「何あんた、マジで言ってる?」

 あれは高校二年の春のことだ。進級して自分たちも久しぶりに先輩というポジションになる。そんな気持ちで浮ついていた。

 俺たちの通っていた高校は陸上の強豪校だった。県大会の上位入賞者を多く輩出し、全国でも爪痕を残す年だってある。だから入部を希望するような連中は、中学時代にそれなりの成績を残しているのが殆どだ。結果が人を集め、集まった人が結果を残す。そうやって年々強さを増していた。


家入大夢いえいりたいむです。よろしくお願いします」


 新入部員の家入もまた、そんな一人だった。中学でも陸上をやっていて、その名前を知っているやつも新入生、在校生問わずいた。

 一方の俺はというと、そんなに成績が良い方ではなかった。それでも部活参加が絶対だったこともあって、とりあえずで入部して、そのままズルズルと続けている形。

 だからだろう。俺が跳んだ姿を見て、家入はこう言い放ったんだ。


「先輩のくせに大したことないんですね」


 彼女の言うとおり、俺は大したことはない。そんなことは自分がよく知っている。

 けど、後輩に面と向かってこう言われると、やっぱり腹が立った。


「だったらお前の大した記録ってのを見せてみろよ」

「ふふん、良いですよ。びっくりして腰を抜かさないでくださいよ」


 そう豪語した家入。それは決して口だけではい事を俺はすぐに知った。たぶん一年の誰よりも、もしかすると二年よりも高く跳べるんじゃないかと思った。

 彼女が言う『大したことない』という言葉は、もしかしたら俺だけじゃなくて、ここにいる全員に言ってたのかもしれない。


「どうですか?」


 俺の元に戻ってきた家入は、自慢げに胸を張って言った。やっぱり憎らしい。だから俺は大人げない答えをした。


「去年卒業した先輩の方が凄かったな」

「ななっ……。流石に比べる相手が違いすぎませんか? 私、まだ一年ですよ?」

「二年の俺に噛みついてる時点で、一年とか二年とか関係なってるだろ。それに先輩は単に高く跳ぶだけじゃ無い、そのフォルムが綺麗だったんだ」

「むむ、綺麗に、ですか?」

「ああ。お前の場合、失敗するときは足が当たるんじゃないか? 上半身は余裕で超えてるのに、足が少し下がり気味で危うくバーに当たりそうだったな」

「ちょっと、私の体のこと見すぎじゃないですか?」


 そう言って彼女は両腕をクロスさせて身体を隠すような仕草を見せ、俺に怪訝けげんそうな目を向けた。こっちは真剣に話してるというのに。


「おい、人がせっかく教えてるのに、なんだよその反応。ヤバいだろ」

「何がヤバいんですか?」

「えっ……とにかく、ヤバい」

「何ですかそれ、そっちこそ語彙力なさ過ぎてヤバいですよ」


 彼女はそう言って笑った。同じ事を前にも言われ、やはり同じように笑われた事がある。だからそれ以来、この言葉を使わないようにしていたんだけど、油断するとこうして時折口から漏れ出てしまう。

 けれども、こんなしょうもない出来事が家入との間にあった妙な緊張をほぐしたと、今になって思う。以来家入が俺に突っかかってくることは無かった。その代わりというか、依然何かと俺に声をかけてくるままだけれども。

 夏が近づく頃にはそんな状況にも慣れてきて、部活のことだけじゃなく雑談なんかを交わすことも増え、他の後輩に比べたら友達付き合いに近いような間柄になっていた。そんな折に家入は俺にこんなことを訊ねてきた。


「先輩、頭良いってホントですか?」


 もちろん俺は頭が良いだなんてつゆほども思ってない。他人からの評価は判らないけど、俺よりも成績が上のやつが何人もいるんだから、これくらいで鼻高々になる気もなかった。


「普通だ普通。誰に聞いたんだよ」

「顧問の先生ですよ。学年でもかなり上の方って聞きましたよ」


 上の方。便利な言葉だと思う。例えば真ん中よりちょっとでも上なら、上か下かの二択では上の方になるんだから。といっても、実際の所はそれよりはさらに上なんだけど。


「……何でそんな話になったんだ?」

「それがヤバいんですよ。今度のテストで赤点取ったら部活に参加できなくて、大会にも出れないんですよ」


 赤点で部活に出れないなんて話は聞き覚えがあった。部活目的の推薦入学組に多いらしくて、実際に補習で部活に来れない先輩を見たこともあった。


「けど赤点とかよっぽどのことがないと取らないだろ」


 そう訊ねると途端に家入が目線を逸らした。どうやらよっぽどらしい。


「中間テストはどうだったんだ?」


 その質問に家入は右手の指を3本立てて前に突き出した。これが3位という意味なら何の心配もない。これは30点ってことか? それか全科目の合計が300点?

 そう考えていたところ、恐る恐るといった感じで家入が答えてきた。


「す、数学が3点でした……」

「ヤバすぎだろお前それ」

「なので数学教えてください!」


 拝むように両手を合わせ、頭を下げる家入。彼女がここまでして頼みごとをしてくるのは初めてで、多分彼女にとってそれだけ大事なことだったんだと思う。


「いやでも、俺じゃなくてもいいだろ」

「だって先輩教えるのが上手いじゃないですか。最近調子良いのも、先輩の指導のおかげなんですよ?」

「そりゃどーも」


 なんだかんだあれ以来、家入にあれこれ指導するようになっていた。もしかすると、自分の練習より家入を見ている事の方が多かったかもしれない。

 正直、自分が伸び悩んでいただけに、彼女を伸ばしていく方が充実感もあった。

 彼女が部活に来れないとなると俺もやることがなくなるので、ここは一肌脱ぐことに決めた。


 ◇ ◇ ◇


「ちょちょ、ちょーっと待ちなさいよ」


 二十六木とどろき先輩は俺の話を止める。まだ話は終わってないのにせっかちな人だ。


「思ってたより即落ちじゃない、あんた達」

「即落ち? どういう事すか?」

「何あんた、マジで言ってる?」

「マジも何も、よく解んないんすけど」


 俺の答えに先輩は頭を抱えながら天井を仰いだ。そしてややあって、「まあいいわ、続けなさい」と言う。

 先輩が何を言いたかったのかよく解らないまま、俺はさっきの話の続きを先輩に語り始める。

 そんな昔話が暫く続いて行く中、徐々に眠気が襲いかかってきた。最初の頃はなんとか耐えたけれども、いつの間にか俺の意識は途絶えてしまった。

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