第2話



 王政によって統治されている都市、王都市。

 国民皆兵を掲げる軍国主義の都市、軍都市。

 商人や流浪の民、他国から逃げてきた少数の亡命者たちがより集まって結成された都市、民衆都市。

 魔道具作りを生業とする魔導士たちが暮らす都市、魔道都市。

 創造神ランドーレを信奉する信者たちの都市、教会都市。

 そして、魔力の暴走によって肉体の一部が異形化してしまった亜人達の避難場所、亜人都市。

 これら六つの都市によって形成された都市国家群が、六都市同盟だ。大国や死妖の脅威に対抗すべく、六つの都市それぞれが得意を活かして助け合っている。また、極めて珍しいことに、この六都市は互いに非常に近い距離で存在していながら、過去に一度も戦争をしておらず、とにかく平和的な関係性を保ち続けている。先の廃都出現の際には、当時は存在していなかった亜人都市を除いた五つの都市の精鋭達によって構成された調査部隊が派遣された。この調査隊の協力と奮闘は今でも英雄譚として多くの人々に愛されている。

 価値観や思想、人口、経済力や資源、ありとあらゆるものに違いと差のあるこれら六都市が長きに渡りこれほどまで平和的な関係を保っていられたのには、大きな理由がある。

 それは、兎にも角にも、それぞれの都市に内政干渉を一切行わないことを徹底してきたからだ。自都市内では絶対に道理の通らないような行為が隣の都市でまかり通っていたとしても、そこに対して何かを物申したりすることはない。よそはよそ、うちはうちと言う考え方に徹することによって、必要以上の接触を避け、不和を表面化させなかった。その結果として、これら六つの都市は堅実に生き残ることができている。

 だが、その絶対の掟は前触れもなく唐突に崩壊した。先にも語った、廃都の出現である。何度も繰り返して行われた廃窟により浮き彫りになった、恐るべき事実。廃都内には時折、六都市の技術を遥かに上回る科学製品や魔道具などが存在すること。そして、それを持ち帰ることが可能になったこと。糸の上を歩くような絶妙さで整えられていた六つの都市のパワーバランスが、少しずつ崩れていっていた。













 4412回目に出現したこの廃都の名は、神殿の廃都に決定した。廃都の命名権は最初に廃都内に入った者たちが有している。まぁ、それは当然、入った者たちが外に出てきて初めて有効となるものだが。


「かなり大きな市場ですね。王都市の中央通りに月一で開かれる規模のものと大差ありません」


「街並みもすごく整理されてます。ふざけた迷路のような亜人都市にも見習ってもらいたいくらいです。あれ、いつまで経っても迷うのですよ」


「わかりませんね。貴女は翼があるのだから、飛べば良いじゃないですか」


「それこそわかってませんね、ししょーは。亜人都市内では飛行移動に制限があるのです。具体的には、お金がかかります。ほぼ無給の私にそんな無駄金があるとお思いですか。と言うか、私は確かにししょーの弟子ですが、タダ働きをしにきてるわけではないのです。王都市ではタダ働きは法律違反ではありませんでしたか」


「店先に商品が陳列されたままですね。これは時が止まってる状態と言うことでしょうか」


「おいこらししょー。聞け」


 廃都内で時間が停止していることは、よくあることだ。一体いつどの瞬間の時間が切り取られているのかは廃都によってそれぞれだが、最も例が多いのが、その廃都が廃都になった瞬間を切り取られている場合だ。

 要するにそれは、この都市から人がいなくなった瞬間のことを指す。


「かなり古い都市のようですね」


 石油や蒸気機関の類は見られず、科学と呼べるようなものは何一つない。武器なども刀剣が主流のようで、白兵戦のみが戦闘手段だったのだろう。遠距離攻撃を可能とするものは射程が10メートルほどの弓や、せいぜいが投くらいだ。家屋のほとんどは石で建てられており、煉瓦に近いものもあるが、それは本当に希少で、少なくとも民家と思われる建物に使われていることはない。廃都相手に時間や時代の流れを適応して考えることはナンセンスだが、今の私達が住む世界と比較しても、千年以上前の時代だと思われる。だが、


「確かに、古い。ですが、とても裕福だ。都市としての活気が感じられます」


「あ、それ同感です」


 市場に並ぶのは穀物や肉、野菜だけでなく、調理済みの料理や加工品、お菓子のようなものまで、多種多様なものが揃っている。廃都内の道は美しく直角に交わり、職業によって居住地が割り当てられ、効率的に生産が進むように整備されている。兵士の訓練施設や学校のようなものもあった。おそらくだが、都市の外では計画的に農業や漁業が行われていたのであろう。

 非常に古いが、人間の集落としての完成度は極めて高かった。ここに暮らしていた人々は、今、私達が住む街の基盤とも言えるものを作り上げた存在だったのだろう。

 だからこそ、謎が残る。


「これほどまでに発展した都市が、一体なぜ滅んだのでしょうか」


 市場や民家の様子を見る限り、この都市の滅びは一瞬だ。品出しの途中の出店、完成間近の料理、どう考えても子供達が遊んでいた路地裏。誰もこの都市の滅びを予期していない時に、何一つ対応が取れないままにこの都市は廃都となっている。その一番わかりやすく、また酷い例として、兵士達の宿舎の扉がまだ開いていなかった。滅びの時、彼らは眠っていたのだ。


「アラセさん、生命体は発見しましたか?」


「いえ。虫の一匹いませんでした」


「生存者なし。4412回目も空振りですね」


 人間も、動植物も、廃都にはいない。いるとするならば、魔力によって生まれた死妖のみ。まぁ、今回に関してはまだ死妖とも遭遇していないのだが。師匠の勘は本当によく当たる。その点においてのみ、彼女のことを素直に尊敬できる。


「あの、それでさっきから気になっていたのですが、ししょーの師匠はどちらに?」


「あぁ、何やらあの民家が気になるとかでのそのそ入っていきましたよ。私は死妖に外から襲われないように、見張りです」


「なんだ。サボってるのかと思ってました」


「一応時間制限のある廃窟活動でサボったりはしませんよ」


 次の新月まで七日ある。大きく余裕を持って廃都を脱出したいため、今回の廃窟は最長三日と言う予定にしている。どんなに収穫がなくとも、三日が経過すれば撤収するのだ。


「まぁ、今のところはかなり安全に廃窟ができていますし、B級の評価をさらに下げても良いかもしれません」


「おいおいおい。廃都内で油断とは、君も偉くなったものだね。私は情けないよ」


 高らかに声がした方を見上げると、師匠が揶揄うようなにやけヅラで腕組みをしながら、二階の窓から顔を出していた。何を勘違いしたのか、片足で窓の桟を踏み付けている。


「廃都内ではいつ何が起こるかわからない。地面を歩いていた一秒後にそこが炎の川に変わったこともある。突き抜けるような晴天が一瞬の後に毒の雨が雷とともに振り始めたこともね。今、君がそんなふうに可愛い女の子と楽しくお喋りできているのは何よりも尊い奇跡なのだよ」


「そうですそうです。だからさっさと金払え」


 言い方にどうにも納得できない苛立ちを覚えたが、少し油断をしてしまったと言うのは事実なので、受け入れなくてはならない。反省はすべきだろう。謝ったりは絶対にしないが。あと、お金も払わない。そもそも、勝手に弟子にしろと騒いでいるだけの子に金を払う道理がない。少なくとも私にはない。


「まだまだチェリーな我が弟子への指導は後に取っておくとして、見たまえ。良いものを見つけたぞ」


「チェリー言うな」


「チェリーってなんですか。果物ですよね」


「何を見つけたんです?」


「話の流れ的にチェリーじゃないですか。あれ、でも今のところこの廃都からチェリーは見つかっていませんね。もしかして、チェリーは何かの隠喩ですか」


「とりあえず行きましょう。師匠をあのままにしておくのは良くないので」


「ししょー、私の質問に答えてください。それとも何か答えられない理由があるのですか。ねぇ、ししょー」


 執拗なアラセさんの追求を避けつつ、師匠を一発しばくことを考えながら師匠の元へ急ごうとした時、恐れていたことが起こった。


「う、うわ! わわ!!」


「っ!?」


 何をどうすればそうなるのか、師匠か二階の窓から転落したのだ。私への質問に意識を取られていたアラセさんには、翼をひろげる時間がない。小柄な師匠の落下を、凍りついた無表情で眺めるだけ。

 バタン、と言う生々しい落下音は聞こえてこなかった。


「……貴女は運動神経が壊滅的に悪いのですから、ああいうことは控えてください」


「……いや、えっと」


「反省してくださいね」


「…………うむ」


 師匠は、私の腕の中にいた。間一髪、私は師匠を空中で抱き止めることに成功していた。いくら小柄とは言え、二階から暴れながら自由落下してくる一人の人間を優しく受け止めた代償は、しっかり私の脚と腕に残っている。


「だ、大丈夫ですか。ししょーの師匠」


「う、む。大丈夫だ。心配してくれてありがとう」


「どうしてそのおっちょこちょいさで廃窟士をやれているのですか。不思議です」


「それは、その、何というか。お金の力?」


「お金? 私達の廃窟隊にお金があったことなどありました?」


 廃窟活動は都市主導で公的に行われるものと、労働組合や命知らずの一般人によって敢行される民間のものの二種類に分かれている。私達は宰相殿の後ろ盾こそあるものの、分類的には民間の廃窟隊だ。民間の廃窟隊のその活動は全額自費。そして、廃窟活動は金にならないことがほとんどだ。いや、希少価値のあるものを持ち帰ることが出来ればそこそこの金にはなるのだが、残念ながら私達はそんな上手いサイクルには乗れていない。何故なら、


「ドジと運動音痴の化身である師匠が今まで大した怪我もなく廃窟活動ができているのは、宰相殿から借り受けている魔道具のおかげなのです」


 この廃窟隊には、頭の隅によぎっただけで目眩を覚えるような莫大な借金があるからだ。


「師匠はこれまでの廃窟活動で、百を超える魔道具を破壊しています。それもほとんどがB級以上。要は、超絶優秀な魔道具に命を助けられながら活動していたわけです」


 魔道具は作り手である魔導士の個性の結晶であり、全く同じ物は他に存在しない完全な一品ものだ。そして、それらは気軽にホイホイと作れるようなコストパフォーマンスの良いものではない。数ヶ月、場合によっては数年、数十年をかけて作られる一品限りの魔道具。そんな代物が安価で手に入るわけもなく、そもそも、本来なら一般人は手に入れることすら難しい。


「死にかけるような事態を何度も何度も、廃都の危険とは全く関係の無い自分のドジで引き起こしては、優秀な魔道具に肩代わりしてもらう。そんな廃窟活動をしていれば、お金を貯めて優雅に暮らすなんて、夢のまた夢でしょう」


 私の腕の中できゅぅと小さくなってしまう師匠。そんな師匠を見つめるアラセさんの瞳には、呆れと憐憫が色濃く滲んでいる。

 星の果実と言う知識と気付きの象徴を手に入れた人間が、肉体操縦技術無免許の師匠であったのは、誰にとっても運が悪いことだった。と、ここまで言うのは流石に可哀想が過ぎるので、胸の中にそっと留めておく。別に本人が自覚している傷を他人が横から抉る必要はない。


「結局、今残っている魔道具は一つだけ。それを消費すると本当に師匠はただの残念な人になってしまうので、大切に使わないといけないのです」


 普通、A級魔道具と言うものはそんな日用品感覚で使ったり消費したりするものではないのだが。


「う、うぅ。辛いよぉ。恥ずかしいよぉ」


 ついには羞恥心に耐えかねて泣き出してしまった。顔を隠して震える姿は哀れの一言に尽きる。このまま放っておくとどこか薄暗い部屋の四隅に体育座りしてずっと動かなくなってしまうので、早めに助け舟を出しておくことにした。


「ま、大丈夫ですよ。そうならないようにするのが私の仕事ですし。それより、何か良い発見をしたのでしょう? 早く教えてくれませんか。上手くいけば、三日とかからずに帰れるかもしれませんよ」


 師匠が良いものを発見したと喜んで、それがハズレだったことはただの一度もない。今回のそれも、きっと廃窟活動を一気に進める重要な手掛かりになるはずだ。


「あ、あぁ。これなんだが」


「それは……紐ですか?」


「ふむ。凄く丁寧に編み込んでますね。女の子が好きそうなものです。アクセサリーでしょうか。ですが……」


 師匠が見せたのは、赤や藍や黒の糸で編まれた一本の紐だった。だが、その長さは1メートル近くあり、アクセサリーにするには大き過ぎる。あまりに頑丈そうでもないし、正直、用途がいまいちわからない。


「これは、文字だ」


「え?」


「この都市は、この紐を文字として使い、自らの意図を他者に託していたのだよ。…….糸だけにね」


 とりあえず師匠は落としておいた。



















 魔道具にはランク付けがあり、その最高ランクはAで、最低がGだ。とは言え、Gの魔道具でも一家に一つあればそれだけで生活水準が二回り跳ね上がると言われており、その能力と効果は目を見張るものがある。Aランクの魔道具ともなれば、国一つを左右するほどの力を有していると言っても言い過ぎではない。

 そんなわけだから、各国は当然強力な魔道具を集めることに躍起になり、そして、そんな魔道具を作り出すことができる魔導士達を囲い込もうとした。何人の魔導士が国にいるかによって戦争の勝敗が決まるとまで言われていた時代が長らく続いた。ただ、魔導士と言う人種は何故か変わり者ばかりで構成されており、時の権力者が金や名誉、色の力を持ってしても一筋縄ではいかないことが多かった。六都市の一つである魔導都市は、魔導士のそう言った習性によって産み出されたものの一つである。とにかく、誰にも邪魔されずに己の魔道具を作りたい。その欲求が、完全に外の世界と隔離された魔導都市として形になった。現代の魔導士達はとかく俗世から距離を取りたがる。だからこそ、彼らや彼らの作る魔道具の価値は高かった。

 だが、そんな魔導士達の価値はここ百年で大きく変わりつつある。科学技術の発展によるものではない。ランクAの魔道具の登場によってだ。

 実は、現代の魔導士の作れる魔道具の最高ランクは、どんなに高く見積もってもCランク止まりなのである。B、Aのランクの魔道具とは、全て廃都から持ち出されたものなのだ。CランクとBランクでは効力に天と地ほどの差があり、BランクとAランクでは最早比べることすら馬鹿らしいような違いがある。そんなものをポンポン提供してくる廃都の存在は、この世界のパワーバランスを根底から破壊するのに十分だった。そしてそれこそが、互いに不干渉を貫いてきた六都市同盟のあり方を変えた原因である。

 廃窟の成果によっては、瞬く間に同盟関係は崩れ去る。他の都市より前に出られると言うなら良いが、必ずしもそうなるとは限らない。六都市の代表達は悩み抜いた末、自らの都市が前に出ることのメリットよりも、他の都市に前に出られるデメリットをより危険視した。水面下で様々な取引や策謀が繰り広げられ、最終的に六都市同盟ではある契りが交わされることになった。廃窟品私財化原則禁止の法である。

 この法律は、廃窟によって持ち出された全ての魔道具の所有者と使用方法を、最高会議の場によって決定すると言うものだ。これすなわち、他の都市の廃窟隊の成果を奪い、使用法を指定するという、言い逃れのできないほど明らかな内政干渉だった。また同時に、六都市間で議会を重ねる機会が格段に増えたことにより、受け入れ難い他の都市の有り様にまで目が行くようになってしまった。

 違いとは、争いの種になり得る。少しずつ少しずつ、数百年続いた同盟に亀裂が入り始めていた。




















 高度に発達した文明と社会性を有していたこの神殿の廃都だったが、そこに暮らしていた彼らにも生み出すことが出来なかった文明の理器があったらしい。紙である。


「この都市の周囲には、紙を作るのに適した樹木が存在しなかったようだな。建物の作りから察するに、そもそも樹木そのものが貴重だったと思われる」


 確かに、この廃都には不自然なくらいに木造建築がない。私は文明が発達した結果として、より頑丈な石造建築を優先したのだと思っていたが、それは事実とは少し異なるらしい。


「いよいよもっておかしな話だ。これほどまでに沢山の野菜や果物が流通している環境下で、木材が使われていない理由がまるでわからない。住んでいた土地が痩せていたとか、砂漠地帯の真ん中にあったとかとはわけが違うぞ」


「煉瓦は砂から作られるものではありませんからね。かなり良質な土が大量にあったことは間違いないでしょう」


「その通り。そして当然、都市がこれほどまでに発展するためには、豊富な水が必要不可欠となる。川の存在だ。そのことから考えても、森林が近くにあったと考えるのは妥当だろう」


「ですが、ここの人たちは樹木を資材として活用していない……。そしてそれは、紙と言う偉大な発明を妨げる大きな要因となった」


「そう言うことだ。樹木を活用していない理由は、あとで考察するとして、今考えるべきはこれだ」


 紐文字。紙はなくとも、文字と言う概念はあったらしい。ただ、こんなシンプルな紐一本で複雑な意思疎通を正確に行えるとは思えない。


「紙はともかく、筆記するタイプの文字の発明はなかったのでしょうか。絵の存在はこの廃都内でも確認できています。いくら筆記に適した紙が作れなかったとは言え、石に文字を書くことくらいはできるはずです」


「うーん。私も同感だ。文字の発明は、人間の文化の中では極めて早いものの一つだ。君が言うように、数千年以上前の壁画が残っていることもある。この都市は、どうにもアンバランスな発展を遂げたらしい」


 紐文字の完成によって、ひとまずの満足を得てしまったのだろうか。それか、そこまで情報伝達が必要とされない生活様式だったか。しかし、この都市の発展から考えて、その可能性は極めて低い。限られた情報伝達でここまでの都市を作り上げるのは不可能に近いだろう。


「それに驚くべきは、どうやらこの都市は議会によって政が行われていたらしい」


「な! それだとますます文字が発展しなかった理由がわかりませんね」


 この廃都は、一人の権力者の力で強引に治められていたのではなく、複数人の意見交換によって治められていた。それなら尚更、情報の伝達、そして記録は重要事項となっていたはずだ。


「ただまぁ、その問題に関しては一応の解決は見ているのだ。それでも私には納得できないが」


「解決ですか? それはどのような?」


「歌さ。この都市は、歌うことが生活の重要な部分を占めていたらしいのだ」


 師匠が言うのには、この紐文字で表されているのは歌の歌詞らしい。


「え!? この文字が読めるのですか!?」


 私達の考察にはぽーっとした表情で一切入ってこなかったアラセさんが、いきなり大きな声を上げた。


「読める。いや、わかると言った方がよりニュアンスが近いかな」


「ひぇー。それも星の果実の力ですか」


「そうだ。これの内容としては、まぁそのまま言葉にすると、『朝の光は東から。一日の始まりは南から。祈りを捧げよ。祈りを捧げよ。さすれば日々は幸福たらん』だ」


「南、ですが。祈りを捧げると言う言葉からして」


「あの神殿のことを指しているのは間違いないでしょう」


 何故かキラキラした瞳で語るアラセせん。一応、私達の考察に混じりたい気持ちはあるらしい。


「……」


「師匠? どうかしましたか?」


「いや、何でもない」


 何か真剣な顔をしている師匠を見て、彼女が引っ掛かりを覚えていることを察する。が、それをまだはっきりと口にしないと言うことは、彼女の中で確信が得られていないと言うことだろう。ならば、ここで突いても意味はない。


「しかし、これまた不思議ですね。議会によって政が行われていたと言う割には、都市の中央部分にあるのは神殿ですか」


 この都市の年代からして、宗教と呼ぶほどまでに信仰が具体化していたとは思えない。だが、あの神殿の大きさを見てわかるように、その信仰がこの都市において絶大な力を有していたことも間違いない。

 議会と宗教。少しばかり、相容れないもののように感じる。


「議会場は神殿の隣にあるらしい。行ってみよう」


「わかりました」


 その議会とやらを取り仕切っていた者たちがいわゆる聖職者だと言うのなら、私の疑問はある程度は晴れる。


「そうだ」


 師匠が思いつきのまま、ふと立ち止まった。


「せっかくの歌だ。アラセ君。歌って見てくれないか」


「えぇ!?」


「君は歌が上手だっただろう。歌なんだから、歌わないと伝わらない部分があるはずだ」


「いや、それはそうですけど、でも旋律がわからないですし」


「ああ、それもそうか。すまない。旋律はこうだ」


 師匠が少し恥ずかしげに頬を染めながら、鼻歌で音をとり始めた。紐の結び目や色、長さが旋律を表しているらしい。


「なるほど」


「歌えるかい?」


「えぇ。それでは一曲。お聴きください」


 なんか雰囲気的に、私と師匠は体育座りになった。頑丈で大きな石の上にアラセさんが登る。


「朝の光は東から。一日の始まりは南から。祈りを捧げよ。祈りを捧げよ。さすれば日々は幸福たらん」


 澄み切った風のような歌声が、滅んだ都市に朗々と響き渡った。いつもは表情筋が死んでいるアラセさんが、少しばかり嬉しそうにしている。歌い終えた後の彼女には、心地よい疲労感があった。


「こうして改めて聴くと」


「あぁ。どこか、悲しい歌だ」


 健やかな祈りと言うよりは、もっと生々しい、悲痛な願いの束のように思えた。


「二人とも。予定変更だ。少し大回りしよう」


「どう言うことです?」


「この紐を集めてくれ。できるだけ多く。今日のところはそれで終わりにしよう。議会は明日だ」


「わかりました」


 廃都の中では、夜も昼もない。ごくごく稀に夜が訪れる廃都もあるが、この神殿の廃都は違うらしい。死妖が活発化する夜闇がないことは非常に有難いことではあるが、睡眠の質が落ちる原因にもなる。頭が働かない、肉体に疲労が残った状態での廃窟は、生存率を著しく低下させる。


「アラセさん。眠れそうな場所もついでに探しておいてくださいね」


「りょかーいでーす」


「……前々から思っていましたが、貴女の返事、どうにも軽くないですか?」


「そうですかね。最近の子は皆んなこんなものですよ」


「なるほど」


 同じ時代に生きていても、ジェネレーションギャップというものはあるらしい。それが千年も過去のことなら、全てを理解すると言うのは土台、無理なことなのかもしれない。

 私がこの紐文字の内容を理解できないのも、案外それと似たようなことなのだろう。

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