第11話

 「「久住先輩ファイトー」」


夏の郡大会で200mを走る俺に、橘や佐藤からの声援が飛ぶ。


郡大会は近隣の運動公園で行われるので、県大会の競技場ようなオールウェザーのグラウンドではない。


時計もその分落ちるので、22秒台でしかないが、郡なら楽勝だ。


去年、幅跳びと200mの2種目で標準記録を突破し、全国大会に出場した俺に(1年生は、同じ1年生同士でしか競わない。2、3年生は一緒)、先輩や同級生の女子達も声援を送ってくれるが、後輩2人の声は一際耳に響く。


因みに俺は、彼女達のレースは見ても、声は出さない。


何となく恥ずかしいからだ。


その分、試合後にジュースを差し入れる事で許して貰う。


己の競技を全て終了した今は、佐藤の幅跳びの試合を見ていた。


1回目のジャンプを終え、選手が控える場所に戻って来た彼女の下へ、俺はアドバイスに向かう。


「佐藤、はさみ跳びの動作に入るのが、少し早いと思う。

もう少し、滞空時間を取ってからの方が良いんじゃないか?」


「やっぱりそうですか?」


「ああ。

今のだと、身体が浮き切る前に手足を動かすから、それで距離が伸びないはずだ」


「分りました。

もうワンテンポ遅らせてみます」


「それが良い。

この大会は練習代わりだ。

今の記録でも、十分(県大会に行ける)2位までには入れるから」


「本当ですか!?」


「ああ。

大丈夫だ」


喜ぶ佐藤に一声かけ、自販機のある駐車場付近まで歩いて行くと、聞き覚えのある声がする。


「随分仲が良さそうだったね」


西本が、彼女の母親と一緒に立っていた。


「見に来てくれたのか」


「暇だったからね。

尤も、誰かさんは女子との会話で忙しそうだったけど」


「若菜、車の中で待ってるわよ?」


彼女の母親が、俺ににっこり微笑みながら、西本にそう告げて去って行く。


「・・いつもあんな感じなの?」


「何がだ?」


「あの子と話す時」


「何処かおかしかったか?」


「凄く親しそうだった。

相手の子も、なんか嬉しそうに見えたし」


「入学以来、面倒を見てきた部の後輩だからな。

ある程度は仲良くなるだろうさ」


「変な私情は入ってない?

お尻ばっかり見てないでしょうね(当時の女子は、まだブルマー)?」


可愛い顔の、そのほおが少し膨らむ。


「僕はどちらかと言うと、胸派だ」


「!!

・・エッチ」


自身の胸を抱き締めるようにして、顔を赤らめる彼女。


「そんな事より、ただ試合を見に来ただけなのか?」


郡の大会なんて、そう珍しいものでもない。


「あなたの予定を聴きに来たの。

家に電話したら、ここだって教えてくれたから。

あのね、明後日から、私達と一緒に海に行かない?

お父さんに急な仕事が入って、その分が空いちゃったの。

キャンセルしても良いんだけど、お母さんが、『どうせ手数料を取られるなら、透君を誘ったらどうかしら』って。

・・空いてる?」


「予定はないけど、親にも聴いてみないと・・」


「旅費の事は心配しないで大丈夫だよ?

お母さんが全部出してくれるって。

それに電話した時に、既にあなたのご両親には許可を頂いてあるの」


「因みに場所は何処?」


海外とかなら、さすがに遠慮しよう。


「沖縄よ。

3泊4日。

ね、一緒に行こう?」


「・・分った。

今回はご厚意に甘えさせて貰うよ」


「やった!

楽しみだね!」


皆の所に戻らないといけないので、彼女の母親には後でお礼を言いに行く事にして、ジュースを買って、一旦彼女と別れる。


「先輩、何処に行ってたんですか?

私、1位でしたよ?」


佐藤が嬉しそうに駆け寄って来る。


「私も1位になりました。

これで一緒に県(大会)に行けますね」


橘も決勝で勝ったらしい。


「2人ともおめでとう」


「ありがとうございます。

先輩の指導のお陰です」


「理論だけじゃ勝てないさ。

君達がきちんと努力したからだよ」


閉会式後、一度家に帰ってシャワーを浴び、両親に『西本家と旅行に行くことにした』と話してから、彼女の家まで改めてお礼の挨拶に出向く。


まだ夕食の時間帯ではないからと伺ったのだが、彼女の母親に、『晩御飯を食べていきなさい』と捕まってしまう。


父親の方も今日は在宅だったらしく、4人でテーブルを囲む。


折角のご馳走ちそう(ステーキ)だったが、場にあふれる妙な緊張感のせいで、よく味わえなかった。



 新幹線と飛行機に乗り、沖縄の地に降り立つ。


僅かな利用時間でしかないのに、グリーン車とビジネスクラスを用いるという、豪華ぶりだ。


西本も彼女の母親も、旅行だからか、かなりお洒落な格好をしている。


この時代、ユニクロのような便利なファストファッションは見当たらなかったので、俺はスーツメーカーが工場直販で安売りした際に購入した、外出用のカジュアルな服装で出かけた。


滞在先のホテルは、当時既にリゾートホテルを幾つも手掛けていた会社が新たに開業させたばかりのもので、そのスイートルームだった。


部屋の豪華さに苦笑していた俺に、荷物の整理を終えた西本が言ってくる。


「散歩に行こうよ。

泳ぐのは明日からにして、今日はホテル内や海辺を歩こう?」


「お母さん、夕食は何時から?」


ソファーに腰を下ろし、身体を休めていた母親に向け、彼女がそう尋ねる。


「19時からよ。

ルームサービスを使うから、ここで食べられる。

私は少し休むわね。

ホテル内の施設なら、ルームキーを見せるだけで飲食できるから、好きに使いなさい」


ベッドで仮眠でも取るのだろう。


その母親を残し、俺達2人はスペアキーを持って室外に出る。


「何か飲みたい?」


「いや、今はいい」


「じゃあ外に出ようか。

奇麗な海を見ながら、ゆっくり歩こうね」


上品なワンピースに、洒落た麦わら帽子を被った西本が、俺の右手を握ってくる。


ホテルの直ぐ目の前がビーチなので、人のあまりいない場所まで歩いて、2人で海を眺める。


潮の満ち引きを耳で楽しみながら、海風を浴び、水平線の彼方かなた見遣みやる。


不思議だ。


海を眺めているだけで、以前の人生における出来事が、次々と頭に浮かんでくる。


それも、悲しく、辛かった事ばかり。


そしてそれらが、まるで波に洗われるが如く、奇麗に消えていく。


悔しかったはずなのに、憎いと感じたこともあるのに、今はただ、過ぎ去りし日々を客観的に見ていられる。


右手から伝わる柔らかさと微熱が、それが夢ではないと教えてくれる。


当時の俺と今の俺。


その違いは、直ぐ側に西本が居るか居ないか、やるべき事に対して向き合ったか逃げたかの差でしかない。


これまで、幾つもの悔いを晴らしてきた。


理想の自分に少しでも近付くよう、頑張ってきた。


俺に残された時間は、あと5年弱。


前回の俺は、子供の頃、自分が死ぬのが異様に怖かった。


布団の中で、ろくにイメージできない死を恐れ、何度も震えていた。


でも今は、全く怖くない。


きっとその時は、穏やかに笑っていられるだろう。



 『何でそんな顔をしてるの?』


無言で海を眺める彼に目を遣った私は、その表情に心がざわつく。


ロマンティックな会話を期待した訳ではないけれど、夕陽が差し始めた浜辺で、『明日何する?』、『私の水着が楽しみ?』くらいの明るさはあると思っていた。


まるで、黄昏たそがれの中でこれまでの人生を見つめるような、そんな表情を彼がするとは思いもしなかった。


確かに、彼はこれまでも、似たような表情を浮かべることはあった。


『子供らしくないな』、そんな疑問と共にそれを眺めていた。


でも今は、その疑問が不安に変わりつつある。


もしかして何か、とても大事な事を、彼が私に隠しているのではないか。


そう考えたりもする。


何かの病気なのかもしれないと、それとなく彼の母親に探りを入れたこともあるけど、何処かの病院に通っているというような、明確な事実は見つからなかった。


寧ろ、彼の将来が楽しみで仕方がない、そんな彼女の気持ちだけが感じ取れる。


杞憂きゆうならそれに越した事は無い。


だけど、彼は今の私のほぼ全て。


失う訳にはいかないのだ。


絶対に、たとえどんな事があっても。



 翌朝、いつも通り早めに目が覚めて、何度も寝返りが打てそうな、キングサイズのベッドから静かに出る。


スイートルームといえども、寝室は1つしかなく、広い空間に特大のベッドが間隔を空けて2つ置かれただけのタイプで、その1つを俺だけで使わせて貰った。


昨夜は、夕食後、其々がゆっくり風呂に入り(西本親子は2人とも、1時間くらい入っていた)、以後の眠るまでの時間を、各々おのおの読書に充てていた。


初めて見た西本のパジャマ姿(以前のお留守番時は部屋着だった)に、視線を固定した時間は3秒。


あとはなるべく視界に入れないようにして、平静を保つ。


窓側ではなく部屋の入り口に近いベッドをお借りして、行儀は悪いがベッドに入ったまま、眠るまで本を読んだ。


洗顔と歯磨きなどを済ませ、リビングの椅子を1つ運んでそれに座り、窓から海を見る。


昨日と違ってただぼーっと眺めていると、背後で足音がして、誰かが優しく抱き付いてくる。


俺的ときめき度第3位、好きな相手からの、背中越しの抱擁。


誰が抱き付いたのかは直ぐに分ったので、嬉しさを隠し、小さく声を出す。


「御免。

起こしちゃったかな」


「ううん、大丈夫。

おはよう。

よく眠れなかったの?

それとも、・・何か悩み事?」


「そうだね、悩み事はあるね。

君のパジャマ姿がかわい過ぎる」


肩越しに感じられる、彼女の髪の感触や匂い。


ささやくように話す口元から漏れ出る、吐息のくすぐったさ。


いずれも想像の産物でしかなかったものを、今、直に感じている。


「こういう服装が好みなの?

お母さんのようなネグリジェじゃなく?」


「あの姿は、男性には少し毒だよ。

どちらかと言うと、僕は君のパジャマのような、さわやかな方が良い」


「じゃあ水着もそういう方が良いの?

今回は2種類持って来たんだよ?

ビキニとワンピース。

どっちが良い?

何なら、1日ずつ着ようか?」


「・・ビキニは、まだ少し早いんじゃないかな。

泳いでる内に外れないか心配だ」


彼女のその姿をあまり他人に見せたくない俺は、そう言ってごまかす。


「大丈夫よ!

ちゃんと試着したし、胸だって結構あるんだから。

・・Dなんだよ?」


俺の首に回した腕に力を込め、そう抗議してくる。


「正直に言うと、君のビキニ姿は、他の奴に見せたくない」


情けない我がままなので、思わず視線を下に落とす。


「最初からそう言ってくれれば良いのに。

じゃあビキニはあなた専用。

この部屋の中だけで見せてあげる」


「・・・」


それから暫く、彼女の母親が起き出してくるまで、俺達はそのまま海を眺めていた。



 「透君の身体、凄いのね。

剣道もまだ続けているとは聴いたけど、それだけでそんなになるものなの?」


早紀さきさん(西本の母親)が、水着に着替えた俺を見て驚いている。


部活ではもうやらないが、俺はまだ、有段者用の道場に週1で通っている。


初段も取ったし、何より、始める時に親が買ってくれた防具は、子供用ではなく大人用で、セットで10万円くらいした。


それを無駄にするのが忍びなくて、未だに続けている。


「腹筋とか、ボコボコだね。

胸板も凄く厚い」


西本が手で触りながら、そう感想を漏らす。


少しくすぐったい。


「これならボディーガードにもなるわね。

うちの旦那にも見習って欲しいわ」


西本の父親は、スラッとした、如何にもエリートっぽいスタイルだ。


早紀さんも、その年齢を考慮すれば、びっくりするくらいスタイルが良い(水着になるとよく分る)。


ジムなんてあの辺りにはないから、自己管理の賜物たまものなのだろう。


父親もタバコを吸わないし。


「あなた(母親だけの前でも、こう呼び始めた)は泳げないから、浅瀬で遊ぼうね。

それとも、私に泳ぎを教えて欲しい?」


ニヤニヤしながら、そう尋ねる西本。


「昨日ちらっと見た時、岩場でないにも拘らず、結構水中にウニがいたから、遊ぶにしても、ビーチサンダルを履いたままの方が良いかもしれない。

小さいやつばかりだから、とげが刺さると危ない」


「そうなの?

なら若菜、そうしなさい。

私もお店で買う事にするわ」


水着の上からパーカのような物を羽織り、ショップに寄って、3人で外に出る。


予め予約してあったらしく、ビーチパラソルやデッキチェアの設備が整えられた場所に、係員が1人待機していた。


早紀さんがその係員と会話し、彼は一礼して去って行く。


「私は先ずは、ここでカクテルでも飲んでる。

1時間くらい、2人で遊んできなさい」


そう言われて、2人で浅瀬に向かう俺達。


やり直し以後、初めて入った海の水は、西本の水着姿同様に、とてもまぶしかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る