第4話 兄弟


 マーガレットを見送って、すぐさま先程の映像と音声データを専用の機械で読み込む。

 そよ風に純白のワンピースをはためかせ、微笑みかけるブロンドの乙女。こちらに手招きをし、優しい声音でアイザックと呼びかける。ここは愛称で呼ばせた方が効果的か…… 音声データをいじくって「ザック」に修正する。全ての作業が淡々と進められていく。


 擬似夢の制作は動画の編集とさほど変わらない。必要に応じて切り取り、合成し、それらを繋ぎ合わせていく。ここまでは独学でもできる。が、問題はそこからのデバッグだ。ここが不十分だと、擬似夢は脳波を乱し強い精神不安を引き起こさせる。

 このデバッグ作業を完璧にこなせるのは世界でただ一人、ノアだけだった。スキャナを装着し、起動させる。


 ゆっくりと、夢に堕ちていく––––。


  ◆ ◆ ◆


 目を開くと、そこは一面の草原だった。空は雲ひとつない澄みきった青、陽の光が暖かく、風がそよそよと頬を撫でる。


 ノアはその中に立っていた。身体にフィットした漆黒のスーツとハット、右目にはモノクル、左手には艶やかなステッキを持っている。正直この場には似つかわしくないが、これが彼の仕事着なのである。


 視界の端を動くものがあった。それはツバ広の白いハットで、ゆっくりと風に運ばれやがてノアの足元に舞い降りた。それを拾い上げると、遠くから女性の声がした……


「ザック! 来てくれたのね。私ずっと貴方を待っていたのよ」


 完璧に再現されたマーガレット・ウッズがそこにいた。外見も声もノアが期待した通りの出来だ。だが、こうして見ると草原と純白のワンピースに対し、少しメイクが浮いてしまっている気がする。


 ノアは手に持ったステッキを彼女の眼前にかざし、ゆっくりと動かした。するとマーガレットの濃いアイラインは落ち、ルビーレッドの唇は桃色のそれへと変わってゆく。


「うん、この方が似合っていますよ」

「素敵。ありがとうザック」


 そう言ってマーガレットは草原を駆けてゆく。捕まえてみてとでも言いたげに、可憐な笑みを湛えながら。その後ろ姿をノアは静かに見送る。


「さて、仕事だ」


 当たりを見渡す。右目のモノクル越しにこの夢のバグが浮かび上がる。黒いモヤがかかっていたり、ノイズのような場合もあれば、そこだけ白く抜け落ちていたりと、その見た目は様々だ。


 草木の合間、ひらひらと舞う蝶、空の移ろい、小さなバグも見逃さない。バグを取り除く程、その擬似夢は脳波に影響を及ぼさなくなる。


 黙々と作業を続けていく。湖の水面に浮かんだバグを胸元のハンカチーフで優しくふき取った。これで終わりか、と思ったその時––––。


「ねぇ、お父さんはどこに行ったの?」


 ノアの表情が凍る。音も光も届かない水底に沈んだような、そんな冷たく暗い感情がこみ上げる。

 静かに振り返ると、そこにはマーガレットがいた。ノアを真っ直ぐに見つめて微笑みかける。彼女は再度、小さな子供に話しかけるような声音で尋ねた。


「一緒にいたじゃない。優しいお父さん、大好きなお父さん。ねぇ、どこにいるの?」


 ノアはその問いには答えず、ポケットからチェーン付きの懐中時計を取り出した。作業を始めて二時間が経とうとしていた。懐中時計をポケットへ仕舞いジャケットを正す。


「ノア、お父さんは貴方を––––」


 彼女の言葉を遮るようにステッキを地面に打ちつけると、そこから眩い光が波紋のように一気に広まり、草原全体を包み込んだ。突風が吹く。ノアはハットが飛ばされないように右手でツバを押さえた。

 そこから覗く右目は獲物を狙う獣の如く、ギラリと強く光って見えた。何かの感情を押し殺すかのように、憎しみの色を強く滲ませていた。


「おやすみなさい」


 一言、そう呟いた。マーガレットは微笑み続けていた。 



 視界が一面真っ白になる––––。


  ◆ ◆ ◆


 ゆっくりとスキャナを外し、ため息交じりに前髪をかき上げる。スーツのネクタイを片手で緩め、サイドテーブルに用意しておいたミネラルウォーターを飲み干した。


「長閑な夢だからと油断したな」

 

 ノアは擬似夢に耐性はあるが、全く影響を受けないという訳ではなかった。長く滞在すればその夢はノアの脳を侵食してくる。

 といっても、常人の忍耐力とは比べ物にならないのは事実だ。通常であれば十分と潜ってはいられない。一つのバグも見つけられずに目を覚ますこともザラである。


 そうした積み重ねの上でデバッグを行うため、擬似夢を一本作り上げるのに何か月もの時間を要する。二時間連続で潜り全てのデバッグを終わらせ、たった一日で擬似夢を完成させてしまうノア・クラークという男がむしろ異常なのである。


 その時、事務所の扉が勢いよく開き、ドアチャイムが煩わしくさえずった。ノアはそちらを一瞥して、面倒だという感情を一切隠さずに大きなため息をついた。


「あからさまに嫌そうな顔すんじゃねえよ、兄弟!」

「お前に笑いかけるなんて表情筋の無駄遣いは出来ない。それとその呼び方は止めろと何度も言っているだろう。一体今日は何の用だい、エリック」

「あーあ、微笑みの貴公子様が聞いて呆れる。とんだ冷酷野郎じゃないか。昔は本当に可愛かったのになあ」


 エリック・ロバーツ、ノアより二つ年上の二十六歳。高身長で引き締まった肉体、褐色の肌と艶めく黒髪の持ち主で、ノアとは違ったベクトルの美男子である。残念なのは脳まで筋肉で出来ているかの如き単細胞な性格だ。


 だがその身体能力を買われ、十四歳という若さで国家警備隊に所属し、今では第二団隊長を務めている。ノアとエリックの父親同士が仲が良く、幼い頃に孤児みなしごとなったノアの面倒を見てくれたのがロバーツ家であった。それ以来二人は兄弟のように平等な愛のもと育てられた。


「微笑みの貴公子様? おめでとう、遂に頭がイカれたんだね。一度脳波を確認した方が良いんじゃないのか」

「お陰様で安定しているよ。知らないのか? お前の愛称だよ。奥様方の間で散々広まってんのに、ご本人が知らないとはな。生きる芸術品、ナルキッソスの生まれ変わりなんてのもあったな」

「くだらない話をしに来ただけなら帰ってくれないか。仕事中だ」

「今度はどんな依頼だ? ……好きな男の夢に出る? ロマンチックだねぇ。一度くらいそんな風に愛されてみたいもんだよ」

「エリック、本当に追い出すぞ」

「悪かったって! でも、そんな事すれば後悔するのはお前だぞ? 手がかりをゲットした。IDEOイデオのな。」


 そのワードを聞いて事務所の空気が一変した。エリックには慣れたものだが、小さな子供なら泣き出したくなるような緊張感––––。


「……茶を出そう」

「そうこなくっちゃ!」


 これだけぞんざいな扱いを受けてはいるが、実際に追い出された試しはないし、仕事続きで事務所に寄る暇が無い時は「くたばったのか」とノアの方から生意気な連絡がくる。


 出してくれる茶は甘党なエリックに合わせたシロップたっぷりのミルクティー。それを作りに向かうノアの後ろ姿をエリックは優しく見守った。

 パントリーの扉に掛けている小さな鏡越しに、ノアはエリックをちらと見た。鏡越しに見えたそれは、弟が可愛くて仕方がない兄の目に違いなかった。

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