第13話

 「えっ、それ本当なんですか!?」


「ああ。

たった今、先生に言ってきた」


「どうしてですか!?

何で辞めるんですか!?

・・先輩、今年が本番じゃないですか!」


最後の挨拶をしに向かった橘と佐藤の2人から、猛烈もうれつに詰め寄られる。


「他にやらねばならない事ができた。

それをすると、部活の時間が取れないんだ」


「・・やりたい事って何ですか?」


「野球だよ。

高校で甲子園に行くために、今から練習に参加させて貰うんだ。

尤も、1日15分くらいしか相手して貰えず、その後は球拾いや後片付けを手伝うんだけどさ」


「それって、今やらないと駄目なんですか?

先輩、今年は全国制覇を狙えるんですよ?」


「御免な。

僕の中では、これが最優先なんだ」


「・・じゃあもう、先輩に会えないんですか?

練習を見て貰えないんですか?」


「学校にいる間なら会えるさ。

昼休みにだって、良ければ勉強くらい見てやるよ。

ただ練習を見るなら、朝練でないと無理だな。

授業が終われば直ぐに向こうに出かけるから。

どうしても見て欲しい時は、予め言ってくれ」


「本当ですか!?

まだ私達と会ってくれるんですね!?」


「ああ。

喧嘩けんか別れする訳じゃないだろ。

ただ部活を辞めるだけなんだから」


「「良かったー」」


「大袈裟だよ」


何とか納得して貰った2人と分れ、俺は明日からの準備をしに、街へと向かった。



 先日、早紀さんとの話し合いを終えて○○学院に向かった俺は、野球部の部室を探し、その前で待たせて貰った。


暫く待った後、ユニホーム姿の中年男性が現れたので、思い切って声をかけてみる。


「失礼ですが、野球部の監督さんでしょうか?」


「・・そうだが?」


「僕は○✕中学の久住透と申します。

貴方あなたにお話があってお持ちしていました。

少しお時間を頂けないでしょうか?」


彼が時計を見る。


「もう直ぐ授業が終わる。

10分だけなら良いぞ」


「ありがとうございます。

実は僕、来年この高校に入り、その足で野球部に入部するつもりなのですが、事情があって、どうしても今年の内から練習に参加したいんです。

勿論、まだ部外者ですから、フル参加はできないでしょうが、せめて10分か15分くらい、先輩投手が投げる球を取らせてはいただけないでしょうか?

その後は、球拾いでもグラウンド整備でも、何でもやります」


「何でそんな事をしたがる?

それくらいなら、来年正式に入部してからで十分だろ?」


「変化球が見たいんです。

小学校では野球部でしたが、中学では陸上をしているので、まだ間近で変化球を見た経験がありません」


「そんなもん自分の中学で・・ああ、○✕中だったな。

あそこじゃ参考にならんわな」


「速い変化球が見たいんです。

それも、できるだけ沢山の球種で。

どうかお願いします。

入部したあかつきには、精一杯努力して、毎年甲子園を目指しますから!」


深く頭を下げ、必死にお願いする。


「・・その熱意に免じて、特別に少しテストをしてやる。

本来なら追い返すんだが、お前、幅跳びと200mの久住だろ?

陸上はどうするんだ?」


「ご存知でしたか」


「俺だって、地元新聞のスポーツ欄くらい見てるよ。

最近全国で活躍した奴の写真くらい覚えてる」


「部活は辞めます」


「・・そろそろ部員達が来る頃だ。

少し待ってろ」


「はい。

ありがとうございます」


その後、ヘルメットと金属バットを渡された俺は、打席に立たされ、控え投手の球を打たされた。


ストレートのみで、10球。


ストライクしか投げてこない最初の5球は120km台。


それをことごとく外野越えさせた俺に、あとの5球は思い切り投げてきた。


恐らく130km台前半のそれらを、低めに来た2球を除き、やはり外野越えさせた俺に、監督が尋ねてくる。


「お前、小学校で野球をしていたと言ってたが、何処だ?」


「○小です」


「・・お前がそうだったのか。

県大会で4本のホームランを打って、あとは全て四球か敬遠の怪童。

それがまさか○✕中にいたとはな」


「ちょうど引っ越しが重なったので」


「守備は何処を希望するんだ?

やはりファーストか?」


「いえ、できれば投手を希望します」


「・・ちょっと投げてみろ」


監督が、捕手に合図を送る。


グラブと球を渡され、3、4球のキャッチボールの後、5球投げさせられる。


「ん、サイドスロー?」


「済みません。

オーバースローだと、あまりコントロールが良くなくて・・」


最初から徐々にスピードを上げ、最後は130km台くらいで投げ終える。


「ありがとうございました」


マウンドを降り、借りた人にグラブを返し、監督に頭を下げる。


「お前、来年必ずうちに来いよ?

それなら、例外的に今年からの参加を認めてやる。

但し、中学の内は毎日15分だけだ。

あとは球拾いをして、帰りにグラウンドの整備を手伝え。

練習は、雨以外の平日と土曜。

日曜は、秋までは練習試合が多いから、中学生のお前はお休みな?

それで良いか?」


「はい。

ありがとうございます」


嬉しくて、若干声が上擦うわずる。


何時いつから来れる?」


「明日からでも」


「分った。

今日みたいに学校をサボるなよ?」


「はい。

大体16時半くらいになると思います」


迷惑をかけるであろう他の部員達にも丁寧に頭を下げ、帰宅途中でバスと電車の定期代を調べる。


西本の期待に応えられる、そう思うと、家への足取りも軽かった。



 自宅では、両親に今後の事を相談し、その協力を求めた。


学校帰りに○○学院まで行き、練習して帰って来ると、どうしても20時近くなる。


そうなると、洗濯物の取り込みや、夕食の準備ができない。


甲子園を目指すため、高校も○○学院に通うことを告げると、初めは驚かれたが、最後には『好きなようにしなさい』と応援してくれた。


そして電車とバスの定期代まで、今から負担してくれるという。


それは遠慮したが、『透のお陰で、今のうちには多少の余裕があるから大丈夫』と、母に微笑まれる。


確かに今の俺は、やり直し前のように、陸上のシューズやスパイクを何足も揃えたり、高価なジャージやウインドブレーカーなどの練習着を、幾つも買って貰う事はしない。


居間に置く、20万円もするステレオセットも強請ねだらなかったし、当時は貴重だったビデオデッキも、『直ぐに安くなるから』と助言して、購入を見送らせた。


お菓子も漫画もほぼ買わず、前回は散々飲食していたジュースやアイスを極力控え、家庭の日用品でも無駄を省く。


でもそれは、言うなれば前回の贖罪しょくざいでもあり、決して褒められるような事ではないのだ。


預金があるからと再度遠慮したが、『親なんだから、それくらい協力させなさい』と押し切られる。


その分をどう返済しようか考えながら、有難く、交通費の援助を受けた。



 西本の家庭教師の件も、すんなりと事が運んだ。


○○学院の監督に挨拶に行った後、夕食後に彼女に電話をすると、あっさりと了承される。


『あなたが教えてくれるなら、頑張って○女高を狙ってみるね』


『こちらの勝手で振り回して御免な。

高校からは簡単に会えなくなるから、せめて登校時くらいは一緒にいたくて』


初めは、下校時も共に帰れるかとも考えたが、彼女が高校で部活をするかどうかも分らないし、実際に○○学院に行ってみて、○女高とは少し距離が離れている事も分ったので、帰りは先に帰って貰うつもりでいる。


『気にしないで良いよ。

寧ろ嬉しいし。

私の我が儘であなたに余計な負担を押し付けるのだから、私もこれくらいは頑張らないとね』


『家庭教師の時間だが、日曜の午後でも良いかな?

平日は遅くなるし、土曜もまだよく分らないから』


『それで良いけど、できれば午前の内から会いたいな。

もう公園での時間とか、取れなくなるのでしょう?』


『僕は構わないけど、西本はそれで大丈夫なの?

日曜くらい、ゆっくり寝ていたいんじゃないの?』


『他の日に休むから大丈夫。

それに、私の部屋でやるから、お母さん達にも迷惑かけないし。

あ、ちょっと待って。

・・・御免ね。

お父さんが、一度あなたとお話ししたいから、今週の土曜の夜に、家に来て欲しいって』


『分った。

何時頃?』


『・・19時くらいだって。

夕食、食べないで来てってさ』


『了解』



 指定された日時に彼女の家に伺うと、食卓には既に凄いご馳走が並んでいる。


「フォーマルな席ではないから、食べながら話をしよう」


大きく広い8人掛けのテーブルに、4人で座りながら話をする。


「・・若菜の家庭教師をしてくれるそうだね。

週1回、日曜の午前から夕方まで、この条件で合っているかい?」


「はい」


「なら家庭教師代として、月に5万円支払おう」


「あ、いえ、早紀さんにもお伝えした通り、こちらの都合ですから料金は頂きません」


「それは駄目だね。

仮にも君は、自分の時間を若菜の学習のために充ててくれる訳だから、こちらも相応の対価を支払わねばならない。

遊びに来る訳ではないのだろう?」


「それはそうですが・・」


「君の成績は妻から聞いた。

それだけの結果を残すには、かなりの努力をしたはずだ。

教える側が、その学力を得るまでに費やした時間、払った労力に対し、教えを乞おうとする者は、何かで報いなければならない。

サービスが無料だと考えるのは、日本人の美徳でもあり、悪い癖でもある。

きちんと教える気でいるなら、報酬もしっかりと受け取るべきだ」


「・・・」


「お金を受け取るのが嫌なら、若菜と婚約してくれる事でも良いのよ?」


「は?」


早紀さんの言葉に唖然とする。


「お母さん!」


「あら、だってあなた、学校ではそう言っているのでしょう?

『自分には、親が決めた婚約者がいる』って。

この間、担任の先生からそれとなく聞かれたわよ?

あなたもそのつもりだと分ったから、肯定しておいたわ」


「!!!」


「それは交際を迫ってくる男子を追い払うための方便なの!

それに、相手が誰かは言ってないし・・」


西本が俺をちらっと見る。


「あなた(早紀さんの夫)も彼なら賛成よね?」


「ん?

・・学力と人柄、運動能力は申し分ない。

将来性も・・かなり高いな」


「済みません。

今は家庭教師代の方を頂いておきます」


「あら残念。

急がないから良いけど、若菜が焦れる前にはお願いね」


「お母さん!」


「・・それから、若菜の家庭教師の件なんだが、高校に入った後も、続けてくれないかな?」


西本の父親が付け加える。


「この辺りにはまともな塾などないし、高校付近で探すとなると、帰りが遅くなる。

君も何かと忙しいから、週に2回くらい、平日でも土日でも良い。

時間帯も2人で相談して決めて良いし、時給は3000円出す」


「勿論、喜んでお引き受け致しますが、時給はそんなに頂けません」


「君、大学はどの辺りを受けるんだい?」


「国立なら東大文Ⅰ、私立なら早慶の法ですね。

『受けるだけで、大学生活は送れないですけど・・』」


「その辺りを受け持つ家庭教師の相場は、少なくとも3000円以上だよ?

できれば若菜も、君と同じ大学に入れてやって欲しい」


「・・分りました。

2人で頑張ってみます。

西本もそれで良いかな?」


「うん。

さすがに東大は厳しそうだけど、頑張ってみるからお願いね」


「フフッ、透君が側にいて良かったわ。

若菜は塾という感じじゃないもの。

さあ、お話はこれくらいにして、どんどん食べて。

折角せっかくのお肉が、固くなってしまうわ」


それから、お寿司やステーキをお腹一杯になるまで頂いて、俺は幸せな気分で家に帰るのだった。

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