小さな幸せ

空乃ウタ

第1話

「ねーねーひまぁ」

「だね。やることなんもないね」


 時刻は午前十時ごろ。

 先月から都内のマンションを借りて同棲を始めた僕たちは、朝からベッドの上でゴロゴロと怠惰を貪っていた。

 勢いだけで一緒に住むことになったけれど、貯金は二人とも心許ない。

 だから、休日だというのに遊びに行く余裕がないので、致し方なく家で過ごしているのである。


「そういえば、撮り溜めてたドラマあったよね」

「あーあれ。有紗が友達と出かけてる間に見たけどめちゃくちゃつまらなかったよ」

「えぇ! 楽しみにしてたのになぁ。一気に見る気無くなっちゃったよ」


 有紗は寝返りをうち僕の方へと顔を向ける。

 その表情は「何か面白いことして下さいよ」って暗に訴えかけている。


「そんな顔されても一発芸とか出来ないよ?」

「大丈夫。ヒロのセンスの無さは絶望的だから。期待してない」

「要求したくせに!?」


 僕はのっそりと起き上がりベッドの上であぐらをかく。

 すると、太ももあたりにスッと有紗は頭をのせた。


「ちょっと重いんだけど」

「いいじゃんいいじゃん」


 頭を乗せたままうつ伏せになった彼女はぐりぐりと顔を押しつけてくる。

 まるで飼い主に甘えるネコみたいだ。

 そんな彼女を見て自然と笑みがこぼれる。


「くすぐったいよ」

「うりうり〜。あっそういえばさ——」


 有紗は顔を押し付けるのをやめ今度はうつ伏せから仰向けになる。

 そして、今年で二十歳になるというのに、まだあどけなさの残る瞳でジッと僕の方を見た。


「どしたの?」


 僕はさっきの仕返しではないけれど、彼女の柔らかいほっぺたを右手でこねくり回しながら会話を続ける。


「えっとね——ちょ、ちょっとそれやめて」

「何が?」

「むにむにしないで! 話しづらいから!」

「まんじゅうみたい」

「うるさい!」


 パシッと僕の手は跳ね除けられてしまった。

 うん。ちょっと太ったなこいつ。


「昨日の夜ね、怖い夢みたんだ」

「へー。どんなの?」

「覚えてないけどね」


 有紗は「エヘヘ」と笑いながら自分の頭をわしゃわしゃと撫でる。

 ほんの少し、シャンプーの香りが鼻をくすぐった。


「でね、そのせいで夜中に目が覚めちゃったんだけど。ヒロの手握ったら何か安心して寝れた」

「そりゃ良かったね」

「もっと喜ぶとこでしょ!」


 本当はにやにやが止まらないほど嬉しいけれど、何だか負けた気になるのでクールに振る舞うことにする。

 男にはくだらないプライドがデフォルトで装備されていたりするのだ。


「でもねー、不思議なんだよね」

「なにが?」

「いつもね、ヒロに触ると心が軽くなるの」


 有紗はそっと瞳を閉じて何かを思い浮かべるような顔をしながら言葉を続ける。


「どこでもいいの。手のひらでも、頭でも、背中でも。多分お尻でも大丈夫」

「お尻でもいいの!?」

「ほんの少しでも触れるだけで、心がぶわぁって軽くなって、それで——」

「それで?」


 有紗はむくりと起き上がり、僕の胸へと飛び込んだ。


「この人と出会えて良かったって。そう思うんだ」

「そ、そっか……」


 まずいな。

 今、僕の顔は果てしなく緩みきっているだろう。

 頬の温度は沸騰するんじゃないかってくらい熱くなっている。


「だからさ、確かに暇すぎてやることないけどね」


 有紗は僕の胸から顔を離してベッドから降りる。

 そして、栗色の髪をなびかせ振り向きながら満面の笑顔を向けた。


「ヒロにずっと触ってられるから、で過ごすのが一番好きだよ」


 薄いカーテンから差し込む光が彼女を照らしている。

 きっと、こういうことを〝幸せ〟っていうんだろう。

 そんなことを思いながら優しく彼女を抱きしめた。


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小さな幸せ 空乃ウタ @0610sora

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