第14話
ビュン、ビュン、ザッ、ビュン。
昼間に○○学院で受けさせて貰った変化球の道筋を脳内でトレースし、それ目掛けて、夜の自宅付近でバットを振る。
監督のご厚意で、プロテクターをお借りしてエースの球を捕球させていただけることで、大分目が変化球に慣れてきた。
今のエースの
球速も130km台前半で、ストレートなら140kmを超える。
監督も、今年は甲子園を優に狙えると仰っていたし、非常に良い練習になる。
僅か15分だが、練習後は感謝で球磨きとトンボ(グラウンド整備)に力が入る。
投げ込みだけは、夜の中学のグラウンドに侵入し、マウンドを拝借して、壁に向かって6、70球ほど軟式で行う。
元々がいい加減な整備だし、多少使ったところで野球部にはバレない。
朝は時々、大会前の橘や佐藤の練習を見てやる。
うちの学校に真面目に朝練する者など他にいないので、3人だけで30分くらい練習する。
尤も、俺は授業前に汗をかきたくないので、指導するだけだ。
中学生活もあと8か月を切り、甲子園の地区予選も既に始まっている。
そんな中で、俺は先日○○学院の事務室を訪問し、特待生制度があるかどうかを尋ねた。
勿論、野球でではなく、純粋に学力でだ。
担当の方は、俺の中学名と名前を聴き、別室に俺を案内して、そこで暫く待つように言った。
俺は
「きちんと礼儀を
親御さんの教育が良いのだろう。
・・掛けたまえ」
「ありがとうございます」
そう言った人物、如何にも偉そうだが、彼の顔には見覚えがある。
確かこの学院の理事長で、○○という学校法人全体の経営者でもある。
更に、この地を基盤とする国会議員でもあるから、選挙の際のポスターなどで見知っていた。
「忙しいから手短に話そう。
君は来年、この学院の特待生になりたいのだね?
高校はここしか受けないのかい?」
「いえ、○高も受けますが、そこを蹴ってこの学院に入学します。
どうしても甲子園に出たいので・・」
「・・○高は、この県トップの進学校だ。
その自信は何処から来るのだね?」
「こちらです」
俺は、あくまで参考にと持参した、英検1級の合格証と、前回県で1位だった、模試の成績表をお見せする。
「・・やはり君か。
担当者から中学名と名前を聴いて、もしやと思って足を運んだが、その甲斐があった。
この模試の20年近い歴史の中で、全科目満点を取った者は、過去にたったの1人しかいない。
君がうちに来てくれるなら喜んで迎え入れるが、その前に少し大事な話があるから聴いてくれ」
「はい」
「これはまだ構想段階だったんだが、うちに特進クラスというのを設けようと思っていてね。
知っての通り、うちは野球を初め、スポーツでは名門だが、如何せん学力が低過ぎる。
そのせいで、県内の保護者や生徒達の評価が今一つ奮わない。
そこで、あらゆる費用の免除と共に、月々の奨学金まで給付して、県内から優秀な生徒を若干名募集し、特別なクラスを新設しようと考えていた。
名だたる一流国立や名門私立にどんどん合格し、我が学院の名をより高めてくれる存在を欲していたのだ。
もし君が、来年必ずうちに入学すると確約してくれるなら、君の為に来年度から特進クラスを創設する。
・・来てくれるのだね?」
偽りを許さないという、鋭い視線を向けられる。
「はい、必ずこちらにお世話になります。
どうか宜しくお願い致します」
座ったままだが、そう述べて深く頭を下げる。
「了解した。
わざわざ出向いた甲斐がある。
非常に有意義な時間だった」
理事長は、そう告げると満足げに微笑んで部屋を出て行った。
後に残ったもう1人の人物と、今後の事務的な話をし、俺も校舎を後にする。
学費等は一切無料で制服まで与えられ、おまけに月々3万円の奨学金まで給付される。
その条件は、年間の指定模試における全国偏差値が、総合で65(今の時代の偏差値なら70くらい)を下回らないこと。
やり直し前の俺でも、最後は72あったから、これは余裕である。
ただ、急な創設なので、1クラスしか作らない特進と
質重視なので、定員(20人)割れしても一向に構わないそうだ。
とにかく、これで親に対して、甘えさせて貰う月々の定期代以上の負担額をなくすことに成功した。
その後、野球部の練習に参加してから自分の町へと帰って来た俺は、途中で寄り道をして、自転車に乗ったまま、西本の家の窓を見上げる。
今頃何をしているであろうか?
最近は忙しくて、日曜の家庭教師の時間くらいしか会えない。
中学で離れ、高校でも別になり、大学は一緒に通うことすらできない。
分ってはいた事だが、やはり辛いな。
暫く彼女の部屋の窓を眺めて、未練を断ち切るようにペダルを漕ぐ。
ぼんやりと輝く月の光が、俺を慰めるように照らしていた。
「国語の評論問題で、大事な箇所は何処だっけ?」
「最初と最後の段落」
「うん、そうだね。
そこには作者の言いたい事が
「接続詞で特に大事なのは?」
「逆接の接続詞」
「何で?」
「その下には、作者自身の意見や見解が書かれているから」
「問題文を読む上で、気を付けることは何?」
「キーワードを探すこと」
「そう。
その作者にとっての大事な言葉が、大体2、3種類くらいの表現で書かれている。
それは問題の答えになる事も多いから、普段から注意する癖をつけると良い」
「うん」
「では、選択問題を選ぶ上で、してはいけないこと、気を付ける点は何かな?」
「自分の主観を入れないこと。
過度に大袈裟な表現、文中にない表現には気を付ける」
「その通り。
これは小学生なんかに多いんだけど、極端な例を挙げれば、本文中に『人を殺す事は悪い事ではない』と書かれていれば、選択肢でもそれを正解にしなければならない。
『いや、人殺しは悪い事だろ』なんて主観を入れると✕になる」
「私も小学生の時ならやったかも」
西本が笑う。
「じゃあ、以上を踏まえて、この問題を解いてみて。
制限時間は30分。
これが終わったら少し休憩を入れよう」
そう言って、現国の、大学受験用の初級問題を渡す。
高校入試問題では易し過ぎるので、敢えて滑り止めクラスの大学受験問題をさせている。
やり直し以前にも、学生時代に何度か家庭教師をしたことがあるが、公立の高校受験用の国語問題は、言葉の意味とやり方さえ教えれば、小学6年生でもほぼ全問解けるのだ。
西本が問題に取り組んでいる間、俺は彼女の机に並べた椅子から離れて、窓から外を見る。
初めて彼女の部屋に入った時、少し照れた。
ベッドの横の壁に、俺の写真が引き伸ばされて飾ってあったから。
小学校時代の野球部のユニホーム姿で、打席に立って構えている写真。
視線をそこに向けたままの俺に、彼女は、『お母さんに隠し撮りして貰ったの。カッコ良いでしょ』と、あっけらかんと
それが許されるなら、俺だって西本のを何枚か撮りたかったのに(勿論、常識的な写真ね)。
彼女の部屋は広く、12畳くらいある。
ぬいぐるみとかが沢山置いてある、もっとかわいらしい部屋を想像していたが、化粧品の
『大人っぽい部屋だね』
感想を述べた俺に、『あなたの好みが移ったのかも。あなたのセンス、かなり渋いから』、そう言って彼女は笑った。
育ちが良い彼女ゆえ、漫画の中で見かけるような、下着がその辺に脱ぎ捨てられている訳ではないが、女性の部屋できょろきょろする訳にもいかず、俺は外を眺めて心を落ち着ける。
真剣な表情で問題を解く彼女の横顔は、俺には少し
じっと見つめていると、報われなかった過去を思い出す事もある。
だから、空を見る。
気の利かない電線に邪魔される事もあるが、空を眺めていれば、無心でいられるから。
「終わったよ?」
彼女のその声と共に椅子に戻り、採点を始める。
「うん、良い出来だ」
全部合っている。
「じゃあ休憩しよ?
下からお茶とケーキを持って来るね。
お菓子も要る?」
「いや、僕は珈琲だけで良いよ」
「えーっ、ケーキも食べなよ?
今日のはトップスだよ?」
「・・ご馳走になります」
「うん」
嬉しそうに部屋から出て行く。
少しして、大きなトレーに珈琲ポットとケーキの箱を乗せた彼女が戻って来る。
「面倒だから、ケーキはこのまま両脇から食べよう」
西本が、お嬢様らしからぬ発言をして、カットをしないまま、フォークでケーキを削っていく。
「君って時々ものぐさになるよね」
「あなたの前でだけよ。
中学ではいつも気を張っているから、こういう時に息抜きしないと疲れちゃう」
「何でそんな事してるの?」
「皆が私に勝手なイメージを押し付けるから。
『西本さんは○○だよね。○○なんてしないよね?』
容姿や家柄で自分達の幻想を押し付けてくるから、それに応えてあげてるの。
その方が、いちいち反論するよりも楽だし」
「小学校の時は、そうでもなかった気がするけど・・」
「大人に近付くにつれて、色んな面で、他の人との違いが気になり出すんじゃないの?
それに、あの時は側にあなたが居たから・・」
「僕?」
「私より、ずっとあなたの方が目立っていたもの。
皆の視線、特に女子のもののほとんどは、あなたに集まっていたわよ?」
「それが負の感情でなかった事を祈るよ。
・・ケーキ、少し貰うね」
そう告げてフォークを探したが、彼女が使っている1本しか見当たらない。
「はい」
西本がケーキを口に含んだ後、唇をしっかりと閉じ、その唇でフォークに付いたクリームを拭き取りながら、それを俺に差し出してくる。
「・・・」
「仕方なかったのよ。
洗ってあるフォークが1本しかなかったんだもん」
目を背け、言い訳をしてくる彼女。
「どうせだからさ、ケーキもこっちから食べて。
考えてみたら、わざわざ両側から食べる必要ないよね?」
「・・君さ、もしかして他の人にも同じ事してるの?」
「ケーキ、あげないよ?」
怒った顔で
「御免、単なる確認だから」
適当な事を言って、ケーキを削って口に入れる。
「まだ言ってなかったけど、私、中学では一度もプールに入ってないんだよ?」
「え、そうなの?」
口から出したフォークをティッシュで拭こうとしたら、西本に奪われる。
「クリームが勿体ないじゃない」
そのままケーキを削って、口に運ぶ彼女。
「あなたが小学時代に言ってた事が気になり出してさ。
狭いプールに、男子と一緒に入るのも嫌になってきたから。
それに、ドライヤーもないから、入ると暫く髪が濡れたままだしね」
「よく先生に許して貰えるね。
僕は皮膚病が悪化するからと嘘を
「女の子には、色々と便利な言い訳があるの。
私がもう入りたくないと言ったら、お母さんも、学校に電話をしてくれたみたいだし」
前回と同様に、その小さな口から抜いたフォークを、俺に向けてまた差し出してくる。
「はい」
珈琲を飲んで気分を落ち着かせ、またそれを借りる。
家庭教師の終了後、水を頂く名目でキッチンの流し台を確認したら、洗い物など何もなかった。
まあ、早紀さんが洗ったのかもしれないが。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます