第12話
「もっと速い球を投げても大丈夫だよ?」
秋が深まった週末、西本と公園でキャッチボールをする。
お互い20mくらい離れて、何度もソフト用の球を投げ合う。
「いや、
「馬鹿にして。
これでも来年はレギュラー候補なんだよ?」
「馬鹿にはしてない。
客観的な判断だ」
「それを馬鹿にしてるって言うの。
部活の練習でだって、今よりも速い球で受けてるし」
「因みに僕は今、大体2割程度の力で投げてる。
本気を出しても良いの?」
「・・本気は
「じゃあどのくらい?」
「・・4割」
「大して変わらないじゃないか」
「男の子と一緒にしないで」
「はいはい」
会話をしながら、球を投げ合う。
未来では、公園でさえキャッチボールを禁止する場所が増えた。
子供の数が大分減り、その分過保護になっている。
公立の学校にさえエアコンが設置され、子供を持つだけで補助金がばらまかれ、1人1台パソコンが貸与される、夢のような時代。
でもそれが、生徒の学力や能力と比例していない。
便利になった上で甘やかされ、大人になる前の試行錯誤を行う機会まで奪われて、小学生の高学年になっても、1人で留守番できないような子までいる。
ハードの面では間違いなく未来の方が良い。
でもソフト面では、子供達には今の方がずっと生きやすいだろう。
「あなたは、高校でも陸上をするの?」
「ん、どうして?」
「小学生の時は野球を頑張ってたし、成績も凄かったじゃない。
甲子園を目指したりはしないの?」
「高校では部活に入らないと思う」
「え、何で!?
あ、御免」
西本からのボールが大きく逸れる。
「他にやりたい事があるから」
『俺にはもう、あまり時間がないんだ。
毎日毎日練習ばかりで、君との時間が削られるのでは、やり直した意味がない。
高校生になれば、更に自由が利く。
君ともっと、色んな事をしておきたい』
「うーん、勿体ないな。
あなたなら、何をやっても良い所までいきそうなのに。
やりたい事って何?」
「内緒。
それに、もう身長の伸びも止まったみたいだし、他と比べてそれほど有利でもないさ」
「私、あなたの野球姿、もう一度見たかったな。
凄くカッコ良かったし・・。
ちょっと残念」
「・・そんなにか?
陸上や剣道よりも?」
「うん。
今の所、スポーツをしている姿では1番かな。
あくまで、運動している時限定だからね?」
『黙って本を読んでる時も素敵だし、人の役に立ってる姿も、あなたは凄くカッコ良いよ』
「・・・。
少し考えてみる」
「本当!?
フフッ、楽しみがまた増えた」
「またとは?」
「もうっ、忘れたの?
再来週の連休で、京都に
お母さんが、(スイートルームでの)お父さんとの相部屋が嫌なら、あなただけシングルルームを取ってくれるって」
「いや、嫌って程じゃないけどさ、何となく気不味いんだ。
毎回(金銭的な意味で)お世話になってるし、親類でもないのに、同じ部屋で寝泊まりするのはさ・・」
「お母さんは良いの?」
「早紀さんはまだ
君のお父さんとは、視線の意味合いが違うからね」
『彼の場合、俺を値踏みするというか、計り兼ねている所があるんだよね。
まあ、仕方ないんだけどさ』
「お母さん、あなたのことが大好きだもんね。
お父さんが焼餅焼くのも無理ないかな」
「それは違うと思うよ?」
「フフフッ」
とりあえず、生活プランを修正しないとな。
年が明け、俺は3年生になった。
2年生の冬休みには、西本家から温泉旅行に誘われたが、この時は遠慮させて貰った。
何と無くだが、俺が大浴場の温泉に浸かっている時に、西本の父親も入って来そうな気がしたからだ。
彼女について、色々と質問されそうだったから・・。
バレンタインデーには、『ご想像にお任せします』という言葉と共に、西本から『デメル』のザッハトルテを貰った(木箱に入ったやつ)。
これはやり直し前、俺も何度か食べたことがあり、つい『チョコレートの裏に隠された、ザラメの部分が美味しいんですよね』と、お昼をご馳走になっていた早紀さんの前で口走ってしまう。
『あなた、これも知ってるのね』
そう言われて、何故か溜息を吐かれた。
因みに、陸上部の後輩2人からもチョコを貰った。
『この1年の感謝を込めて』
2人共、そう言って渡してくれた。
俺は全国大会で幅跳びが2位、200m走が3位になり、同じく幅跳びで全国に参加できた佐藤は、1年だけの競技で5位になった。
橘は、県では2位になったが、標準記録に僅かに届かず、惜しくも全国を逃した。
『来年も宜しくお願いします』
そう言ってくれた2人は、『先輩、他にも誰かから貰いました?』と、何故か
中3になって直ぐ、俺は自分が入るであろう高校の、野球部の監督に会いに行った。
やり直し前も同じ高校だったから、その監督の噂は多少は耳にしていた。
ボランティアで教えている、人の良い、悪く言えばそれだけの人物。
指導者としての力量はあまりなく、高校側も、まだ一度も甲子園に出たことがない弱小校なので(予選の決勝にすら進めてない)、とりあえずそのまま彼に任せている感じだった。
当時の俺は、やはり入学時の練習を見て、入部を諦めた。
それに、高校のクラブ授業で、3年や2年の野球部の先輩達ともソフトボールの試合をしていたが、1年生ながらホームランを量産し、守備でも足を活かして活躍していた俺に、誰も声をかけてこなかったからだ。
どうしても勝ちたいという、執念に欠けている気がしたのだ。
結局俺は、スポーツテストのハンドボール投げで、学校でただ1人、43mを投げたことに目を付けた陸上の顧問に誘われ、槍投げと幅跳びをする羽目になる。
(誰も指導してくれないから)それもつまらなくなって、2年で関東大会に出られたことを機に、辞めてしまったのだが。
今回の俺は、野球をするならどうしても甲子園くらいには行きたい。
高校生になれば、俺にはあと3年くらいしか時間が残されていない。
その大事な時間の大半を、西本の側で過ごすことより練習に充てるのなら、それくらいの成果は欲しい。
だが残念ながら、高校ともなると、1人だけが上手くても、そうそう試合には勝てない。
俺が投打で活躍したとしても、他の8人もある程度の実力がないと、例えば俺が全打席敬遠されればお終いなのだ。
この県には、野球の名門と言われる私立が1つある。
逆に言えば、強敵はそこくらいなのだが、学力が低過ぎて、俺がそこに入っても、西本の両親は彼女をそこには通わせないだろう。
試しに探りを入れてみたが、やはり隣町の女子高(県の女子高ランクで3番目)に通わせるみたいだった。
つまり、俺が行こうとしている高校の、ペア的存在校だ。
多少の迷いを抱えつつ、挨拶に出向いた俺の質問に、当時の俺の母校だった野球部監督はこう答えた。
『もし野球部に入って、周りの皆が認めてくれるくらいに実力を付ければ、1、2年生でもレギュラーになれますか?』
『それは難しいな。
今もレギュラーはほぼ3年生達だ。
3年間部活をやってきて、最後の甲子園を目指す機会に、補欠でいるのは辛かろう。
ましてや、自分達の代わりに1、2年生が出て途中で負ければ、その悔しさも
『失礼ながら、監督はまだ一度も甲子園に行かれてはおられないですよね?
もし今後、その機会に恵まれそうになったとしても、やはりそういった道徳的な価値観の方が、ご自身には重要なのでしょうか?』
『部活動と雖も、教育には変わりがない。
勝ち負けばかり考えているようでは、学生の為にはならんよ』
言っている事は尤もだったので、俺はそこで質問を止め、彼に頭を下げて戻って来た。
その日、自宅に帰った俺は、一晩悩んだ。
そしてそこで決めた事を実行に移すべく、翌朝から行動を始める。
先ずは早紀さんに会いに行く。
「あら、あなたの方から私に会いに来るなんて、最近では珍しいんじゃない?」
「ご相談があります」
「良いわ。
中に入りなさい」
学校をずる休みして来た俺に、
「それで、一体何のお話かしら?」
珈琲とお菓子を出してくれながら、真向かいに座る早紀さん。
「・・もし仮に、若菜さんの学力が優に○女高のレベルを超えていたら、彼女をそこに通わせるお考えはお有りでしょうか?」
○女高は、県庁所在地にある名門校の1つ。
女子高では県でトップであり、○女高と、彼女が通おうとしている女子高とでは、明確な学力差が存在する。
「・・そうねえ。
通学に電車で4、50分かかることを除けば、親としては当然そうしたいわね。
若菜が何て言うかは知らないけれど・・」
「大変厚かましいお願いですが、もし若菜さんが○女高へ行く事を希望したら、その後僕に、彼女の家庭教師をさせてはいただけませんか?
勿論、お金なんて要りません。
こちらが指定する教材を揃えていただけるだけで結構です。
因みに、僕の現在の学力は、この通りです」
そう告げて、学校でも大騒ぎになった、英検1級の合格証と、中2の最後に受けた、県の模試の成績表を見せる。
「・・
総合だけじゃなくて、全科目1位なのね。
それも全て満点。
・・あなた、一体いつ勉強してるの?
部活の陸上も全国上位で、相変わらず家事もこなしているのでしょう?」
まさか人生の一部を、小2から完全にやり直しているとは言えず、適当にはぐらかす。
「如何でしょうか?」
少し緊張する。
「若菜の事なら、あの子が了承さえすれば、全てあなたに任せるわ。
尤も、いちいちあの子に確認するまでもない事なんでしょうけどね。
・・でも、この流れなら、あなたも当然○高に行くのよね?」
○女高とセットで語られる事の多い、県でトップの高校名を言われる。
「・・済みません。
僕の方は○○学院を考えてます」
「はあ!?
○○?
この成績で!?」
早紀さんの、こんな驚いた顔は初めて見る。
この辺り、恐らく郡内何処でも、娘が付き合っている相手が△高(元々俺が行こうとしていた高校)だと言えば鼻が高いが、逆に○○だと言えば、蔑みはしないが、かなりがっかりされる。
『ああ、あそこね』
それこそ、その年の野球部が甲子園に行ってでもなければ、そんな感じで扱われる。
生徒数は異様に多いが、何処の県立にも受からなかった者達が、最後の滑り止めに通う高校なのだ。
「僕が○○に通うのは、全て野球のためです。
どうしても甲子園に出たいから。
若菜さんが、もう一度僕のユニホーム姿を見たいと望んでくれたんです。
△高の監督ともお話ししましたが、失礼ながら、彼では甲子園が望めない。
なので、せめて通学や下校時に一緒にいられる可能性がある(同じ駅にあるから)、○○に行きます」
「・・理由を聴いた私達(夫婦)はともかく、あそこでは、高校生の間はそれこそ甲子園にでも行かないと、肩身が狭い思いをするわよ?」
「そのくらい何ともありません。
僕には若菜さんの笑顔の方が何倍も価値がある。
彼女が喜んでくれるなら、堂々と○○に通って、甲子園に出てきます」
早紀さんがソファーから立ち上がり、側に来て、
「娘をそこまで大事にしてくれてありがとう。
私は応援するわ。
家庭教師の件もお願いするし、朝は毎朝タクシーを向かわせるから、それで駅まで来なさい。
帰りは私が、2人を迎えに行ってあげる」
「え!?
家庭教師はともかく、タクシーはいいですよ。
そんな身分じゃないですから」
「遠慮しないで。
雨や雪の日は、重い荷物を持ちながら自転車で(自宅から約2kmある)駅まで行って、更に電車に乗るのは大変でしょう?
それくらいのお金、幾らでもないから」
「でもこれまでも、海や旅行なんかで再三ご厚意に甘えてしまっているし・・」
「あなたは家族と同じだから、何の問題もないわ」
抱擁を解き、冷めてしまった珈琲を、新しく淹れ直してくれる。
「・・あの、早紀さんは、外国株も扱ってますか?」
「いきなり何?
勿論やってるわよ?」
目以外で笑いながら、そう答える彼女。
「若輩の僕が口にするのも何ですが、商売で、倫理面を除いて最も重要視しなければならないものは、何だとお考えですか?」
「情報ね」
彼女が即答する。
「僕がこれから言う事は、決して誰にも言わないで下さい。
単なる想像ですから。
・・今後10年かそこらで、通信技術は飛躍的に発達するでしょう。
特に、今まで世に出て来なかった、全く新しいタイプのデバイスが現れます。
アメリカでこれから頭角を現す、これらの会社名をよく覚えておいて下さい。
そして株が売り出されたら直ぐ、いや、可能なら未上場の内に、できるだけ買っておくことをお勧めします」
俺はそう言うと、鞄から取り出したメモ帳に、ボールペンでとある企業名を2つ記して渡す。
「・・知らない会社ね。
未上場と言うからには、まだ存在しないのかしら?
あなたが何故そう思うのか、どうして海外の企業にまで精通してるのか、非常に興味があるのだけれど、それは教えてはくれないのよね?」
「済みません。
あくまで僕の想像でしかないので、説明できないんです」
「想像ねえ・・。
まあ良いわ。
有難く受け取っておく。
父や知り合いを通して、向こうの状況に気を配っておくわ」
「ありがとうございます。
因みに、其々の会社のキーパーソンは、この2人ですので。
まだ学生だと思いますが」
メモ帳をもう1枚破って、2人の名を記す。
「・・・。
ねえ、本当に
別に直ぐにでなくても良いのよ?」
「・・考えておきます」
「嬉しい。
否定しないのね。
・・この情報、あなたのお母さんもご存知なの?」
メモを大事そうに財布に
「いいえ」
「どうして教えてあげないの?」
「母にそこまでの資金も伝手もないからですよ。
母には別に、純金の定期少額購入でも勧めておきます。
『確か4倍くらいになったはずだ』」
『私も買っておこう。
本当に、底の知れない子よね』
その後、出前で届いた豪華なうな重をご馳走になり、西本家を後にする。
今日中に、○○学院の監督にも会っておかないとな。
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