第4話


 私が初めてアラセさんと出会ったのは、師匠に頼まれたお使いの、その帰り道だった。いくら裕福な王都市とは言え、下を見下ろせばまだまだ苦しい生活を強いられている人たちはいる。都市の下に潜れば潜るほど、端に行けば行くほど、宰相殿の目は届きにくくなる。私と師匠の住んでいる共同家屋が建っているのはそう言う場所だ。だから、お使いに出れば二回に一回はゴロツキに絡まれる。それらを全てぶちのめしていればすぐにまた道の真ん中を歩けるようになるが、その日は残念ながら、より狭い路地裏に目を向けてしまった。


「ちょっと。貴方達」


「なんだおま……うわ!」


「ひぃ!」


「人の顔を見るなりそんな反応をするのは良くないですね」


「あ、いえ。すみません」


 その三人組は、この辺りを根城にするゴロツキだった。私はちょうど二日前に挨拶され、挨拶し返たので、顔見知りになっていた。


「何をしているんです。私の家の半径500メートル以内には入るなと言ったはずですが」


「あ、いえ、その」


「何を隠しているんです。見せなさい」


 一番大柄な男、この三人組のリーダーが、背に何かを隠している。どうせまた下らないことをしているのだろうと思い、それを突き止めようとした。だが、他の二人も私を路地に入れないように身体をくっつけている。この路地は男が二人並ばれると通れない。


「見せなさい」


「う」


「ホトケの顔も三度までと言うのは、東の島国の言葉です。ホトケとは、いわば神様のこと。さて、私が神様に見えますか」


「み、見えません」


「では、三度目がないことは承知のはずです」


 ここまでして、やっと男達は道を開けた。するとそこには、


「あの、なんか、昨日からこの辺りを嗅ぎまわってたんですよ。で、怪しいなって思って、俺達で捕まえたんです」


 全身に傷を負った亜人の少女が倒れていた。意識こそ保ってはいるものの、起き上がる気力はないらしい。その傷跡は全て、つい数秒前につけられたものだった。


「あの、兄さんのためを思って、やったんです!」


「ホントです。信じてください! こいつホントに怪し……」


 男が一人、声もなく倒れた。否。私が倒した。それからしばらく経った後、三人の男達は憲兵に引き取られて行った。それぞれが全治三ヶ月の怪我を負っていた。


「む。やっと帰ってきたか。なんだかさっきから外が騒がしくて……って、うお! なんだそれは! 私が買ってきて欲しかったのは枕であって、女の子じゃないぞ! あ、もしかして、君は膝枕ってことだと思ったのか。いや、思春期は過ぎた年頃だと思っていたが、君もなかなか……」


「阿呆なこと言ってないで、さっさと救急箱を持ってきてください」


「あ、うん!」


 うん、じゃねぇよホントに。今朝のうちに玄関の掃除を済ませておいてよかった。


「う……」


 少女が呻き声をあげた。玄関にゆっくり寝かせる。


「まだ動かないで。脇腹を骨折しています。内臓に損傷は見られませんが、下手に動くと一気に悪化する可能性があります」


 亜人の少女には青い鱗に覆われた翼と尻尾があった。見ると、手の先の肌も鱗になっている。いわゆる竜に近い容姿をしていた。


「持ってきたぞー!」


「ありがとうございます。あとは下がっていてください」


「うむ!」


 師匠の騒がしい足音が聞こえたのか、少女が目を開けた。こちらを見ている。


「あり、がとう」


「いいえ。喋らないでください」


「あの」


「はい?」


「私の、ししょーになってくれませんか」


 止血作業をする手が止まった。


「はい?」






















 亜人。廃都出現以降に現れた、その身に強い魔力を宿した人々の総称である。この時点で既にお気づきだと思うが、彼らは廃都由来の魔力を宿した人間であって、元から人間と異なる別種の生命体というわけではない。よって、亜人という呼び方は全く持って不適切だ。彼らはただ、運悪く病気にかかってしまったのと何も変わらない。

 だが、廃都という未知の脅威に対して大混乱に陥っていた当時の人々に、そのような理性的な判断をするのは不可能だった。情報が極めて不足していたのもある。廃都より這い出た強力な死妖によって国が一つ滅ぼされた時にはもう、人々は亜人を敵としか認識できなくなっていた。

 そしてとうとう、亜人達はいわれなき迫害と差別の対象にされ、次々と都市を追われることになった。ただ魔力を身に宿しただけならここまで酷いことにはならなかっただろうが、それはもはや言っても意味のない話。人の身体の一部に人間とは異なる種族の特性を有した亜人達は、やはり怪物にしか見えなかったのだ。何より悲しいのは、その身が異形に変わっていた彼ら亜人自身が、自らを怪物だと思ってしまったこと。亜人化は最初の数年間で火のよう速度で広がっていったが、亜人の人口が増えることはなかった。

 廃都のことが少しずつ、本当に少しずつわかってくるにつれ、亜人の存在についても解明が進んでいったが、残念ながら正しい認識が市井に広まることはなかった。廃都出現から十数年、亜人達にとって、人間という種族にとって地獄とも言える時間が続いた。

 だが、そんな暗黒の時代にもついに終止符が打たれる。それを成し遂げたのは、一人の亜人だった。その名は、リーン・アルス。亜人都市の祖と呼ばれる英雄的廃窟士である。




















 私達の目的地は、議会場ではなくなった。師匠が川に落ちてまで獲得した証拠と、とても嫋やかな淑女シャドウ・レディが教えてくれた情報を掛け合わせた結果、この都市を廃都に変えた原因は、あの神殿にあるとわかったからだ。


「まぁ、どう考えてもあの神殿は怪しかったのだがね」


「怪しいというより、あんなにデカデカとしたものが都市の真ん中に鎮座していれば、嫌でも目立ちます」


「私も、あんなのぶっちゃけ邪魔じゃない? って思ってましたよー」


「それは少し違いますが」


 神殿が邪魔だなんて、教会都市の人間に聞かれたら何をされるかわかったものではない。まともな感性を持ったまま穏やかに墓に入りたければ、教会都市とは関わらないようにするのが身のためだ。これは他の五つの都市全てに共通する常識である。


「それで、どうしてこんなに急ぐのですか。早く帰りたいからは無しですよ」


 もしもの時に備えて体力を温存しておかなければならない廃窟では、駆け足以上の速度で走るのはご法度とされている。そんな先人の知恵を完全に無視して、今の私達は全力疾走している。アラセさんは飛んでいるし、師匠は私が背負っているため、息を切らしているのは実質私だけだが、急いでいると言う事実に変わりはない。


「詳しいことまでは、まだわかっていない」


 喋っている最中に師匠が舌を噛まないよう、上半身の揺れをゼロにする。


「だが、一つ言えることがある。この廃都はとんでもない爆弾を抱えているということだ」


「そこは是非にでも詳しくわかりたいですね、私としても」


「私もです!」


 それこそ一番重要な部分ではないか。私やアラセさんが頭脳で師匠に勝てるとは思わないが、ヒントを教えてくれるくらいはしても良いだろう。私はともかく、アラセさんは稀に私や師匠では及びもつかない思考をすることがあるわけだし。


「ヒントはこれだ」


「葉っぱですか」


「あの川の中にあったものだ。手を伸ばして取ろうとしたら、落ちたんだが」


「それはわかってるので別に解説してくれなくて良いです」


「ホントそうですね」


 私とアラセさんの反応にちょっと不満そうな顔をする師匠。川に落ちた私を労われと言いたいらしい。


「……まぁ良い。この葉の大きさと分厚さをを見てくれ。間違いなく広葉樹のものだ。そしてこっち。こっちは針葉樹だな。つまりは、あの川の上流には広葉樹の森も針葉樹の森もあったということ。よほど豊かで広い森だったに違いない」


「しかし、この都市の人々は木材を使っていない」


「そうだ。では、その理由とは何か。常に利便性を求め続ける人類が、目の前の資源を指を加えて見ている理由だよ。何が考えられる?」


 目の前の道が、倒れた柱で塞がれていたため、飛び越えた。


「そこまで辿りつけない、天然の要塞のような場所だったのでは」


「可能性はあるね。他には?」


 私のやや上を飛んでいるアラセさんが、少し震えた声で答えた。


「外敵」


「そうだ。この都市に関してはそちらの理由が当てはまる」


 この近くに、より強力な軍事力を持った国があったのかもしれない。その国に邪魔されて、この都市は木材を仕入れることがほとんどできなかった。


「いや、残念ながらそれは違う。思い出してみたまえ。あの歌を」


「『朝の光は東から。一日の始まりは南から。祈りを捧げよ。祈りを捧げよ。さすれば日々は幸福たらん』でしたね」


 あれだけの大神殿がある都市で暮らす人々だ。よほどの信仰心を持っていたのだろう。この歌を意味する紐文字は、私達が調査した全ての家屋にあった。この都市で暮らしていた全ての人々が、毎朝あの神殿に向かって祈りを捧げていたということだ。


「では、祈りを捧げる存在とは? 信仰の対象となり得る存在とは?」


「えらくクイズが多いですね」


「これも修行さ」


「それは間違いなく神でしょう」


「では、神となり得る存在とは?」


「神の代弁者たる王。人の手ではどうすることもできない超常現象。ですが、議会によって運営されていたこの都市に、神の代弁者のような絶対的な存在はいないはずです。つまりは、この都市は抗うことのできない超常現象に悩まされていた……と考えられるかと」


「もしかして、その超常現象のせいで木材が取れなかった?」


「イェース。優秀な弟子達で私は誇らしい。これは師匠がよほど素晴らしいのだろうね」


 一つの結論に辿り着いたのと同時に、私達は神殿前の広場に出た。走っている時から薄々感じていたことだが、近くにくればその威容がさらによくわかる。巨大な石を積み上げて作られた神殿は、五十メートル近い高さがあった。当時の人々がこの神殿を作るのに、一体どれだけの時間をかけたのか。私の寿命内で完成するのなら、安いものだと思える。


「さて。運んでくれてありがとう。ここから私も歩く」


「そうしてください。師匠の体重でも、抱えてずっと全力疾走していれば疲れます」


「うむ。乙女心がまるでわかってない。清々しいくらいだ」


「だから、貴女の年齢では乙女というのはいささか無理が……」


「チョワー!」


「何をやってるんですか危ない」


 脇腹にチョップは、当たれば痛い。もちろん当たればの話ではあるが、問いただすべきはそのような行動を起こした理由と意思だ。


「ふん。そう言うところが君のダメなところなんだ。お仕置きに檻にでも入れてしまおうか」


「良いぞ良いぞ。入れちゃえ入れちゃえ」


「貴女達は時々妙に私に対して攻撃的になりますね」


 女性はよくわからない。


「そう言う『よくわからない』などと言う安易な妥協が、災いを生むのだよ。この都市が滅んだようにね」


「何の話ですか」


「あそこに入る前に、君たちに言っておこう。あの神殿は、決して神殿なんかじゃない。もっと現実的なものだ」


 師匠の真剣な眼差しに、私とアラセさんは背筋を正した。それだけの迫力が、この瞬間の師匠にはあった。


「心して聞きたまえ。あれはな、檻だ」


「……は?」


「あの見上げるような巨大な岩の建造物は、とてもとても強力な死妖を閉じ込めておく、頑丈な檻なのだよ」


 私とアラセさんは目線を下から上に動かし、神殿の大きさを改めて確認した。神殿の一番上を見るためには、首を真っ直ぐにしなければならない。そのことを視線ではなく首の筋肉で実感して、二人して目を合わせた。


「マジ?」


 私が今時の若い女の子と同じ口調で喋ることのできた記念すべき最初の日は、今日だった。


「マジだ。そして」


 そして、その死妖は今この瞬間も生きていると言う。



















 最初はね。小さな小さな、とても小さな木の実だったんだ。彼は、ひもじく弱々しい僕ら人間を憐れに思い、食べられる木の実と食べられない木の実を教えてくれたんだよ。毒性の植物が多かったあの森で生き抜く術を、人間は手に入れたんだ。

 でも、人間はそれだけじゃあ、お腹いっぱいにはならなかった。中途半端に腹が膨れたせいで、人間は苛立ちを覚え、とても暴力的になってしまった。すると彼は、仲間同士で木の実を奪い合う僕ら人間を憐れに思い、四足獣がたくさん生息している草原を教えてくれたんだ。寒さと栄養不足に震えていた僕たちは、暖かい毛皮と健康な身体を手に入れたんだ。

 でもね、人間はそれだけじゃあ、安全には暮らせなかった。暗い洞窟の中には危険な動物が沢山いたし、野ざらしの場所で眠るには、怪物達が怖すぎたからね。すると彼は、夜も眠ることができない僕たち人間を憐れに思い、木を切る術を教えてくれたんだ。恐怖に狂いそうな夜を生きてきた僕たち人間は、安全な家と時間を手に入れたんだ。

 そう。その通り。僕たちはそこで満足すべきだったんだ。優しい木の実は、僕たちに沢山のものを与えてくれたんだ。森が人間にとって大切なもので、無くてはならないものだと教えてくれたんだ。

 けれど、それなのに、僕たちは森を大事にすることができなかった。木の実を取り尽くし、四足獣を狩り尽くし、木を切り尽くした。豊かな森は、ほんの短い間に荒地になってしまったのさ。

 その時、優しい木の実は、もう僕たちの友人ではなくなってしまったんだ。

















 驚くべきことに、この神殿の核心は地下にあった。神殿の入り口として師匠が選んだのはあの大階段ではなく、神殿の横手に作られてあった小さな隠し扉だった。この隠し扉の技術と細工は、私達の世界でも十二分に通用すると思えるほど、精巧なものだった。


「狭いですね」


「亜人都市の迷路みたい」


「二人とも気をつけたまえ。まだまだ下るようだぞぅわぁ!?」


「何もないところで転ぶのはやめてください。そのまま下まで転がっていきたいんですか」


 狭い坂道は、奥が見えないほど遠くまで続いている。どんなに綺麗に受け身をとり続けたとしても、複雑骨折と内臓破裂は免れ得ないだろう。師匠に私の後ろを歩かせておいたのは良い判断だった。


「東の国にそんな感じの昔話があった気がします」


「おや、アラセさんは珍しい知識を持っているのですね」


「最近、若い子の間では東の国の文化が流行っているのです。ファッションとか、雑貨とか」


「ほほう」


 全く知らなかった。アラセさんの語る若い子とか流行りとか言うものを、私はただの一度も目にしたことがない。これは私が鈍感なのか、それともアラセさんが敏感なのか。

 坂道を下り続けて約一時間。そろそろ師匠とアラセさんの足が辛くなってきた頃合いだろう。それでも、まだ終点が見えない。師匠が転ばないようにゆっくり進んできたとは言え、もう数百メートルは地上と離れている。その時、突然師匠が立ち止まった。


「よし。ここだ」


「師匠?」


「そこは壁ですよー」


「こらこら君たち。ここに入ってくる時の隠し扉を忘れたのか。あんなものをわざわざ作ったのだ。それが一つだけと考えるのは良くないな」


 壁を叩く師匠。


「あ。そこ、音が変です」


「グッジョブだアラセ君」


 アラセ君が指差した場所をもうしばらくいじると、ガコンという音がして坂道の壁に穴が開いた。


「素晴らしいな。この角度、完璧に地面と並行になっているぞ」


 続く横道は、これまで進んできた坂道とは大きく違い、何人もの人間が手を繋いで通れるほどの幅があった。私が手を伸ばしてジャンプしても届かないくらい高さもある。人を転がして落とすことを目的としていたかのような坂道とは違い、とても綺麗に整備された道だった。坂道を気にすることで忘れていたが、この都市の舗装力は非常に高いのだった。それにしても、


「師匠。気付かなかった私とアラセさんにももちろん問題がありますが、最初から教えてくれていれば、私たちも横道を探していましたよ。もし師匠が見逃していたらどうするつもりだったんです」


「あぁ、その点はすまない。だが、君たちが坂道を下りることと後ろに集中してくれたおかげで、私は安心して横道を探すことができた」


「そう思っているのなら、どうして煽るようなことを言うのです」


「いや、ちょっと師匠風を吹かせたくて……」


「ししょーの師匠は、ホントに子供だなぁ」


「ほら、こんなこと言われてますよ。貴女の半分も生きてない子に」


「わ、私はアラセ君の倍も生きてないもん!」


 この人の外見に騙されてはいけない。お嬢ちゃんにはオマケだよ、なんてニコニコしながら飴をくれる行商人の親父に強く言ってあげたい。


「まぁ、良いじゃないですか。ほらほら、進みますよ」


「こら、待ちなさい。何があるかわからないんだから、慎重に」


「だいじょぶですよー。だってここまで何もなかったじゃないですか」


 ズボッと言う音がして、アラセさんが何かを踏み抜いた。その瞬間、左右から矢が飛んできた。


「反省しましたか?」


「はい。スミマセンでした」


 飛んできた矢が左右から一射ずつだったから私がそれぞれキャッチできたものの、あと一射追加されていたらどうなっていたかわからない。


「うむ。毒矢だな。掠っただけで死んでたレベルだ」


 師匠が矢尻についた青紫色の液体の匂いを嗅いでいる。軍学校で様々な毒物についても学んできた私だったが、見たことのない毒だった。この廃都特有のものだろう。持ち帰ればそこそこの価値が付くかもしれない。


「ふむ。ここからはトラップを知っている者しか進めない仕様なのだな」


「しかしこれ、少し間違えただけで即死しません?」


「それで良いと思えるほどの物が眠っていると言うことさ。狂気的なほどね」


 私はこの時から、飛んでもなく嫌な予感に冷や汗をかいていた。


「さて。慎重に行かなければならないのは確かだが、時間もない。帰りのことを考えると、ゆっくりはしていられないな。急がず焦らず、しかし早足で、集中して進もうじゃないか。えいえいおー、だな!」


 元気よく右手を掲げた師匠が、私が避けていた糸を引っ掛けた。


「んが!」


 上から落ちてきた三本の槍を、私はまとめて蹴り折った。重そうな音を立てて転がる槍を、アラセさんが拾う。


「ふむ。矛先に毒が塗られてます。掠っただけで死ぬレベルですね」


「ほう。見せてください。ほら、何故隠すのです」


「毒が塗られているからです」


「隠す理由にならんでしょう。それは」


「おっと手が滑ったぁ!」


 アラセさんは三本の槍を見事なフォームで坂道の方に投擲し、壁に当たったそれらはすーっと下に向かって滑り落ちていった。三人の間に何とも言えない沈黙が流れる。


「そうまでして意地を張りたいのですか貴女は」


「ししょーにはわからないかもしれないですが、女の子には譲れない瞬間があるのですよ」


「うんうん。その通り。アラセ君は正しい。ほらほら。休憩はそこまでにして、先に進むぞ」


「それは構いませんが、貴女はもう何も触らないでください。場合によっては気絶させますからね」


「こ、心得た」


 その後、師匠は十二の殺人トラップを起動させ、私の神経は極限まで削られるハメになった。「トラップを起こさぬようにするより、起動したトラップを回避することに集中した方が良いのでは?」というアラセさんの言葉に助けられたと思うくらいには、私は疲労した。


「お、おお!?」


「走るな!」


「終わった? 終わったー!」


「飛ぶな!」


 恐るべきトラップ街道に私達が丁度飽き飽きしてきた頃、ついにその終了を感じさせる場所にまで辿り着いた。扉があったのだ。


「石の扉だな」


「トラップの類いは?」


「クンクン。匂いも音もしませんね」


「魔力の流れも、ないようですね」


「君たち、なかなかトラップ回避のレベルを上げたじゃないか。私は誇らしいよ」


 そりゃ、あんだけ引っ掛かればね。そのおかげと言うのは悲しいが、多分帰り道にトラップはない。


「この扉、かなりの重さがあるようですね」


「具体的にはどれくらいですか」


「2トンから3トンと言ったところでしょうか。どうします? 蹴破ります?」


「蹴破るって選択肢が最初に出てくるししょーマジぱねぇっす」


 脚先に征道を溜める。三割の出力なら壁まで壊さずに扉だけを破壊することができるはずだ。


「待て待て。これだから軍都市出身の脳筋主義者はダメなんだ。君のような芸当をできる者が、この時代にいたわけがないだろう。もっと簡単で安全な方法があるに決まっている」


「では、その方法がわかっているんですか」


 例え分からなくとも、師匠ならそれを見つけることは可能だろう。だが、どうしても時間はかかる。なら蹴破った方が絶対早い。


「わかっているわけではないが、教えてもらっている」


「はい?」


「どう言う原理かは知らないがね。アラセ君。例の歌を歌ってくれないか」


「え、あ、はい」


 石で作られた道に、アラセさんの美声が響き渡る。一切の隙間なく作られた道は、彼女の声を全く吸い込まなかった。すると、


「ウソ」


「開き、ましたね」


「音声認識とは、本当にどう言う理屈なのだろうね。歌は世界を救うとでも言って濁しておくくらいしか、今の私にはできないよ」


 2トンを超える石の扉が音もなく奥へと引っ込んでいき、しばらく進むと今度は横へとスライドしていった。あまりの超技術に、師匠を含めた私達三人は黙って見ていることしかできなかった。


「それにしても、師匠。どうしてこの扉の開き方を」


「うん? 言っただろう。教えてもらったのさ」


「もしかして、あのとても嫋やかな淑女シャドウ・レディが?」


「そうさ。彼女は本当に良いことを教えてくれたね。初対面の人と目を見て話ができるようになるまで十回は会わないといけない私が言うのも何だが、誰かと仲良くするのは大変有意義で美しい。怖いのだけはどうしようもなく変わらないんだけど」


 ま、ただの魔力集合体でしかない死妖が、こんな重要なことを知っていた理由も気にはなるがね。師匠のそんな独り言は、私の耳に強く残った。おそらく、それはアラセさんも同じだろう。


「部屋……よりも、あの台に注目すべきかな」


 縦横4、5メートル四方の正方形の部屋の中央に、腰の高さほどの台があった。その台には、小さな木の実が二つずつ、それぞれ別の透明な箱の中に収められている。


「ガラス、のわけないですよね」


「どうだろう。煉瓦を焼けるのだから、不可能ではないのかもしれない」


 ここにトラップはないだろう。私と師匠が足を踏み入れる。が、それにアラセさんは続いて来なかった。


「どうしました?」


「い、いえ……その。悪寒がして……」


「ほう。君の五感は私の勘と同じくらい信用できる。部屋に入ってこなくて良いから、感じることを説明してくれないか」


「その、二つの木の実。凄い……信じられないような魔力の塊です」


「なるほど。もしもの時はいつでも君のししょーにしがみつけるよう、準備しておきなさい」


「が、がってん」


 アラセさんが私達の近くにいられない以上、その責任はししょーである私が持てと言うことらしい。


「師匠。この神殿は、死妖を閉じ込める檻だと言っていましたね」


「あぁ。それがこの二つの木の実であることは疑いようがないね」


 室内にはこの台以外には何もない。壁や天井に模様が描かれていたりもせず、それが逆にこの空間の神々しさを感じさせる。


「この都市は議会制だ」


「突然どうしました?」


「いや、私が言いたいのは、この都市の意思決定には非常に多くの人間が関わっていたことになると言うことだ」


「それは、そうでしょうね。王都市の政治は、ほとんど宰相殿が一人で行っていますし」


 あの化け物のような中年親父と比べるのは、いささか可哀想な気はするが。


「では、この二つの木の実の保管について、どれだけの人間が関知していたのだろう。議会の者だけか?」


「それは……。あの、そのことが今どうして気になるんです?」


 二つの木の実を観察する師匠の瞳は深い知性で満ちていたが、それでも自らの疑問を解消するには至らないらしい。師匠の手助けになるかはわからないが、私も精一杯、二つの木の実を観察する。


「師匠。どうして木の実は二つあるんでしょう」


 ふと、そんなことに気がついた。


「そうだね。私も思っていた。一番考えられるのは、やはり閉じ込める死妖の魔力が強すぎて、一つでは足りなかったと言うことかな」


「……違う」


 震えた声が、背中から聞こえた。木の実に集中していて気が付かなかったが、アラセさんが私の背にぴたりとくっついていた。


「違うとは?」


「あの木の実、役割が違います。一つは、外から魔力を吸い上げてる。そして、もう一つは……その木の実から魔力を吸い上げてる」


「な、に?」


 師匠が驚きでひっくり返りそうになった。


「それはまさか……!」


 その瞬間、全身に走った怖気を、この時の私は力に変えることができた。


「師匠! 伏せて!」


 片方の木の実から、身体が焼き切れそうなほどの魔力が解き放たれた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る