第2章 大内アナスタシアは留まることを厭わない

「欠席してた分の講義内容教えて?」

 休み開け最初の講義。気だるさの中でその始まりを待っていると、すぐ隣の席に誰かが座ったのが視界に入ってきた。

 ソーシャルディスタンス何て言われるこのご時世、一席空けずにすぐ隣に座ってくるようなやつには何人か心当たりがある。けれども、家入にしても先輩にしてもこの授業を取ってないハズなので選択肢からは外れる。となると……?

 隣に座った相手に目を向けると、ブロンドヘアーが特徴的な女性の姿がそこにはあった。目鼻立ちがはっきりとしたその顔から、日本人ではないと思わせる。


「ハロー丈留たける


 そんなフレンドリーに声をかけてきた彼女はの名は大内アナスタシア。通称ステイシー。見た目通りアメリカとのハーフなんだけども、別に留学生というわけでもなく、日本生まれの日本育ち、つまり生粋の日本人と言っても遜色ない。


「大分遅くなったな」

「いやー、実はもっと前に帰国はしてたんだけど、自主隔離ってことで登校出来なくて」

「つーか何しに行ってたんだ?」

「んー、まあ短期留学ってとこかな」

「このご時世にか?」

「まあいろいろとね」


 さっきから本質を濁すような答え方をしてくるので、これ以上の追及は止めにした。ちょうど講義が始まるところだったので、ちょうどいい頃合いでもあった。

 講義中もその後も、特になにかあったわけでもなく、次の講義は受けてないからとステイシーとはその場で一度別れた。しかし午後の講義で同じように俺の隣にステイシーが座ってきて、その講義が互いに最後の授業だったのでそのまま二人で帰る運びとなった。


 ステイシーと一緒にいるととにかく目立つ。

 俺自身も髪色のせいで目立つんだけど、かえって目を逸らされることだってある。けれどもステイシーは本物のブロンドヘアで、顔立ちもハッキリとしていて、誰もが目を留めてしまうだけの美しさがあるからだ。

 そんなステイシーの隣を歩くことはとても居た堪れない気持ちになる。被害妄想なのは解っていても、この髪が偽物の金髪だからだ。

 そんな事を思いながら電車に乗って最寄り駅で降りたとき、ふと気がついた。


「あれ、ステイシーってこっちだっけ?」

「今日はちょっと丈瑠にお願いがあって」

「お願い?」

「欠席してた分の講義内容教えて?」


 そういうのって、俺についてくる前に学校で一声かけてくれることじゃないか? 準備はなくても、出来るだけのことは学校で教えられたはずだ。


「いいけど、ここまで来たら場所に困るな。学校まで戻るか?」


 このまま引き返して学校へ行くか、途中に図書館くらいならあったはず。この駅周辺でやるなら、コーヒーショップなら近いけれども、どちらかというと一人での勉強向け。ファミレスは何故かちょっと歩くんだよなあ。


「丈瑠の家でいいよ」

「……最初からそのつもりで黙ってただろ」


 バレたかと言わんばかりにステイシーはペロッと舌を出す。そんな様子に俺はため息をついた。

 けれども、俺の家にいけば他の科目も教えられるので、ある意味合理的でもある。仕方がないので俺はステイシーの提案を受け入れ、彼女を部屋に招き入れた。


「手洗いとうがいは忘れるなよ」


 そう釘を刺しつつ、俺自身も忘れずに手を洗い、そしてうがいを済ます。


「このコップ使っていいの?」


 ステイシーが手にしたのは家入いえいりのコップだった。あの日家入は何も言わずにいなくなったけれど、こうした私物はそのままになっている。

 これを使って良いか俺は少し迷ってはみたけれど、やっぱり家入のものなのでここは否定すべきと結論づけた。


「ダメだ、こっちにしてくれ」

「さっき丈留が使ったやつじゃん。間接キス? やらしー」

「その発想がやらしいわ」


 何だか似たようなやりとりを前にもしたような気がした。それが家入が来たときのことだということはすぐに解った。


「どうしたの?」

「いや、何でも無い。んで、まずは履修科目を教えてくれ」

「はいはーい」


 ステイシーがスマホで履修内容を見せてきたので確認すると、思ってた通り俺とは違う点が多い。

 簡単に言えば、俺が情報システム系の履修モデルがベースなのに対して、ステイシーはたぶんビジネス系だ。ちなみにマーケティング系や経理会計系と、一言に経営学部と言っても多様な方向性がある。

 一年次は学部で共通な入門科目が多かったけれども、流石に二年次にもなれば違いが大きくなってくるようだ。履修登録時に使った資料を見てみると、特にシステム系のモデルに関してはもはや別学部と言っていいほど他とは違っている。


「俺に教えられることは殆ど無いな」

「そりゃ残念。有希ゆうきちゃんならワンチャンありそう?」

「あの人は確かマーケティングって言ってたかな。そうだとしたら……意外と被ってそうだな」

「うーん、でも有希ちゃん忙しそうだったしなあ」


 有希ちゃんこと二十六木とどろき先輩は絶賛就活中というわけで、最近は何かと忙しそうにしている。別に話も出来ないわけじゃないけれども、まとまった時間を取って勉強を教えてくれなんて頼みが通用するような気はしない。


「他に同期で誰か居るだろ?」

「丈留ほど仲良い人いないんだよねー」

「嘘つけ」

「ホントだよ」

「はいはい」


 ステイシーの言葉を軽くいなしつつ、俺はステイシーに説明する準備を進める。

 経営戦略論、流通論、経済学。まあ英語は今さら教えるまでもないよな。


「どれから始める?」

「英語教えてよ」

「何しに短期留学してたんだよ。てか家族に教えてもらえよ」

「ハーフがバイリンガルっていう幻想は捨てた方が良いよ。ほら、芸能人でもそう言う人いるじゃん?」


 日本生まれの日本育ちなんだから、日本語しか話せないのは仕方がない気もする。初めて話したときには流暢に日本語で話すから驚いたものだ。人は見かけによらないという言葉を体現したようなやつだと思う。


「実際、留学でどれくらい上達したんだ?」

「ハロー、アイアムアナスタシア」

「なめてんの?」

「いや滞在期間そんなに長くないからしょうがないくない?」


 どこまで本気かは判らないけれども、これが本気だっていうんなら英語も教える必要があるだろう。はあとまたもため息を漏らしながら、俺はステイシーに説明を始めた。

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