「先輩、これは何ですか?」


 酷い目に遭った。

 駆けつけ三杯と言わんばかりに一発芸を要求され、なんとか思いつきでネタを披露したらつまらんだのなんだのとヤジを飛ばしてくる。こういうのもパワハラって言うんだろう。まあ未成年の俺に酒を勧めてこない分、まだ良心的な方だとは思うけど。

 そんな事はありつつもつつがなく花見は終わり、二次会という流れになった。少し考えたけれど、やっぱり俺は辞退することにした。


「何、どうしたの?」

「そもそも俺、飲めないすから」

「でもいつもなら来てくれるじゃない」


 確かにその通りなんだけど、大半は無理矢理連れて行かれたってのが正解だ。

 今目の前で俺を二次会に誘っている彼女がさっき俺を電話で呼び出した張本人、二十六木とどろき有希ゆうき先輩だ。二十六木先輩は大学の先輩なんだけど、他の先輩とは違って高校も同じで、当時からの付き合いだ。

 別に意図して同じ大学を選んだわけじゃない。先輩がどこに進学したかなんていちいち覚えてなかっただけだ。

 だから入学してから先輩に大学を聞かれ、同じ大学だと言われたときには驚いたし、以来こうして時折連れ回されているというわけだ。


「もしかしてもしかして、これが、こう?」


 そう言いながら小指を立てたあと、両手の人差し指を立てて頭の両脇に添えた。何を意味してるかは解らない。


「なんすかそれ」

「彼女でもできたのかってこと」

「なわけないすよ」


 そう答えて少し陰鬱になる。彼女が欲しいとはいわないけれど、そうそう簡単にできるわけもない。そんな人生に辟易しそうになる。


「なーんだ。まあ彼女出来たらすぐに教えなさい」

「……善処しまーす」


 出来たら出来たでこの先輩に何言われるかわかったもんじゃない。ため息が出そうになって、しかし嫌みっぽいなと思い、ふうと息をついた。

 こうして冷静になったことで本題を思い出す。俺は帰らなきゃいけないんだと。


「まあとにかく、急いで出てきたからやり残したこともあるんすよ」

「ふーん。あたしが手伝おうか?」

「いや、遠慮しときますよ。先輩こそ二次会行かなきゃすよ」

「えー。まあ、そうね。わかった、また今度あなたの部屋で飲みましょ」

「はいはい。でもせめて酒飲むなら俺が二十歳になってからにして欲しいす」

「来月でしょ? すぐよ、すぐすぐ」


 こうして先輩から解放された俺は一人で帰路についた。

 これから二次会と言っても、花見は昼からやってたわけだからまだ外は明るい。夕食にはまだ早いので、一度部屋へ帰ることにした。


「おかえりなさい先輩」


 誰も居ないはずの部屋のドアを開けると、そこには家入の姿があった。まだ帰ってなかったらしい。

 部屋に入ってドアを閉める。見慣れた自分の部屋のはずなのにとても新鮮に感じた。帰ってきて誰かに迎えられたのは久しぶりだったからだろう。


「思ったより早かったですね。ご飯にしますか? お風呂にしますか? それとも、私ですか?」

「何でまだいんの?」

「もしかしたら先輩がお腹を空かせて帰ってくるかもと思いまして」


 何だか違和感を覚えて部屋を見回すと、掃除されていることに気が付いた。ありがたい事なんだけど……まあ見られて困るものは無い、はず。


「ちなみに、まだご飯もお風呂も出来てないですね。つまり今選べるのは私だけです、ヤバいですね!」

「え、何? お前選んだら何が起こるわけ?」


 この手のシチュエーションは、大抵がなんてことなかったりする。割とガチで迫ってくるようなのはヤバいくらいベタ惚れしてくるキャラくらいだ。ソースは漫画。

 さてこの場はどんなオチが待っているのか。家入のギャグセンスに期待を寄せてみたけれど、その答は予想の遙か遠くにあった。


「先輩がどうしても、と言うのならば、考えなくもないですかね」


 どうしても、とは?

 家入が俺に何を求めているか見当も付かないけらど、少なくともただならぬ雰囲気であることは確かだ。


「なにが言いた──」「先輩、これは何ですか?」


 家入が差し出してきた手には緑色の箱があった。何の箱だ?

 お菓子にしてはシンプルで、アクセサリにしてはビビッドで、いっさい馴染みがないその箱を、俺は手に取って裏面を確認してみた。

 ……あ、コンドームかこれ。……うん?


「え、何お前、どどど、どういうこと?」


 俺の思考が爆発して、途端に挙動不審になってしまう。

 何故家入がこんなものを持っているのか。話の流れからして、私ってそういう? え、何そんなヤバいベタ惚れキャラだったっけ? おいおい、急展開すぎるだろ。

 いやしかし、こうなった以上俺も覚悟を決め──。


「ベッドの下から出てきたんですけど」

「……は?」


 どうやら元々この部屋にあったものらしい。

 ホッとしたような、残念なような、複雑な気持ちを抱えつつ、やはり見覚えのないこの箱の存在について考えてみた。

 ……が、それは意味のない行為だった。


「とにかく身に覚えがなさ過ぎる。今初めて見たんだけど」

「じゃあ先輩が用意したわけじゃないんですか?」

「ないない。そんなの使わないから」

「いや、ちゃんと使ってくださいよ。流石に先輩、それはヤバいですよ」

「そう言う意味じゃねぇよ!」


 とにかく、俺の物でもなければ、当然家入でもない。じゃあこれは一体誰の物だ? ベッドの下なんて長らく見てないけど、ここで暮らし始めて今日までの一年間、この部屋に来た人間なんてのはたかが知れている。


「ま、大方どっかのバカが置いてったんじゃないか?」

「いやいや、だって先輩の部屋に持ってくる必要ないですよね?」

「それもそうだけど、悪戯でこう言うことをしそうな人には心当たりがある」

「そ、そうですか」


 多少ヒートアップしていた家入だが、徐々に冷静になってきたのか静かになった。

 変な空気に包まれる。気まずい感じ。

 この状況で、何を言って良いのか。


『ご飯にしますか? お風呂にしますか? それとも、私ですか?』

『今選べるのは私だけです、ヤバいですね!』

『先輩がどうしても、と言うのならば、考えなくもないですかね』


 言葉を探す中で、さっきまでの家入の言葉を無意識に反芻する。

 もしも、だ。これが俺の物だったとして、家入は一体どうしたというのだろう。よしんば……いや、いやいやいや。違う違う、そうじゃない。落ち着け、そうじゃないだろ。

 よこしまな考えを振り払う。

 すると俺の手元にあった箱が家入が奪いように取り上げた。


「こ、これは私が預かっておきます」

「なんでそうなる」

「この部屋にあるのは、なんかヤバいですからね」

「お、おう」


 家入はそれを持って部屋の奥へと向かった。そしてマイバッグの中にしまい込んだのが遠目に見えた。

 視界から消えたことで、とりあえず無かったことになった……かもしれない。そうだ、そんな物は無かった。

 家入もキッチンに戻って料理を始めた。この日の夕食はカレーだった。しかし終始ぎこちない空気が流れ、結局カレーを食べたあとに家入は自分の部屋へと戻ってしまった。

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