第3話

それからさらに五日が経ってようやく本軍がエン城に到着した。

 一ヶ月に渡り今回の北伐戦略の要であるエン城を守り切ったショウリョウは本来ならば、大将であるガテイからひとことぐらいあっても良さそうなものだが、そういったものは一切無く、それどころかアキバツ麾下の軍だけ城の外へ出て行けと言われた。


「どういうことですか!ここは既に敵地。城の外で一夜を明かそうものならキンリョウ軍の攻撃に晒されることは目に見えております。あなた方は我々に死ねとおっしゃるのですか!」




「仕方あるまい。貴様らはここをた・ま・た・ま・自分たちの力で攻略できたと思っておるのだろうが、この城に欠陥があることは明白。さすれば全軍が城内に留まるのはまずい。誰かが城外で警護をせねば全滅の憂き目に遭うやもしれぬ。」

 禁軍の頂点に立つ将軍であるジンビはめんどくさそうに答える。ジンビは帝の外戚の一族であり、それを鼻にかけた傲慢な振る舞いが目立つが本質は肝の小さい小心者だ。それを尊大さで隠そうとする分余計にタチが悪い。勝敗がはっきりとした戦よりも陰湿な謀略のほうが似合う男だ。

 名門意識が人一倍高く、下民出身であるショウリョウを親の仇の如く目の敵にしている。


「何ですと!今のは聞き捨てなりませぬ。我々が単なる幸運でこの城を落としたと?」

 サイカは剣を抜かんばかりの剣幕でジンビに迫る。

 ジンビの目に一瞬怯えの色が走るが、三十人の兵に囲まれていることに安心したのか、さらに胸をのけぞらせた。


「そう憤るのが何よりの証拠では無いのかな?」


「ぐっ、ならばせめてあと五千の兵を置いてください。」


「ならぬ。禁軍は来るべき決戦にむけて英気を養わねばならぬ。裏切る心配がないものを戦には使わねばならぬからな。それに、我々の精鋭部隊の前では、貴様らにはこれぐらいしか使い道がないのだ。」


「そうだ見苦しいぞ。貴様ら犬は黙ってジンビ様の命令に従っておれば良いのだ。」

 ジンビの腰巾着であるテンイが地面に向けて唾を吐く。

 テンイは体格こそ立派で技も戦の指揮もそこそこ出来るが、過去に丞相を何人も輩出した名門一族の出であり、若い頃から苦労を知らず育ったため甘さが目立つ。

 それに出世欲が強く、媚を売るために民を足蹴にし、権力者の言うことに常に追従し自分の意見を持たない薄っぺらい男だ。

 このような男が禁軍の次席にいる時点で、禁軍の質の程度が知れる。


「何を…!」


「やめろ、サイカ。」 

 これ以上行くと死人が出る。サイカは血の気が多い武人的気質の持ち主で、なかなかに喧嘩っ早い。

 アキバツはさらに言い募ろうとするサイカを目で制した。

 今ここで挑発に乗ると向こうの思う壺だ。

「では、俺は持ち場に着きます。」


「ふん。それで良い。さっさと行け。貴様らが目の前にいると不愉快でたまらん。」

 ジンビは虫でも払うかのように手首を前後に振る。

 アキバツは挨拶もせずに出ていった。



 宮殿の出口へ繋がる廊下には高価なものが何一つ無かった。アキバツが城を落とした時には一切手を出さず、配下にも略奪を許さなかったはずだから、禁軍の兵たちが奪っていったのだろう。

 禁軍の兵士たちの堕落は酷いものであった。宮殿至る所から酒の匂いが漂ってくる。それだけではない。そこら此処らに食べかすやら裸の女体やらが転がっている。

 兵士たちの気を毒で侵すため、戦中には禁じているものたちであった。窓から覗いてみたところ馬の質も酷い。庭に放たれている軍馬は、或いは落ち着きがなく終始キョロキョロと周りを見渡し、或いは手がつけられないほど凶暴に動き回り、餌も通常のものの二倍は食らっている。爪や立髪は伸び放題で、あれでは馬が躓いて転び、足を折ってしまう。

 そうなると殺すしか選択肢がなくなる。ほっておいても熱が体に溜まり、病を得て死ぬだけなのだ。



 アキバツの軍では兵一人一人が自分のことよりも、まず、馬の手入れを行うことを徹底させている。また、毎晩寝る前に何でもいいから語りかけることもやらせている。

 戦場では命を預ける相棒なのだ。心を通じ合わせとかなければ、此処ぞという時に取り返しのつかない失敗をする。

 あれではいざという時使い物にならない。


 サイカは、ただただ険しい顔をして、不快そうに惨状を睨んでいた。早く此処から出たいとアキバツ裾を引っ張り、歩く速度を段々と速めていった。

 アキバツの気持ちも同じであった。宮殿内は腐敗した匂いが蔓延し、空気が澱んでいた。気分が悪くなってくるほどだ。早く外に出て広大な荒野を思う存分、馬に乗って駆けたかった。


 入り口が見えた。あと少しで出られる。

「待て、アキバツ」

 しかし、影に遮られた。著しく太って、具足から肉がはみ出している男を中心に派手に着飾った一団だ。

「何か御用でしょうか?スルガイ殿。」

 スルガイはジンビの息子で、今の帝の甥に当たる。

 父親の権威で幼い頃から、甘言を吐く者たちに囲まれて育ったせいで父親以上に傲慢で驕慢で強欲であり、周囲から搾取して生きることしかできない寄生虫のような男だ。他人を妬むことが唯一の能力で、賄賂を拒否した者を讒言して罪を捏造し、左遷もしくは投獄して敵対者を消し去り、宦官と組んで朝廷の権力を牛耳っている。

 兄がセシリアに言い寄り、アキバツき空に五秒滞空するほど強く殴り飛ばされたため、それ以来酷く恨まれている。

 アキバツが左遷されたのもスルガイの働きによるところが大きい。


「なに、貴様に一つ忠告したくてな。」

 周囲の人間たちはニヤニヤと笑いながらショウリョウの背後へと回りこむ。逃げ道を塞いでいるようだ。

「宮中には、薄汚い下賤の犬のつまらぬ言のせいで富も地位も失ったものが少なくなくてな。それに心を痛めた正義の徒が、今回の北伐を機にゴミ処理を敢行しようとしている。」


「ふむ、なるほど…」

 アキバツの表情は変わらず、しかし目は油断無く周囲を窺っていた。

 顔に見覚えはないが、大方アキバツに汚職を摘発して獄に落とされた貴族たちの親族だろう。


「そこのお前たち今ならまだ間に合うだろ。引き返せ。」


「ギャハハッ。ちゅよいちゅよいアキバツちゃんが今更命乞いでちゅか?」

 後ろに立つ男が不愉快な下卑た笑みと共に、不愉快な喃語を発する。

「土下座したら許してやるかもな。目と耳を潰して舌を引き抜き、邸宅で飼ってやらんでもないぞ。そこの女は性奴隷にする。」

 周りが喧しく騒ぎ立てる。獲物を前にして舌なめずりする狼のようだ。

 サイカは侮蔑を通り越して憐れみすらこもった微笑みを浮かべている。しかし、手には相手に見えないようにクナイが握られている。触れたら一瞬であの世行きの毒が塗られている。


  アキバツは自身がたまらなく楽しくなってくるのを感じた。こいつらを非無くぶちのめせる。


 全くこのような者たちが次世代の政治を担っていく人材とは嘆かわしい。アキバツは腹の中に溜まった俗念を全て追い出すように、目を瞑りゆっくりと息を吐く。

 再び目が見開かれた時、アキバツの周囲から尋常ではない気が放たれた。瞳は太陽すら飲み込まんばかりに燃え上がっている。放つ覇気は全てを包み込むように穏やかでありながら、全てを撥ね付けるかのように鋭く尖ってもいた。 


「貴様らは三つ間違えている。」


「あっ?」

 笑いが止まった。

「一つ、俺が案じているのは自分の身ではない。二つ、命乞いをするのは貴様らの方だ。そして、三つ…」


「きゃあっ。」

 アキバツはもはや殺意を隠そうともしないサイカを胸に引き寄せる。

「あ、主人殿?!」

 不意を突かれたサイカは混乱しているのか抵抗せず、ただアタフタしている。


「コイツは俺のものだ。手前に指一本触れさせやしねぇよ。」

 余裕のある笑顔から一転、獰猛で不敵な光が目から放たれる。笑うという行為は本来、獣たちが牙を剥く際の動作と言われているが、アキバツのそれはまさに強大な捕食者を彷彿とさせるものであった。


 背後から二人が斬りかかってくる。両腕の甲で剣の腹を軽く撫でた。速度は変わらないまま軌道が僅かに逸れ、体勢が崩れた。鳩尾に拳を叩き込む。二人は音もなく崩れ落ちる。

 場が凍りついた。残り六人。アキバツはサイカの手を繋ぎ、胸に抱き寄せたまま三人の横を通り過ぎた。三人は腹を押さえて蹲る。既に意識は無い。

 二人が両脇から突っ込んでくる。しかし、遅い。蝿が止まるようだ。右の男の足を薙ぐ。男の体はアキバツの頭上を舞った。何をされたのか理解が追いつかないらしく男の顔はどうか溢れた厳めしい皺を刻んでいる。

 体を掴み、左へ投げつける。男の体がもう一方の男の腹に激突した。十字に重なった男たちは柱へと吸い寄せられ、寄り掛かるように崩れた。

 最後の一人は後ずさった。手が僅かに震えている。


「なにしている!早くその男を殺せ!さもなくば貴様を僻地に送るぞ。さぁ、早くしろ!」

 滝のように汗を流したスルガイは輪郭がぼやけるほど小刻みに震えている。

 男は二振りの剣を抜いて斬りかかってくる。アキバツの腕から銀色の光が煌めいた。と、同時に踏み出した左足を軸に体を回転させ男の背後に移動していた。

 両刀は根本から斬れ、男は白眼を剥いて倒れた。

 既に腰に戻された剣は湯気を吐いている。


「馬鹿な…全滅だと…。」


 スルガイに一瞥をくれる。股から生温かいもの垂れ流し、虚な目をしたスルガイはヒッ、と情けない声を上げて泣き出した。

 余りの無様さにこれ以上見ていられなくなり、背を向けて歩き出す。だが、あまりの屈辱のため恐怖が塗り潰されたのだろうか。スルガイは突然笑い出した。豚のように鼻をフガフガと鳴らし、唾を吐き散らかして腹が裂けんばかりに笑い声をあげる。

 「ヒヒヒ、なぁアキバツ。貴様は本当にこの国を変えようとしているのか?だとしたらとんだ笑い草だな。この国は我ら高貴なる血を引く選ばれた人間だけが生きる資格のある桃源郷なのだ。貴様の如き穢れた犬どもが我々と平等だと?民の幸せのために尽くすことが為政者の責務だと?笑わせるな。反吐が出る!ゴミどもは我らの慈悲によって生かされている畜生どもに過ぎぬ。」

  スルガイは顔を真っ赤にして、尚も叫ぶ。


 「貴様は貴族でありながら異端者の父親に拾われた思い上がったのか?いくら養子に採られようと下民は下民のままだ。今回の戦で貴様は死ぬ。必ず殺す。あの無様な父親と同じように殺…」


最後まで続かなかった。サイカの足が顔にめり込んでいた。

 「黙りなさい。この下郎が。貴様が主人殿何を知っている!父上殿の何を知っている!」

 サイカの目は吊り上がり、冷たい殺気がスルガイに向けられている。本気で怒っている。このままでは本当に殺しかねない。

 「よせ、サイカ。言わせておけば良い。」

 アキバツはサイカを引き剥がし早急に宮殿を出た。

 その場を押さえられれば、一方的に責任を被せられ、牢に入れられる可能性があるため自分の陣地へ急いだ。


 しばし、アキバツは無言で馬上に揺れていた。

 「本当によろしかったのでしょうか?」

 サイカはアキバツを怒らせたと思い、おずおずと遠慮がちに尋ねてくる。


 「ふむ。父上の死は私が既に乗り越えた問題だ。それに、父上は心の中で生き続けてくれている。余人に何を言われようが問題にならん。」


 「そうですか…」

サイカの声がさらに沈み込んだ。ならば余計なことをしてしまったと思ったのだろう。

  しかし、サイカはアキバツがどれほど亡くなった父親を敬慕しているか知っている。

 他人に侮辱されたことがアキバツの傷になると思ったのだろう。だからこそあそこまで怒ってくれたのだ。


 「サイカ。」


 「は、はい。」

 声が緊張でうわずっている。


 「ありがとう。」

 何がとは言わなかったが、それだけでもサイカには通じたようだった。太陽のように笑顔を綻ばせ


 「はい。」

 嬉しそうな返事が返ってきた。





 陣営に帰り、アキバツと別れたサイカは自らに与えられた幕舎に入った。本当は兵たちと共に土の上で眠るか、ショウリョウの寝台で寝るのが好きなのだが、大将に次ぐ地位にいるサイカがそれでは示しがつかないということで、質素ながらも、それ相応のものを用意されているのだ。

 サイカは身に付けていた具足を取り、おもむろに寝台に倒れ込んだ。


 「…かっこよかった。」

 小さく呟いた。それから体が小刻みに揺れる。まるで火山が噴火する直前のように胸の奥から熱い溶岩が噴き出さんと煮えたぎっている。

  そして、爆発した。

 「あああああぁぁぁぁ、かっこよかったぁぁぁぁぁぁ!」

 主人殿主人殿主人殿主人殿主人殿主人殿…。

 寝台に敷かれた布を胸の中でぎゅーっと抱きながら、顔を耳まで真っ赤に上気させ、体をクネクネとくねらせて悶えるサイカの姿は不審以外の何物でもなく、もし部下がこの様子を目撃したならば眉を顰められる必至なのだが、湧いて出る気持ちを抑えようがなかった。

 顔が蕩けるのをやめられない。好きの二文字が頭の中を埋め尽くす。主人殿が自分に触れてくれた。俺のものと言ってくれた。ありがとうと言ってくれた。先程の光景を脳内で幾度となく反芻する。

 嬉しさと幸せが折り混ざってどうにかなりそうだった。



  主人殿は奴隷であった自分を拾ってくれた。

 その頃の主人殿は自信に溢れていた。語尾も少し荒く、然れども快活で前向きであった。

 しかし、いつからだろうか。国を変えんとしていた主人殿は、いつしか救いようの無い腐敗に絶望していった。

 民のためと思い実行したことは為政者や地主たちから偽善と罵られ、自らの信念に共鳴するものはおらず、保身に走りただひたすら私服を肥すためだけに権勢を振るう者たちが蔓延っていた。

 傲慢な者は称され、正直な者は罰され、強欲な者は遇され、無欲な者は奪われた。

  いくら功績を重ねようと弱者の亡骸がその上を常にのしかかる。

  それでもめげずに歩み続けた。

  降りかかる災いは私たちに危害が及ばぬよう、陰で全て一身に背負い続けた。

   そうして、主人殿はいつしか身体中が傷に覆われ、心は疲れ果て、それでも弱音一つ漏らさず私たちの前では明るい太陽であり続けた。仮面を被り、瞳は濁り切ってしまった。国に絶望し、されども国を捨てられない苦悩から心が擦り消えてしまうことを防ぐために無意識下で生み出された防衛手段なのだろう。

  だが、戦をする時だけはかつての輝きを取り戻す。それがサイカの胸には痛かった。



  一体何が主人殿をこの国に縛り付けるのだろうか。

 思い当たる節は一つしかない。今は亡き父上殿との約束なのだろう。国に裏切られ、それでも国を守るために命を捧げた悲運の英雄。

  主人殿も自分の過去だけは黙して語らず、故に詳しいことは何もわからないが、孤児であった主人殿を養子にして武芸百般を叩き込んでくれた敬愛してやまぬ人物なのだそうだ。

  その父上殿との、今では唯一の繋がりである約束があるからこそこの国を捨てれないでいるのだろう。

 民に尽くし、国に報いる。

たったこれだけの短い、でも何よりも重い約束が主人殿を縛り付けているのだ。

 なんて馬鹿で一途で優しい方なのだろう。


 私は主人殿に付いて行く。たとえ世界の全てが主人殿を否定し、罵り、敵に回ろうとも私だけは主人殿の隣にいる。

 セシリア殿もいるのだろうが絶対に負けない。

 主人殿を傷つける奴は許さない。私が必ず殺してやる。

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