第3話 モブキャラ、メインヒーローをお持ち帰りする


 翌日。

 日の出を告げる、ショーンクラウド教会の鐘の音が鳴り響く。

 鐘の音とともに、もしくはそれより早く起きるのはだいたい精霊教関係者か敬虔な信者のみで、大抵の住民にとっては目覚ましの代わりにはならない。

 それはニコにとっても当てはまるのだが、昨日はあの後疲れきってシャワーを浴びたらそのまま寝てしまったので、思いがけず朝の鐘の音で飛び起きる羽目になってしまった。

 簡単に身支度をして、恐る恐る、一階に降りて行くと、やっぱり、ソファで見慣れない金髪の長身が寝こけていた。いや、そりゃそうなのだが、未だに夢じゃなかったのかと疑う気持ちも捨てきれなかったりして。

 抜き足差し足、歩み寄って覗き見ると、昨日よりは幾分か穏やかな寝顔だった。

 安心したような、呆れたような。ニコは嘆息した。


「……お腹空いたなぁ」


 昨日は食事どころじゃなかった。

 何か食べよう。コーヒーを飲もう。まずはそれからだ。


 ニコの料理はだいたい勘と目分量である。だからついうっかり、作りすぎてしまう。だから毎日お裾分けに奔走する羽目になるのだが、焼きあがったパンケーキが10枚を越えたあたりで、あ、またやっちまった、と気づいた。遅すぎる。ニコは小柄なわりによく食べる方だが、それにしたって多い。まだパンケーキのタネはボウルに半分近く残っている。


「うーん、これは今日の差し入れ決定だけど……レインもリュードも甘いのそんな得意じゃないよなぁ……野菜とかお肉サンドするか……」


 ニコがあれこれ思案していると、ようやく、ジェラルドが起きたようだった。もぞもぞと上体を起こすと、ぼんやりと辺りを見回している。


「体調はどうですか?」


 キッチンからニコが問うと、ジェラルドと初めて目が合った。ニコの存在に今気づいたらしい。


「ここは……、お前は、誰だ?」


 不遜な物言いだが、ニコは平然としていた。むしろ内心は「キター!」だった。というのも、実際のゲーム中のジェラルド邂逅イベントと同じ第一声だったからだ。場所、背景と相手は違うけども。


「ここは四葉珈琲店。僕の親が経営している喫茶店です。今は不在ですが。僕はニコ・キッドソンと言います。あなたは、この辺りの方ではありませんよね。中流階級居住区の人達はだいたい顔見知りですので。失礼ですが、上流階級居住区の方かとお見受けしますが、昨日のことはどこまで覚えていらっしゃいますか?」


 ジェラルド・ジョリーは、現国王の弟君として名前を知ってる庶民は多いだろうが、さすがに一目見て認識できる庶民はいないだろう、居たら刺客か何かと怪しまれるに違いない。なので、ニコはすっとぼけることにして、慇懃無礼な応対をする。


「昨日……昨日は、確か……別邸の近くの店で呑んで……ああ、そうか。俺はまたやらかしたのか」


 理解が早くて助かる。

 さすが公式設定、成績のいいアホの子。

 記憶はないようだが、呑んで記憶が無くなるのは初めてではないらしい。


「お節介かとは思ったのですが、何分、どこにお連れしてよいか分からず、我が家へお運びした次第でございます。どうか、ご無礼をお許しください」


 ニコは、まぁこんないかにもセリフめいた言葉を噛まずにスラスラ言えたもんだと笑ってしまいそうになったが、ジェラルドはいたく感心したようだった。ニコを見る視線が幾分か和らいだ気がする。


「許すも何も……。すまない、よく覚えていないんだが、ニコ……と言ったか?ニコ、昨日はひどく迷惑をかけたらしい。助けてくれたこと、感謝する」


 気が弱っているのか、妙に素直なジェラルドに、ニコは拍子抜けしていた。本来はもっと上からジェラルド様なのだ。それはもちろん、繊細すぎる内面の裏返しではあるのだけど、初対面でこうだと困ってしまう。どう対応していいやら。


「お礼なら、中流階級の住民を仕切っているキリク・ダンストさんに言ってください。僕だけの力ではどうにもならなかったので」


 ここはひとつキリクさんも巻き込んでおくことにした。実際に、関わってるし。思いっきり。モブキャラが一人で助けたなんて話より、まだ筋が通るだろう。


「そうか……。では、改めて礼に参るとしよう」


 まだ本調子じゃなさそうなジェラルドは、そう呟いてボーッとしている。うん、確実に弱っているな。そして、初対面の、モブキャラの庶民を前にして、強がったり繕ったりするスイッチが完全にオフになっているのだろう。上流階級の誰かが近くに居れば反応も変わったに違いない。


 何だか少し、同情してしまったニコなのである。

 昨日散々な目にあったというのに。半分は自業自得だけど。


「あの……お腹空いてませんか?普段何を召し上がってるか想像もつかないので、僕と同じもので、その、良ければ……」


 沈黙が怖くて思わず勧めてしまったが、だんだん言葉がフェードアウトして行く。さすがに二日酔いにパンケーキはないだろ。重いわ。と、言ってる途中に気づいてしまったからだ。


「……ありがとう。では、お言葉に甘えよう」


 ジェラルドは小さく微笑んでいた。気を遣わせてしまっただろうか。いや、そもそも庶民を気遣うようなキャラだったろうか。知っているはずのジェラルド像が揺らぐ。完全クリアした私でも、知らないジェラルドが、まだ、いるのか。


 ニコは恐る恐る、ミルク多めのホットカフェラテをなみなみに注いだボウルと、パンケーキが4枚の皿と、あとさすがにお冷のグラスをトレーに乗せて、ジェラルドの席まで運んだ。


「……ニコは朝から相当食べるんだな」


 苦笑するジェラルドに、まだ10枚以上残ってますとは言えなかった。


(うーん……状況が謎だ……謎すぎる)


 改めて目の前の光景に愕然とするニコなのである。

 なぜ、ジェラルドと二人、向かい合ってパンケーキ(多め)を食しているのか。しかも、黙々と。食べ始めてから一切会話がない。何故だ。教育の違いか。宗教上の違いか。

 もし、ジェラルドが出されたものは残さず食べろとかいう育ち方をしていたら、確実にニコの行為は嫌がらせである。二日酔いにパンケーキ四枚残さず食えとか。ひどすぎる。

 自分の分を黙々と食しながら(基本はバターとハチミツだが、今食べているのは味変でレモンのジャムをかけて)、気づかれないようにチラチラと目の前の様子を伺う。ジェラルドはジェラルドで、この空間には自分とパンケーキしか存在していないかのように、粛々とパンケーキに向き合っている。見た目と所作が美しいせいで、パンケーキを食べている、ただそれだけで何やら厳かな雰囲気すら漂ってくる始末である。美しいって、罪。

 それからしばらく、淡々と朝の時間が流れ、


「ご馳走様」


 ジェラルドがナイフとフォークを置いた。パンケーキもカフェラテも、キレイにトレーから無くなっている。


「……お粗末様でした」


 全部食べられてしまった。いや、出したのは自分なんだけど。ニコは細い目を精一杯まん丸にしながら、同じく自分も同量平らげて、二つのトレーを片付けはじめた。


「朝食の礼も、まとめてするから」


「いやいや、こっちが勝手にお出ししただけですから!気にしないでください!」


「そうも言ってられないだろう。ここまで世話になっておいて。ジョリー家総出で礼をしなければ」


「ぜっっっっったいに止めて下さいっ!!」


 釘を刺したものの、思案顔のジェラルドに届いていたかどうか。

 自分から首を突っ込んでおいて今更だが、これ以上ジェラルドに関わるのは遠慮したい。ニコがジェラルドルートに介入してしまったことで、今後の物語がどうなるのか、より読めなくなってしまったのだから。


(この世界線のジェラルド、なんだか可愛いからもうちょっと見てみたい気もするんだけど!するんだけど!!)


 いやいや、欲張ってはいけない。身を滅ぼす未来がみえる。もう片足くらい滅んでそう。

 とにかく、今後は目の前にフラグが転がっていても、喜び勇んで立てに行ってはいけない。モブキャラとして、モブキャラらしく、物語に介入しないように平々凡々、穏やかに生きていかなくては。


 ニコが再度、モブキャラらしくモブキャラとして生きていく決意を新たにしていたその時。


 カランコロン……と、入口玄関のベルが来客を告げた。


「おはよう、ニコ。今朝はなんだか騒がしくて……あれ?お客さん?」


「れ、レイン!!」


 現れたのはレインだった。

 いや、レイン以外ありえない、というか。

 普段からこの時間にわざわざこんな辺鄙な所にある四葉珈琲店に足を運んでくるのは、そもそもレインしか存在しないのである。

 にも関わらず、今日ばかりはすっかり失念していた。うっかり飛び上がらんばかりに驚いてしまったニコである。


 そして、本来なら、ここで出会うはずのない二人が出会ってしまったのだった。

 四葉珈琲店、一階客席。

 有閑貴族の青年と、診療所の見習いと、カフェ店員の少年。

 謎のスリーショットが実現してしまった。

 いや、実際にゲーム中でもジェラルドとレインは出会わなくはないのだけど、シナリオの密度的にそこまで絡みがある二人ではないのだ。しかもカフェ店員の少年が仲介して出会うとか、ありえない。

 どうしてこうなった!

 そう、私が浅はかだったせいだ!

 自問自答自己完結しながらも、ニコは内心冷や汗ダラダラであった。こんな展開は知らない。見たことない。


「こんな時間にお客さんなんて珍しいね」


 レインがカウンター越しに耳打ちしてくる。

 そう、珍しい。本来ならあってはならないお客さんである。


「あ、あはは。そうなんだよねー。ところで、騒がしいって、何事なの?」


 ただでさえ冷や汗が止まらない展開だと言うのに。


「あ、そうそう、中央広場に王国騎士団が巡回に来てるんだ。何か行事でも無いし、特に予告も無かったから、みんな何事かってちょっとした騒ぎになってて」


 ……これ以上、招かれざる客が続くことになろうとは。


 ガタン!

 ニコとレインが音のした方を見ると、ジェラルドがテーブルに手をついて立ち上がっていたところだった。

 表情が険しい。その肩がブルブル震えているように見える。


「……あの、馬鹿!」


 憎々しげに呟いて、ジェラルドは勢いよく飛び出していった。


「世話になったな、ニコ!この礼は必ず!」


「あっ、待って!」


 ニコも慌てて、ジェラルドを追って店を飛び出した。

 すると、案の定、四葉珈琲店入口の前で、ジェラルドは立ち尽くし、途方に暮れていた。


「ここは……どこだ!?」


「まー、そうなりますよねー……」


 ニコは苦笑した。

 入り組んだ狭い路地と似たような石造りの壁と階段が続く周辺は、慣れてない人間には迷宮に等しい。ジェラルドが迷子になる前でよかった。


「中央広場、ですよね。案内するのでついてきてください」


「……頼む」


 頷いて、ニコは足早に歩き出した。ジェラルドがそれに続く。

 そんな二人の背中を、レインは複雑そうな表情で見送っていた。


「ニコ……」


 いろいろ聞きたいことがあったが、確かめるのが怖い気もした。



 知っている人間からすれば、中央広場までは徒歩五分位の道筋である。しかし、いかんせん狭くて入り組んでおり、似たような景色が続く上に、壁が高いので見渡しても今自分がどこにいるのか分からない、なんてことにもなりやすく、よく観光客が半べそになりながら迷い込んできたりする。強いてあげるなら、遠くに聞こえる中央広場の喧騒に耳をすませて、音のする方へ歩いていけば、いつかはたどり着けるだろう。もしくは、忍者のように壁を駆け上がって、上から探してみれば良い。リュード辺りが実際にやってそうではある。

 急いだのできっかり三分で、ニコとジェラルドは中央広場についた。そこには分かりやすくギャラリーが集まっていて、その真ん中に、赤い甲冑を纏った人物が、焦げ茶色の立派な鬣の馬に跨って闊歩していた。


「やっぱりか……」


(やっぱりか……)


 ジェラルドのつぶやきと、ニコの内心の声が見事にハモる。二人が予想していた通りの人物が、目の前にいたからだ。

 赤い甲冑の人物が、二人に、いや、ジェラルドに気づいた。カポカポと軽やかな音を立てながら、馬がこちらへ近づいてくる。


「ジェラルド!こんなところに居たのか!いやー、探したよ!」


 明朗闊達な声が降ってくる。

 赤毛の短髪に、茶色の瞳。人好きする微笑を浮かべたその人こそ、ショーンクラウド王国騎士団長様、そして攻略対象キャラの一人、ゼル・ウィネガーである。


「ゼル、お前な……!俺一人捜索するのに国家権力を使うな!」


「あはは。そう言われると思って、今回はオレの単独行動だよ。ちゃんと業務外でーす」


「だったら王国騎士団長の鎧も脱いで、徒歩で来い!」


 抗議するジェラルドが声を荒らげるがどこ吹く風、朗らかに笑いながら、赤毛、赤い甲冑、もちろん長身イケメンでめちゃくちゃ目立ちまくっているゼル騎士団長様は、全く悪びれる様子は無かった。ショーンクラウド王国騎士団は全員が赤い甲冑な訳ではなく、団長であるゼルの甲冑のみが赤い。つまり、赤い甲冑で出歩けば確実に身バレしてしまう。ゼルは多分、わかっててやっている。


「ひどい言い草だなぁ。長年の友人のよしみで、一銭にもならない酔っ払い貴族の捜索を自ら買ってでたって言うのに」


 ジェラルドはぐっと口ごもる。昨日からの自らの失態を思えば、言い返せないのも最もである。気のおけない友人同士の問答を見守りつつ、ニコは苦笑いを浮かべた。


「夜明けの鐘が鳴る前からこちらは探してたのになー。見つからないわけだよなー。まさか中流居住区に匿って貰えるような友達がいたとはねー」


「友……いや、ちがっ……これは成り行きで……だーっ!もう、俺が悪かった!すまん!」


 観念してジェラルドが先に折れた。弱い……しかし今回ばかりは、100パー、ジェラルドが悪い。


「そうやって謝られるの、何回目かなー。聞き飽きたよなー。もういい加減一人で深酒するの止めてほしいよねー。なんで酒に弱いのわかってて繰り返すのかなー、馬鹿なのかなー」


 ひどい言われよう。だんだん、ジェラルドが可哀想になってきたニコなのである。馬上からマウントを取られまくり、だんだん小さくなって行くジェラルドを見て満足したのか、ゼルはふと、ニコに目をやった。バッチリと目が合ってしまい、反射的に身構えてしまう。

 ゼルは貴族の出でありながら騎士団長を務める変わり種だが、品がありながらも親しみやすい人柄で庶民からの人気も高い。今も、ギャラリーには若い女性が多く、黄色い声を上げたり、手を振ったりしている者も多い。が、いくら親しみやすいと言えど、メインキャラはメインキャラ。格が違う。見つめられたモブキャラの心境は、蛇に睨まれた蛙、である。


「君、名前は?」


「……ニコ・キッドソンです。その路地の奥の、四葉珈琲店の者です。昨晩は、勝手に、その、家にお連れしてしまって……」


「いや、ありがとう、ニコ。君がジェラルドを保護してくれて助かった。感謝する。俺はコイツを連れて帰って報告しなければならないから、今回の礼は改めて伺うよ」


「いや、あの、本当に気にしないでください!」


 言っても無駄だと分かっているけれど、ニコは言わずにはいられなかった。ジェラルドを手助けして知り合ってしまった上に、ゼルとまで邂逅してしまった。

 今回のことが、これからどんな影響を与えてしまうのか。ニコは身震いした。


「ではまたね、ニコ」


 さわやかに微笑んで、ゼルは意気消沈しているジェラルドの手を引いて、馬上に運び上げる。

 そのままギャラリーに手を振り、歓声に答えながら、広場をぐるりと一周すると、そのまま上流居住区に続く階段を駆け上がって行ってしまった。


 嵐のあと。

 どっしりと急に疲労感が押し寄せて来て、ニコはその場にへたりこんでしまった。

 そんなニコに、近くにいたギャラリーの一部、いつも広場周辺で会う顔見知り達が駆け寄ってきて、何事だ何事だと詰め寄って来た。右から左へそれらを受け流しながら、全く予想がつかない今後の展開に思いを馳せていた。


「ニコ、大丈夫?」


 顔見知りのギャラリーたちをかき分けて、慣れ親しんだ声が降ってくる。

見上げると、心配そうなレインがこちらを覗き込んでいた。

 しまった。急な出来事の連続ですっかり忘れていた。レインを店に放ったらかしにして飛び出してきてしまった。


「ごめんレイン、事情も何も説明せずに、僕……」


 レインが手を引いて、ニコを立ち上がらせる。


「いや、それはいいんだ……うん……」


 なんとも、言えない沈黙が流れた。

 別に何もやましいことは無いし、昨日からの出来事を全部説明したらいいだけの事なのだが、ニコの中でも突然過ぎて整理仕切れてないところがある。どこから、どこまで、伝えたらいいのか。いろいろ考えていたら、第一声か出てこない。

 レインはレインで、複雑な表情、困ったような、泣き出しそうな、そんな顔でニコを見つめるばかりだった。

 あれ、これ、今どんな状況?

 二人の間に流れる空気感に、ニコが違和感を抱いたところ、


「そろそろ仕事だから……行くね」


 レインが先に沈黙を破った。


「うん……また、あとでね」


 複雑そうな表情のまま微笑んで、レインは診療所へ向かうために去っていった。


(なんだか、余計、こんがらがってきちゃったような……)


 レインの背中を見送りながら、ニコは嘆息した。

 どちらにしろ、また昼過ぎにはランチのデリバリーでレインに会いに行くのだ。

 それまでに、きちんと整理しておかなければ。


「やあ、ニコ。すっかり渦中の人だねぇ」


 決意を新たに、一旦店に帰ろうと踵を返したところで、反射的にイラッとしてしまう声。いつの間にか、背後に魔法使いが忍び寄っていた。キリクさんだ。


「現国王の弟に、王国騎士団長。立て続けに上流階級の有名人と知り合うなんて……君って本当に不思議な子だなぁ。特別な精霊のお導きがあるのかもしれないね」


 いけしゃあしゃあと、言ってのけるキリクさんに、ふつふつと怒りが湧き上がってくる。お導きも何も、キリクさんは精霊教信者でもなんでもないし、そもそも導いたのは精霊じゃなくてキリクさんである。


「幼なじみのカレはなんとも言えない顔してたねぇ。仲良しの君が別の男を連れ込んでたのがショックだったのかな?修羅場だ、修羅場!」


 ぶちん。

 からかうようなキリクさんの言葉に、流石のニコもイライラが沸点を超えた。


「もう金輪際キリクさんにはお裾分けしませんからね!!!」


 言い捨てて、足早にニコはその場を立ち去ることにした。


「え?ちょっと、ニコ!そりゃないよー!」


 今更慌てたキリクさんの声が追いかけてきたけれど、知るもんか。そもそも、現状もキリクさんが半分くらいは原因なのだ。しばらく、キリクさんの顔は見たくない。



「……とまあ、そんなことがあってですね……」


「そいつは災難だったな」


 その日のお昼すぎ。いつものように診療所にレインを迎えに行って、途中でリュードとばったり会って、三人で木陰の休憩スペースを陣取って、ニコはランチを食べながら、昨晩から今朝におこったことを順に説明していた。

パンケーキをバンズ代わりに目玉焼きや野菜を挟んだものを既に食べ終えたリュードは神妙な顔をしている。


「王国騎士団長と直接話す機会なんて、余程の事件でも起こさない限りないだろうしな。あと、もう一人……現国王の弟か。ニコ、お前ヘタしたら誘拐犯にされるところだぞ」


「もー、僕が浅はかだったことは重々反省してるからそれ以上責めないでよー」


 リュードの言うことは最もである。ジェラルドがメインキャラだからか、そもそも特殊なキャラ設定だからかは分からないけれど、もしもごく普通の貴族に対して同じことをしていたら、感謝されるどころか狼藉を働いたと逆に罰せられかねない。ジェラルドとゼルが普通じゃない貴族様でニコは命拾いしたのだ。


「まあ普通に考えて、そんな有名人が酔っ払って倒れてるとは思わないよね。本当に、凄い確率というか……大変だったね、ニコ」


 今日も推しが我に優しい。激甘。朝の複雑そうな表情はなくなって、気遣わしげに見つめてくるレインはいつものレインだった。

 でもごめん、レイン。本当は「そんな有名人」だとわかってて手を出してしまったんです……確率とかじゃなく、その点に関しては100パー自分が悪いのです……。

 心配してくれている推しに心の中で懺悔しながら、考えるのは「今後の展開」についてである。


「貴族様のお礼、ねぇ。金一封か?」


「お金は別にいらないからもう来ないでほしいなぁ」


 庶民が聞いたら殴られそうなセリフだが、ニコにとっては本心である。ジェラルドが有閑貴族ならば、ニコは有閑庶民だ。贅沢しなければ働かなくても生きていける金額は入ってくるのである。穏やかな日々と美味しいコーヒーと推しの供給さえあれば生きていけるのだ。


「確かに。相手が相手だけに、関わると間違いなく面倒くさいぞ」


「だよねぇ」


「でも、さすがに来ないでとも言えないし、立場上、来ない訳にはいかないんじゃないかな」


「だよねぇ……」


 リュードの言うこともレインの言うことも最もだった。

 はぁ。ニコは深い深いため息をつく。

 身から出た錆とはいえ、これからの展開を想像すると気が重い。


「ニコって普段はそんなことないのに、時々突拍子もないことをするから心配になるよ……」


「うー……レインまで」


「責めてるわけじゃなくて。ニコは優しいから、なんだか気がついたら大事に首を突っ込んでるというか……その……」


「別に僕は優しいわけじゃないよ。相手のためっていうより、全部自分のためにやってる。今回のことだって、あの貴族さんがあのまま野垂れ死んだら寝覚めが悪いなーって思っただけで」


 これまでもニコは、確かに過去、固有スキル「お節介」を駆使して色んなことに首を突っ込んではいた。それが大きなトラブルになったことはなかった、はず。実は大事になっていて知らなかったとか、周囲の誰か(例えば養父母とか)が火消ししてくれていたとかかもしれないが、とにかく今回のような大事にはなっていなかったのだ。

 「私」が出しゃばったばかりに、モブキャラのニコを渦中に飛び込ませてしまった。ただひたすらに反省である。いや、そもそもニコが私で私はニコなのだけど。あー、この辺のボーダーが面倒くさい!


「そうかもしれないけど……。もし、相手の貴族やその身内が誘拐だとか大騒ぎしていたら、処罰されてたかもしれないんだよ?ニコの言い分は全く聞きいられずに……」


「まぁその辺は、運が良かったかもな。相手は現国王の弟とは言え、今や王位継承権もなく、王政に一切関わってないほぼニート貴族だ。そこまで騒ぎになってないのは、つまり国を上げて血眼になって捜索されてないってことは、そいつがこの国にとって重要じゃないと思われてるってことだろ」


「……なんだか可哀想だね」


 そう。ジェラルドルートは本当に切ない。国から必要とされず、やさぐれまくってるジェラルドを助けてあげたい……わけではないけど、彼が助けられて生きる気力を取り戻していく過程を外野から眺めたい。

 もう金輪際関わらない方がいいと分かっているのに、もう一方では、せっかく邂逅イベントがおこったのだからその先を見てみたい好奇心にも駆られている。


「ほら、言ってるそばから同情してる。ニコはやっぱり優しいんだよ。できればニコ、もうその貴族の連中と、一人で会うのはやめてほしい。ニコの身に何かおこったら、僕は……」


 レインが心配するのも最もだ。きっと、顔に出ているのだろう。また何かしでかしそうな感じが。

 ただ、一方で、そこまで心配されるとちょっと、なぁ……という気持ちも湧いてくる。

 リスロマンティック志向の性である。あんまりグイグイ来られると引いてしまう。できるなら、大好きな推しに対して「ウザイ」とか思いたくない。


「あのね、レイン。僕は君の妹のチェルシーじゃないよ。頼りないかもしれないけど、一応大人だし男なんだからね。そんなに信用がないと傷つくなぁ」


 なので、一応「これ以上はストップ!」の意思表示としてくぎをさしておいた。

 ニコの言葉に、レインだけでなく、何故かリュードまで複雑そうな顔をしていた。

 わかってないな、とでも言いたげな。



「あいつの気持ちも考えてやれよ」


 結局、微妙な空気のまま解散になって、レインとは診療所前で別れた。

 いつものように、途中までリュードと並んで歩いていると、ボソリと呟く声が聞こえてきた。


「どういうこと?」


「わかってるんだろ?あいつにとって、お前は特別だ。妹と同じか、それ以上か、家族みたいに大事に思ってる」


「……そうなのかなぁ」


 ニコは誤魔化すというより、自問自答に近い様子で呟いた。確かにニコにとってもレインの存在は特別だ。幼なじみだし、推しだし。でも、やっぱり赤の他人で、一定のラインは絶対にあって、それ以上は踏み込んでほしくない気持ちも揺るぎない。


「そうだったら、ちょっと、困るなぁ」


「困る?」


 もちろん、困る。リスロマンティックは両思い拒否だ。両片想いは辛うじてありだけど。こちらが想ってる分は楽しいけれど、相手の気持ちがこちらを向いたら引いてしまう。天邪鬼、性格悪い、なんて自分を責めたこともあったけど、自覚してしまった以上、仕方がない。これが自分なのだ。


「もしもリュードが僕の立場だったら……困らない?」


 ニコの言葉に、リュードは一瞬、思案顔になった。そして、


「……困るな」


「でしょ」


 察してくれたようだった。

 リュードは優しいし、強いし、王族だし、観察力もあるし気遣いもできる良い奴だ。でも、どこか距離がある。それは、別にニコやレインやチェルシーを嫌いとか信用してないとかじゃなくて、これ以上は踏み込まない、という境界線がハッキリしているタイプなのだと思う。戦争という理不尽で、祖国を失い放浪の身であるリュードと立場は全く違うけれど、人との付き合い方が似ている気がする、とニコは思っていた。


「僕はレインのことが好きだし、大切な存在だけど、僕の人生は僕のものだから、介入し過ぎてほしくないのが本音。僕は冷たいヤツなのかな」


「いや、どちらかというと俺もお前に同意ではある。いつ何がおこるかわからないし、いつまでここにいられるかもわからない。荷物は軽いに越したことはない」


「僕もそう思う」


「お前、いつも、ぼーっとしてるくせに、極たまに鋭いところ突いてくるよな」


「どうせぼーっと生きてますよー」


 リュードは小さく口の端を上げて笑った。珍しい。


「リュードはいつまでこの国にいるの?」


「わからん。……今のところは、な。すっかり居着いてしまったが、いつまでもはいられないだろうな。一時、母国の生き残りが、俺を頭に据えて国の再建を企んでるなんて話もあったんだが……いかんせん、この平和ボケの国でぼーっとするのがうつっちまったからな」


「いいじゃん。ぼーっとしてても。まだまだ居なよ。ずっと居なよ。せっかく知り合えたんだし」


「まあな。俺も戦争は懲り懲りだ」


 リュードはしみじみと呟いた。

 そう。こんな淡々と並んで話す帰り道が、ずっと続けばいい。レインとも、リュードとも、今日みたいな毎日が、淡々と、ずっと、変わらず続いて行けばいいのに。

 変わらないものなんてないとわかってはいるけれど、ニコはそう願わずにはいられなかった。




「ニコさーん!」


 その日の夕方、メインストリートから中央広場をぶらぶらして、日用品を買い物して帰る途中、聞き覚えのある声に呼び止められた。ニコのことを「さん」付けで呼ぶ知り合いは数少ない。振り返ると、青みがかった黒髪のセミロングヘアに、臙脂色のカチューシャを付けた制服の少女がニコを追いかけてきていた。

 チェルシー・ワイズ。

 レインの妹。表現が微妙だが、レインの女体化かな?と思うくらい似ている。


「チェルシー。久しぶりだね。今日は一人なの?」


 チェルシーの登下校は大抵レインが付き添っているはずなのだが……。


「お兄ちゃん、忘れ物?か何かしたみたいで、先に帰っちゃったんです。広場まで来てから別れたんですけど。そしたら、さっき途中でリュードさんにも会って。今日のランチはパンケーキだったんでしょ?いいなー、ニコさんのパンケーキ……私も混ざりたかったー」


 おとなしそうな兄のレインと違って、チェルシーはよく喋るし表情がくるくる変わる。この国には女子が高等教育を受けられる学校が一つしかなくて、そこでは貴族や金持ちの庶民の子供たちに混ざって勉強しなければならずいろいろ大変だと思うのだが、そんな苦労は微塵も感じさせない、明るく活発な少女である。


「ごめんごめん。今日のは全部食べちゃったから、休みの日にでもまた店においでよ。好きな物作るから」


「ほんと!?なんでも!?」


「僕に作れるものならね」


「やったー!お兄ちゃんとリュードさんも誘おう!!楽しみだなー!」


 中流階級からその学校に通っているのはチェルシーくらいなので、近所に学友がおらず、誘う相手が兄のレインや、知り合いのリュードになってしまうあたりが切ない。それでも本人の資質やレインの支えや周囲の協力のお陰で、真っ直ぐと育っている。


(リュード×チェルシーも可愛くて好きなんだよねー。ワイズ兄妹をダブルで相手できるリュードうらやまー)


 ニコにとっても、彼女が幼い頃からの付き合いなので、気持ち的には近所に住む親戚である。

「ニコさん、お兄ちゃんと喧嘩しました?」


「えっ?」


 ニコが妄想に耽っていたら、不意にチェルシーが現実に戻す問いかけをしてきた。

 なんだか最近、ニコとレインをセット扱いする声をよく聞くような……。何故だ。これももしかして、ジェラルドルートを解放してしまった余波、だったりするのだろうか。もしそうなら、まるっと自業自得なのだが……。


「喧嘩なんてしてないよ?というかここ何年もしたことないと思うけど……何、突然」


 ニコが訝しげに問い返すと、チェルシーはチェルシーで困ったように視線をさ迷わせている。


「うーん……なんというか、さっきお兄ちゃん、なんだか元気がなかったので。きいてみたんだけどはぐらかされるし。だからひょっとしたら、って」


「……ちょっと待って、なんでそれで原因が僕ってなるの?」


 いくらなんでも強引すぎやしないか。こう、全く本編で関連性の無い二人をカップリングするかのような無理矢理感がある。リュードといい、キリクさんといい、おまけにチェルシーまで。いくらBLものの世界とは言え、ニコはあくまでもモブキャラである。あ、メインキャラ×モブキャラは確かに一定の領土を誇るジャンルではあるが……。


「だって、ニコさん、お兄ちゃんと一番仲良しでしょ?お兄ちゃんがお仕事でヘマすることなんてまあ無いし、人付き合いの範囲も狭いし、リュードさんと喧嘩するっていうのも想像できないし……あとは、勘?」


「なるほど」


 チェルシーなりの推理があったようだが、ニコ的には完全に見当違いである。

 が、今の物語の流れ的には概ね正しいのかもしれない。

 これは、考えすぎかもしれないが、ジェラルド(貴族)ルートを解放したことで、他方、それに抗うレイン(幼なじみ)ルートが浮上した可能性がある。

 いや待て。何それ。ニコはモブキャラですよ。攻略対象キャラに混ざってどうする。混ざったとて地味すぎますよ。

 内心、ニコは頭を抱えていた。このままではリアルで複数キャラ同時攻略なんて離れ業に手を出す羽目になるかもしれない。ちなみに、ショークラ本編はターン制の都合上複数キャラ同時攻略はできない仕様になっている。

 いや、しかし、リスロマンティックである都合上、同時攻略目指して各キャラのイベントやシナリオをできる限り網羅しつつ、誰ともくっつかない(エンディングを迎えない)が一番己の欲望を満たす結果になりそうな気がしてきた。え、何それ、最the高。その手があったか。


「あの……ニコさん?何かさっきからニヤニヤして気持ち悪いんですけど?」


 チェルシーがドン引きしてるのが伝わってきたけれど、ニコはちょっとだけ、明日以降の展開が楽しみになってきてしまったのだった。

 しかし一方で、「誰とも仲良くしつつくっつかないことを目指す」とは、ゲーム本編の主人公の「愛を成就させる」と真反対の目的であることに、そのときニコは気づいていなかった。

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