短編集「それぞれの夜」

エルリアの場合

 ────夕食を食べる手が止まっている。


 対面に座る第七夫人・エルリアと、ヴァンは鋭い眼光を飛ばし合っていた。


「もう、いい加減にしてくださいよヴァン様! わたくし絶対やりますからね!」

「いや、ダメだ。勝手に弄ったら俺が元に戻すからな」


 エルリアは眉を歪ませ、不満げに唇を尖らせていた。そんな顔しても可愛いだけだ。ヴァンは自分の主張を曲げる気などなかった。


 口論になった原因は、スナキア家に設置されている動く歩道やエスカレーターである。妻たちが正体を隠してスナキア邸に出入りするための秘密通路に数機設置されている設備だ。


 取り付け工事は建築関係の博士号をいくつか持っているヴァンが請け負った。その後の整備もヴァンが責任を持って行っていたのだが、現在は『花嫁修行その9233・エスカレーター整備』にて技術を身につけたエルリアに任せている。どんな花嫁になるつもりだったんだというツッコミはもはや置いておこう。


「今の速度じゃ間怠っこしいんですってば! 設定を上げれば行き帰りで一分くらい短縮できるんですよ⁉︎」

「速過ぎたら危ないだろ! 転んで怪我したらどうするんだ!」

「ですから、法定基準内に留めますってば! アレを使うのはわたくしたちなんですから、わたくしたちの好きにさせてくださいませ!」


 彼女の主張は尤もだ。だが、愛妻家のヴァンとしては僅かなリスクも見落とせない。あの通路は一日に二、三回誰かが通る程度の道。怪我して動けなくなったりでもしたら発見まで時間を要する。


 時々街で設定速度を上げているエスカレーターを目にする。若者からすると快適だな〜程度だが、ご老人にとってはかなり恐ろしいものだと聞く。もちろん妻たちは老人などではなくいつまでも最高に可愛い天使たちなので一緒にするのは大変失礼なのだが、……ウチには屈伸すら苦手な第四夫人・フラムや何かと抜けている第六夫人・ヒューネットがいる。長年彼女たちと夫婦として過ごしてきたヴァンの勘が言う。あの二人は絶対すっ転ぶ。


「ヴァン様は過保護過ぎます。わたくしたちだって自立した人間なんですから。ペットの猫ちゃんじゃないんですからね!」

「そ、そんなことは思ってない! でも心配なんだよ!」


 お互い譲らないのは目に見えていた。それをあちらも悟ったのか、エルリアは提案する。


「……じゃあ、勝負で決めましょう」

「勝負?」

「正々堂々戦って勝った方に従う。それでいいですわね?」


 アイメイクばっちりのお目々をギラリと細め、エルリアは凄む。


「しょ、勝負と言っても何するんだ?」

「取っ組み合いでも構いませんよ。わたくしあらゆる武道の達人ですから、魔法なしならヴァン様にだって負けません」


 滅茶苦茶なことを言い出した。馬鹿馬鹿しい。体術ならヴァンだって鍛えに鍛えているし、負けるはずなど────、いや、


「ヴァン様はわたくしに手を上げるなんて死んでもできませんよね? わたくしは女であることを傘に着て全力で攻撃しますが」

「ズル過ぎる……! 他のにしてくれ……っ」


 よくよく考えればヴァン必敗である。そしてさらに考えていけばおそらく人類で最も器用で万能である彼女には何をやっても敵うはずなく、勝負で決めるという方針自体ヴァンは頷けないものだった。


「エル、もっとよく話し合お────」

「あっ!」


 突如エルリアが最高のアイディアを閃いたとばかりに手を打った。


「エロい勝負にしましょう!」


 ────あ、これヤバいやつだ。


わたくしが<検閲されました>した回数とヴァン様が<検閲されました>した回数で勝負ってことでいかがです⁉︎」

「エル、一応食事中────」

「その辺の男性ならそう何度も<検閲されました>はできないでしょうけど、ヴァン様は分身で<検閲されました>し放題ですものね!」

「食事中だって言ってるだろ!」


 つい三秒前まで険悪な空気だったのに、彼女はすっかりご機嫌に仕上がっていた。もはやエスカレーターのことなど眼中にないのは丸わかりだ。


「さ、寝室行きますわよ! グテングテンにして差し上げますから!」

「いや、ちょっ……!」


 彼女はヴァンの腕を掴み、強引にヴァンを引っ張っていく。そんな勝負ヴァンに勝ち目などあろうはずがない。大体せっかく作ってくれた料理だってまだ残っているのに。


 ……しかし、その手を振り解けないのがヴァンの弱さである。



 ────数時間後。


 床に転がるのは、恍惚の表情を浮かべるヴァンの分身たち。意識も定かではない彼らの脳裏に浮かぶのは、「分身を増やすから待ってくれ」と懇願するヴァンに向ける彼女の意地悪な笑顔だけである。


 エルリアは半透明の肌着だけを羽織り、もはや生きているか死んでいるのかも分からない夫たちを踏まないようにキッチンからコーヒーを持ってきて、ベッドの片隅に腰掛けた。


 満足げに一口コーヒーを飲んだ後、夫たちを一瞥し、誰に言うでもなく呟く。


「……ま、予定調和ですわね」


 その翌日から、スナキア家のエスカレーターは稼働速度を上げたのだった。





——作者より——

ご無沙汰しております。

私生活が忙しく長編を書く時間がなかなか取れないため、今回のような一話完結の短編だけでもたまに投稿していきます……。

続きは気長にお待ちいただければ幸いです。

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