夢見ル少女ハ、大正ニ咲ク!

無理

第1話 咲子、一期一会。

爽やかな四月うづきの風が吹き込む。

大正時代。日本帝国の中心部「東京」を横切る駅の沿道には桜が咲き誇り、青藍の空に舞う。赤と白の、日の丸国旗が幾つもはためき人々が往来を闊歩している。馬車が道を走り、人力車がすごい速さで道を通り抜ける。人々は洋装や和装が入り乱れる。

その駅からすぐ裏へ抜けた先。首都には珍しい木々に囲まれた高級住宅街の中に、一際大きい学園がある。柵に囲まれ、聳え立つ門には達筆で「帝立日ノ丸女学園」と書いてある。

「帝立日ノ丸女学園」。日本唯一の婦女子専用の全寮制高校である。専門資格や華道茶道だけではなく本人が望めばいかなる勉強もすることができる、日本に生まれた女子ならば全員が憧れるお嬢様高校である。そのため、入るための倍率もとても高い。50人に1人しか取られないような倍率の年もある。その中でも選りすぐりのエリートだけが、学園へ入り、学ぶ権利を得ることができる。

そんな高校の廊下を1人の生徒が疾走していた。息を切らしながらそれでも一心不乱に走る。豪奢な木製の廊下を抜けると、飛び込んだのは『保健室』と書かれた教室だった。少女はドアを勢いよく開け、鬼のような形相で叫ぶ。


「先生!!数学の中田先生が彼氏って本当ですか!!」


「…まずは落ち着きなさい。保健室はそんなことを聞くためにあるものじゃ、ありませんよ。」

答えたその声は凛として甘い。そこにいた女性は白衣を纏いながらまるで何千年も生きている魔女のようだった。艶やかな赤いリップが口元を彩り、珍しく短く切られた黒髪は手入れが行き届いている。清潔感がありながら夜の蝶のような、魔性の女であるような独特の雰囲気を持つ。美魔女、と呼ばれる類に入るような成熟した美しさを持つ女性だった。

女子生徒は先生の声にあっという間に息を落ち着かせ席へ着く。保健室の中はシンプルだが美しく手入れされており、花瓶にはヒヤシンスをはじめとした美しい春の花々が元気に揺れている。

十分もすると少女の前に桜色の湯呑みが置かれた。中のほうじ茶が濃く香ばしい匂いで鼻腔をくすぐる。口に入れると少しの甘さと僅かな苦味が口いっぱいに広がる。

グイと飲み切るとコップを勢いよく置いて、少女はまた前へ身を乗り出した。

「で、先生。中田先生は?」

その質問に少々呆れたように先生は自分の湯呑みを持つ。赤い蝶が舞うそれに優雅に口をつける。

「あなたまだそれを聞くのね。知りたがりねぇ。私のことなんかより、勉強に専念なさい。」

「だって!先生はこの学校で1番の美人よ!私、先生のファンとして、もしもあの中田が本当に付き合ってるんだったら絞めなくちゃ!いや、絶対に〆るわ。」

そう言うと美しい口元が弧を描きコロコロと少女のような笑い声が上がる。

「ふふ、落ち着きなさいな。私と中田先生は何もないわよ。」

「本当に?国に誓っていえる?」

「えぇ、えぇ。だって私あの先生とは一回飲みに行っただけだもの。」

「その日は…?」

「うふ、貴女本当に疑り深いのね。9時に解散したわ。勿論夜のね。そのあとすぐに1人で帰ったもの。」

そこまで聞いて少女はほーっと息をつく。とりあえず付き合っていると言う噂はデマだったようだ。もう一口お茶を飲むと落ち着いて、一気にさっきの自分のみっともない姿が思い出されて赤面する。

「でも、先生はこんなに綺麗なのに、彼氏を作らないの?」

「あら、彼氏ができたら〆るんじゃあないの?」

「…先生が幸せなら、お邪魔なんてしないわよ。」

「寂しがりね。」

「先生!もう!」

揶揄われたことに気がつき、頬を膨らます。その姿に先生はまた声をあげて笑った。それを誤魔化す話題を探す。

「でも、先生はどうしてこんなに綺麗になったの?先生、一体どこから来たの?」

そう聞くと、先生の顔が一瞬驚いたあと仕方なさそうに、微笑んだ。

「私の話なんて、面白くないからやめなさいな。」

「なんでも勉強よ!!ねぇ、聞きたいわ。お願い聞かせて〜!」

「もぅ、しょうがないわね。」

そう言い諦めたように笑うと、目の前の椅子に深く腰掛け、女子生徒と向かい合う。

「…長い話だから、寝たらやめましょうね。」

「寝れないわ!授業より、何倍も楽しいわよ!」

思ったよりも響き渡ったその声に、外の桜の木が一瞬震える。その言葉にまた笑うと、先生は形の良い唇で弧を描いて遠くを見た。桜を揺らす春一番の風が強く舞い上がり、窓の外を通り過ぎる。

「私はね…」



 「サクちゃん!こっちを手伝っとくれ!」

「サクちゃん、次はこっちだ!」

「はーい、只今!」

言いつけられていた食器洗いを終わらせた瞬間に次の仕事が入る。その上、手早く終わらせるのは最低条件で少しでも手を遅らせれば舌打ちや怒号が飛んでくる。時には酒瓶も。バタバタと走り回る家の中はいつもアチシの戦場だ。今日はアチシのたった一回の結納の日だと言うのに。アチシは額に浮かんだ汗と埃を拭うと、笑顔を浮かべて返事をして、また走り出した。

アチシはこの山奥の村である「八幡村」で生まれ育った。両親は私の他に2人の兄を持っていて、私は3番目として生まれた。兄の1人目は剣の道に優れていて、2人目は商売の道に優れていた。しかし、アチシは何をやってもうまくいかない。算盤も習字も和歌も裁縫も機織りも農業も。できることはなんでもやったが、どれも人並み以上にできるものはなかった。むしろ人並みにできれば優の字でいつも村の中では1番最後にいた。顔も良くない。私の顔は黒々としていて鼻もデカく、目も小さい。おまけに頬にでかいニキビがでんとあってみっともないと、親からはよく笑われた。体も丈夫ではなかった。よく風邪を引いたし、怒られただけで次の日に腹を痛めることもあった。兄さん達は「仮病だろう」と笑って蹴っ飛ばしたけど。それでもなんとか村に馴染もうとアチシは一生懸命働いた。なんでも手伝い、村を駆けずり回って笑顔で仕事をする。そんな時に「ありがとう」と笑顔で言われるのが、アチシの唯一の楽しみだった。でも嫁の貰い手はない。ずっとこの村で下働きとして働いてるうちに、「遅咲きの咲子」なんて呼ばれるようになった。

冬のある日だった。

そんなアチシを嫁に貰いたい、と言う人が出てきたのだ。

親は相手を聞いて飛び上がって喜んだ。村はずれの商い問屋の一人息子だったからだ。その問屋は最近別の村から越してきたらしいが、質が良いらしく、とても繁盛していた。そんなところへ自分の出来が悪い娘が嫁げるのである。のしをつけて差し出したいくらいだろう。

アチシも浮かれていた。生まれてこの方、必要だなんて言われないまま生きてきたのだ。このままではアチシは何もできないまま死ぬのだとばかり思っていた。でもこれで、アチシも幸せになることができる。優しい旦那様と可愛い子供に囲まれて、幸せに生きることができる。

そう思うだけで、仕事はいつもの何倍も楽になった。

結納の日、アチシは相手方の問屋で仕事をしていた。飯炊、掃除、お客様のお相手に酒酌みまでなんでもして、何にでも気を配る。親や村の人から鍛えてもらった甲斐があったらしく、何も言われないままアチシは白無垢を着ることができた。旦那様はとても素敵な人だった。男らしい太い眉にゴツくてしっかりとした手、顔が整っていて、アチシは見るだけでふら、と目眩がするような美丈夫だ。旦那様は照れてこちらを見ないが、アチシは夢見心地だった。

赤い杯に並々注がれた酒を飲む。桜が舞う中で、アチシは旦那様の顔を見て精一杯笑った。

「これから、よろしくお願いします!」

「あぁ、よろしく頼むよ。サキ」

幸せだと、そう思っていたのだ。


旦那様はその日からほとんど帰らなかった。

街での仕事が忙しいのか、すぐに出かけてしまいアチシには一声もかけない。せっかくお作りした食事も召し上がることなく外へ出てしまうので、少し寂しいが、仕方がない。旦那様の好物であると聞いた、鯖の塩焼きが冷えてしまうまで、アチシは膳のそばから動けなかった。また、新しいお義父さんお義母さんは結納の日を境にガラリと変わってしまった。

「サキ!ここの角に埃が溜まっている!!」

「サキ!煮付けの味が薄い!!」

厳しく教えてくださるのはありがたいのだが、その度にアチシの飯がなくなるのはとても困った。

「働きもしないぐうたらな嫁はこれぐらいでいいじゃろ。」

「んだんだ。」

そう言って茶碗にほんの一口分くらいしか米を入れてもらえない。でも、お義母さん達からそう言われてしまっては「はい、ありがとうございます」と言う以外に他はない。眠れない夜はガブガブ井戸の水を飲んで腹の虫を静かにした。

一年が経ち、二年が経ち、三年が経つ。その頃には「子供はまだか。」と急かされるようになった。旦那様が忙しいので、と言うと「倅のせいにするのか!!この石女が!」と蹴られるのでも最初の一回を言ってからはずっと謝るだけである。旦那様は全く帰ってこない。伽をしようにも、時間が合わないのである。


そして今日、アチシはとうとう決心をした。旦那様が帰ってくるまで寝ない、そう決めてうつらうつらしながら行燈の火を眺めていると夜更けに裏戸が開く音がする。

(旦那様だ!)

おかえりを一眼見よう、そう思って走り出す。旦那様はお疲れだろうから、まずとこを整えることが先か、いや、お腹が空いていらっしゃるかもしれない。夜だから体に触れないように、湯漬けくらいならいいだろう。漬物はきゅうりの糠漬けが食べごろだ。それとも湯浴みがいいだろうか。その時にお背中を流して差し上げて…そこまで考えて、アチシの足はピタリと止まった。声がしたのだ。楽しそうな旦那様の声と、

女の声。

見ると、美しい着物を着た町の美女と旦那様が睦まじげに腕を組んで歩いていた。別れづらいようで、何度も手を取り合っては、話に花を咲かせている。ふと旦那様が美しい花を模したかんざしを取り出した。金が輝いていて繊細なあつらえが付いている。アチシでは手も届かないような死な物。それを女性に差し出す。しかし女性は何が気に入らなかったのか、そのかんざしを地面に投げ捨てて帰っていった。

旦那様がふと、こちらを振り返るが、アチシはもうそこにはいなかった。

旦那様が浮気をしていた。

アチシは部屋で1人、布団をかぶってうずくまっていた。気分が悪い。あの頭痛が、また襲ってきて頭を抱える。吐き気も襲ってくる。涙が溢れそうになったその時だ。

部屋の襖がスパンと空いた。旦那様だった。

「大丈夫か。サキ。」

「旦那様…?」

「具合はどうだ。心配になって、仕事を切り上げて帰ってきたんだ。」

「ありがとうございます。旦那様。もう大丈夫でございます。」

慌てて布団から出ては三つ指をつく。はしたないと髪を慌てて整えていると、シャラ、と耳元で音がした。

金色のかんざしだ。

「サキのために買ってきたんだ。よく似合っている。不自由をかけてすまないが、私は必ず、お前を幸せにして見せる。だから、お前も私についてこい。」

「…はい!」

その言葉に涙が出る。その涙を旦那様は拭い取ってくれた。それだけでアチシは耳まで真っ赤になった。


翌年の春のことだった。

アチシは洗濯物を干している。桜の花が綺麗なので桜餅を作ろうかと考えていると、ドンドンと面の門が叩かれる。門の外にはご近所の茂吉さんがいた。真っ青な顔で体を震わせているその姿に、いつもの快活な様子はなく、ギョッとしてしまう。

「ど、どうしたんですか!?」

「りょ、良作が、良作がぁ」

良作さんは隣家の魚売りである。独身で江戸っ子気質の良い人だが…。

ふと人だかりが目に入った。良作さんの家の前にたくさん人が集まっている。

「どうかし…ひっ!!」

私は思わず声を上げる。家の中は真っ赤に染まっていて、その中心に胸をかんざしで突かれて絶命している良作さんがいたのだ。

「うっ…」

血の匂いにえづいてしまう。その拍子に下を見て、頭が冴えた私は気がついてしまった。あのかんざしは、金色のかんざしは

「アチシのかんざし…」

そう言った瞬間、人の目が一気にこちらを向く。全てだ。二つの目が何十にもなってアチシを見つめる。

「今あいつ、自分のって言ったか…?」

「確かに言ったぞ。」

「俺も聞いた。」

「うちも。」

「良作といえばよくサキに魚を売ってたな。」

「楽しそうに話してたぞ。」

「それで恋仲になったのか!?」

「旦那がいるのに、ふしだらなことで。」

「まさかそれで揉めて…」

「勢い余って…」

「あいつだな。」

「間違いない。」

声がどんどん大きくなっていく。アチシは耐えきれずその場から走って逃げた。

アチシのかんざしは違う。同じ模様なだけだ。家に帰り千代紙の貼られた箱を開ける。唯一アチシが持ってきた嫁入り道具の箱。この箱には一等大切なものを入れている。それを毎日眺めるのが楽しい時間なのだ。小さいが鍵もついている。汚してはいけないとかんざしをここに入れておいたのだ。昨日まであったのだ。

「ない…!」

口から出た言葉は情けなく震えていた。腰が抜けて座り込んでしまう。ガラリと障子が空いて、旦那様とお義父さん達が仁王立ちしていた。

「ち、ちがいます!アチシは良作を殺してなんか」

バシリと頬を叩かれて畳に転がる。信じてくれると思っていた、のに。

(なんで、そんな顔をしているのですか?)

その言葉はついぞ出ることはなく、アチシは髪を引っ張られ縄を巻かれた。

奉行所で問答無用で出された判決は死罪、さらし首。アチシは呆然としていた。散々嬲られ、蹴られた顔は真っ赤に腫れて化け物のように垂れている。着物も剥ぎ取られ、今着ているのは罪人用の薄汚れたボロ布一枚だ。やっていない、と叫ぶたびに頭を地面に擦り付けられる。良作を慕っていたらしい人々が奉行所の外から

「殺せ!」

「殺せ!」

と叫ぶ声が私を責め立てるようだった。

奉行所の周りの人々がどうしても治らないため、すぐに斬首をすることになった。アチシは籠に閉じ込められ、手足を縄で縛られ、ゆっくりと奉行所を出る。石飛礫が雨のようにバラバラとアチシを打つ。中には訳もわからず親の真似をして石を投げては、顔に当たった、僕は足だ、と笑い合う子もいた。

河原に村のほとんどの人々が集まり、ヤジを飛ばしている。

感じたことのない虚無感が体を襲う。アチシの頭の上に刃の影が重なる。その時、川原の野次馬の中にあの女性と旦那様がいるのが見えた。女性はかんざしをつけてキャラキャラと黄色い笑い声をあげている。あのかんざしは、アチシのだ。きっとアチシのかんざしをとって自分のものとすり替えたのだろう。アチシのかんざしには大切に毎晩磨いていたから、もう一つのかんざしのように金色が禿げてない。旦那様はそれをみてニヤニヤ笑っている。お義母さんがふと、旦那様に声をかけた。口の形を見る。

『よ、く、や、っ、た。』

『う、ま、く、い、っ、た、な。』


「背を伸ばせ。」

冷酷な声が頭上から響き、アチシの体が押さえ込まれる。

黙って目を瞑ると、途端に何も聞こえなくなる。


憎い、とも

恨めしい、とも

ひどい、とさえも思わなかった。


これが、当たり前だから。

もう諦めるしかないから。

諦めた方が『楽になれる』ことを知っていたから。



「理不尽だ。」


ケタケタと笑うような声だったが、その静かな声は確かに耳に届いた。まるで、アチシの心の底を照らすような深い涼やかな声。

目を開けてパッと声の主を探す。

野次馬がザッと音を立てて開いたそこに、1人の男性が立っていた。

美しい藍色の裾の広がった着物を着て、黒い髪は男のように短く結い上げられている。結い方も見たことがない。綺麗な顔で口には寒椿のような真っ赤な紅をつけている。

男なのに、紅をつけているなんて、とは思えなかった。とても似合っていたからだ。

その美しさに、誰もが後退りをしていた。


「お、お前なんだ!!そいつは良作を殺した鬼女だぞ!!」

旦那様が叫ぶ。その男性の前では、あれほど神々しく見えた旦那様はただの人にしか見えなかった。

「鬼はどちらだ。

本妻に殺人の罪を着せて、愛人と楽しくその処刑を見物か。悪趣味もいいところだな。」

「な、なにぃっ!」

「親も結託するとは、世も末だな。」

「うぐっ!」

言い当てられ、旦那様達が一気に人目を引く。愛人の髪に刺さっているかんざしを見た1人が

「そのかんざし!良作を殺したあれと同じだ!」

と叫ぶと愛人は腰を抜かして倒れ込んだ。

「良作ってやつに手を出そうとして振られ、逆上して殺したってどこだろう。あんたも御盛んだな。その男も金蔓の1人か。まだ他にも、たぶらかしてるな。

そっちの男もだ。女は他にもいるだろう?前の街で聞いた。あんたが入り浸っている遊女が堕胎したとな。後処理もできない、責任も持てない人の屑が、一端に生きるか。」

ハハ、とか沸いた笑いを浮かべるが、一転してその表情は冷酷になる。

「再度問う。鬼はどちらだ。」

「ひっ、ひいいい!」

旦那様は泡を吹いて倒れ込んでしまった。

男性はアチシの方へ向くとスタスタと歩いてくる。


「あ、あの、アチシに何か…」



「あんた、


『アチシ』はやめなさい。自分でも気づいてるでしょ。

それが本来のあなたじゃないってこと。」


それだけ言って、男性は歩いていってしまう。


本当は気づいていた。

良作を殺した犯人も、旦那様の不倫も、お義母さん達にいびられていることも、村の人たちがアチシを『遅咲きのサキ、枯れススキ』と笑い物にしていることも、旦那様達が私を良い女中代わりとして娶ったことも、小間使いのように使われていることも。

全部全部全部全部。

気づいて、見ないふりをしていた。それが当たり前であると受け入れてしまえば、幾分か楽になれたから。

『アチシ』と呼べば、変だとみんなが嘲笑った。それさえも、悪意を向けられるくらいならそちらの方がいいと、私はそうやって生きてきた。

「理不尽だ」

その言葉は、生まれた時のそのままの私の声だ。容姿も悪く、才能もなく、それでも必死に頑張ってきた咲子に、いつもあった疑問だ。

なんで私は認められない

なんで私は愛されない


なんで私は、許されない


その疑問は、抱いてはいけないと蓋をしていたものだ。顔が醜いとか女だからとか貧乏だからといったものからくる、蔑みの目、憐れみ。

それは本当に、当たり前なのか?

それでいいのだろうか?


「サキ!」

旦那様の声に我に帰る。旦那様は泣きべそをかきながら必死にこちらへ手を伸ばしていた。村の人たちの目標がわたしから旦那様になったらしい。愛人の人もお義父さん達も村の人に囲まれて震えている。

「お前がやったんだろう!良作を殺し、その愛を受けようと!!なぁ?娶ってやった恩を忘れたのか!!?あんな男とも女ともつかない化け物の言葉を信じるのか!?お前は恩知らずではないよな、な!!」

必死にこちらへ訴えかけてくるその姿勢に、一瞬結納の時が思い浮かんだ。

幸せになろうと決心したあの日。

今までは旦那様や村の人が幸せならそれでよかった。旦那様の幸せで、わたしも幸せになれると思っていた。

でも、今はわたしの幸せが何かわからない。


「…わからないから、探します。私自身のために。」

その言葉に旦那様は愕然とした。


「お世話になりました。さようなら。」

後ろを振り返らずに走る。旦那様の絶叫が途切れ途切れに聞こえた。


あの人は、村の外れにいた。一生懸命走って、その背中に追いつく。

「…あら?ワタシにまだ何か用?」

その冷たい視線に一瞬うっと詰まるけど、私は持ってきた着物を抱えて声を上げた。

「貴方に救われました。貴方のそばで、学びたいのです。

私を弟子にしてください!!」


私の声に、その人はふっと軽く笑い、言った。

「嫌。」

「お供します!先生!!」

「案外図々しいわね。貴方。」


こうして鈍臭い私、咲子と男でも女でもない、先生の旅が始まったのである。

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