依頼人 マーガレット・ウッズ
第3話 真実の愛
「ようこそお越しくださいました。お会いできて光栄です。ミス ウッズ」
「マーガレットでいいわ。引き受けてくださって感謝いたします。クラークさん」
ノアの事務所にやって来たのは、あの写真のブロンド女性であった。彼は慣れた手つきで上着を預かり、それをラックへ掛ける。出された紅茶は彼女も愛飲する高級茶葉で、この時点でマーガレットはノアに対してかなりの好感を抱いた。
「実は私、今の今まで疑っておりましたの。思い通りの夢を作り出せる人がいるなんて。けど、貴方なら信じてみても良いかもしれないわね。あのバーテンダーの子にもっとチップをあげたら良かった」
バーテンダーというのはエマのことである。彼女は高級クラブのバーテンダーと死体処理の仕事を掛け持ちしている。死体処理は単純にお金になるから、バーテンダーの仕事は金持ちのコネを作れるかもしれないと思ってのことらしい。二年前クラブで勤務中のエマにノアは声をかけた。「条件の合う人間を見つけたら、夢屋の話をしてほしい。上手く仕事に結びつけば報酬を渡す」という取引で。
「それで、本当に出来るのかしら?」
「はい、出来ますよ。私なら」
彼女の話はこうだった。父の仕事の取引先の男に恋をした、男の名前はアイザック・ネルソン。ところがアイザックには別に婚約者がいる。政略結婚で婚約者とは恋仲という訳ではないらしいが、アイザックは超がつくほど真面目な男で、色仕掛けは逆効果だという。
いっそ婚約者を殺してしまおうか、そんな彼女の愚痴に乗ったのがエマだった。それなら彼の夢にマーガレットが登場したらどうか。自分は無意識化では彼女に惹かれているのだと思わせる、というのがエマの作戦だ。
「彼型物だけど、真実の愛とかそういうのを信じている節があるのよね。この間もね、道端でロッド寸前のホームレスに水と名刺を渡して『工場勤めで良いなら空きがあるから連絡しなさい』って言ったのよ。慈悲深いのねって感心した私に、彼なんて言ったと思います?」
マーガレットは自分のお気に入りのおもちゃを見せびらかす少女のように目を輝かせた。これが私の宝物よ、と言わんばかりの笑みをたたえている。
「それがね、『神様が見ている気がして』ですって!! おかしいでしょう! 夢を見なくなってから、もう誰も神の声など聞かなくなったのに。結局は皆、自分の聞きたい言葉を勝手に神のお告げだと思い込んでいただけなのにね。でも彼はまだ神を信じている、そんなところも愛おしいの」
そこまで一気に話すとマーガレットはハッと我に返り、少女の顔から淑女の顔に戻った。コホンと小さく咳をして、頬を少し赤らめさせる。
ノアはそれを揶揄うことなどせず、マーガレットに話の続きを促すように優しい眼差しを向けた。
「で、ですから、彼の夢の中に私が登場すれば、きっと運命の女性だと勘違いしてくれると思いますの。きっかけさえ作ってくだされば、後は何とかしてみせますわ。少なくとも、お飾りの婚約者様なんかよりずっと彼のこと想っておりますから」
「なるほど。擬似夢内の人物や場面は自分の脳内から補完する傾向があります。彼のチップに貴方という存在を紛れ込ませれば、運命だと錯覚してもおかしくはないでしょうね。手筈は整っているのでしょうか」
「彼の秘書を買収済みよ。その日の彼のコンディションに合わせて秘書がチップを用意しているの。次の金曜の幹部会議の間にチップを受け取ることになっているわ」
そこからはマーガレットと計画を細かく詰めていく作業に移行した。特殊なカメラで彼女を全方位撮影し、様々な声音の音声サンプルを採取した。「清純なイメージを与えたい」という要望から服装やメイクも決めていく。
「会議は十時からよ。十八時には秘書にチップを返さなきゃならないけれど、時間はどれくらい必要なんですの?」
「アイザックさんの夢の内容にもよりますが、三時間もあれば十分でしょう。」
「そんなに早く出来るの?本当に信じられないわ、人の夢に介入できるなんて。ドリーゼを何本打っても耐えられない負荷のように思いますけど」
「ご心配なく。ここは夢のオーダーメイド、夢屋ですから」
そう言って微笑むノアはさながら芸術作品のような美しさだった。他の男を射止める為の打ち合わせなのに、思わず心を奪われそうになる。
しかし何故だろう、その美しさはどこか冷んやりとしていて、深入りすれば後には戻れない気がした。
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