第2話 夢を見させてやる



 秋が深まり、陽が沈むのが早くなった今日この頃。

 すれ違う人々を横目にノアは歩を進める。彼らが見つめる先にあるのは『夢』である。抽象的な表現などではなく、実際に夢が店頭で売られているのだ。


 ノア・クラークは夢を見る。それのどこが特別かというと、今やこの世界で唯一の存在なのだ。


 約三十年ほど前の話、人々は夢を見なくなった。電波が脳を溶かしただ、化学調味料のせいだ等と散々議論をされたが結局原因は解明されていない。


 「寝ても疲れが取れない」「思考が鈍くなり仕事が手につかない」そんな人達がぽつぽつと増えていき、何かおかしいと気付いた時には世界規模の問題となっていた。


 そして、それと並行して「最近夢を見ていない気がする」「夢日記を付けなくなって2ヶ月経つ」といった話も増え、同時多発的に人々が夢を見なくなったこと、そして恐らくそれが脳に何らかの悪影響を及ぼしていると結論づけられた。


 夢は脳が記憶の整理をしている際に生じるノイズであるとも言われているが、つまり夢を見ないと言うことはその記憶の処理が正しく行われていないということである。


 記憶力・集中力の低下、眠りの質の低下による慢性的な疲労感、鬱症状などがみられた。この状態が末期になると脳の処理が追いつかず、やがて何も思考できず何もすることができない、一種の脳死状態となった。この状態は “Lack of Dream” 通称「ロッド」と言われている。


 結局夢を見るか否かに、人種も性別も脳の構造にも関連性を見出すことは出来なかった。そこから人々の使命は夢を見る方法ではなく、夢に取って代わるものの発明へと移っていった。




「ねえママ、この夢買って! おねが~い!」

「空を飛ぶ夢? 刺激が強すぎるわ。それに誕生日に買ってあげたお花畑の夢があるでしょう」



 十歳ほどの少女が母親に駄々をこねている。

 夢に取って代わるものの発明––––。そこで十五年ほど前に作られたのが擬似夢ぎじむである。特殊な加工を施した映像チップを専用スキャナで読み取ると、脳裏に映像が浮かぶというシステムである。


 擬似夢の登場により危機は去ったかと思われた。早速人々は思い思いの夢を作り出し、ネット上では多種多様な夢をダウンロードすることができた。


 しかしすぐにそれらは規制された。夢と現実の区別がつけられなくなる者、現実世界に絶望し自殺を図る者が急増したのだ。それは夢の精巧さに比例しているようで、作り込まれた複雑な夢ほど反動が大きいことが分かった。


 ノアは茶色いレンガ造りの建物を右に曲がった。通りの向かいには病院のような見てくれの真っ白な建物がそびえ立っている。その入り口近くには愛想笑いを張り付けた、人型ロボットが佇んでいた。ロボットの胸元の液晶がチカチカと光り、電子的な音声が流れる。



『無料で脳波測定! 最短10分! ★今なら20%OFF★』


「20%オフだって。やってく?」

「今月ちょっと厳しいからなぁ…… 一旦パスで」

「そうだな。俺も先に子供に打たせてやらないと」



 スーツ姿の男性二人が、残念そうにロボットを見つめながら話している。


 ドリーゼとは精神安定剤のことで、擬似夢による精神不安を緩和させる唯一の薬である。人々は定期的に脳波を測定し、必要量のドリーゼを注射する。


 夢を見なければロッドに罹る、擬似夢を見ても精神不安が生じる、精神安定のためにドリーゼを打つ。その繰り返しだ。


 何故精神不安を引き起こすのか? それは擬似夢を作る上で必ず生じるのせいだ。作り手は擬似夢に入り込み、このバグを除去しなければならないが、何度も夢に入り込む行為は危険を伴う。それゆえ擬似夢も高値で取引されている。


 先程の男性二人がまた話し始めた。

 


「そういや欠勤が続いてたハワードさ、自宅でロッド状態で見つかったらしいよ」

「本当かよ!? 支援受けてなかったのか?」

「あいつ元々金持ちの坊々だったろ? それが実家が倒産しちまって。今更お粗末な夢見たって効果が無かったんだろ」

「かぁ〜、貧乏で良かった〜」



 国から支給されるバグの少ない簡素な擬似夢もあるが、簡素ゆえ、何度か見ると効き目は無くなってしまう。支給品の夢では満足できなくなってしまったが、市販の夢は高価で、ドリーゼを打つ金も持ち合わせていない人々…… 貧富の差は当然のごとく深まった。


 夢を見させてやる


 そんな誘い文句で旧時代の奴隷制度のように権力者が弱いものを虐げているのが今のこの世界なのだ。



  ◇ ◇ ◇


 事務所に帰ると、ノアはジャケットを脱ぎチェアに腰掛けた。鞄からエマから受け取ったファイルを取り出しデスクに書類を広げる。


『夢屋 特注依頼書』


 ノア・クラークは夢を見る。空を飛んだり、アジアの国の王になったり、悪魔に追われたり、様々だ。それゆえ彼は擬似夢の世話になることもなく、ドリーゼを接種する必要もなかった。また、彼は擬似夢による脳への負荷にも耐性があった。


 だから彼は始めることにしたのだ、夢屋の仕事を。客からの細かな指示を全て完璧に再現し、緻密で芸術的な作品を生み出す、夢のオーダーメイド。世界でたった一人、彼にしか出来ない仕事……


 ファイルの中から女性の写真を摘み上げた。ブロンドの長い巻き髪に、口元のホクロが印象的な女性が微笑んでいる。 


「好いた男の夢に出たい、ねえ……」


 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る