だいぶ

夏目りほ

第1話 



「しっしょー。おはようございます。いぇいいぇい」


「えぇ、おはようございます」


 相変わらず抑揚のない口調と変化のない無表情のアラセさん。最近はそんな彼女に師匠と呼ばれることにも慣れてきてしまった。まぁ、意地を張って拒絶したところで何か得になることがあるわけでもなし。適当に受け流すくらいがきっと丁度良いのだろう。これが「慣れ」ってやつだ。人間とは本当に恐ろしい。


「それで、ししょーの師匠は起きましたか?」


「まさか。まだ正午ですよ」


「ししょーもなかなか狂ってきてますね」


 若干引きぎみのアラセさん。会ったばかりの頃はどうにも会話のテンポと認識がズレる若者だと思っていたが、実際は割と常識人だった。まさか、こんな年端も行かない少女に私の人間観察眼の無さを教えられてしまうとは。だが、青髪碧眼で背中に翼と尻尾が生えている軽い口調の少女に少しばかりの偏見を抱くのは、多少は仕方のないことだともご理解いただきたい。


「ししょーの師匠ー。起きてくださーい。昼ですよー」


 不定期的に小さく縦揺れする薄暗い密室。外の音が聞こえてこない中、春先の暖かさを一杯に包み込んだ布団から出てくるのは誰にとっても難しい。ましてやそれが、不摂生と不健康の権化である私の師匠なら尚のこと。いくつも重ねた掛け布団をバリアのように身体に巻き付けている師匠をアラセさんが揺すっている。しかし、当の師匠はうめき声すらあげない。初見の人なら布団の中身は死体だと思うはずだ。


「アラセさん。少しどいてください」


「え、はーい。う。えぇ……?」


「何か?」


「いや、その……」


 アラセさんは私が思いきっり布団を踏み付けたことに心の底から恐怖しているが、そのような感性、あまりにヌルい。これが風呂ならぶちギレる。


「師匠。起きてください。急がないと今日の廃窟に間に合いませんよ」


「ぶふ」


 この声から察するに、おそらく下腹部辺りにクリーンヒットしたな。流石の師匠でも目を覚ましたはず。


「ほらほら。早く起きないと昨晩のお肉が口から出てきますよ。せっかく宰相殿が差し入れてくださったのです。未消化のまま体外に排出するのはあまりに不義理ではないですか?」


「自分の師匠を全力で足蹴にしているししょーの方が、ずっと不義理だと思う……」


 予想していた通り、普段の倍の抵抗を見せる師匠。紳士な私は師匠のご尊顔に手を、もとい、足を出すのは控えていたのだが、これは仕方ない。これまでより少し高く足を上げたその時、こちらの雰囲気を察知したのか、


「いやだ……」


 蓑虫が何かを言い始めた。


「いやだ。行きたくない」


「なら、死にたいんですか?」


「そっちじゃないよぉ。死にたくないから行きたくないんだよぉ」


 弱々しさだけが評価される世界なら、天下を取れそうな声だった。


「行きたくないって、そんなことを言ったって、任務は任務です」


「無理だよぉ。A級廃都に三人で廃窟に行くなんてさぁ。知ってる? A級って二十人の廃窟隊でも帰還率は七割切るんだよ?」


「二十人中十四人が生き残るのでしょう? なら三人で行けば三人生き残る計算です」


「うわー! これだから脳筋軍都市出身者は嫌なんだ! 算数を一からやり直してきてよ!」


 失礼な。軍学校首席卒業だぞ。私は。それに、


「貴女はA +級の廃都を単独で四度も踏破しているでしょう。今更何を怖がるんです」


「わかってない。何にもわかってない。それとこれとは話が違うんだ。良いかね? 出来ると怖くないは別なんだよ」


 この瞬間、部屋が大きく揺れた。それを知ってか知らずか、蓑虫は素早く横転し、さらに多くの布団を身体に巻き付けた。この部屋、布団多すぎ。


「とにかく、私は出ないぞ。今日はこの部屋から出ない。今回の廃都の出現箇所は南東の湖だろ。次の新月までの一週間、私はここに籠城する。君のような優しさも思いやりもない冷血非道人間に、この固い決意を破れるとは思わないことだ」


「なら、ししょーの師匠。私はどうですか?」


「む。アラセ君か。余裕の表情のところ残念だけど、君の可愛さは私には通じないよ。何故なら私は十一歳から十四歳くらいの色白の美少年が好きだから。顔の可愛さだけで誰からでもチヤホヤされると思わないことだ」


「寝起きなのに口数多くてすごい」


 師匠はアラセさんに対しては私以上の偏見を持っているところがあるからな。苦手と嫌いの狭間くらいにポジションを設定しているのだろう。それでもいまいち強い言葉を使いきれないのは、根本的な立場の上下関係を本能的に自覚しているからだろう。しかし悲しいかな、アラセさんはそんな師匠の卑屈さを全くと言って良いほど意に介していない。これが最近巷で流行っている陰キャ陽キャと言うやつだ。


「はぁ……。仕方ないですね。わかりました」


 私も鬼ではない。与えられた任務を的確にこなし、下された命令を正確に遂行するのが軍人と言うものだが、本当にただそれだけでは意思のない操り人形になってしまう。


「……」


 師匠がそろりと顔を出してきた。疑いの眼差しは健在だが、ほんの少しの期待が混じっている。私はそんなに師匠に、安心して良いのですよと言う意味をこめ、満面の微笑みをプレゼントした。私と知り合って日の浅い人には、かなり好意的に捉えてもらえる表情だ。


「アラセさん。天幕オープン」


「あいさー」


 小気味よい指の合図の一秒後、薄暗かった密室に目も眩むような渇いた眩しさが襲い掛かってきた。


「ぐわ!?」


「おはようございます、師匠。南東の湖まで、あと一分で到着です」


 師匠が我々の自宅だと思い込んでいたこの密室は、廃都に向けて走る軍用トラックの荷台だった。


「私は軍人です。与えられた任務を的確にこなし、下された命令を正確に遂行するためには、ありとあらゆる物事を無視して良いのです」


「鬼ーー!!!!」


「軍人です」


















 今から175年前、テルヒロエア大陸東部の荒地に、突如として謎の廃都市が出現した。都市からは歪な魔力が放たれていたため、強力な死妖や魔導士が破壊行為を目的に発生させたものだと当時は判断されたが、実際は違った。

 いや、これを安易に違ったなどと断定するのは適当でない。この件に関してはより慎重を期して言い表すべきであり、そして、その場合に使われるのは「今なおよくわかっていない」が最も適当な文言だろう。調査に向かった者達は、廃都市内にいくつかの死妖や魔道具を発見したものの、それらとこの廃都市の出現そのものに明確な関連性を見つけられなかったのだ。

 ただ、断片的にわかったことがいくつか。

 一つ、都市内には大勢の人が生活していた痕跡こそ色濃く残るものの、生存者はもちろん、その死体すら発見されなかったこと。

 二つ、都市内に存在するものは、一人につき一つまでしか外に持ち出せないこと。

 三つ、この廃都市は、出現したその日から最も早い新月の朝に消滅すること。

 この三つが、三百人を超える精鋭の六割を失って得られた情報だった。あまりに衝撃的なこの事件は、小さな都市国家が睨み合いを続けているテルヒロエア大陸に十年の戦禍を巻き起こした。そしてこれ以降、この不可思議な廃都市出現は、北東の荒地、東の深林、南東の湖の三箇所で起こり続けている。


「美味い!」


「ですねぇ」


 通算4412回目の廃窟の前夜、私と師匠は宰相殿から頂いた肉を最大に焼き、食らっていた。流石は45万人が暮らす王都市の実質的最高権力者。この家のひと月分の家賃とほぼ同額の肉を無料で届けてくれた。


「ほら、君ももっと食べなさい! 若いうちから肉を食べているのは良いことだ!」


 高級肉なんて一体いつぶりのことか。師匠のテンションは空に放たれた風船のように上昇していた。流石は45万人が暮らす王都市の実質的最高権力者。下々の者の機嫌の取り方をよくわかっている。あとは酒でも飲ませて潰してしまえば、簡単にトラックの荷台にぶち込める。一度部屋に籠った師匠はなかなかに手強いので、この方法が最も効率が良い。


「師匠。肉も大変良ろしいですが、野菜もしっかり召し上がってください。お腹壊しますよ」


「はぁ。全くもう。君は私のお母さんか。たまの高級肉なんだ。少々暴食しても良いじゃないか」


「肉は野菜と食べることで旨味成分が増しますよ。美肌効果、疲労回復など、様々な部分に好影響があります」


「本当か!?」


「えぇ。多分」


「なら野菜も食べようかな!」


 あぁ、この人はどうしてこんなにも阿呆なんだろう。自己管理とか本当に一切できないので、そこそこのタイミングで切り上げさせないといけないな。その時にあまり明日の廃窟を意識させないようにするのも大事だ。


「そうだ。お伝えするのをすっかり忘れていましたが、今夜は一階の空き部屋で眠ってください。師匠の部屋は殺虫用の魔道具を置いてますので」


「おぉ、そうなのか。わかったよ」


「ついでに布団も干しておきました。良い香りできっとよく眠れると思いますよ」


「……どうしたんだ? 今日はえらく優しいな」


「何をおっしゃる。私はいつだって優しいですよ」


「いいや、いつもは殺虫用の魔道具を設置しても私には何も言ってくれなかったり、古くなった布団を勝手に捨てて、私は次の買い物までの三日間、ソファで寝かされたり……君は色々と世話を焼いてはくれるけど、私に対しては雑と言うか、むしろ私ではなく私の持ち物達の世話を焼いているみたいな感じがしていたのだが」


「まぁ、私は要領の悪いところがありますからね。色々とご迷惑をおかけしたことを反省したのですよ」


 私が師匠に弟子入りして三ヶ月。予想を遥かに上回るダメ人間っぷりに辟易し、少々仕事が雑になっていた時期が確かにあった。ただ、それではいかんと心を引き締め、それ以降はきちんと師匠は無視して家事のみに集中するようになったのだ。


「さ、お酒もいただいてます。どうぞどうぞ」


「う、うん。大丈夫かな、私の背格好で飲酒などしても」


「私と師匠しかいないのですから、何に気兼ねすることもないですよ」


 別に師匠が外で酒を飲んでいようが、驚く人は王都市内にはいないと思う。もし驚くとしたら、それは絶対に王都市民ではない。まぁ、普通の人間は十代前半の外見の少女が酒を飲んでいる光景を受け入れられるわけもないが。


「ふぅ。これも良い酒だな」


「えぇ。宰相殿からの差し入れです」


 嘘である。朝市で安売りされていたお得セットである。


「香りが素晴らしいね。口に含んだ瞬間、パッと弾ける。良い葡萄を使っているんだろうな」


「私は酒の味はまだわかりませんが、師匠がそう仰るのならきっとそうなんでしょうね」


 多分、その香りは睡眠薬のものだ。騙して飲ませる用のきちんとしたやつが買えなかったので、市販されているものを買ってきたから匂いがあるのだ。睡眠薬すら安物。


「んー。なんだか……眠くなってきたな。良い肉でお腹いっぱいになったところに、良い酒を飲んだからかなぁ」


 油断しているところに睡眠薬を盛られたからだ。


「では、あとのことは私がやっておきますから、師匠はお休みになってください」


「そう、するよ。あぁ、クラクラするや」


「……仕方ないですねえ。ほら」


「ん」


 師匠の小さな身体を背負う。こんな弱々しい存在が明日は過酷な廃窟に向かわなければならないのかと思うと、少しばかり暗い気持ちになる。このことに比べれば、騙して煽てて薬を持ったことなんてとても些細なことだった。


「君は、本当にお母さんみたいだな……」


「歳下の男に何言ってるんですか」


 僅かばかりに重みが増した直後、小さな寝息が聞こえてきた。



 

















 ミリア姫の湖。廃都市出現以前は神聖な場所として様々な都市国家からの信奉を受けていたようだが、今となってはその面影は残っていない。年に一度の豊穣祭などとうの昔に途絶え、湖の周りを散策する観光客はおろか、半径数キロ以内に近づく地元民すら消えてしまった。もしいるとすれば、最大深度128メートル、面積75平方キロメートルの湖の「水面上」に都市が現れる理由を探ろうとする好奇心旺盛な変態だけだろう。

 初めての廃都市出現から175年間が経った今、累計4412回目の出現箇所となった湖は、騒々しい人間がいなくなったことを喜んでいるかのよう美しさがあった。


「師匠。良い報告です。魔力濃度がA級からB級に下がったそうですよ」


「あれ、一晩で二段階も下がることってあるのですか?」


「確かに珍しいですが、前例はあります。これが初めてではないですね」


 廃都市は出現してしばらく経ったのちに魔力濃度を変えることがある。上がることもあれば下がることもあり、厄介なことにその理由や原因の一切が不明である。ただ、その変化の多くが廃都市外に人が多く集まったことによって起こると言うことだけはわかっているため、都市そのものが人間に反応しているのでは、などと言われている。


「廃都市が私達を歓迎してくれているのでしょう」


「まぁ、私が可愛いからですね。ぶぃぶぃ」


 真顔でぶぃぶぃと言えるこの子の精神性は実に理解不能だと思いながら、私はオールに力を込めた。現在、私達三人は湖のほぼ中央に浮かぶ廃都市に、船を漕いで近づいていいっていた。ここまでしてしまえば、流石の師匠も完全な無抵抗にならざるを得ない。私が漕ぎ手になれば、あとは廃都市に辿り着くだけ。これはもちろん、非力な女性二人に力仕事を任せるのは良くないと言う、私の紳士的な発想による行動だ。決して師匠の最後の抵抗の芽を摘むためではない。


「あと500メートルです。アラセさん。上空から周囲を探ってください」


「かしこまりですよ」


 廃都市内に人間はいない。毎回が出たとこ勝負の廃窟調査において、この一点においてのみは、一度たりとも例外がない。ただ、廃都市内に生命体が全くいないのかと言うと実はそうではなく、ある意味では普通の場所よりも数多くの棲息が確認される場合がある。そう。死妖の存在だ。


「濃度が下がったとは言え、A級の廃都です。強力な死妖がいるかもしれません」


 死妖とは、この星を巡る魔力の異常集積や腐敗によって誕生する疑似生命体の総称だ。地域によっては魔物や妖怪などとも呼称されているようだが、この辺りでは死妖で統一されている。

 死妖は強い魔力を持っており、暴れられると非常に危険だ。廃都市内では未知の死妖に遭遇する確率が極めて高く、廃窟隊の死因の半分は死妖との戦闘によるものだ。そのことからもわかるように、死妖との戦闘は可能な限り避けるのが良い廃窟のコツだ。アラセさんの索敵はそのためのものであり、ぶっちゃけその他では大して役に立たない彼女の数少ない活躍機会だ。


「いや、大丈夫。行かなくて良いよ」


「おや、師匠。ようやく観念したのですか」


「観念? はて、何の話かな? 私はいつだって覚悟を決めた良い女だろうにね。さて、話を戻すが、出入り口付近に死妖はいないよ。飛ぶだけ無駄だ」


「そうなのです?」


「あぁ。何なら、まるで関係ない遠距離から他国の人間に狙撃される可能性を危険視する方が妥当なくらいだね。まぁ、私の弟子はダーティだからそれはそれで敵国勢力の存在を知れて良し良しくらいに考える、いや、今も現在進行形で考えているだろうけど」


「……ししょー?」


「そんなわけないでしょう。失敬極まりないですね」


 他国の狙撃手がいないことは確認済みだ。不意打ちを受けるとしたら遠距離型の死妖であり、それを受けることはアラセさんの索敵の目的として非常に正しいので、文句を言われる筋合いはない。


「良いかいアラセ君。一見、私の弟子は口調こそ丁寧な好青年だが、腹の底では普通にタメ口で話しているようなイカれた奴だ。気をつけた方が良い」


「あ、それはわかってます」


「本当に失敬な二人です」


 結局、アラセさんは何かを納得したような表情で翼を畳んでしまった。


「ですが、どうして中に死妖がいないことをししょーの師匠はわかったのですか?」


「経験さ」


「まぁ、A+級を単独踏破している数少ない廃窟士ですからね」


「その通り。私の勘はよく当たるよ。ちなみに、これは私の勘なのだが、今すぐ帰って二度寝をした方が良い気がするね」


「さて、入りますよ」


「はい」


「くそがぁ!!」


 可愛い少女の見た目をしているのだから、そんな野太い声で罵詈雑言を吐かないでほしい。変な方向に需要が出てしまう。

 下らない茶番を終わらせて、まず私が廃都市に上陸した。その瞬間、全身の血管を突風で撫でられたような感覚に襲われる。全く違う世界に踏み込んでしまったと言う、僅かな恐怖。


「う、わー」


 アラセさんの顔色が途端に悪くなる。亜人である彼女には、この急激な魔力濃度の変化がかなり堪えるのだろう。


「広いな。これはなかなか面倒そうだ」


 師匠が最後に上陸すると、周囲の景色が完全に消えた。湖も遠くの山も、空の色さえ変わっている。ここは都市一番の大通りだったのだろう。真っ直ぐに続く幅20メートルの通りは、露店や出店が寸分の隙間もなく並んでいた。そして、その一番奥に、見上げるような大神殿が聳え立っている。百段は軽く超えるであろう外階段が威風堂々たる出立ちで都市全体を睥睨していた。

 文化も文明も、今の私達の住む世界とはまるで異なる廃都市を探索し、そこに隠されたいくつもの謎を解く。それが私達、廃窟士だ。


「さて、仕事だな」


 師匠のスイッチが入った。いつもこうならどんなに良いか。

















 私より六つは上の階級の制服を着た壮年の男は、自身の名をクレナイと名乗った。たっぷりと蓄えた顎髭をさすりながら、太い鉄柵越しにこちらを見てくる。経済動物でも見ているような視線は、もはや清々しかった。相手のそう言う態度と、自分の今の状況を鑑みた結果、敬礼をすることなくベットに腰掛けたまま視線だけを返した。


「軍学校主席卒業の特別二等兵が、複数の命令無視による反逆罪で投獄か。軍学校の訓練方式を再検討する必要があるな」


 顔の迫力の割に、声は高かった。もしかしたら、私の印象よりずっと若いのかもしれない。


「このままだと、君は銃殺刑だ」


「構いません」


「ものわかりが良いのは結構だが、君の家族の立場も悪くなるぞ」


 国民皆兵の軍都市において、身内が上官に逆らったと言うのは致命的だ。だが、


「関係ありませんよ。私に家族はいませんから」


 その点において、私が誰かに迷惑をかけることはない。そこを計算から外して行動を起こすほど無鉄砲ではないつもりだ。


「いい加減この堅いベットは疲れました。久しぶりに陽の光も浴びたい。確か、処刑場は屋外でしたよね。青空を見上げられるのが今から楽しみです」


 地下牢に日付もわからなくなるほど幽閉されたことで実感した、心からの本心だった。クレナイと言う男もそれをよく理解したのだろう。冷ややかな目で私を見下ろした。


「私は特殊工作部の者だ」


「でしょうね。そんな高い階級の上官の顔を、私が知らないわけがない」


「君に仕事を任せようと思っている」


「それは良いですね。新作銃の機能テストですか? それとも新兵の度胸試し?」


 私はちょっと笑った。今の私に回ってくる仕事など、ろくなもののわけがない。そんなのまっぴらごめんだった。だが、この男は私の戯言など素知らぬ顔で聞き流す。どんな空間の主導権も常に自分にあると強く確信しているタイプの上官だった。全く私に付き合うことなく自分のペースで話を進めていく。


「王都市に住む知り合いからの依頼でな。とある廃窟士の少女に仕事をさせて欲しいと言うものだ」


 この少女だ、そう言って投げ込まれた写真には、見覚えのある顔が写っていた。


「シャルロット・クリュー。星の巫女じゃないですか」


 星の果実を口にしたと言う、現在地上唯一の少女。紫色の片目を隠した長い黒髪に、死人のように白い肌。身なりさえ整えれば大層美しい女性に育つだろうが、どうにも当人にそんなつもりはないらしい。不摂生と不健康を隠すつもりのない外見のこの写真は、何やら煌びやかな晩餐会の会場で撮られているのだ。


「この者が部屋に引きこもって出てこないそうだ。以前から優秀な廃窟士だったが、星の果実を食べたことでその能力を飛躍的に向上させている。これを働かせない選択肢などない」


「どうして引きこもってしまったのでしょう」


「それを調べるのも君の仕事だ。原因を突き止め、改善し、再び廃窟に向かわせろ」


 写真の中の少女に素直に同情する。廃窟士を志すような探究心と好奇心旺盛な人間が閉ざした扉の向こうから出てこない理由など、容易に想像できる。心を休める暇さえ与えられないとは。


「お断りします。この話を私に持ってきた理由もわからない」


 写真を破り捨てた。小指の爪より小さくなった紙切れが私の足元にハラハラと落ちていくのはとても愉快だった。自覚している。私は今、テンションがおかしい。そんな私をクレナイはずっと同じ温度の視線で見つめてくる。黒い瞳の奥にどんな感情が眠っているのかまるでわからない、とにかく不気味な男だった。


「君の育ての親は、この星の巫女と同じ廃窟隊にいたそうだ」


 そんな男から唐突に告げられたのは、想像の埒外の言葉だった。


「……それで?」


「星の果実と星の巫女の引きこもりに、君の育ての親の死が何か関係しているかもしれない。それを知ることは、君にとって重要なことではないのかね?」


 私は少しだけ沈黙し、そしてクレナイを睨め付けた。


「私に何をしろと」


「話が早くて助かる」


 クレナイが初めて表情筋を動かした。それは笑みに近いものだった。


「廃窟士として弟子入りし、世話を焼け。星の巫女は日常生活すら人らしく過ごせないほど自堕落らしい。手筈は整っている」


「そして星の巫女の懐に入り込み、星の果実の入手方法を掴め、と言うことですか」


 我が誉れ高き祖国が進んで慈善行為などするわけがない。明らかに狙いはこちらだ。そしておそらく、王都市側もそのことに気づいている。気づいた上で手を貸して貰いたがっていると言うことは、向こうにも何か別の狙いがあるのだろう。もしくは、こちらの動きなど始めから眼中にないか。


「君は君の目的を果たすために行動してくれれば良い。我々はその成果を情報とし、独自に動く」


 つまりこれは、王都市と軍都市、双方公認のスパイ行為だ。なるほど、ならば私のような軍部にいられなくなった人間を使うのが手っ取り早い。いざと言うときに容易く切り捨てられるからだ。


「わかりました。受けましょう」


「すぐに別の者が迎えに来る。君の軍学校卒業以降の記録は消される。この一年間は、私の元で修行をしていたとでも言えば良い」


「弟子入りの理由は?」


「好きに考えろ」


 冷たく言い放ち、クレナイは私に背を向けて帰っていった。すると、


「そうだ。君が守った敵国の孤児院だが」


 顔をこちらに向けずに語り出した。


「……」


 すっかり忘れていたと言えば嘘になるその話題を、まさかこの男の口から聞くとは思っていなかった。


「全員、無事に送り返した。向こうでどうなるのかは知らんが、少なくとも我々が殺すことはない」


 ではな。そう言い残して、本当にクレナイは行ってしまった。最初から最後まで腹の底が読めない不気味な男だった。だが、不思議とその発言に疑いを覚えることはなかった。


「ふぅ。そうか」


 私は、固くて汚いベッドに背中を預けた。


「まずは空の色でも確かめますかね」


 弟子入りだのなんのよりも、この悪くない気分のまま陽の光を浴びたかった。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る