第5話 微睡み

「はぁ⋯⋯疲れました。薪割りなんてやらされたの初めてです」


 私は今、浴槽に浸かって身体の疲れを癒している。

 あの後、リリーエ師匠が「お風呂を沸かすので手伝ってください」と言ってきたので、共同作業かと思いきや、私が苦労して薪を割って、先生が魔法でちょちょいと火をつけるという、明らかに作業配分がおかしい。

 お湯に浸かっている間、ずっと薪割りに酷使した腕が震えていた。



「レミリエル、一緒に入りましょうよー。何を恥ずかしがってるんですかー?」、ちなみにリリーエ師匠はずっと浴室の引取を叩いている。

 落ち着かないし、身体の疲れが癒せる気がしない。



「あの、落ち着かないのでやめてください。流石に一緒になんて入りませんよ」


「そうですか⋯⋯。なら仕方ありませんねぇ」


「やっと分かってくれましたか⋯⋯ん?」



 何故か、引き戸が開いてリリーエ師匠が入ってきた。ちなみに引き戸に、置いてあったホウキを掛けておいて入れないようにしておいた筈だ。


「えへへ、きちゃいました」


「きちゃいましたじゃないんですけど。そもそもどうして入れて⋯⋯」


「魔法使いを舐めないでください。あの程度では私を止められませんよ」


「つまり魔法の悪用という事で⋯⋯」


「てへ」



 舌を出して可愛いらしいポーズを取るリリーエ師匠、「煩いです」と小突いてやりたくなる。

 リリーエ師匠はそのまま、浴槽へと侵入してきた。狭い。



「あのっ、狭いんですけど⋯⋯?」


「それもまた一興じゃないですか。弟子の出汁がよく出ています」


「本当に気持ち悪いので、先に上がりますね」


「ああっ⋯⋯そんな⋯⋯」



 もう限界、そう思い私は浴槽から出る。

 リリーエ師匠は物悲しそうな顔で私を見つめてくるが、初手で弟子の出汁云々言ってくる相手と入浴する気はない。




「レミリエル! ちょっと待ってください!」、浴室から去ろうとする私を引き止めるリリーエ師匠。


「待ちません。手短にお願いします」


「それでは手短に⋯⋯。身体の方は成長していませんでしたね、貧相です」



 それだけ言うと、リリーエ師匠は私から目線を外した。

 嫌味とも取れる発言に、若干苛立ちを覚えつつ私は浴槽を出た。



「あの師匠は何なんでしょうか。全くもって、前の私がリリーエ師匠を選んだ理由が分かりません。大体、この身体では貧相かもしれないですけど、前の私だったら⋯⋯あ、前の私も貧相でした」


 愚痴を言っているはずが、何故だか自分の自虐になっていることに気付いた。

 私は嘆息をつきながら、用意されている着替えを手に取る。

 無地のシャツだ。かなりサイズが大きいからこれ一枚で済ませられる。



「疲れた⋯⋯。お風呂、全然休まらなかったです⋯⋯」


 私は、着替え終えるとソファーに遠慮なく寝転んだ。

 横になった私の視界には、相変わらず物が乱雑に散らばっている。本や杖、脱いでぶん投げられたであろう服。

 二階や三階も気になったけれど、階段を上がる事が億劫だ。



「ヤバい⋯⋯このまま寝ちゃいそうです⋯⋯」



 横になったせいか、一気に瞼が重く⋯⋯こんな所で寝たら風邪ひいて⋯⋯んん⋯⋯。


 結論から言うと、私は睡魔に打ち勝てず爆睡しました。

 そんな私を揺さぶり起こしたのは、お風呂から上がったリリーエ師匠でした。


「レミリエル、こんな所で眠っていたら風邪を引きますよ。起きて下さい」、言っていることにまともだが、私を物凄く揺さぶるリリーエ師匠。


「そんなに揺さぶらなくても⋯⋯起きてますからっ⋯⋯うええ⋯⋯」、脳みそが揺れている感覚に陥る私。



 よく見ると、リリーエ師匠の顔が赤い、いや顔だけではなく全体が赤く火照っている様に見える。もしかして⋯⋯。



「リリーエ師匠、もしかしてお風呂で寝落ちしましたか?」


「よくぞ見抜きましたね、がっつり一時間眠っていました。なのでレミリエル、水を下さい」



 私は寝起きの重い身体を起こし、樽に溜めてある水をコップに汲み、リリーエ師匠に手渡す。

 リリーエ師匠は「ありがとうございます」と言うと、一瞬で飲み干してお代わりを要求してきた。なので、二杯目からはご自分で行ってくださいと促した。



「喉も潤ったので、そろそろ眠りましょうか?」


「私、さっき寝たばかりなのでまだ目が冴えてます」


「それ私もなので、横になりながら沢山お話しましょう。レミリエルの事色々聞かせて下さい」


「まあ、それなら構いませんが⋯⋯」


 私はリリーエ師匠の提案を飲み、後を着いていく。寝室は二階のようで、軋む階段をのぼる。

 リリーエ師匠は二階の一室の扉を開く、中には二人で眠るには充分な大きさのベッドが置かれていた。



「さあ、レミリエル。存分に寛ぐといいですよ」


「シーツ、ちゃんと取り替えていますか? それを聞かないことにはくつろげないんですが」


「と、取り替えていますよ!? 師匠嘘つかないです!」


「ならいいんですが⋯⋯」



 挙動不審な師匠に、疑いを覚えながらもベッドに寝転ぶ。

 身体が弾む様な感覚、ふかふかで気持ちがいい。

 リリーエ師匠も直ぐに私の隣で横になった。



「レミリエル、最近は何をしてたんですか?」


「最近は試験勉強をしていましたよ。一応首席ですし、少しは気にします」



 最近と聞かれて、別の世界にいましたとも言えないので、ここ数日間の話をする。



「そういえば今回も一位だったそうで、偉いですよ」、私の頭を撫で回すリリーエ師匠。


「試験問題が簡単だっただけですが⋯⋯まあ、ありがとうございます」


「でも、おかげで随分と反感を買ってしまったみたいですね。泥だらけになっていた時、誰かに何かされたんですか?」



 リリーエ師匠は、どうやら勘づいていたようで、朗らかな笑顔を見せながらも何処か言い逃れ出来ない圧を感じる。

 私は、一方的になぶられて、挙句の果てに泣かされたなんて口が裂けても言えずに黙り込む。



「言いたくないのならいいんですけど。レミリエル、誰かを見下したり、ぞんざいに扱ってしまうと痛い目を見てしまうのは覚えていて下さいね? これはどれだけ優れていても避けられません 」


「それは、肝に銘じておきます⋯⋯」



 何があったか、見透かしたような様子のリリーエ師匠の言葉は、すんなりと私の中で落とし込むことが出来た。

 確かに、痛い目を見たのは事実だし、これからは表立って下に見るのはやめにしよう。



「それで、レミリエル。一から魔法を教えて欲しいというのは、どういう事なんですか?」


「それもお答えしにくいです⋯⋯。ただ現状、私は今魔法の使い方を一切忘れてしまっています」


「隠し事が多いですねぇ。まあ、レミリエルが私から魔法を教わる気になってくれたので良しとしますが」


「私、そんなに先生から魔法を教わってないんですか?」



 単純に気になったので、怪しまれると思ったが質問してみる。

 先生は、「少し前までのレミリエルはとてもツンツンしていて、私の事を変態だと罵ったり。まあそんな所も可愛かったんですけど」、と謎に頬を染めながら言いました。

 あと、やっぱり変態認定で良かったんですね。



「あ、私そんな感じでしたっけ?」


「そうですよ? もしかして記憶喪失でもしましたか?」


「まあ、そんな所です。だから所々、過去の記憶とか抜けてるんですよ」



 痛い所を突かれたので、咄嗟にそのまま「記憶喪失」という事にしておいた。

 別世界から精神だけ取り替えられましたと言っても、信用して貰えないだろうし。




「それは大変ですねぇ。一応、他の教職員達にも伝えておきます。その方が何かと都合も良いでしょうし」


「ありがとうございます。それは素直に助かるかもです」



 これで堂々と「分かりませんでした」で済まされるようになる。

 私が安堵の表情を浮かべていると、唐突にリリーエ師匠が抱き着いてきた。長い事お風呂に入っていたせいか、ぬくもりを感じる。



「記憶喪失⋯⋯という事は、私としたあんな事やこんな事も忘れてしまったと?」、耳に吐息が吹かかるように、それらしい大人な雰囲気を出すリリーエ師匠。



「あ、すみません、綺麗さっぱり忘れてます」



「え、マジですか。まあ嘘なんですけどね、少し鎌かけてみました」



 あっさりと嘘だと自白したリリーエ師匠。というか鎌をかけたって油断も隙もない師匠ですね⋯⋯。

 まあ、口ぶりからすると前の私らリリーエ師匠に随分と冷たかった様なので、それは無いなとは思いましたが。



「レミリエル、明日は早くに子供たちが魔法を習いに来ますからね。寝坊は駄目ですよ」、私の瞼を優しく手の平でさすり、眠りへと促すリリーエ師匠。


「分かってます⋯⋯でも何故先生の元へ魔法を習いに? 弟子にでもする気ですか?」


「子供たちは魔法学校に入る前に、ある程度魔法に慣らさないといけませんからね。その為です、弟子はレミリエル以外に取る気はありませんよ。安心してください」


「安心って⋯⋯不安になっていたわけじゃ⋯⋯んん⋯⋯」



 そろそろ睡魔のお迎えが来たようで、私の意識は段々と闇の底へと沈んでいく。


 ただ、微かに、「レミリエル、明日は早起きして朝ごはん作ってくださいね、朝ごはんですよ。弟子の料理食べさせて下さいね」、という暗示というか洗脳の様なものが聞こえてくる。



「ん、んんー」


「そろそろレミリエルが魘されてきたのでやめにしますか⋯⋯。私も寝るとしましょう」



 私達は、明日へ向けて暗闇の世界へと落ちていった。









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