「それで、何用ですか?」

 家入いえいりが引っ越してきて結構経つけれども、彼女の部屋に入るのはこれが初めてだ。

 意外に物が少ないシンプルな部屋。部屋も散らかってなくて綺麗に片付けられている。勝手に俺の部屋を掃除しようとしただけのことはある。


「あんまりジロジロ見ないでくださいよ」

「悪い」

「あと、手洗いうがいしてくださいね。あ、これ一度言ってみたかったんですよね」


 家入はそう言うと、自身も手洗いを始めた。ちょうどさっき帰ってきたところなのだ、当然だろう。俺も倣うように手を洗った。

 手洗いを終え、部屋のテーブルを挟む形で俺たちは向かい合いに座る。


「それで、何用ですか?」

「そうだな……」


 訊きたいことは山ほどあった。しかし何から訊いて良いのか判らなくて、しばらく静寂が続いた。

 その間も家入は俺から目を離さなくて、だから俺は余計に言いづらくて、目を背けたくなった。だから俺は、なんとか場を取り繕うように関係の無い質問を投げかけた。


「その髪、どうしたんだ?」

「そこなんですか」

「だってこの間まで黒かっただろ?」

「まあ、今日のことですからね。二十六木とどろき先輩に紹介してもらったんですよ」


 そういえば、前にそんな話をしていたっけ。就活で髪を黒くせざるを得ない先輩の代わりとして、家入を生け贄に差し出すような話。

 先輩の代わりとは言ってみたけれども、実際の所は二十六木先輩がこんなピンク髪になったところを俺は見たことが無い。やっぱりあの人は、自分じゃ無いから面白がってあれこれやらせているに違いない。

 けれども当の家入はというと、この髪色に対してまんざらでも無いような様子にも見える。


「どうですか?」

「何が」

「そこは感想とか言うところじゃないですか!」

「まあ、いいんじゃないか?」

「ちょっと、そこは『似合ってる』とか『可愛い』とか、なんかもっとありますよね?」


 また面倒な事を言う。

 改めて家入にきちんと目を向ける。髪の色に気を取られていたけれど、髪型も少し変わったのが判った。長さはほとんど変わってないようだけれども。


「なんか……ヤバいわ」

「先輩に言われたくないんですけど」

「いやだって、そのピンクに比べたら金髪なんて普通じゃんか、普通」

「まあそれだけ個性的ってことですね」


 俺の金髪をヤバい呼ばわりしたくせに、自分のことになったら前向きな言葉で表現しやがる。

 まあでも感想を求められて貶すだけなのも悪いとは思うので、なんとか俺は言葉を探した。


「その底抜けに明るくて前向きな感じにはぴったりだとは思うぞ」

「ふふん、つまり似合ってるって事ですね?」

「まあ、そういうことになるかな」

「ふふふ、ありがとうございます。前のはやっぱりちょっと、野暮ったい感じでしたからね」

「そうか? 別に悪くなかったと思うけどな」

「むむ、なんかイメチェンしたことを否定されたみたいです。減点!」

「なんだよそれ」


 家入の機嫌を損ねたようだ。まあイメチェンしたのを気に入ってるみたいだし、ちょっと言葉選びが悪かったとは思う。


「そうだな、前のはちょっと子供っぽかったしな」

「前の私をけなしているので減点!」

「マジ何なのお前!?」


 とは言え、家入の顔は笑っていたので、おそらくは俺を揶揄からかっているのだろう。

 けれどもそんな家入の顔がスッと真顔に変わった。


「まあでも、そんな先輩だからこそ、わざわざここに来てしまったんですよね」

「どういう意味だ?」

「一度忘れましょう。今日までのことは」

「……はい?」


 一体何を言い出すのか。神妙な面持ちで家入がいうものだから、俺は少し身構えた。けれども家入は突然いつもの様子を取り戻したようにこう続けた。


「今日から私は生まれ変わったので、新・家入大夢です」

「な、なんだよ新って」

「そういう訳なので、先輩が質問しようとしてた事にはいっさい答えません」


 本当に家入は俺の考えていたことを見透かした上で言っているのだろうか。

 ……まあでも、そういう意味だろうな。家入にとって忘れてほしいのは、多分この間のことなんだろう。だったら俺は蒸し返すべきじゃない。


「ですが、前から変わらないオールドタイプな先輩には質問させてもらいますね」

「それはフェアじゃないだろ」

「この間一緒に部屋から出てきたの、誰ですか?」


 あの時見られていたのは分かっていた。そして、こうやって問われるということは……いや、そういうのはそう。それに、ステイシーとは何も無いんだ。ありのままの事実を伝えれば良いだけ。


「友達だよ。ステイシーっていうんだ」

「あれっ、外国の方でしたか。てっきり……」

「ん?」


 最後の方の言葉が小声でよく聴き取れなかった。しかし家入は「なんでもないです」と一蹴する。


「ちなみにそのステイシーなんだけど、この部屋の隣の隣に住んでるんだ。ご近所さんだからよろしくしてやってくれ」

「隣の……隣……。先輩の部屋の隣ってことですか!?」

「そうだ」

「むむ……どんな人なんですか?」


 その問は俺を少し悩ませた。ステイシーという人物を、果たしてどんな奴だと形容すべきか。

 少し悩んだ挙げ句に出てきた言葉──。


「お前みたいなやつだな」

「ど、どういう意味ですか!?」

「そのまんまの意味だ」


 そう思うと、こんなのに囲まれて生きなければならないのは、なんだか前途多難な予感がしてきた。

 ここに二十六木とどろき先輩まで来てみろ、まさにかしましい。


「先輩、なんか凄く失礼なこと考えてませんか?」

「気のせいだろ」

「……ならいいですが」


 そう言うと家入は立ち上がった。これでこの話は終わりと言うことだろう。俺から家入に質問はさせてくれないというのだから、これ以上ここにいる理由も無い。

 俺も立ち上がって帰ろうとしたのだけれども、そんな俺に向けて家入が問いかけてきた。


「ところで先輩はご飯食べましたか?」

「いや、まだだな」

「それじゃあ久しぶりに、私が腕を振るいますね」


 そう言う家入は、どこか嬉しそうに微笑んだようにも見えた。

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