第4話 モブキャラが口説かれてどうすんだ


 翌日。

 いつもと同じようで同じでない朝が来た。

 いつもと同じでない理由。

 ニコがいつもと同じように朝の仕込みをしていたら、四葉珈琲店に来客があったのである。

 そもそも来客だけでも珍しいのに、そのお客さんが大問題だった。


「こんにちはー!って、あれ?開いてる?」


 カランコロンと玄関のベルが鳴って、現れたのは赤毛の長身の爽やかな男。

 ショーンクラウド王国騎士団長、ゼル・ウィネガーだった。

(なんで!?)

 ニコは「いらっしゃいませ」すら言うのを忘れてテンパっていた。普段から言い慣れてはいないのだが、それにしても意外な来客すぎる。


「えっと……あの、どうして……?」

 しかも昨日の今日である。

 どうして騎士団長が?

「どうしてって、コーヒーを飲みに来たんだよ」

 当然でしょ、と言わんばかりに、ゼルは満面の笑みで言ってのけた。

「いや〜参ったよ。朝イチで宿舎を出たのに、小一時間迷うんだもの。辺りの人達に道を尋ねてみても誰もピンと来てなくてさぁ。最終的には君の名前を出して家を教えてって聞いてようやくたどり着けたからね!」

 いやプライバシーよ。中流階級居住区は、まあみんなだいたい顔見知りだし個人情報も筒抜けだろうけども。

 戸惑うニコをよそに、ゼルは玄関から一番近くのカウンター席に腰掛けながら、ここまでの道中を恨みがましげにぼやいている。

「四葉珈琲店、って、その名の通りだよね?カフェなのに、誰も知らなすぎじゃない?売上厳しいの?」

 近い。一番キッチンに近くの席から覗き込んでくるので、ニコはちょっと引いてしまう。

 ゼルの今日の服装は、騎士団長の甲冑ではなくかなり軽装だった。涼し気な麻のシャツに細身のズボン。この姿では、ひょっとしたら騎士団長だと気付かれないのではないだろうか。

「いえその、この店は、半ば僕の趣味というか……」

 ゼルがすごい勢いで一気に喋ってきたので、ニコはどこから答えたらいいやらで口ごもってしまう。

「一応、店の体をとってますがほぼ住居ですし、お金を稼ぐ必要もないので……実際、騎士団長が本当に久しぶりのお客様で……」

「ゼルでいいよ。今日はオフだから、騎士団長じゃないし」

「いやいやいや、そういうわけには!」

 何言ってるんだこのお貴族様は。さすがに年上で、役職持ちのお貴族様を呼び捨てにできる庶民は存在しない。騎士団長は、やはり相当な変わり者らしい。ラフにもほどがある。

「えー、休みの日に騎士団長って呼ばれるの、休んだ気がしないから嫌なんだよねー。じゃあさ、周囲に誰もいない時は名前で呼んでよ。それならいいでしょ?俺が許可してるわけだし」

「はぁ……」

 なんなんだその、二人っきりの約束、的な……。ゼルとしては深い意味は無いのかもしれない。実際無いのだろうけど、こちとらBLゲーム脳の持ち主なのである。勘違い、というか深読みしてしまう。

「いいでしょ、ニコ。俺の休暇に協力してよ、ね?」

「……分かりました」

 ゼルの朗らかな強引さに、ついにニコも折れてしまう。

「あ、出来れば敬語も無しで」

 また、無茶を言う。

「……お客さんにそれは難しいです」

「えー?じゃあお店以外で二人きりのときは名前で呼んで、敬語なしね!」

「どうしてそうなるんですか!?」

 完全にゼルのペース。急すぎて反応に困る。

 なんなんだ。やっぱりこれは、最初から友好度向上イベントか何かなのか?発生してしまってるのか?そもそも出会った時から友好度が高いタイプのキャラなのか?いや、そもそも出会って翌日にここまで友好度を上げた記憶はない。急展開すぎる。

「そんな状況、ありえないです」

「そんなの、わからないじゃん。先のことなんて、これからの行動次第でどうとでもなる」

 ゼルは怪しげに微笑んでみせる。

 そう、恐らく、ゼルは朗らかで爽やかなだけじゃない。ゲームをやっているから、わかる。

 しかし実際に目の前にしてみると、こうも振り回されるものだろうか。前世で予習していなかったらどうなっていたことか。

「……ゼルが今日お休みで、そんな貴重な時間を割いてこの店にコーヒーを飲みに来てくれたことはわかりました。でも、一体、何故?」

 ニコは観念して、ゼルに問うた。

 わざわざ休日に、朝イチで、小一時間迷ってまで。

「うーん……君に興味があるから、かな」

 なんだかやっぱり口説かれてる気がしてきたニコなのだった。

「あははは!ちょっと、何その顔!不審者見る目で見ないでよ!」

 一瞬の沈黙の後、ゼルが吹き出す。余程ニコは変な顔をしていたのだろう。爆笑している。どうも笑いの沸点が低い上に笑い上戸のようである。

「おっかしいなぁ〜。思ってたリアクションと違うんだよなぁ〜!君、ほんと面白いね!」

 勝手に面白がられても困る。が、察するに、先程からのゼルの態度は、やはり何かしらニコにアピールするものであったのは間違いなさそうだ。からかっているだけなのかもしれないが、それだとなおタチが悪い。

「僕なんか相手にそんな思わせぶりなこと言って何が目的なんですか?」

「うわぁ、手厳しいなぁ。ごめんごめん。怒った?」

「怒ってはいないですが、何か、試されているようで不愉快です」

「それ怒ってるじゃん!」

 またゼルが爆笑している。なんなんだ、この人。なんだか本気で不愉快になってきたニコだった。

「そういうセリフは、紳士淑女の社交場か、もっとムードのある場所で相手を選んで言った方がいいですよ」

「肝に銘じます」

目尻の涙を拭いながら(笑い泣きしてたらしい。どんだけやねん)、全く肝に銘じる気のない声色でゼルは言った。

「場所も相手も選んだつもりだったんだけどね。まぁ、焦りすぎもよくないし。これ以上何か言ったら本気で嫌われそうだから、今からは普通にお客さんするよ」

 そう言って、ゼルは人の悪そうな眼光を悟らせまいとするかのように微笑んだ。とっくにバレてるけどな。

 ゼルが過去の経験から恋愛対象が同性だってことも、こちらは知識として知っている。だからと言って、まさか会った翌日に口説かれる展開など全く予想出来なかったけれど。

 やはり、おかしなことになっている。確実に。

 内心、ニコは結構テンパっていたのだが、努めて冷静に、いかにもカフェ店員の少年らしいセリフを告げた。

「お客様、ご注文は?」

 ゼルが頼んだのはダブルのエスプレッソだった。クレマたっぷりの漆黒の液体をさらっと飲み干して、一息をつく。その表情は恍惚感に満ちていて、ああ、お気に召したのかな、とニコは思った。コーヒーを飲みに来た、というのはあながち嘘じゃなかったのかもしれない。

「ごちそうさま」

先程の、何か企んでそうな笑顔とは違う、素直な笑顔のように感じた。

「俺さー、これ好きなんだよね。気持ちがシャキッとするというか」

「好きなんですね、コーヒー」

 ゼルは頷く。

「また来てもいいかな?」

 そしてちょっと意味深に、呟く。

「コーヒーを飲みに?」

「うん。そして君に会いに」

 うーん……口説かれている……。自意識過剰ではあるまい。なんでだ。なんで騎士団長様がわざわざ昨日会ったばかりのモブキャラを口説きに来るんだ?あとさっきから思わせぶりなセリフ、もっと明け透けなセリフも目白押しだが、常套句なんだろう、慣れっぷりが清々しいけれど不快極まりない。悪い奴じゃないんだけどなぁ。見境ないのがなぁ。

「不定休なので、いらした時に開店してないかもしれませんが、それでもよろしければ」

 なので、慇懃無礼な態度をとっておいた。また今日みたいに接されるのならばもう来ないでほしいが、一応お客様にそうも言えない。

「あははは!ほんとう、手厳しいなぁニコは。俺、外面の良さには自信あるんだけどなぁ。こんなに取り付く島がないのも久々だよ」

 外面いい自覚があるのか。余計タチが悪い。食えない騎士団長様である。

「僕の相手をするのは時間の無駄だと思いますよ」

 庶民だし、モブキャラだし、そもそもリスロマンティックだし。完全に「攻略対象外」キャラだ。想いに応えようがない。

 助言のつもりだったのだが、ゼルはさわやかに微笑んだ。外面いいほうの笑顔だ。

「無駄かどうかは俺が決めるよ。じゃあまたね、ニコ」

 そう言って、ゼルはカウンターにお代を置くと、ひらひらと手を振りながら退店して行った。

 やれやれ。ひとりきりになった店内で、どっと疲労感に襲われるニコだった。

 終始、ゼルのペース。

 でも、最大限応戦した。つもりだ。

 はぁぁぁぁ……と深い深いため息をついていると、お代と一緒に何かが置かれていることに気づいた。

「…………アイツめ!」

 指輪だ。

 ショーンクラウド王国の紋章入りの金の指輪。精巧な作りのそれは、王国騎士団長が直々に国王から授かる大変貴重なもので……、って。

「そんな貴重品をナンパに利用してんじゃねぇよ色ボケ騎士団長が!!」

 慌ててニコも店から飛び出したが、後の祭り。ゼルの姿は既に消えていた。

「どうしてくれよう……」

 ここまでが奴の常套手段だとしたら、甚だ呆れ返る。

 この国でただ一人しか持ちえない代物が、何故か今、この手元にある。

 とんでもない置き土産に、ニコは頭を抱えた。

 ちなみに、この「騎士団長の指輪置き去り事件」は、ショークラ本編にもゼルルートのイベントとして発生する。なので、指輪がただ一つしかない貴重品であることも、ゼルが口説こうとする相手に使っている常套手段であることも知っていた。が、まさか自分に使われるとは到底思ってもみなかった。

 とりあえず、何故かゼルルートが解放されてしまった、らしい。確かに、ゲーム本編でもゼルは主人公にも誰に対しても友好的だったりするので、比較的攻略がしやすいキャラではある。

(……だとしても展開が急すぎやしないか?)

 チョロすぎないか、この世界線のゼル。いや、チョロいというか、チャラすぎないか?彼の過去エピソードとかに触れると、もうちょっと切ない展開になったりするはずなのだが。

 いやしかし。このまま流されて、ゼルルートを突き進んでよいものだろうか。今日のことが、この先他のキャラやシナリオにどのように影響を与えるのか全くわからない。むしろ昨日あたりからずっと新規シナリオを体験している感じだ。なんだか得した気分である。じゃなくて。

(当事者モードの、対主人公のイベントがニコに発生しているということは、まだ攻略対象キャラがゲーム本編の主人公と出会っていない可能性が高い。日付的にはゲームは始まっているはずなのに。これは私がいることによってニコの言動が物語に何かしらの影響を与えているから。そう仮定すると……)

 まだ、出会っていない攻略対象キャラは、あと一人。今のニコにとっては、最も出会うことが困難な設定のキャラクターだ。

 これ以上、深入りしてはいけない。と、思う反面、ゲームの主人公が現れるよりも先に、全ての攻略対象キャラに出会っておく必要があるのではないか、と思い始めていた。

 この選択は確実に、ニコの人生をも左右してしまう。

 しかし、何の因果かショークラの世界に転生した以上、悔いのないように行動したい、と思う。リセットボタンは存在しない、後戻りなし、一度きりのプレイなのだから。

 新たな決意を胸に、ニコはゼルの指輪をハンカチに包むと、そっとベストのポケットにしまった。



 キッチンに戻ったニコは、途中にしていた調理を再開していた。ほどなくして。

 カランコロン。

 四葉珈琲店入口のベルが鳴る。

 今日は珍客続きである。

「いらっしゃいま、せ……?」

 さすがに本日二度目のベルなのでカフェ店員の固定セリフを発することが出来たが、最後の方は疑問形になった。

「ニコ・キッドソンさんでいらっしゃいますか?」

 きちんとした身なりの執事が玄関に立っていた。いかにもなスーツをきちっと着こなし、真っ白な手袋、上品に整われた髭、白髪をオールバックに決めた、明らかにただ者ではない老紳士である。

間違いなく、こんな庶民のカフェには不釣り合いな人物だ。

「はい、そうですが……あの、どちら様でしょうか……」

 恐る恐る、ニコが問うと、老紳士はニコリと微笑んだ。


「ジェラルド・ジョリー様の使いで参りました。トム・ファンと申します。ニコさんをお迎えにあがりました」


(忘れてたーーー!!!)


 昨日の今日でゼルが突然やってくるからすっかり忘れていたけれど、もう一人、昨日約束を取り付けて来た奴がいたではないか。

 そして二人とも昨日の今日で行動が早いな!律儀か!


「お、お迎え、とは……?」


「主人より、ニコさんをジョリー家の別荘にご招待するように、とのことです。広場に馬車を停めておりますので」

「馬車!?」

 目立つ!馬車て!ファンタジーか!ファンタジーだけど!

 相手が渋るとか断るとかは全く考えていないらしく、ニコがアワアワしているのをトム氏は完全にスルーして、とっとと付いてこい、という勢いである。

めちゃめちゃいい人そうだけど、貴族やその関係者はなんだか無意識に強引である。庶民の都合など知ったこっちゃないのだろう。

 恐らく、これはついて行くより他ない。

 ゲームでの、ジェラルドの別荘イベントは、出会いの次のステップに繋がるものだ。

 やっぱり、展開が早すぎる。


 ガタゴト……ガタゴト……

 カブリオレタイプの馬車に揺られながら、ニコは完全に生気を失った表情をしていた。

 あのあと調理を中断して火の元を確認してエプロンを外してクローズ看板を出して今に至る。急展開すぎる。

 トム氏は御者も兼任しているらしく、広場で待機していた馬車を確認するや否や、助手席?御者の隣の席に座らされ、あれよあれよという間に広場を抜けて、メインストリートを抜けて、中心地から少し離れた森の方までやって来ていた。

 死ぬほど目立った。

 余程のことがない限り、この国に住んでいて庶民は馬車に乗ることなんてなかなかない。荷馬車の荷台に潜り込むことはあるかもしれないが、それも幼き日のイタズラか密入国者である。

しかし、思ってた以上に簡素な馬車だったのには、やや拍子抜けをした。馬車もピンキリであるが、二人乗りのカブリオレは若い貴族こそ小回りがきいて愛用しているが、国王の弟君が使うには質素すぎる。

 執事と思しきトム氏が、御者を兼任していること。

 つまりは、そういうことなのだ。

 ニコはジェラルドの立場を思い、ちょっとだけ切なくなってしまった。



「到着です」

 体感で一時間弱くらいだろうか。森を抜け、山道を上り、景色が拓けてきたと思ったら、とある館の前に到着していた。

古めかしく、歴史を感じる立派な館だったが、別荘というか、隠れ家というか。廃墟とは言わないが、あまり人の気配を感じない建物だった。

「今この建物はジェラルド坊っちゃまの持ち物です。この辺り一帯はかつての政敵一族が暮らしていたのですが、没落してからは国の管理下に置かれています。歴史的価値は高いのですが、いかんせん中心地から離れているので特にシーズンオフは人気がないのですよ」


「坊っちゃま……」


 トム氏、恐らくものすごく優秀な人物なのだろうが、道中延々身の上話を聞かされてニコはぐったりしていた。慣れない馬車の揺れに酔ってしまってもいた。最初は様付けで呼んでいたのに、気がつけば坊っちゃま呼びである。結構くだけた人物なのかもしれない。


「まぁ若者は歴史的建造物よりビーチに行きたがるでしょうしなぁ。気持ちはわからないでもないですが、こうして歴史が忘れ去られてしまうのは嘆かわしいことです」


「はぁ……」


「といっても、私もジェラルド坊っちゃまがこちらに左遷されなければ好きで通ったりしませんがね。遠いし。地味ですし。陰気臭いですし」


(おいおい……)


 あれだ、この人は優秀だけど口で身を滅ぼすタイプだ。間違いない。


「お喋りが過ぎるぞ、トム……」


「おや、坊っちゃま!そちらにおいででしたか」


「坊っちゃまはやめろ、坊っちゃまは……」


 馬車を降りて玄関前でトム氏の話を聞いていたら、二階のテラスから声が降ってきた。

 ジェラルドがこちらを見下ろして嘆息していた。やはり、トム氏のこの態度は通常運転らしい。ジェラルドの対応が慣れている。


「こんにちは!」


 ニコが見上げて挨拶すると、ジェラルドは小さく微笑んだ。


「急な招待、悪かった。今の俺にできる礼は限られているからな。遠いし、地味だし、陰気臭いところだが、よければくつろいでいってくれ」


「おや坊っちゃま!確かに遠いし地味だし陰気臭いところですが、坊っちゃまが居ればそこはトムめの楽園ですぞ!」


結構根に持つタイプらしい。

とにかく、ここまで連れてこられたからには、しばらくはお言葉に甘えてくつろぐよりほかなさそうだ。


しかし、トム氏もまた、ゲーム本編では名前の登場しなかったモブキャラのはずだ。こんなに設定過多なモブキャラだったとは。妙な親近感を覚えてしまう。

確かに、ジェラルド関係のイベントに「執事」や「御者」や「使用人」など登場した記憶があるのだが、もしかして全役トム氏が一人で担当していたということか。やはり、有能すぎる。

トム氏に連れられて、館の中に入る。やはり、かつては栄華を極めたのだろうな、と思わされるが今は古びてどこか痛々しさすら感じる立派な室内で、中央の大階段を上がり、ジェラルドの待つテラスまでやってきた。


「では、私はお食事の準備がありますので」


まさかのコックも兼任だとは。退出するトム氏の背中に呆気に取られていると、ニコの言いたいことを全て察したジェラルドが苦笑しながら言った。


「どこまで詳細を知っているかわからないが……ともかく、俺は国王の弟ではあるが、王宮や上流階級居住区には居づらくてね。誰も俺の身の回りの世話なんて貧乏くじはやりたがらないんだが、トムだけは子供の頃からのよしみでついてきたんだ」


「おひとりで全てをこなしているなんて、有能な部下がいらっしゃるんですね」


「有能でお喋りで物好きなんだ」


ジェラルドはまた苦笑した。トム氏への信頼を感じる、穏やかな笑みだった。


「俺と同じで世の中から忘れ去られたこの我が家で自慢出来るのはトムとここからの眺望くらいだからな」


ジェラルドに手招きされ、おずおずとニコはジェラルドがいる手すりまで近づく。

そこには一面の青が広がっていた。


ニコは自宅からの眺望もなかなかだと思っていたが、比べようもなかった。ジェラルドの屋敷は崖のギリギリに建てられていて、テラスからは真っ青な空と海しか見えない。浮世離れした絶景だった。


「うわぁ……きれいですね!」


「昔は『無限のテラス』と呼ばれて親しまれていたらしい。この景色だけでも、この館に住む価値がある」


「確かに!独り占めなんて贅沢ですね。この国で一番の眺めですよ!観光地になっててもおかしくないのに……」


ニコが興奮気味にまくし立てると、ジェラルドがこちらを覗き込んでいるのに気づいて、我に返る。


「失礼しました!」


距離をとる。その視線がやけに優しいものだったので、ニコは戸惑った。


「構わない。あまり気を遣わないでくれ。言葉遣いとか、態度とか、気にしなくていいから」


「流石にそれはちょっと……」


そんな感じのことを言われるのは今日二度目である。

ゼルといい、ジェラルドといい、変わり者の貴族様は無茶ぶりがすぎる。

一体、ニコはどういう気持ちでここに居れば良いのだろうか?

一応、ジェラルドを介抱した礼として、自宅に招かれた、という状況。

恩人、という扱いなのかもしれないが、急に距離感が縮んだかというとそうではない、はず。

メインの攻略対象キャラがモブキャラに優しい。これは、何かのバグか?それとも罠?何かことあと突き落とされるのか?

悩んでいても仕方ない。選択肢を選んだのは自分なのだ。自分の目で見届けなくては。


「俺としては、久しぶりに……いや、初めてか?自宅に友人を招待したような気分でいるんだ。よければ付き合ってくれ、ニコ」


「友人……」


友達いなさそうだもんな、ジェラルド……。

そう言われると、何だか同情心というか、付き合ってやらねば、という気がしてきてしまう。またしても相手のペース。いや、庶民が貴族に逆らう訳にはいかないのだが。


「坊っちゃま、お食事の用意が出来ました。食堂で召し上がられますか?」


有能すぎる執事兼御者兼コックのトム氏の声に振り返る。いや準備早くね?有能すぎない?


「いや、ここで食べよう。せっかく天気もいいし」


ジェラルドの提案に、トム氏は頷いた。


ニコが手伝おうか迷って右往左往している間に、テラスにテーブルとイス二脚と日除けの傘が運び込まれ、あっという間にテラス席が完成してしまった。いやトム氏有能すぎ!


「ニコさんはお客様ですから。お手を煩わせるわけには参りませんよ」


トム氏は微笑んで、ニコに着席するよう促した。

館を背に、絶景を前に、イスに座る。日が高くて眩しいくらいだったが、日除けがあるとちょうどよく、吹き抜ける風も心地よい。

席ひとつ分くらい間をあけて、ジェラルドも隣に座る。


「いつもこちらで召し上がってるんですか?」


「いや。軽く飲んだりはするが、食事をすることはほぼないな」


「独りで召し上がっても寂しいですもんね」


「トム……」


ジェラルドが何かお小言を言いかける前に、トム氏はしれっと退出していってしまった。主従というより、気のおけない仲なんだなぁ。ジェラルドがひとりぼっちじゃなくて良かった。ニコはしみじみ思う。


「やれやれ」


「この眺めの中食事ができるのは贅沢ですねぇ」


「贅沢、か。見慣れてしまっていたが、確かに、その通りだな」


こんなに穏やかな時間を過ごしてしまっていいのだろうが。温かさと多幸感で頭がぽやぽやしてきてしまう。


「お待たせ致しました。お口にあうと良いのですが……」


「うわぁ!」


ニコは感激して声をあげた。

トム氏が運んできた料理が意外なものだったからだ。

例えるならファミレスの洋食ワンプレート。

パンとサラダとメインの肉料理(ハンバーグである)が、大皿一枚にギュッと乗っている。

コース料理で、見たことも無い食材が次から次へと運ばれてきたらどうしようとか、テーブルマナーもよくわからんぞとか、いろいろ不安だったのだが、拍子抜けである。


「美味しそう!これ、ひょっとして僕に気をつかってくれたのでしょうか?」


ニコが興奮気味に問うと、


「いえいえ、単純に坊っちゃまが貧乏舌なんです。毎日の食事がこんな感じですよ」


「トームー!」


有能だが一言多いトム氏である。


貧乏舌な貴族様……。

ちょっと拗ねた様子のジェラルドに、ニコは思わず吹き出してしまった。


「ニコまで……。いいじゃないか、合理的で。食事の時間も洗い物も少なくて済む」


「いや、あの、洗い物とか気にしちゃうところが、貴族らしからぬというか、庶民的というか」


「毎日たった一人のためにコース料理を用意するなんて馬鹿らしいだろ?俺は別に、不味くなければなんだって食べるし」


知れば知るほど、おかしな貴族様である。


「まあトムの作る料理はなんだって美味いがな」


「私の料理は全部大味なんですけどねぇ、ほら、坊っちゃま貧乏舌なので」


「まだ言うか!」


確かに、名店のシェフのような繊細な味付けではないかもしれないが、家庭的というか、手作りの味というか、そんな温かい味がする。


「とても美味しいです」


「お口に合って何よりです」


「ニコも貧乏舌仲間だな」


「僕は普通に庶民なので」


思っていた以上に和やかな食事になってしまった。

ニコは意外だった。ジェラルドはこんなに親しみやすい人物だったろうか。知識としてあるジェラルドの情報は、かつてゲーム版ショークラのプレイで得たものだ。ゲーム版の別荘イベントはもっと厳かな雰囲気だった気がするのだが……。もちろん、相手がゲームの主人公だったから、なのだろうが……。


「いろいろあって、ほとんど一人で食事をするようになってからは、時間や手間をかけるのが馬鹿らしくなってきてしまっただけで、別に舌が貧しいわけじゃないからな」


「そう言えば昨日も、パンケーキを食べてくれましたもんね。内心びっくりしてたんですよ」


普段から庶民の味に慣れ親しんでいたならば納得である。


「ああ、あれは美味かったな。また食べに行ってもいいだろうか……」


なんだか語尾が自信なさげに小さくなっている。何故だ。迷惑かけたからと遠慮しているのだろうか。


「ごくごくフツーの平凡なパンケーキですけど、それでよければ」


「ありがとう」


一日で「また来る」というお客さんを二人もゲットしてしまった。四葉珈琲店、真面目に営業しなければならないかもしれない。

トム氏かすっかり完食した大皿を下げてくれて、食後のコーヒーとデザートのティラミスまで用意してくれた。感激である。ティラミスも手作り感があって素朴な味がして美味しい。

ニコがホクホクしていると、それを見たトム氏は苦笑していた。


「そんなに喜んで頂けて光栄なのですが、私はお礼としてご招待するならもっときちんとおもてなしすべきでは、と申したのですよ。本職のシェフをお呼びした方が良いと」


「いえ、今日みたいなおもてなしで良かったです。トムさんのご飯が食べられて良かった」


「安上がりなお方ですねぇ」


「庶民ですから」


トム氏はニコニコして、コーヒーのおかわりを注いでくれた。幸せである。


「しかし、ニコは相当変わった庶民なんじゃないか?」


ジェラルドが言う。相当変わった貴族様に言われてしまった。


「舌は庶民かもしれないが、普通の庶民は不労所得で生活していないだろう」


「そうですね……。僕、というか、僕の養父母が不労所得で悠々自適生活を送っているので。僕はそのおこぼれというか、ついで、ですね」


「養父母、というのは?」


別に隠すこともないので、ニコは身の上を語った。


「今は世界一周?旅行に出ています。もう半年くらいになるのか……時々手紙が届きますが、いつ帰ってくるかはわかりません。僕は赤ん坊の頃、港の近くで拾われたそうなんですが、実の親のこととか、詳しいことは知らないんです。特別知りたい気持ちもありません。現状がとても幸せなので」


「なるほど」


何に納得したのかはわからないが、ジェラルドは頷いた。


「ニコがちょっと他と違う気がする理由が何となくわかった」


「他と違う……」


自分ではよくわからない。いや、理由があるとしたら前世の記憶があるせいだ。とは、思うものの、流石にそれはぶっちゃけたところで納得してはもらえまい。


「ジェラルドさんに言われると、ちょっと……」


「呼び捨てでいい」


「そういうところですよ!」


他と違うと言うなら、ジェラルドこそ他の貴族と違う。ゼルもだけど。


「……あ」


「ん?どうかしたか?」


「いえ……」


ゼルで思い出した。

ベストのポケットの中。騎士団長の指輪の存在に。

今、チャンスかもしれない。

ポケットから指輪を取り出し、事情を説明してジェラルドからゼルに返してもらえば……。

ジェラルドとゼルが頻繁に会っているかはわからないが、少なくとも不仲ではないだろう。

普通の貴族が相手だったら、盗難の疑いをもたれてお縄になるかもしれないが、ジェラルドならきっとわかってくれる。いきなりゼルの話をしたら面食らうだろうが……。

そう。普通の貴族が相手だったら……。


「なんでもないです」


ジェラルドに違和感を与えないくらいの逡巡だったと思う。ニコは言葉を飲み込んだ。

ジェラルドの力を借りる訳にはいかない。

「最後の一人」に出会うために、ニコはもしかしたら命懸けになるかもしれない選択肢を選ぼうとしていた。


「あ、そう言えば……あの、今日の招待って僕だけなんでしょうか?」


「どういう意味だ?」


「あの、ジェラルドさんを介抱するにあたって、キリク・ダンストという中流階級のリーダー的存在の人に手助けしてもらったのですが……」


「あ、その方でしたら、忙しいので食事会より金一封にしてくれと断られましてね」


(キリクさんんんんんんんッ!!!)


らしいけど!らしいけども!!

もうちょっと言葉と態度選べよ!!!

ニコがギリギリと奥歯を噛み締めていると、ジェラルドは苦笑した。


「いや、その、キリクとかいう奴の言い分は最もだ。普通は金品の方がいいんじゃないか?俺と食事しても何の得もないだろうし。ニコだって」


「僕的には、あまり仰々しくされたくなかったので、今日みたいな食事会で良かったです。ご存知の通り、生活に困ってませんし、僕が勝手にした事なのにお金や物を頂いてしまうのは申し訳なくて」


「本当におかしな奴だな、ニコは」


ジェラルドは目を細める。

だからそんな優しい眼差しでこちらを見ないで頂きたい。


「あ、でも流石に昨日の朝食代は払わせてくれよ」


「あれは賄いみたいなものですから。無料です」


「徹底してるな!」


ジェラルドも観念してくれたらしい。


「これで貸し借りはなしです」


「なるほど。俺たちは対等な関係になれたというわけだな」


なんでやねん。


「いや、それは……」


ニコが口ごもると、ジェラルドはふと真顔になる。


「寂しいこと言うなよ、ニコ。俺が言える立場ではないが、ニコさえよければ、またここで食事をしよう。お礼とか、お詫びとか、関係なく」


切実な申し出だった。

いやだから、何故こうも今日は口説かれているのか。

「いきなりがっつく殿方は嫌われますぞ、坊っちゃま」


「誰ががっついてるんだ誰が!」


微笑ましげに会話を聞いていたトム氏が口を挟む。戸惑っているニコに対する助け舟なのだろう。


「同情で相手に付け入る殿方もいかがなものかと」


「だから誰がだ!」


「ニコさんドン引きですぞ」


いやドン引き、とまではいかないけども。やや引きくらいで。


「なっ……。ニコ、そうなのか?」


「ハイ、ブーッ!本人に確認しちゃうところもブーッ!ナンセンスですぞ、坊っちゃま!」


「ナンセンス……だ、と……ッ!」


「あの、トムさん……もうそれくらいにしておいてあげて下さい……」


だんだんジェラルドが可哀想になってきたニコなのである。友達のいなさそうな上に、生まれが高貴な彼のことである。発言がちょいちょいジャイアンになってしまっても致し方あるまい。だからと言ってまるっと受け入れる気もさらさらないのだが。リスロマンティックの性である。踏み込まれたら、引くのみ。


「ところで、そろそろお暇させて頂いてもよろしいでしょうか?なにぶん急に出てきたものですから」


「もう帰るのか?」


「おや、たしかに。食後のデザートも済みましたし、食事会はこれにて終了ですな」


「お前はどちらの味方なんだトム……」


間にトム氏が入ってくれて何よりである。

トム氏がいなかったら、なんだかジェラルドに金輪際会えなくなるような言動をしていた気がする。それだけは避けたい。しかし、ジェラルドの気持ちに答えることも出来ない。バランスが難しいところだ。


「お二人は出会ったばかりですぞ。そんなに焦らずとも、徐々に距離を縮めて行けばよろしいじゃありませんか」


「俺だってそう思っているが、昨日ニコはゼルに見つかっているんだぞ」


「……ほほう。騎士団長殿に」


「そうだ」


「……心中お察しします」


トム氏が急に態度を改めてしまった。一瞬で成立してしまった会話に、ニコは内心ギクリとしてしまった。よかった、指輪の話をしなくて。もう既にゼルから手を出されてますなんて知れたら、ここから帰らせてもらえなかったかもしれない。


「ともかく!食事会はこれにて解散ですな。ニコさん、お送り致しますぞ」

名残惜しそうだったジェラルドとは屋敷の前で、馬車で送ってくれたトム氏とは中央広場で別れた。どっと疲れが押し寄せてきた。

昨日、いや正確には一昨日から怒涛の展開過ぎて流石に疲労感がヤバイ。まだ日は高いのにもう既に眠ってしまいたい。今から寝ても朝まで余裕で寝られる気がする。


「やあニコ。お疲れみたいだねぇ」


そして更に疲れを助長させる人物が現れるのである。


「…………」


「いや何か言ってよ!」


「…………」


チラリ、と一瞥をくれたのち、小さくため息をついてその場をニコが立ち去ろうとしたら、声の主、キリクさんは泣きそうになっていた。


「ニコ〜!ごめん、ごめんってば!そんなゴミでも見るような目で見ないでよ〜!」


「僕は何に対して謝られているんでしょうか?」


自分でも思ってた以上に冷たい声が出てしまった。いや、本来キリクさんにニコは助けて貰っているはずなのだが、もっというとジェラルドがキリクさんに助けられているのだが、なんだかムカつくのでやっぱり当たりが強くなってしまう。

魔法使い、とかキリクさんの立場がいろいろ胡散臭いのは置いといて、あの夜のキリクさんの言動は、やはり解せない。何かの圧力というか、誰かの意思が働いているかのように感じた。


「ジェラルド・ジョリーさんの屋敷に招待されてきました。キリクさんも声をかけられていたのでは?」


「あ、ああ……、そうだね。都合が悪くて断ったら、後日改めて礼に来るって……。ていうか、俺の名前出したのニコだよね?別に俺は通りがかっただけなんだから、別に言わなくたって良かったのに……」


キリクさんがしどろもどろになっている。口数も多い。


「キリクさんは……何を、ご存知なんですか?」


ニコは真顔で問うた。


「……どういうことかな?」


「じゃあ聞き方を変えます。誰の、差し金なのですか?」


一瞬、とぼけようとしたキリクさんをニコは見逃さない。


「……ニコのほうこそ、どこまで知っているのかな?」


キリクさんの目がすっと細められる。微笑んでいるようにも、睨みつけられているようにも見えた。ニコはそれ以上お互い喋るつもりがないことを悟った。

しかし、それが一番の答えだ。

恐らく、キリクさんは既に「会っている」。

時間が無い。

やはり、ゲームは始まっているのだ。

誰かの手の上で転がされるというのは不愉快だが、この際文句は言ってられない。

自分の目的のために、いかなる機会も利用し尽くすと、ニコは決めていた。





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リスロマンティックなアラサー女子がファンタジーBLゲームのモブキャラにに転生したら 木綿麻絹化 @okinusaaan

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