家で1秒過ごす度に0.1円貰える生活

秋村 和霞

家で1秒過ごす度に0.1円貰える生活

 

 家から出なかった時間に応じて、報酬をお支払いします。

 きっかけは、その広告だった。


 大学を卒業してからもきちんとした就職をせず、アルバイトでその日暮らしをしていた上、連絡を取り合う友人もいない。そもそも人と関わることが嫌いで、できる事ならば、家に一人で引きこもり、延々と怠惰な生活をしていたいと願っていた。そんな私には、夢のような話だ。


 詳しい資料を取り寄せて、中身に軽く目を通す。小難しい事が長々と書かれていたが、要約すると、ある財団が行う心理実験なのだという。


『人は何処まで孤独に耐性を得られるのか』


 そんな見出しが目に入る。実験の目的は、この見出しが全てなのだろう。

 おいしい話には裏があると言うが、これはきちんとした目的のある実験なのだ。私はすっかりこの話を信用して、胸を高鳴らせながら報酬について書かれたページを開く。


 1秒につき0.1円


 それが報酬の金額だった。

 私は手元で電卓を叩く。

 時給換算で360円。日当だと8640円。


 普通の仕事なら割に合わない報酬だろう。しかし、仕事の内容はただ家に居るだけ。そう思えば、破格の条件だ。


 私は日当に365を掛け、年収を割り出す。300万近い額になる。フリーターである私の年収よりも高い。


 私は口笛を吹きながら資料をめくり、規約のページを開く。やはりおいしい話ばかりではない様だ。


 まず、家の前に監視カメラが取り付けられ、一歩でも家から出れば、その時点で報酬のカウントがストップし、以降の報酬は支払われないという。

次に、生活用品については財団指定のモノを指定の値段で購入しなければならない。

 最後に、一番私が厳しいと感じた条件。それは、インターネットの禁止だ。

 孤独がどうとかいう実験なのだから、簡単に他人とコミュニケーションが取れるツールが制限されるのは仕方がないのかもしれない。しかし、それではネット通販や動画サイトの視聴も不可能という事になる。


 しかし、よくよく読んでみると、思いのほか厳しい条件という訳でもない。テレビの視聴やゲームでの遊戯は制限されていない。外に出られない上に通販も使用できないのだから、持ち合わせのゲームでしか遊べないのは考え物だが、それならば事前に大量の積みゲーを用意するだけだ。


 更に、この実験に関する違約金は一切発生しないという。つまり、この生活に飽きたら、白旗を上げて家の外に出ればよいだけだ。その後は、いくら家に居ても報酬は発生しないが、それならそれで、フリーター生活に戻るだけだ。一年間家の中で遊び倒すだけで、今以上の年収がもらえるのだから、多少の貯金もできるだろう。


 資料の最後は、被験者の応募用紙だった。ごく少人数しか募集は無く、希望者が多い場合は抽選になるらしい。


「まあ、宝くじに当たるようなものか」


 私はダメ元と割り切って、その用紙に必要箇所を記入し、封筒に収めてポストに投函した。



 後日。

 被験者として当選した連絡を受け取り、私は一人で歓声を上げた。


 実験開始までの猶予は数日しかないらしい。私はそのままアルバイト先に辞める旨を電話で伝え、ありったけの貯金を下ろしてゲームショップへ向かう。


 中古で安くなっているゲームを片っ端からカゴに詰め、更に映画やアニメのDVD、漫画や小説などの書籍類、そのほか時間を消費できるものを買い集める。


 家に帰り、期待に胸を膨らませながら、それらを広げる。貯金は空になったが、これから私は家に居るだけでお金がもらえる日々が始まるのだ。


 そして、実験開始日当日。財団から委託を受けたという業者が家を訪ねる。彼らは私の部屋のアクセスポイントを取り外し、携帯を没収する。そして、アパートの部屋の入口に監視カメラを設置した。


 そして、黒い電子端末を手渡される。


「実験の最中はこちらの端末を使用ください。実験の時間に応じて、リアルタイムで報酬を確認できます。食事は自由に出前を取ってください。その際の支払いには、こちらの端末のバーコードが使用できます。最後に、日用品は毎月一日に部屋の前に配達いたします。費用は報酬から自動引き落としさせて頂きますので、ご了承ください。それでは、実験を開始いたします」


 業者の人々が私の部屋の扉を閉めると同時に、黒い端末に時間と報酬金額が表示される。


 ついに始まった。私は興奮を抑えながら、端末を見る。10秒が経ち、報酬金額の欄に1円と表示される。何もせず、ただ端末を眺めていただけで、お金が振り込まれたのだ。たかが1円ではあるが、私にとっては大きな一歩だ。


 さて、いつまでもこんな端末を眺めていても仕方がない。私はさっそく買ってきたゲーム機に手を伸ばす。謎解き要素が人気のアクションRPGゲームだ。


 前作を遊んでいたこともあり、序盤はサクサクと進む。しかし、次第に難易度が上がり、攻略に行き詰まる。


 小一時間程ほど同じ個所で試行錯誤を繰り返すも、なかなか攻略の糸口が見つからない。


「ああ、もうダメだ。降参だよ降参」


 私はノートPCを開いて、ゲームの攻略サイトにアクセスしようとする。


「っと、忘れてた。ネット使えねぇんだ」


 仕方なく、PCを閉じる。予想はしていた事だったが、ネットが使えないというのは想像以上に厳しいものだ。


 しかし、端末を見る。半日遊んでいただけだというのに、既に報酬は2000円近く溜まっていた。


 私は端末を操作して、デリバリーのピザを注文する。


 程なくして、配達員が玄関先に現れる。規約では、配達員と言葉を交わすのも禁止されている。


 私は、快活に挨拶をする配達員から無言でピザを受け取り、端末のバーコードで支払いを行う。端末に表示されている金額が数百円にまで下がる。


 机の上に箱を置いて開けると、暖かい蒸気と共にとろけるチーズの濃厚な甘い香りが部屋に広がる。コンビニの弁当ばかりの生活をしていた私にとっては、久々の大御馳走だ。


 アツアツのピースを口にほおばり、冷たいコーラで流し込む。こんな事をしている間にも、報酬は振り込まれていた。


 ピザを平らげた後は、残ったコーラを飲みながらゲームの続きを始める。食事休憩を挟んだおかげか、行き詰まっていた謎解きは難なくクリアできた。


 端末を見ると、また数十円ではあるものの、残高が増えている。

 私はコーラを一気に飲み干す。

 ああ、なんて幸せなんだろうか。



 しばらくは楽しい日々が続いた。


 好きな時に寝て、好きな時に起き、一日中好きな事をする。

 しかし、そんな日々も続けていると飽きが来る。


 買い込んだゲームは一通りクリアしてしまい、DVDも全て目を通してしまった。残っているのは、興味がないものの話題になっていたから買った漫画と、なかなか読む気の起きない小説類。


 食事にも飽きを感じていた。

 出前ができる食事は、寿司やピザを筆頭に豪華なものが多いが、そんなものでも自宅まで配達に来てくれる距離の出前しか注文できない為、特定の品のローテーションになってしまう。


 私は例の黒い端末を覗く。あの日から既に一年以上が経過していたが、残高は数十万円だった。

 年間300万以上が貰えるのだが、想像以上に貯金は貯まらない。食事が全て出前である以上、どうしても食費がかさむ事もさることながら、光熱費や税金、更に財団が送り付けて来る割高な生活用品が私の財布を圧迫していた。


 しかし、今この生活を止めるには勿体ない気がしている。せっかく奇跡のような確率で手に入れた、ただ家に居るだけで報酬が得られる生活を、そう安々と手放す事は出来ない。


 私は冷めたピザをかじる。そういえばこの一年で随分と体重が増えた気がする。



 数年後。


 私はもう耐えられそうにない。誰とも関わらず、ひたすら同じものをインプットし続ける日々に。買い込んだ娯楽は全て何週もしゃぶり尽した。新しい刺激は面白みのないテレビの番組だけだったが、そのテレビも半年ほど前から故障していた。


 直そうとも考えたが、ネットが通じていないこの部屋で、どうすればよいのか分からない。電話を掛けようにも、この自分の携帯は失っている。この黒い端末は電話の機能を持ち合わせていなかった。


 触れられるのは、何回も読んだ漫画とやりこみ要素もやり尽した携帯ゲームのみ。


 とにかく新しい刺激が欲しい。ほんの些細なものでいい。

 私は、規約違反と知りながらも、ピザを届けに来た配達員に声を掛けようと試みる。


 驚いた事に、私は何も言えなかった。長年の間、一言も言葉を発さずに生きてきたのだ。私は声の出し方すら忘れてしまったらしい。


 配達員が怪訝そうな顔をして去って行く。


 もういい加減、潮時だろう。黒い端末の残高は100万円を超えていた。

 しかし、私はこの扉の先へ行くことが出来ない。でっぷりと太った言葉の話せない男が、まともに仕事をこなせるわけがない。貯金はたった100万円と少し。これが尽きたら、私はどうなってしまうのだろうか。


 こんな事ならば、フリーター生活を続けていた方がましだった。あの頃は、仕事に縛られていながらも自由があった。


 しかし、今の私はこの部屋に縛られている。もはや私は、この狭い部屋で生きていくしかないのだ。部屋で過ごすだけで仕事もせずに報酬が貰えるなんて、そんな甘言に誘われて、部屋に閉じこもってしまった自分を呪う。


 だが、もうどうしよも無いのだ。私は自分が泣いている事に気づく。


 もはやこんな人生に意味などあるのだろうか。ただ無意味な日々がひたすら続いていく。こんな地獄が続くなら、いっその事、死んでしまいたい。


 ああそうだ、もう死んでやろう。こんな生活は終わりだ。


 そう開き直った時、私の肩が軽くなる。


 どうせ死ぬのなら、最後にこの100万円で思いっきり贅沢をしてやろう。


 私は出前のピザを放り投げ、玄関の扉を開いて外に出た。


 暖かな風と共に、桜吹雪が私を包む。


 手元の黒い端末を見ると、時間の集計が終わっている。


 私は新たな命を得て、一歩一歩を踏みしめながら外の世界へと繰り出していった。

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