「この子に会いに来てくれますか?」
「先輩の浮気者」
玄関の扉を開けるなり言葉のパンチが飛んできた。この物言いからして、俺とステイシーの間でにあったことは知ってるんだろう。
「巻き込まれたんだよ、なし崩し的に」
「ハッキリとノーと言わない先輩が悪いんですよ」
「ハッキリとノーと言って欲しかったか?」
「そりゃ……。ちょっと待ってください、それは何に対してですか?」
当然ステイシーと付き合うことに対してのつもりで言った、ということにしている。建前ではだ。けど当然、家入との恋人のふりという関係に対してのことも考えていないわけでもない。
知らない振りをする俺を見て、家入もまた、勘違いだった風な反応を見せる。こうして巻き起こった変な間がややあった後、家入は話を戻すように再び俺に告げる。
「とにかく、まだ私と付き合ってる事になってるんだから、ほとぼり冷めるまで待って欲しかったですけどね」
「別に俺を悪役にして今すぐ清算できるだろ。この展開の方が都合良いくらいじゃないか?」
「同じ事言いやがりますね……」
ステイシーに似たようなことでも言われたか。変なところで気が合うな。
ただその事を掘り返すのも話をややこしくさせるだけだと思って、家入の呟きを聞かなかったことにして、俺は話題の矛先を変えることにする。
「んで、それは?」
それ、とは家入が持ってきた大きな袋。何を持ち込もうとしているんだと訝しんでみたけど、だいたい中身は想像出来た。だからこれは、その確認のための質問だ。
「ああ、この間話してたぬいぐるみクッションですね」
そう言いながら開けた袋の口から、可愛らしくデフォルメされた猫がこちらを覗きこんできた。
「これがもちもちで、肌触りも最高なんですよ」
そして家入は袋からクッションを取り出すと、その両脇を掴んでこちらに差し出してきた。
猫と俺の目が合う。つぶらなその瞳に俺の意識は吸い込まれそうになる。
「触ってみてくださいよ」
「あ、ああ」
そこまで可愛らしい猫に興味はない。しかしこうなってしまった手前、触らないわけにはいかない。
猫の頭に手を伸ばし、手のひらを乗せてみた。もちっと柔らかく沈み込む感覚。なるほど悪くない。
そのまま少し手のひらを動かすと、すべすべとした肌触りがなお心地いい。これは思っていた以上に良いかもしれない。
「……先輩、いつまで触ってるんですか?」
「はっ!?」
気づけば俺は延々と猫を撫で続けていた。ここまで引き込まれるとは予想外だ。俺のことを見る家入の目線がなんだか痛い。
「ま、まあまあだな」
「説得力無いですよ先輩。あんなに撫で回しておいて」
「ぐぬ……」
「良かったですね先輩。この子はこの部屋に置いてきますから」
家入はそう言うと、猫のぬいぐるみをベッドの上に置いた。遠目に見るとベッドの上に横たわる本物の猫に見えなくも……ちょっとデフォルメ効き過ぎか?
「というか別に俺の部屋に置いておく必要もなくないか?」
「逆に訊きますけど、私の部屋で飼ったとして、先輩はこの子に会いに来てくれますか?」
確かにこのぬいぐるみの感触は最高だった。けど、そのためにわざわざ家入の部屋まで行くかというと、それは「行かないだろな」という答えになる。
「ですよねー。てかもうちょっと迷ってくれてもよかったんですけど」
「迷うことも無いだろ」
「この間私の部屋に来たじゃないですか。女の子の部屋だからって遠慮しなくても──」「してないぞ」
家入が言い切るのを遮るように答えたものだからか、彼女は不服そうな顔を俺に向けた。
まあ遠慮していないというのは、実際のところ正しくない。人の家に上がるのに遠慮しない方がどうかしている。
だから、そうたぶん、別に家入を異性として意識しているからとか、そういうことなんかじゃない。
「そもそもお前が無遠慮すぎるんだよ。パーソナルスペースを侵しにいくようなもんだぞ」
「失礼ですね。私だって遠慮くらいしますよ」
「このどこが遠慮してるんだ」
「ただ、先輩については遠慮はいらないかなって思ってるだけで」
「ちょっとは遠慮しろバカ」
家入は悪びれた様子もなく、べっと舌を出す。そんな憎たらしい表情に少しイラッとして、思わずデコピンをかました。
「痛ー。何するんですか、暴力反対。DVですよDV」
「DVって何の略か知ってるか?」
「ドメスティックバイオレンス、常識ですよ」
そんなこと知ってて当たり前、むしろ知らないんですか? などと言わんばかりのどや顔で家入は答える。
「ドメスティックの意味は?」
「ドメスティックは……どめ、どめす……こう、暴力的な?」
「じゃあバイオレンスって何だよ」
「暴力ですね。……あれ?」
まあそんなこったろうと思った。
何かと外国語が使われがちな昨今、言葉のニュアンスはなんとなく解っていても、本来の意味を知らない言葉も少なくない。ドメスティックはもちろん、ソーシャルだとかソサイエティだとかがそうだ。
「ドメスティックってのは家庭的ってことだ。つまりドメスティックバイオレンスで家庭内暴力って意味になる」
「確かにそうとも言いますね」
「家庭じゃないからDVじゃないだろ?」
「むっ」
屁理屈と言われればそれまでなんだけれど、家入ならこれで丸め込め──。
「でも同棲カップルでもDVって言いますよね」
「ど、同棲……?」
想定外の反論に同様してしまう。そんな俺の様子をどう捉えたか、家入はたたみかけるように続ける。
「私と先輩は付き合ってることになってるわけだし、隣の部屋に住んでるわけだから実質同棲みたいなものじゃないですか。よってDVが成立するとここに立証します!」
「トンデモ理論すぎるだろ」
「よって判決は有罪。被告人には懲役一ヶ月、または一万円の罰金、もしくはその両方が科せられます」
「映画泥棒かよ」
言い方はまさにそれ。まあそれ以外でこの言葉を聞く機会もないんだから仕方がない。
とりあえずどちらが科せられるのか判らないが、流石に一万円払うワケにもいかないので、俺はさらにこう答えた。
「じゃあ懲役で」
どのような刑罰が与えられるかを受刑者が選べるわけじゃない。ただ、この流れならワンチャンあると感じたからだ。
家入はそんな事を知ってか知らずか、少し何かを考えるような様子を見せる。何を考えてるのかと疑問に思ったが、すぐにある考えに至った。これは懲役刑の内容を考えていると。
せめてどんな懲役を受けるのか確認しておけば良かったか。そんな後悔は時既に遅し。いや、今ならまだ待ったをかければ──。
「じゃあ先輩」
間に合わなかった。予想通り、俺に何をさせるか考えていた家入。そんな彼女が俺に科した役務は……。
「きちんと恋人のフリ、やってくださいね」
なんてことない、今まで通りという話だった。
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