「私のこと、嫌い?」

 外から声がした。それが丈留たけるのものだと直ぐに判ったし、話し相手が大夢たいむだと気づくのにあまり時間はかからなかった。

 あーあ、意味なかったかな。

 ……まあ、あわよくばって感じだったし、逃げ道も用意しておいたから、最低限の目的だけでも達成できたらいいかな。

 


 ◇ ◇ ◇


「ハロー」


 近所のコンビニを出たところで声をかけられた。

 全然流暢りゅうちょうではない英語で挨拶してくるのはステイシーくらいだ。


「何買ったのー?」

「ガムとお茶」

「何それ朝ご飯?」

「んなわけあるか」


 講義中の眠気覚ましのためのガムであって、これが朝食であるはずがない。

 そう答えようとしたのだが、微かにぐぅと音が聞こえた。それがステイシーから聞こえたのだと確信したのは、なんだか彼女がばつの悪い顔をしたからだ。


「朝食べてないのか?」

「まあねー」

「ちゃんと食った方がいいぞ。それか時間が無かったか?」

「丈瑠はもっとデリカシーってのを覚えると良いんじゃないかな」


 そこまで言われてようやく理解する。

 なので先ほど買ったガムを差し出すと、ステイシーは快く受け取った。


「ありがとー」


 そう言ってステイシーは俺の腕に抱きついた。突然の出来事に俺の喉から出た声は裏返ってしまった。


「な、ななな、何だよ一体」

「これくらい普通でしょー?」


 そう言ってのけるステイシーは、早速ガムを口に含んだ。ステイシーの顔は近いけれど、互いのマスク越しではガムのフルーティーな香りは感じられなかった。


「そもそもだけど、俺は一方的に付き合うって言われただけで、合意はしてないんだが」

「じゃあ断ればいいよね。でもその根拠は? 私のこと、嫌い?」

「い、いや……」


 上目遣いに、心なしか潤んだ瞳でそう問われて『そうだ』と答えられるだろうか。

 しかし気圧されるわけにもいかないと思い、軽く呼吸を整えて俺は言う。


「嫌いって言い方は極端過ぎるだろう。好き嫌いで言えば……す、好きだけど」

「なら問題ナッシング」

「問題はその『好き』が恋愛としてじゃないってことなんだが」


 するとステイシーは、はぁとため息をく。


「考え方が子供だよねー、丈瑠は」

「どういう意味だ」

「別にお互いが好き合ってる必要は無いんじゃないかな? 好きでも何でも無くても、付き合ったら変わるかもしれないじゃん?」

「……そんなもんか?」

「だって、付き合わなくても『好き』って気持ちは失われるって聞いたけどー?」


 断言するではなく、まるで俺の方が知っているとでも言いたいかのようなステイシー。意地の悪い表情で俺の反応を待ち構える。


二十六木とどろき先輩か」

「別に丈瑠の事だなんて一言も言ってないよ」


 ステイシーは悪戯っぽく笑う。そんなステイシーを憎たらしくは思いつつ、本当に恨むべきは二十六木先輩なんだと自分に言い聞かせた。


「だからその逆もアリだよね」


 付き合ってないの逆は付き合う。好きじゃなくなるの逆は好きになる。

 付き合わなくても好きじゃなくなるのなら、付き合って好きになることも成立するということか。たしかに逆だけど……。


「論理演算で考えたら、AndもOrも値にNotかけたら結果変わって等価にならないだろ」

「かけ算なら乗数と被乗数それぞれにマイナスをかけても得られる積は等価になるでしょ?」

「逆数なら積も逆数になるぞ」

「逆数の『逆』はさっきの例の『逆』とは意味が違うからダメー。それに丈留が言った論理演算だって、排他論理和なら両側にNot付けても結果変わらないよね。てことで私の勝ちー」

「付き合うのと好きになるのは排他でいいのか……?」


 これ以上の議論は不毛だと俺は諦めることにした。謎の理屈で言いくるめられたようであまり気乗りはしないのだが。


「じゃあ記念に写真撮るね」

「記念って何だよ」


 そんな問は意に介さず、ステイシーはインカメを起動したスマホを掲げた。

 思わず伏し目がちになると、「カメラ見てー」とステイシーに促され、しぶしぶ目線を合わせた。

 シャッターを切って写真が撮れたのを確認したステイシーは「よし」と口にして、ようやく俺の腕から離れた。


「写真送っておくからロック画面に設定してねー」


 途端、ポケットのスマホが一瞬震えた。ステイシーがスマホを鞄にしまったので、ホントに写真を送ってきたのだろう。


「やだよ」

「もー、恥ずかしがっちゃって」

「恥ずかし……いや、そうだな。自分の写真がロック画面にいるのは自意識過剰みたいで恥ずかしいわ」

「なにそれ」


 まるで冗談を聞いたみたいにステイシーは笑う。


「じゃあ私の自撮りでも送ろっかー?」

「遠慮しとく」

「エッチなのがいい?」

「なっ……い、いらん」

「なんか欲しそうだけどー?」

「……どうしたんだよ、何からしくないぞ。ノリが二十六木先輩みたいになってる」

「だってそれは……」


 そこまで言いかけてステイシーは言葉を止めた。そして「あー」と声を出しながら少し考える素振りを見せると俺に聞き返してきた。


「それは面倒くさいってこと?」

「お前が先輩に対してどう思ってるのかがよくわかった」

「あっ、ズルい。今のナシ」


 慌てたようにステイシーはそう言うと、誤魔化すように話題を変えようとする。


「そんなことより、早く行かないと遅刻するよー」

「……お前が引き留めたんだろ」


 呆れてそう言った直後、俺の腕が引かれてバランスを崩しそうになる。。


「お、おい」

「ほら、いくよー」


そしてそのままステイシーに引かれるようにして俺たちは学校へ向かった。

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