第13話 各々の役割 


 廊下に居た店員にぶつかりながらも、ヘレンはその足を止めなかった。自分たちが使用していた部屋のすぐ隣、その部屋の扉が今にも閉まろうとしていた。

 鍵を閉められてはなす術がない、ヘレンは勢いに任せて扉に体当たりをした。


 幸か不幸か鍵は閉まっておらず、勢いそのままにヘレンは部屋に倒れこんでしまった。一斉に彼女に集まる視線。ボディーガードの男たちが、素早く立花を取り囲んだ。

 ヘレンが立ち上がろうとすると、入り口付近に居た別の男にナイフを取り上げられ、床に押さえつけられてしまった。


 必死に抵抗を試みるも大柄な男の力に敵う訳もなく、諦めて今度は声の限りに喚き散らした。


「立花ぁ!! ゾーイはお前のせいで死んだんだ、私の、たった一人の、生きる希望だったんだ。おま、お前がぁ、全部壊したんだ!! あの子の心も、人生も、お腹の子も…… お前が全部奪ったんだ!! 死ね、死ねぇ!!! お前も、お前の娘も、生きる資格なんかないんだ。苦しみぬいて死ね! 地獄でも罪を償い続けろ!!!」


 息も絶え絶えに叫んだ。喉は嗄れ、髪は乱れ、顔は涙と鼻水でぐちゃぐちゃになっている。押さえつけられる中で必死に身をよじり、ヘレンは立花の顔を見た。

 そして、見なければよかったと後悔した。


 そこには、苦悶に顔をゆがめる立花の姿があった。真っ直ぐヘレンに向き合うその瞳は、たっぷりの潤いを湛えているが、決して泣くまいとしているように見えた。


 まるで、そんなことをしては失礼だとでも言わんばかりに。



「……え?」


 予想外の光景に呆然とするヘレン、そこにノアとエマがやってきた。彼にこの状況を好転させる力はないと知りながらも、ヘレンは必死に救いを求める眼差しでノアを見上げた。


「ここは危険です! 今すぐに出て行ってください」


 ヘレンを押さえつけている大柄の男がノアに向かって言った。ノアが乱れた髪とジャケットを整えながら答えた。


「私は新聞記者です。隣の部屋でその女性に取材をしていたんですよ。突然部屋を飛び出すものだから驚きましたが、なるほど、お相手がいらしたんですね」


 大柄の男がノアに問いかける。


「記者? なんの取材をしていたんですか」

「貴方のご想像通りのものですよ。私もね、立花グループトップのスキャンダルを握れるチャンスかと思ったんですが、蓋を開ければ確たる証拠もない、ただの恨み辛みのオンパレード。殺害予告ともとれる発言もありましたよ」


 ノアは胸元のポケットからボイスレコーダーを取り出し、その一部を再生した。


≪あの男に…… 思い知らせてやりたいんです。自分がどれだけ卑劣で残酷なことをしたのか、同じことを味わってほしいんです。娘を失う悲しみを––––≫

≪惨殺するのはどうかしら。ゾーイが受けた苦しみの分だけ何度も繰り返し痛めつけてやるのよ––––≫


 ヘレンはぼんやりと自分が置かれている状況を理解し、必死に訴えかけた。


「ち、ちがう!! 現実でそうしようって話じゃないの! 夢、そう、夢の中での話なのよ!!」


 立花を囲むボディーガードの一人が口を開いた。


「夢? 何を馬鹿なことを言っているんだ。特定の人物を思い通りに苦しめるだって? そんな精密な夢、作れるわけないだろう」

「か、彼が!! そこにいる彼が作ってくれるって––––」

「明らかに様子が異常だったんで、話に付き合っただけですよ。そんな夢があったら良いですねって。まさか真に受けるなんて」


 そう言い放つノアに、ヘレンは何も言い返すことが出来なかった。どうしてこんな夢物語を信じてしまったのだろうかと、自分の愚かさに絶望しているようにも見える。

 先ほどのボディーガードが話を続けた。


「百歩譲ってそんな夢が作れたところで、立花様の夢に勝手に組み込んだ時点で禁固刑だ。第一お前は、こうして実際に襲い掛かってきたじゃないか。何が夢だ、お前は立派な殺人未遂の現行犯だ」

「ちが…… ちがう。わ、私は、何も……」


 警備隊がやっと到着し、ヘレンに手錠をかけた。全身から絶望を滲ませ、抵抗することもなく、促されるままにトボトボと部屋を出ようとする。

 すると沈黙を守り通してきた立花が口を開いた。


「あ、あの、待ってもらえませんかっ。彼女は確かに襲い掛かってきましたが、結果私は傷一つつけられていません。どうか、寛大な処置をお願いします」


 ヘレンが今聞こえた言葉が信じられないという表情で立花を見た。彼も真っ直ぐと彼女を見つめている。


「ゾーイさんの件は本当に残念でした。私などと出会わなければ、彼女は今も幸せに暮らせていたかもしれない。貴方が私を恨むことで気が済むのなら、どうぞそうなさってください。そしてもし許されるのなら、いつかゾーイさんのお墓にご挨拶をさせていただけないでしょうか」


 ヘレンはぼろぼろと涙を流した。

 真相は分からないが、先ほどまで刃を向けていた相手をそれ以上憎むことは出来なかった。嘘偽りのない彼の瞳が、演技ではないと物語っている。


「私は……」


 ヘレンはその先を続けられなかった。自分の中で信じ続けてきた真実と、目の前に広がる現実の乖離にまだ順応しきれていないのだ。


 大柄の男がヘレンを拘束している警備隊に目配せをして、連行するように促した。騒ぎを聞きつけて野次馬が集まってきていたからだ。

 ヘレンも抵抗することなく、また歩を進めた。もう立花を見ることはなかった。もう一度彼の瞳を見てしまえば、自分の中に残る憎しみの灯が消えてしまうとでもいうように。

 

 どれだけ醜い感情でも、それは確かに今日まで彼女を生かし、突き動かしてくれたものだから。


  ◇ ◇ ◇


 ヘレンが連行されると、大柄の男が残りの警備隊達に指示を出していた。


「立花氏への調書はこの部屋で私がとる。君たちはバーの利用客を退避させ、野次馬の鎮圧にあたってくれ。ボディーガードの諸君は今日の仕事は終了だ。帰ってもらって構わないが、今夜ここであったことは他言無用だ。破った者は…… わかるね? ああ、先ほど発言していた君。君にも軽く調書を取りたいから残ってくれ」


 そう言って大柄の男はボディーガードの一人を指さした。ご指名された彼も「分かりました」と素直に返事をした。


 指示を受けた警備隊が任務に向かい、残りのボディーガード達がやれやれといった様子で退出した。扉が閉められ、部屋の中には五人だけが残った。




 ノアとエマ、立花に、警備隊長のエリック、ボディーガードのレオの五人が––––

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