第9話 アイザック・ネルソン
「お会いできて光栄です、ネルソンさん」
「こちらこそ、マーガレットがお世話になったそうで」
数日後、ノアとアイザックは夢屋の事務所にいた。まだノア自身を信用していないのか、ノアとマーガレットがどういった関係かを気にしているのか、きっとその両方だろう…… アイザックは笑みを浮かべてはいるが、警戒モード全開といった様子だ。
「そう緊張なさらないでください。今日は貴方と取引がしたいんです。ウッズさんからも、そう伝わっているはずですよね」
マーガレットと呼び捨てにして、彼の神経を逆なでするようなヘマはしない。ノアが今回この仕事を引き受けたのは金のためでも、マーガレットのためでも、ましてや愛する男女を結び合わせるためでもない。
他でもない、このアイザック・ネルソンと繋がりを持つためであった。
「ネルソンさん、ウッズさんからはどのように伺っていますか?」
「ちょっといい夢を作ってくれる人がいると言っていました。その人が私に会いたがっていると」
「そうです。私は人よりも精巧な擬似夢を作ります。これは私が夢を提供したいと思う、特別な方々にしかお教えしておりません。そして、今私はこうして貴方にお会いしている」
「私の何かが貴方にとって至極魅力的ということですか。成り上がりの私には政界にも貴族連中にもまともなコネはない。ということは、私の事業が目的といったところでしょうか」
「聡明な方は話が早くていい。半分正解、といったところです。私は貴方の事業と、貴方の元婚約者様に興味があります」
「婚約者? まさかランドルフ嬢のことを……?」
ノアはそこまで聞くと目を細めクスクスと笑った。男のアイザックでもドギマギしてしまう。
彼は居心地が悪そうに咳ばらいをした。
「あぁ、失礼。私は彼女のお顔も存じ上げませんよ。なにせ名前だって表には滅多に出てこない一族だ。私が知りたいのは彼女の父、ランドルフ卿についてです」
アイザックが眉間に皺を寄せて考え込む。話を聞く価値があるのかどうか、自分にどのような不利益が生じるのか様々な思考を巡らせているのだろう。
「すみません。事業の話ならともかく、ランドルフ卿についてはなんとも…… 一時期契約関係を結んではおりましたが、本当にお話しできるようなことはこれと言ってないのです。それに、私は手持ちの擬似夢で満足しておりますので、クラークさんに新しく依頼する必要もないですし」
それを受けてノアはニヤッと笑った。アイザックはその妖艶ともいえる雰囲気に身じろぎする。
罠にかかった感覚に陥ったのかもしれないが、それはもはや手遅れと言えた。
「それは是非一度、私の夢をご覧になってからでも遅くはないでしょう。お部屋をご用意しております。どうぞこちらへ」
アイザックは奥の通路へ誘われる。ビロードのカーテンがゆっくりと開けられていく……
◇ ◇ ◇
「信じられない……」
「お気に召しませんでしたか」
アイザックがガバっとノアに向き直り、興奮冷めやらない様子でまくしたてる。
「まさかっ、気に入るなんてもんじゃない!! これは…… これが本当に擬似夢だなんて。個人の完全再現なんてIDEO製でも聞いたことがない! 見た目は勿論、マーガレットの声まで聞こえた、はっきりと! 本当に、これを貴方が? たった一人で作り上げたと?」
「ええ。先ほどの二点のお話を聞かせていただけるのなら、こちらのデータをお渡ししましょう。保管は特に厳重に、秘書などに預けたりせず貴方自身が管理なさってください。貴方の家族であっても、決して私の存在やこの擬似夢の内容を話してはいけません。お約束いただけますか」
アイザックはゆっくりと首を縦に振った。そこにはもう迷いの色はなかった。
「ええ、勿論。秘密は絶対に守ります。しかし、先ほどもお伝えした通りランドルフ卿については貴方の期待に沿えない可能性が高いですよ」
「問題ありません。どんなに些細なことでもいいのですから。では、取引成立ということで。よろしくお願いします、ネルソンさん」
「アイザックと。貴方に出会えてよかった、クラークさん。ところで…… いえ、何でもありません」
アイザックは慎重に言葉を呑み込んだ。
まるで、もう罠には掛かるまいとしているかのように。
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