依頼人 ヘレン・パターソン
第10話 カメレオン
アイザックが帰ったその日の夜、事務所に二人の男がやってきた。
一人はエリックで、もう一人は鎖骨ほどまであるミルクベージュの髪を一つに束ねた
ノアよりも少し背が低く細身で、垂れ目に口角の上がった口元。歳は二人と同年代といった印象で、服装によっては女性にも間違われてしまいそうだ。
「レオと一緒に来たのか」
「おう。そこの通りでばったり会ってな」
「なになにノア~。焼きもちかな? 安心して、ぼくにはノアだけだよ~!」
ノアは華麗に無視を決め込み、パントリーに二人分の茶を用意しに向かう。
レオと呼ばれたその男は、ノアの背中に向かってまだ愛の言葉を投げかけ続けていた。
エリックはこの光景にうんざりだといった様子で、レオの頭にげんこつを食らわした。例の如く、本人は軽くのつもりだが食らった方は悶え苦しんでいた。
「馬鹿なことをするだけなら出て行ってもらうぞ、二人とも」
「俺もかよ!? ってか、なんで今回はレオもいるんだ? ランドルフに探りを入れるのは俺の担当だろ」
「レオには別件で動いてもらう。次の依頼人と、ターゲットの素行調査だ」
「そういうこと~」
ノアはアイザックから聞き出したランドルフの情報を二人に共有した。
ランドルフ家はアイザックの事業–––– 養殖業に強い興味を抱いていた。その技術の提供を条件に、アイザックの地位の保証を約束した。娘と結婚させる気はさらさら無かったようで、形式的に最初の顔合わせで食事をとっただけで、以降はランドルフ嬢とは顔を合わせたこともないという。
「これが顔合わせ時の写真だ」
いかにも厳格そうな四、五十代の長身の男性と、長い黒髪の女性、アイザックの三人が並んでいる。
見目は美しいが目に生気はなく、肌は美白というより青白いと表現した方がしっくりくる。
「へぇ、これがランドルフ一家か…… 陰気さが服着てるって感じだな」
「ねぇねぇ~、そもそも何でこの一家を追ってるんだっけ?」
拍子抜けな言葉に、ノアとエリックは呆れたという表情でレオを見つめる。エリックが再びげんこつを食らわしたい気持ちを必死に抑えて言う。
「お前なぁ! よくそれで仲間の一員ですって顔ができるよな!」
「なんだよ~。だってぼくはいつも裏仕事ばっかりで、大事なところはそっちが持ってっちゃうんだろ~」
そう言うとレオは子供のように頬を膨らませ、あからさまにいじけて見せた。
◇ ◇ ◇
レオとの出会いは五年ほど前、夢屋を始めた頃だった。
電車が事故で遅延し、ホームで立ち往生していたノアにレオが声を掛けてきた。時間潰しで他愛もない会話をしていたら、突然「恋に落ちました~!」と告白してくるものだから、レオに対する印象は最悪だった。
しかし話を聞いてみると探偵業の下っ端をやっているうちに変装と潜入に長け、当時既に独立し「カメレオン」と呼ばれていた。レオという名も、そこからとったという。
正直どれだけ実力があろうが関わりたくはなかったが、夢屋として駆け出しだったノアにはIDEOの手掛かりを集める手段すら分からなかった。
使えなければ契約を切ればいいと思い潜入業を頼んだところ、カメレオンの名に偽りはなかった。
レオは老人にも少女にも姿を変え、モデルとして有名人たちのパーティーに紛れ込むことも、影の薄い従業員として工場に忍び込むこともやってのけた。今ではすっかり夢屋になくてはならない存在である。
◇ ◇ ◇
ノアがため息交じりに言った。
「ランドルフ卿がIDEOの幹部だと、脱獄した信者が言っていたんだよ。もう三年も前の情報だけどね」
「へぇ! そんな重要な情報握ってる信者をゲットしたのに、なんでもっと聞き出さなかったの~?」
「保護した時点で既に精神不安が末期だったんだ。その情報一つ聞き出すだけで精一杯だったんだよ」
ドリーゼはIDEOによって完全に管理されている。医療専用施設で脳波を図ったそのままの流れで必要量を注射するのだ。
お粗末な擬似夢なら一般人でも作り出せるが、ドリーゼの代わりとなる薬は誰も開発することができなかった。
つまり、逃げ出した彼らが精神不安を解消する術はないのだ。ドリーゼ欲しさに医療専用施設へ行けば脱獄者として連れ戻され、処分されて終わりだろう。
ノアは脳に影響を殆ど及ぼさない擬似夢を作ることはできるが、既に脳波が乱れてしまっている者を救う手段は、ドリーゼを摂取する以外にはないのだ。
「言い換えれば三年かけてやっと掴んだ尻尾だ。絶対に無駄にしねぇ」
「奴らはなぜ養殖業に目をつけたのか……」
思案するノアの横顔をレオはうっとりと見つめている。
「仲間外れにすんなって拗ねてたんだから、お前もちょっとは考えろよ」
エリックに邪魔をされ少し不機嫌そうな顔をしたが、すぐにトロンとした笑顔に戻り、ずばり言った。
「養殖業を学ぶんだから、そりゃあ勿論、沢山食べたい以外にないでしょ~」
「お前馬鹿か! そんな単純ならIDEOの秘密なんてとっくに俺らが全部暴いてるよ!」
「……いや、本当にそうなのかもしれない」
えっと驚くエリックと、それを得意げな顔で見つめるレオ。ノアはエリックを見て言った。
「フィールド…… 畑」
「畑? ……あっ」
それは先日の脱獄者が電波塔を例えた言葉である。あれが何かの比喩などではなく、そのままの意味を指すとしたら……
「食料の安定…… 外からの供給を絶てればIDEOの優位性はさらに高まる。全てをIDEOの中で完結できるようになれば、その先にあるのは――」
「「「独立」」」
事務所がシンと静まり返る。ノアの心臓が高鳴る。
国家としての完全独立、それが奴らの目的? いや、思考を狭めてはならない。これはあくまで選択肢の中の一つに過ぎない。
最低で最悪な選択肢の––––
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