第15話
○○学院が甲子園出場を果たした夏、俺はまたしても西本家に誘われ、早紀さんが所有する軽井沢の別荘で、5日ほど過ごした。
学院の野球部が甲子園に出ている間は暇なので、その間に西本の家庭教師を纏めてこなす。
この地は、主に別荘がある側と地元住民が暮らす側では物価が違った。
別荘側では大体相場の2倍から3倍。
喫茶店で珈琲とパスタを注文すると、3000円くらい取られる。
なので、外出は専ら散歩だけにして、食事やお茶の類は全て別荘で頂いた。
部屋数の多い大きな別荘なので、寝る時も個室を使えたし。
1日8時間くらいは家庭教師をしていたので、英語と数学と理科は中学の範囲を終了し、随分と余裕ができた。
冬にはやはり温泉に誘われたが、野球部の練習に参加するためお断りし、初詣のみ、西本と2人だけで地元の神社にお参りに行った。
迎えた高校受験では、俺は○○学院から願書だけ出してくれれば良いと言われていたので、実際の試験は○高だけ受け、今はその結果を西本と2人で見に来ている。
その直前に見に行った、彼女の受験校である○女高では、当然西本は合格していた。
何せ、家庭教師の英語はもう、大学受験の内容をやっているのだ。
語学というものは、単語と熟語などの慣用句を頑張って覚えさえすれば、あとはどんどん先にいける。
会話なら耳だけでも習得が可能だが、文章英語で単語の意味や発音が分らなければ、その問題は勘以外では絶対に解けない。
乳幼児からその言語を話しているネイティブ達に、其々の国の学校で、国語の授業が存在するのはそのためである。
「おめでとう」
掲示板で俺の番号を見つけた西本が、そう言ってくれる。
受かって当たり前なので、口調も極普通だ。
「ありがとう」
「私達、もう高校生になるんだね。
何かあっという間だったね」
「君と知り合ってから、もう8年目か。
・・本当にあっという間だ」
「私、高校では部活に入らないことにした」
「何で?」
「ソフト部がないから。
それに、もっと頑張って勉強して、あなたと同じ大学に通いたいの」
帰りのバス停に向かいながら話を続ける。
「勉強以外に、何もしないのか?」
「あなたのお陰で英語と国語が凄く伸びてるから、お母さんが、他の外国語も学んでみたらって。
どうせ大学でやることになるらしいから」
「ああ、第2外国語ね」
「それにね、あなたさえ良ければ、大学時代に2人で海外留学させてくれるって」
「2人だけでか?」
「うん。
同じお部屋に、一緒に住みなさいだって」
「・・・。
君、それで良いの?」
「どうして?
別に構わないよ?
ただ、あなたは甲子園に出て、プロになるかもしれないのよね?」
「たとえ球団から指名がきても、僕は君と一緒に大学に通いたい」
「甲子園で活躍すれば、女の子に凄く持てるみたいよ?
プロになったら、更に持てるんだよ?」
「それは極一部の人だろうし、プロで持てるには、高年俸が必要だから」
「興味ないの?」
「収入は自分の家族にも係わる事だから、多いに越した事は無いけど、女子に持てる
『俺はたった1人だけが振り向いてくれれば、それで良いんだ』
「ふーん」
西本が俺をじっと見つめる。
「・・何?」
「別に。
・・それからね、あなたにはもう言っておくけど、私が大学生になったら、うちの家族、東京に戻るから。
おじいちゃんも早く戻って来いって五月蠅いし、私が大人になってその手から離れれば、両親もその方が便利だから」
「あの家はどうするの?」
「さあ?
お母さんとしては、無理に売らなくても良いみたいよ?
田舎だから、固定資産税も大した事ないって言ってた」
「じゃあどの道君は、大学から向こうに行くのか」
「あなたと一緒にね」
ちょうどそこでバスが来た。
『・・おかしいなー。
どうして言ってくれないのかな。
今回はかなり攻めたつもりなんだけど。
女の子としては、ううん、私としては、やはり告白は向こうからして欲しいな。
・・もしかして、プロポーズと一緒にするつもりなんだろうか。
でもそれだと何か、1回分損した気になるから、できれば先に『好きだ』と言って欲しいな。
私の気持ちが伝わっていない訳じゃないよね?
絶対に断らないから、早く言って欲しいな。
そうしないと、思い切って先に進めない』
バスの車窓から外を眺めながら、私はそんな事を考えていた。
「○✕中から来ました、久住透です。
宜しくお願いします」
○○学院の特進クラスで、俺はクラスメイト達に自己紹介する。
1クラス、たったの4人しかいない。
男子は俺だけだ。
その制服は、このクラスの為だけに、理事長が有名デザイナーに依頼して作らせた特注品。
明らかに他のクラスの生徒達とは違う、服装だけ見れば、学院の生徒だとは分らない
やり直し以前に読んだ、とあるラノベのように、エンブレムだけでなく、生地やデザイン全てが異なる。
階級意識を持たせ、本人達のやる気を維持させる目的だろうが、
周囲の生徒達が見慣れるまで、暫くは大人しくしている方が賢明かもしれない。
尤も、入学式の挨拶の中で、理事長がこのクラスに言及し、わざわざ他の生徒達に釘を刺したくらいだから、俺達にちょっかいをかけてくる奴はいないだろうが。
「ねえ、何であなた、ここに来たの?」
休み時間になって直ぐ、俺の前に座る(3mくらい間があるが)女子が、こちらに来てそう話しかけてくる。
県でトップの成績で、○高を蹴って入った俺は、新入生代表で挨拶したこともあり、既にこの学校の有名人だ。
「ん?
どうしても甲子園に出たいんだ。
だから・・」
確か『斎藤ゆかり』さんだったよな。
長身の、鋭さを感じさせる、中々の美人さんだ。
「え?
あなた部活に入るの!?」
かなり驚いている。
このクラスに居られる条件が条件だけに、まあ分らなくもないが。
この制服も着られなくなり、奨学金などの特典も
「ああ。
最初からそれ目当てでここに来たから」
「県1位の実力は、伊達ではないって事なのね。
・・時々、問題の解き方を聴いても良い?」
「勿論」
「私の事情を聴かないのね」
「言いたくない事もあるだろうし・・」
「フフッ、気を使ってくれてありがとう。
別に大した理由じゃないの。
奨学金が欲しかったから。
それを貯めて、大学で音楽をやりたいのよ」
「芸大志望なの?」
「ううん、単に歌手、シンガーソングライターになりたいだけ。
今年からボイストレーニングにも通いたいから、お金が要るの」
「素敵な目標だね。
応援するよ。
僕も音楽は大好きだから。
尤も、専ら聴き専門だけどね」
「ありがとう。
ガリ勉ばかりしかいないんじゃないかと心配したけど、少し安心した」
チャイムが鳴ったので、彼女が席に戻って行く。
実は、俺には最近ずっと考えている事があった。
もしかしたら、彼女にそれを手伝って貰えるかもしれない。
そんな事を考えながら、俺も授業の準備を始めた。
「よく来てくれたな。
これでやっとお前も正式な部員の1人だ。
去年は惜しくも(甲子園の)3回戦止まりだったが、今年はそれ以上を狙うぞ」
入部した野球部で、監督から嬉しそうにそう声をかけられる。
「はい、精一杯頑張ります。
宜しくお願いします」
先輩方にも頭を下げると、皆もうお馴染みさんなので、気安く迎え入れてくれる。
○高に合格しながら、そこを蹴ってここに来たという事が、学力にコンプレックスを持つ彼らには、大いにプラスに働いたようである。
ただ、同じ新入生部員達からは、少し変な眼で見られる。
俺は中学時代、野球においては全くの無名だったのだから、至極当然である。
事前に監督と話し合っていた通り、俺は通常はファーストを守りながら、日々ピッチングの練習をして、ここぞという時のリリーフを目指すことにする。
1年時はまだ補欠だとばかり思っていたが、日々の成果次第では、直ぐにレギュラーにしてくれるそうだ。
『お前のバッティングは、無駄に遊ばせておくには惜しい』、そう言われた。
高校生になって初めての、家庭教師の時間。
日曜の午後、部活の練習後に一旦帰宅してシャワーを浴びてからお邪魔し、英語の教材を広げながら、西本に説明していく。
「何でここに進行形が入るの?」
「前置詞は、後ろに目的語を取るんだ。
ここで質問。
目的語になれる品詞は何だっけ?」
「名詞」
「なら、カッコ内の動詞を名詞の形にしなくてはならないから・・」
「ああ、成程」
「では更に聴くよ?
『look forward to』という熟語のtoは何詞?」
「前置詞」
「その理由は?」
「次に動詞の原形ではなく、進行形がくるから」
「正解」
「あなたの説明、分り易くて好き」
「ありがとう。
では
何でこの文章は誤りなの?」
俺は文法の正誤問題の1つを指して、彼女に尋ねる。
「yesterdayの単語があるから」
「その通り。
現在完了形のこの文で、これは一緒に使えない」
「理由をもう一度教えてくれる?」
「現在完了という表現は、過去から現在までの時の流れが継続しているものだから、現在と切り離された過去や、過去の1時点だけを表す単語と共に、基本的には使わないんだ。
線を表すはずの表現が、そこで途切れてしまうからね」
「じゃあもう1つ教えて?
『ずっと~している』という表現の時、have+過去分詞と、have been+進行形の2つがあるのはどうして?」
「状態動詞と動作動詞の違いで使い分けてる。
尤も、長期間に亘って習慣的に繰り返される行為は状態と言えなくもないので、あまり区別しないで使う人もいるね」
「フムフム、納得しました。
なので少し休憩しましょう」
「話の流れがおかしくない?」
「良いでしょ、もう1時間以上はやったし。
美味しい
「了解」
「そっちの学校はどう?
楽しい?」
切り分けた羊羹の小皿とお茶を渡してくれながら、西本がそう尋ねてくる。
「お、『夜の梅』だね。
僕、羊羹ではこれが特に好きなんだ」
「何でこれだけで分るの?
包装紙もないのに。
・・あなたのせいで、うちのお母さん、珍しくて美味しいお菓子を探し回ってるわよ?」
「これはメジャーだよ」
「普通の高校生が、羊羹の切れ端を見ただけで分る程にメジャーなの?」
「メジャーだよ」
「・・・。
まあ良いわ。
それより、さっきの質問に答えて」
「楽しいよ。
うちのクラスは全部で4人だけど、嫌な人はいないし、今の所、数学以外は自習が多いから好きに勉強できる。
部活の方も、本格的に参加できるしさ」
「女の子も居るからね」
西本が、ぶっきらぼうにそう言ってくる。
「え?
共学だから、それは居るさ。
当たり前だろ」
「かわいい子、沢山居るの?」
「さあ、どうだろう。
まだそれ程よく知らないし」
「知りたいんだ?」
「別に」
「朝の電車内でも、女子達があなたをチラチラ見てるよね」
「あの制服が珍しいだけだろ。
それに、君だって男子達から物凄く見られてるよ」
「・・・」
「・・・」
お互いの視線が交差する。
「これからあなたを『透』って呼び捨てにしても良い?
私達幼馴染なんだから、それくらい構わないでしょ?」
「勿論。
ただ僕の方は、相変わらず君を名字で呼ぶけど」
「どうして?」
「だって君のご両親に対して失礼に思えるから。
名前で呼ぶなら、せめて『さん』付けにしないと。
・・でも、今になって何で突然そんな事を言い出すのさ?」
「・・・・・(小声)」
「御免、よく聞こえない」
「あなたと1番親しい女の子は私だって、周囲に教えるためよ!」
何でか知らないが、少し怒っていらっしゃる。
もしかして、今日はあの日だから機嫌が悪い?
「ち・が・う・わ・よ」
考えが顔に出ていたのか、更に凄まれて、羊羹の残りを没収されてしまった。
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