んじまったから、弟がランドルフ家の現当主になったってわけだ」


 今回立花に支援を頼んできた代表者もランドルフ弟であった。エリックが立花に写真を見せたところ「彼で間違いありません」とのことだった。


「それって、ただ単にランドルフ弟がダメダメなだけなんじゃねぇの? 兄の方は裏でコソコソすんのが上手かったけど、弟は慣れてなくて動きがこっちに筒抜けなだけとか」


 エマがケタケタと笑う。それを横目にノアは考え込むように一点を見つめている。エリックが先にその様子に気づき「どうした?」とノアを促した。


「いや、エマの話を聞いて変だと思ったんだ。兄の代で情報が洩れなかったのは、それだけ残忍な方法で徹底的に口封じをしてきたからだと考えるのが自然だ。幹部の父娘と顔を合わせたアイザックが婚約破棄をしても生きていられるなんて、今考えたらおかしな話じゃないか。もしエマの話の通りこれが弟の失態だとしたら、IDEOが弟を幹部に残したままにするわけがない。」

「アイザックには生かしておく価値があるとか? IDEOが急に優しくなったとは考えられないしな」


 エリックが「ハッハッハッ!」と笑って見せたが、ノアは更に考え込む。


「その線も捨てきれないが、情報が洩れる危険を冒してでも生かす価値がアイザックにあるんだろうか? それよりも後者だ。ランドルフの世代交代が偶然起こったものではないとしたら?」


 エマが怪談話でも聞いているようにおびえた表情をする。いつの間にか傍にあったブランケットを被っている。


「偶然じゃねぇなら何だってんだよ?」

「IDEOのトップが変わったんだ。前トップを支持していた兄は殺され、現トップを支持する弟が当主になった。現トップの方針に従って弟は動いているんだ。もしIDEOが世襲制なら、前トップは精力的に動ける状態じゃなかったのかもしれない、病に臥せっていたとかね。だから動きも静的だった。それが若い世代に権力が移ったから、急に行動に出たように見えるんじゃないか?」

「トップの方針が変わった……」

 

 そう呟くエリックの頬を冷や汗がつたう。


「でも奴らが独立しようとしてるのかも、本当にトップが変わったのかも分からねぇじゃんか! そんな状態で動いても足元すくわれるだけだ!」


 エマがブランケットをバサッと脱ぎ捨てながら投げやりに言う。


「トップが口封じをしない奴に変わったなら俺たちには好都合じゃねぇか?」

「いや、これだけ目立った行動を起こしても口封じをしないということは、目論見が他者に気づかれたとしても問題ないということだ。気づいたところで太刀打ちが出来ない規模ということか、今更動いたところで手遅れなほど計画が進んでいる、ということかもしれない……」


 事務所に重たい空気が充満する。まるで今日世界が終ってしまうかのような。しかし、それも夢物語だと笑い飛ばせないのがIDEOという組織なのである。


 人々が夢を見なくなったことと、怪しい宗教団体が突然その解決策を見つけ出し強大な力をつけ始めたこと–––– 

 この二つはあまりにもタイミングが良すぎる。


 あの真っ白な牢獄の中に、悪夢のようなこの世界を作り出しているカラクリがあるはずだ。こんな様子では巷に蔓延る陰謀論と大差ないが、ノアにはそう考えるだけの理由があった。 


 それはノアが今日を生きる理由であった。

 

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