フラムの場合

 ***


 ダイニングに焼けた魚の香りが漂う。


 ヴァンは食卓に小皿を並べながら、第四夫人・フラムに問いかける。


「他にも何か出すか?」


 いつものように「いいの座ってて」という回答が届くと予期していた。稼ぎと護衛を担当しているヴァンにするように、妻たちは家事を全て請け負うのが自分の役割だと言い張る傾向にある。一緒に生活しているのだからある程度担わせてほしいのに。


「あ、じゃあねぇ、グラスを二つ出してくれる?」

「グラス?」


 本日は仕事を頂けるようだ。しかし、グラス? 普段食事中の飲み物には陶器のコップを使っているはずだ。


「フフ、あのねぇ、今日はビールがあるから一緒に飲まない?」


 フラムは得意げに微笑んで、冷蔵庫の中から冷えたビール瓶を取り出した。


 ────何事だろう。ヴァンは彼女とお酒を飲んだことがない。フラムは飲酒を許される十八歳の誕生日に一口飲んで以来一度も飲んでいないと聞く。アルコールの香りがどうにも受け付けないらしく、お酒全般が苦手なのだ。


 不思議そうに彼女を見つめるヴァンに、フラムは説明を始める。


「あのねぇ、この前ヴァンくん酔っ払って帰ってきたでしょう?」

「その説はすいませんでした……!」

「フフフ、いいんだよ。ヴァンくんがねぇ、すぅっごく幸せそうで嬉しかったの。だからまた見せてほしいなぁって」


 先日ヴァンは義兄・ドレイクと和解を果たし、その勢いで泥酔。妻に連絡すらできないまま帰宅が遅れ、彼女たちに不安な思いをさせてしまった。ヴァンとしては一生かけても償いきれないほどの大罪である。


 だが、思いの外妻たちからは好評だった。


「普段はねぇ、ヴァンくんいつも気を張っててあんまり飲まないからぁ……。ちょっとでも肩の力を抜いてるところを見せてくれたら安心するの。……ダメかしら?」

「い、いや。せっかくだし頂くよ。でもフラム大丈夫なのか?」

「うん! わたしもねぇ、久しぶりに試してみたいの。あのねぇ、大人になったら苦手なものを食べれるようになったりするじゃない? だからきっと今は平気だと思うの」


 姉さん女房はなぜか自信満々に告げる。……まあ、確かにいつの間にか苦手を克服していたという話はよく聞く。若干不安ではあるがヴァンが見守っているなら何とかなるだろう。


「……じゃあ、一緒に飲もうか」

「はぁい。フフ、初めてだねぇこんなの」


 ヴァンとフラムは互いのグラスにビールを注ぎ合い、初めての乾杯をした。恐る恐る口に運ぶフラムを見つめながらヴァンも一口頂いた。


「……あ、おいしいかも!」


 フラムは目を見開いていた。ヴァンはホッと胸を撫で下ろす。どうやら彼女は本当にお酒を受け付けるようになっていたらしい。


「良かったな」

「うん! フフ、緑のおばあちゃんがペガサスの道路なの」

「⁉︎」


 ……何だ、今の?


「フラム……?」

「フラム校長はねぇ、すぅっごく苦いブランコなんだよぉ」

「あ、ダメだこれ……!」


 フラムは既に泥酔していた。呂律が回っていないし、回ったとて意味の通る文章になっていない。え? 早くないか? 一口飲んで三秒後だったぞ? いつも何をするにもゆっくりなのに酔うのだけは異常に早い。頬ももう赤い。


「えへへ〜、おいしぃ〜♡ もっと飲んじゃお〜♡」

「あっ! も、もうやめとけ!」


 ヴァンは大慌てでフラムからグラスを奪い取った。────この人、絶対お酒を飲んではいけない人だ。


「何するのぉ、ヴァンくん。お酒返してよぉ〜」


 フラムは目一杯眉間に皺を寄せて抗議する。二秒前まで赤かった頬がもう青白くなっている。酔いの進行が早すぎる。


「フラム! み、水を飲もう!」

「えぇ? どうしてぇ? お酒もっと飲みたいのに……」


 ヴァンは分身とテレポートをフル活用して一瞬で水の入ったグラスを用意する。手渡すと彼女は大層不満げに一口だけ水を飲んでくれた。……もしかして、酔いが覚めるのも早いなんてことはないか?


「あのねぇ、栗がたくさんで火山が流れていくんだよぉ」


 ないな。そんな都合の良い話はない。覚めるのは遅いのだ。じゃあもう寝かさなければ。


「フラム! 寝よう!」

「えぇ?」

「とにかく寝るんだ!」


 ヴァンは彼女の腕を掴む。するとフラムはプンプンとむくれてヴァンを睨んだ。


「……ねぇ、ヴァンくん。わたしねぇ、頑張ってご飯作ったんだよぉ? えっちは食べてからでいいでしょう?」

「あ、いや! そういう寝るじゃないんだ! フラムはもう酔っ払ってるからすぐ寝ないといけないんだよ!」

「わたし酔っ払ってないよぉ! まだ飲むんだもん!」


 フラムは駄々をこねる。珍しい姿だ。これはこれで可愛い。……そんなこと考えている場合ではない。無理矢理にでもベッドに運ぼう。確かに料理を頑張ってくれたところ申し訳ないのだが、もはや緊急事態なのだ。


 ヴァンは問答無用で寝室にテレポートする。文句を言われる前に彼女をお姫様抱っこし、手早くベッドに寝かせて布団をかけた。フラムはしばらく呆気に取られていたが、事態を把握すると暴れ始めた。せっかくかけた布団がベッドからずり落ちる。


「も〜! どうしてこんなことするのぉ⁉︎ ヴァンくんのえっち! ちょっとくらい待ってよぉ!」

「そうじゃないんだ! 君は酔ってるから寝ないといけないんだって!」

「そんなに<検閲されました>が好きなのねぇ⁉︎ いっつも<検閲されました>ばっかり<検閲されました>するんだもん!」

「そんなエゲツないド下ネタを連発するな! 違うんだって!」


 埒が開かない言い合いを繰り広げる。この人ふわふわしている割に実は下ネタを好むお姉さんなのでガードが緩むと手がつけられない。かと思いきやフラムは突然黙り込み、ヴァンに背を向けるように横向きに寝て、ヴァンめがけて尻尾を放り出した。


「お好きにどうぞ!」


 観念して抱かれてやるのニュアンスで言い捨てる。ダメだ。彼女の中では完全に「夫=スケベ野郎」になっている。……まあ間違いではないのだが、今はそんなつもりはないんだ。しかしもう何と説明していいやら。ヴァンは頭を抱えるしかなかった。


「フラム、あのな? 何度も言うように君は酔っ払っていて────、ん?」


 寝息が聞こえる。前に回り込むと、彼女はとても幸せそうな表情で眠っていた。寝るまでの時間も異様に早かった。


 ヴァンは脱力し、その場に座り込んだ。二度と彼女にお酒を飲ませまいと、ヴァンは固く決意するのだった。


 

 ────翌朝。


「……くん。ヴァンくん」


 声かけに応じてヴァンは目を覚ます。フラムは寝起きで乱れた髪に手櫛を通しながら、不思議そうに問いかける。


「おはよ。ねぇ、わたしいつの間に寝ちゃったのかしらぁ?」

「……」


 昨夜の記憶はないようだ。あれだけの大暴れをしたというのに。しかしどうやら体調に問題はなさそうなのでヴァンは安心する。……あ、いや、待て。記憶がないってことは……。


「あのねぇ、わたしビールを買ってきてたの。本当は昨日一緒に飲みたかったんだけど、今日はどうかしら?」

「……っ!」


 まさかこれ無限ループか……⁉︎

 

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