第12話 人でなし 

 

 二週間後、エマが働くバーでノアとヘレンは会っていた。カウンターではなく、常連が通される奥の個室を利用した。紅茶が二つ運ばれてきたところで、ノアが話し始める。


「本日はご足労いただきありがとうございます、パターソンさん。早速本題に入りましょう。立花氏に復讐するための夢をご所望ということで、詳細なご要望をお聞かせ頂けますか」


 ヘレンがあからさまに動揺する。中肉中背の「どこにでもいる」という言葉がしっくりくる母親だ。

 艶のない茶髪を簡単に三つ編みにし、簡素なシャツワンピースに、着古されたベージュのカーディガンを羽織っている。

 四十二歳、夫とは向こうの浮気が原因でゾーイが五歳の時に離婚。それ以来女手一つで娘を育て上げた。ゾーイはヘレンが二十一歳の時に生んだ子供なので、享年は同じく二十一歳ということになる。


 あたりをキョロキョロと見まわし、こんな話を誰かに聞かれはしないかと警戒しているようだ。


「ああ、ご安心を。この部屋はお偉い方々も利用する完全防音の個室ですので。貴方に私を紹介した赤毛のバーテンダーも、本日はフロントスタッフとしてこの部屋の前で警戒してくれています」


 それを聞いて些か安堵の表情を見せたが、同時にノアに対して何者なのかという疑いの目を向けた。少し前までは真っ赤に腫れていたであろうその目は、今はもうクマで囲まれ虚ろであった。

 まるで信じられるものなど何もないといった様子である。


「胡散臭いといったところでしょうか、ごもっともです。ならばここで止めましょう。私も大切な手の内を見せてから『やっぱり遠慮します』などと言われては堪ったものじゃない。ですが、もし貴方が私に依頼する気があるのなら、貴方の望み通りの夢を作ってみせましょう」


 国家権力に見放され、暴露の道も絶たれた彼女に選択肢などありはしなかった。ヘレンは内に秘めた憎悪を必死になだめる様に、ゆっくりと話し始めた。


「あの男に…… 思い知らせてやりたいんです。自分がどれだけ卑劣で残酷なことをしたのか、同じことを味わってほしいんです。娘を失う悲しみを。まあ、あんなクズのことですから、実の娘が死んでも何とも思わないのかもしれないけれど」

「パターソンさん、復讐というのは終わりがありません。貴方が復讐を果たせば、また別の誰かが貴方に復讐をする、それが延々と繰り返されるだけです」

「けしかけておいて今度はなんですか!? 望み通りの夢を作るって言ったばかりじゃない!! そんな綺麗事はまっぴらです、それでゾーイの恨みが晴れるっていうんですか!?」


 立ち上がる勢いでヘレンが乗り出してきたので、テーブルの上の紅茶が零れそうになった。ノアは至って冷静な様子で続ける。


「貴方の中で完結させるべきだと言っているのです。感情の行き先を他人に委ねても碌なことがない。貴方の言った通り、立花がこの夢を全く気にかけなかったら? 娘が死んでも、道端の野良猫が死んだ程度にしか感じない男だったら? それで貴方の復讐は達成されるのですか」


 ヘレンがたじろぎ、痛いところを突かれたという顔をする。心配になるくらい感情を読み取りやすい女性だな、とノアは哀れみに近い感情を抱く。

 

「それでも…… そう、自殺じゃなくて惨殺するのはどうかしら。ゾーイが受けた苦しみの分だけ何度も繰り返し痛めつけてやるのよ。娘だろうが何だろうが、そんな刺激の強い夢を見れば脳波はただでは済まないわ。それこそドリーゼを摂取しても手遅れなくらいに!」


 ヘレンはまだノアの擬似夢が脳波に殆ど影響を及ぼさないことを知らない。

 意図的にデバッグをしなければ話は別だが、そんなことは死んでもしない。しかしデバッグが完璧であっても、彼女の言うような過激な擬似夢を見せれば、心は確実に壊れてしまうだろう。


 つまりIDEO製の残虐な夢を見続けても平気な、むしろそれを生きがいとしている様な連中というのは、それだけ人の心から離れている存在と言える。


 ヘレンは半ば興奮状態で話し続けている。


「ゾーイはお腹の子を流産したの…… あの男の嫁は体が弱くて産後まもなく死んだんですって。それを再現するのも良いわね! 夢の中では嫁も娘も助からないの、あの男にぴったりだわ!! ……何よその顔は、私は娘を奪われた被害者なのよ!?」


 思わず漏れた軽蔑の眼差しを読み取られてしまった。これは穏便にはいかないな、と諦めてノアが戦闘態勢に入る。


「先に被害を被れば、何をしてもいいのでしょうか。そうであれば、この世は犯罪で溢れかえってしまいますよ。立花が悶え苦しんでいる夢を作りましょう。自殺に追い込むことも、貴方自身が手を下すことも出来ます。そうして自分の中で納得させていくんです、復讐を終わらせるには自分の心に折り合いをつけるしかないんですよ」

「それじゃダメなのよ! 全然足りないわ。私が味わった苦しみを、娘を亡くす悲しみをあの男に分からせたい。そうすれば、あの悪魔のような男にも人の心が宿るかもしれない、加害者の更生こそ復讐の成功じゃないですか?」


 ノアはそれを聞いて皮肉たっぷりに鼻で笑った。ヘレンの顔が烈火の如く赤くなるが、ノアは反撃の隙を与えない。


「人の心? 更生? 作り手の苦労も知らないで、言うだけなら簡単ですよね。貴方はご自身を神か何かだとでも思っているのでしょうか。そうですね、確かに貴方はだ。貴方は怖いんだ。立花を苦しめる夢を見て、自分の脳波が乱れることが。自分は傷つかず安全なところに居て、誰かが代わりに罰してくれる方が楽でしょうね」

「そ、そんなこと……」


 ヘレンは言葉を濁した。ノアはトドメを刺さんとばかりに続けた。


「擬似夢は高額な割に失敗のリスクも高い。そんな不確かなものに頼るより、貴方のその手で立花や娘を殺した方がよっぽど簡単だと思いませんか? 貴方はそうする覚悟もなければ、夢だから何をしても許されると思っているんだ。しかし貴方は今、明確な殺意を持ってそのを立花の心臓に突き刺そうとしている。貴方には、その自覚がおありですか? ご自身がでないと、胸を張って言えますか?」


 ヘレンは俯きわなわなと震え、何かぶつぶつと呟いている。


 その時、部屋のドアが三度ノックされ、エマが入ってきた。ノアが鋭い視線を向けエマはギクッとたじろぐが、それでも臆せずノアの元へ歩を進める。そして耳元で囁いた。


「仕事中に何の用だい」

「緊急事態だ。……立花がいる。隣の部屋を使ってるんだ」


 自分の世界に入っているのかと思われたヘレンだったが、エマの言葉をしっかりと聞いていた。

 エマが閉め切るのを忘れた扉に目を移すと、ちょうど廊下を通り過ぎる立花の姿がそこにはあった。何度も何度も切り裂いた写真の中の男、自宅に乗り込んでも門前払いを食らい、手も足も出せなかったあの男が今、扉一枚隔てた先に居る––––


 ノアがまずいと思った時にはヘレンは立ち上がっていた。

 勢いよくテーブルを押しのけるように立ち上がったので、向かいに座っていたノアはテーブルとソファーに挟まれ身動きが取れなくなった。

 代わりにエマが咄嗟に手を伸ばしヘレンを止めに入る。が、ヘレンの勢いに押されたエマは床に倒れてしまった。

 そして倒れた拍子にエマの護身用のナイフが床に転がりだした。ああ、どうしてバーの勤務中にまで武器を携帯しているんだ…… ノアがどんなに嘆いても、全てはそうなるように出来ていたのかもしれない。


 ナイフを握ったヘレン・パターソンが、狂気に塗れた形相で部屋の外へと駆け出した––––

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