「先輩は何を履修するんですか?」
連日のように俺の部屋に来ていた
けれど隣の部屋に住んでいるのだから、その存在はなんとなく感じ取れていた。だからまあ、少なくとも生きてはいることは確かだ。
そんなふうにすれ違っていた俺たちだったが、この日俺が出かけようとしたところ玄関先で偶然にも家入と鉢合わせた。
「先輩、おはようございます」
特に変わった様子も無く、いつも通りの家入のようだった。しかしその装いは全くの別人。俺にとっては違和感しか無かった。それもそのはず、彼女が身に纏っていたのがスーツだったからだ。
「どうしたんですか先輩、スーツなんて着て」
「いやいや、そっくりそのままの質問を返してやるよ」
なんて言ってみたけど、多分俺の事情を知るよしもないだろう。
今日は入学式だ。だから家入がスーツを着ている理由もそれだろう。じゃあ二年の俺が何故こんな格好をしているのかというと、去年は入学式が無くて一年越しでの入学式になったからだ。
というわけで、一年前に買ってから全く袖を通していないこのスーツを、今日ようやく着ることができたってわけだ。
そんな説明をしながら二人並んで歩き出す。お互い向かう先は駅のようだ。
「そういや聞いてなかったけど、家入はどこの大学なんだ?」
「あれ、言いませんでしたっけ?」
そう言われると、もしかしたら何か言ってたかもしれない。必死に記憶を辿ってみたけど、やっぱり思い出せなかった。
「先輩と同じ大学ですよ」
「……は?」
いやいやいや。やっぱ初耳だわこれ。そんな話聞いて忘れる方がどうかしてるだろ。絶対言ってないわこいつ。むしろ隠してたまであるだろ。
まあでも高校よりも広い大学で、同じ学校だからって学年や学部が違えばそれほど会う機会も多くないだろう。
「ちなみに学部は?」
「経営学部です」
「同じじゃねーか!」
「え、ホントですか!? ヤバいですね!」
そこまでわざとらしさを感じない物言いから、もしかすると学部までは知らなかったのか。
やがてニヤニヤとこちらの顔を伺ってくる家入。
「それにしても、これから一緒に入学式なんて、なんか同級生になったみたいですね」
「別に
留年することよりも、こいつと同級生であることが、なんだか嫌な感じであった。
◇ ◇ ◇
なんだかんだ帰りも家入と一緒になり、そのまま彼女は自分の部屋に一瞥もくれず、俺の部屋へ入ってきた。
二人で並んで手を洗い、うがいをする。
「それで先輩は何を履修するんですか?」
履修登録。これからの大学生活を大きく左右する重大なイベントだ。
右も左も分からない一年からすれば、先輩からの情報ってのは喉から手が出るほど貴重なもの。家入からすれば、学部も同じで見知った俺の存在は大きいだろう。
「去年か? 去年は──」
「今年ですよ、今年。去年の聞いてどうするんですか」
「どうするって、自分の履修科目の参考にするだろ」
「だったら一緒の選んだ方がいいじゃないですか」
まるで友達と同じ科目を履修しようみたいなノリで家入は言う。
「いやいや、だから留年してないから、俺二年だからな?」
「でも、好きに履修科目を選べますよね?」
「まあそうだけど、結構履修年次が決まってたりするからな。まず最初は基礎からってことだ」
「そうですか……。じゃあ先輩が去年単位落とした科目教えてください」
「な、何で俺が単位落としてる前提なんだよ」
なんて強がって言ってはみたけど、実際の所は落とした科目はある。それは政治学。試験問題が他に比べて群を抜く難しさで、前期は単位を落としてしまった。
それが悔しくて後期はなんとか頑張って単位を取ったけども、後期単位しかないことが気持ち悪くて今年再履修しようかと考えてたところだ。
「その反応、落とした科目があるんですね?」
「止めとけ止めとけ。いいか? 俺が単位を落とすくらいだからな? つまりお前も落とすってことだ」
「先輩、私のこと馬鹿にしてませんか?」
「いやだってお前……」
日頃からなにかと『ヤバい』としか言わない語彙力ゼロのバカ。誰がどう見てもそう思うだろう。
そうでなくても、実際に家入の成績は良くなかったはずだ。
「普通にヤバいだろ」
「やっぱり馬鹿にしてるじゃないですか!」
家入がそう叫ぶとともに消しゴムが飛んできた。俺に当たりはしたが、そこまで痛くもなかった。
「とりあえず履修モデルってのが載ってるから、その通り履修しとけば間違いないぞ」
「むう、仕方ないですね」
渋々といった具合に家入は履修モデルやシラバスに目を通し始めた。
一人で黙々と履修登録に勤しむ家入を見て思う。これくらい自分の部屋でやれよと。
そんんわけで完全に手持ち無沙汰となり、何をしようかなと考え始めた矢先、家入が声をかけてきた。
「このモデルの通りだと空き時間出来ませんか?」
「あー、去年もあったな。穴を埋めできる科目があればいいけど、無いなら諦めろ」
「そうですか……。ところでこの、ミクロ経済学とマクロ経済学って何が違うんですか?」
「それはな……」
ミクロは小さいってことで、マクロは確かその逆で巨大って意味だったはず。で、それに対する経済ってわけだから……どういうことだ?
「なんだろな」
「ふふーん、つまり先輩は情報システム系ですね?」
「なっ……」
「どうやら図星のようですね。ということは今年ミクロ経済学を履修してる可能性が高いですね」
家入の推理は正しい。ミクロ経済学とマクロ経済学は一年次科目だけども、別に必修じゃなくて履修しないモデルもあったから俺は履修してなかった。
そしたらそれが今年、いい感じの時間にすっぽりと当てはまった。となれば履修しない手はないだろう。
「となるとこの辺りのモデルを参考に……あ、でも先輩と違うモデルにすると、勉強教えて貰えそうにないですね」
「おい、何で俺が教える前提なんだよ」
「え。だって高校時代も教えてくれたじゃないですか」
「あれは赤点取ったら部活出れないとか言うから仕方なくだ……って、やっぱお前成績悪かったじゃねえか! よく入学できたな」
「いいですか先輩。人間、目標に向かって努力すればなんとかなるんですよ。あの時も結局は赤点取らなかったじゃないですか」
「はいはい。ってことは何か目標あるってことか。だったら何を選べば良いか、大体決まってるだろ」
「それは……そうかもしれないですけど」
俺の物言いが気に入らなかったのだろうか。家入は不満げな表情を見せつつも、再び履修登録用の資料に目を通すのであった。
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