連続するガタンという音の間に、物を落っことすようなゴトンという音が入る。音に僅かに遅れるように奈緒の体は弾んだ。腹の奥で落とし物をしたようにうらうらと内臓が揺れる。舌の奥を押されたような妙な心地を抱える。飲み込むものもないのに飲んだような気がする。電車は時々苦手だった。

 電車内はまばらに人が散っており、二、三歩よろければ人にぶつかる程度の密度である。明子の周囲にだけ人はおらず、明子を中心に半径一メートルくらいの円ができていた。その円のなかに食い込むように、奈緒は立っていた。もうもうとした蒸気の熱気に体を半分濡らされるような心地で、明子のとなり、拳一つ分あけた距離にいた。

 電車が開く。一瞬涼しいような錯覚の後に、追うようにして、地下鉄と季節特有の熱気がむわりと入ってくる。

乗客はそれに押されるように、あるいはかきわけて泳ぐようにして、降り、または乗車するのである。

 この駅での乗車率は高い。必然的に元いた人が押されるかたちになり、奥に追いやられる。そうして寄ってきた人の波に押され、一人の乗客が明子にぶつかり、靴のかかとを踏んだ。吊革につかまっている明子の体がゆれ、靴が半分脱げる。必然的に前のめりになり、明子に対面で座っていた男性客が、後ろに仰け反るように身を固くした。

 明子は黙って靴を履き直した。押した当人である少女は、「うわ」と言って身をよじるように明子から出来る限り離れ、身震いするように明子に当たった腕を振った。一緒に乗り合わせていた友人に「何か濡れたし」

と耳打ちした。聞こえてもかまわない、そんな風な囁き方であった。

 奈緒は明子の手を握った。明子の固く縮こまろうとしていた身が、奈緒の方へ向いた。驚いたとも、迷子のようともいえる表情であった。奈緒はそれには知らない振りをした。なにもかも知らない、といった顔をするように努めた。握った手は、じっとりを通り越してぬるぬるとしていた。時折、手首から伝った汗が重なった手の隙間をほとほと伝った。そのたびに、手首、頬、肩や背など奈緒の体は生理的に震えようとするが、それらを理性で抑え込んだ。

 電車に揺られていた。明子が顔をぬぐうのがわかった。汗かと思ったが、鼻をすする音と、電車の揺れとは違う規則的な震えが、明子から伝わってきて、泣いているのだとわかった。

 奈緒は素知らぬ振りをして手を握り続けた。恥ずかしく、そして誇らしい気持ちで一杯だった。

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