「他に食べたいものありますか?」

 家入いえいりと付き合うことになってから数日が経った。付き合い始めたものの、あれ以来家入が部屋へやってくることはなかった。

 それは偶然バイトなんかで都合が合わなかったっていうのが主な理由なんだけれども、それ抜きにしても家入から話しかけられる機会がかえって減ったような気がした。まるで少し避けられているように。

 まあ無理もない。なんせ酒の勢いからの成り行きで付き合うことになっただけなんだから。

 世間は間もなくゴールデンウィークに差し掛かろうとしていた。毎日バイトってわけでもないし、流石に家入と会う機会くらいあるだろう。そんな事を考えていた折に、先輩はこう訊ねてきた。


「明日からゴールデンウィークだけど、どこか行かないの?」

「流石にこのご時世、出かける気もないっていうか」

「真面目ね、あんた。改めて訊くわ。ゴールデンウィーク、大夢ちゃんとどこか行かないの?」

「流石にこのご時世──」

「あのね、付き合ってんでしょ? そう言う御託はいいから、彼氏らしく遊びに誘ってあげなさいよ」


 彼氏らしく、ねえ……。結局のところ、あまりそう言う実感がない。なし崩しにこうなったのもそうだし、あれ以来あまり家入と会ってないのだから。

 けど先輩の言葉ももっともだと思った。俺は家入が来るのを待っていただけ。今までならそれでも良かったけれど、付き合ってる以上は俺からも家入を誘うべきなのかもしれない。もしかしたら家入は誘われるのを待っている、と思ったのは自意識過剰だろうか。


 とにかく、こういった経緯から俺は珍しく自分から家入に声をかけた。それに対して家入は、驚いたように声を上げ、ぎこちない声で応えた。それを見て、単に家入も今の関係に戸惑っているだけなんだと感じた。

 だから他愛ない話を繰り広げているうちに、少しずつ家入はいつもの調子を取り戻してきた。それは良いんだけども、他愛ない話をしていたのはそのためじゃなくて、単に俺が日和って誘えずにいるだけで。

 そろそろ本題に入らなければ。そう焦る中で一つの話題を思い出す。


「そういえば、プライムに入ったぞ」

「ホントですか?」

「ああ。思ったより費用もかからないっていうか、学割あるのな。しかも音楽も聴けるし、入って損はなさそうだ」

「ふふん、感謝してくださいよ?」

「つけあがるなよ。それでその……」


 ここまでは導入部分に過ぎない。本題に入るのにやっぱり言い淀んでしまったけれど、意を決してその続きの言葉を紡いだ。


「いつなら時間がある?」

「えっ?」


 家入は意外そうな反応を見せる。まあ当然の反応だ。


「来てくれないと、加入した意味がないだろ」

「そ、そうですね。じゃ、じゃあ今日、早速ですがいいですか?」

「いいぞ」


 こうしてなんとか家入と二人で会う約束を取り付けた。これで一山越えたけれど、今度はこの後家入が来るということに緊張する。今まで何度も押しかけてきたというのに。


「冷蔵庫の中、何がありますか?」


 そんな俺の気持ちはつゆ知らずといったばかりに家入が訊ねてきた。

 その言葉に俺は冷蔵庫の中身を思い浮かべようとしたけれど、すぐに止めた。ここ二、三日は自炊をしていないのに気付いたからだ。


「その顔は、最近自炊してなくて冷蔵庫の中身がわからないって顔ですね?」

「エスパーか。卵くらいはあるぞ、……多分」

「卵だけあってもしょうがないじゃないですか。仕方ないですね、食材は買っていきますね」

「……頼む」

「頼まれましたっ」


 家入の元気の良い返事とともに、この場は一度別れた。そしてその晩、家入が俺の部屋を訪れた。食材の入ったマイバッグとともに。


「それじゃあお邪魔しますね」

「手洗い──」「わかってますよ」


 家入が手洗いうがいをしている間、俺は家入が買ってきた食材を冷蔵庫に入れていく。豚肉、ジャガイモ、ニンジン……なるほどこれは──。


「カレーだな?」

「いえ、肉じゃがですよ」

「えっ、いや肉じゃがなら牛肉だろ?」

「ダメですよ先輩、そうやって常識に捕らわれるのは。鶏肉のしょうが焼き、牛肉のカツ、料理は基本をおさえていればアレンジは自由ですよ」

「……まあ、言いたいことは解る」

「それに、牛肉の方が高いじゃないですか。多少は節約しなきゃですよ」


 だったら肉じゃがじゃなくても、とは思ったけれども、肉じゃがなんてしばらく食べてないので、それが例え豚肉だろうと悪くはない気もしてきた。


「でも何でそこまでして肉じゃがなんだ?」

「だって先輩、絶対自分で作らなそうじゃないですか」

「違いない」

「でもそうですね……。先輩、他に食べたいものありますか?」

「急に言われてもパッと浮かばないな。でもどうしたんだ急に」

「単に作ってあげよう思っただけですよ」


 思いのほか殊勝な答えに少し驚きつつ、ただ一方的に作ってもらうのもどうかという気にもなる。


「そっちこそ、何かないのか?」

「作ってくれるんですか? じゃあ……」


 家入は考えるようにしばらく首をかしげた後、閃いたように答えた。


「ローストビーフですかね」

「もっと無難なもので頼む」

「えー、美味しいじゃないですかローストビーフ。あ、ローストビーフ丼にしましょうよ」


 ついさっき牛肉は高いと言ったのは誰なのか。俺が作るとという話になった途端、ここぞとばかりにローストビーフを選ぶ狡猾さ。良くも悪くもいつもの家入だ。


「てか、ローストビーフなんて簡単に作れる物じゃないだろ?」

「そうでもないですよ。フライパンで少し焼いて、あとは余熱で火入れすれば出来るらしいですよ」

「マジか。ベーコンみたいなものかと思ってたわ」

「というわけで、お願いしますね」


 簡単に作れないからと断ろうとしたのに、結局言いくるめられてしまった。どうやらローストビーフ作りは確定のようだ。

 しょうがない、ここは腹をくくろう。諦めて俺はスマホでローストビーフの作り方を調べ始めた。


「まあでも、まずは目先の肉じゃがですね。頑張りますよー」


 対する家入はというと、いつになく張り切った様子で料理を始めるのであった。

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