31.ご挨拶

 ***


 シュリルワが十六歳を迎える日まで残り二ヶ月。


 シュリルワ自宅内の玄関までヴァンはお迎えに上がる。


「……やっと観念したか」


 ヴァンはややムッとしながら背の小さなシュリルワを見下ろす。ヴァンとしては一刻も早く実行するべきだと主張していたイベントが、本日ようやく行われる。シュリルワの養父であるミゲルへのご挨拶である。


「だ、だって恥ずかしかったです! シュリはミゲルも居る前でアンタのことボロクソに言ったっていうのに、たった何ヶ月かで手のひら返してアンタと結婚するなんて……!」

「ハッハッハ、後先考えて行動するべきだったな」

「くぅ〜……っ!」


 シュリルワは猫耳を引っ掴んで縮こまった。ジルーナとミオからは結婚したことを誰にも言えないのが寂しいという言葉をたまに聞いているが、シュリルワはむしろ言いたくないらしい。自分が取ってきた態度に全く整合性が取れないのである。


 しかし親に黙っているわけにはいくまい。一週間ほど前、彼女からご挨拶をしたい旨と相手がヴァン・スナキアであることを伝えてもらった。……その反応が、実に愉快だった。


「内緒にしてたのに全部バレてたですし……」


 親からすればシュリルワが恋をしているのは一目で分かったそうで、相手がヴァンであることもタイミング的に察しがついていたとのことだ。あの初対面からたった一ヶ月でまんまと落ちたと考えるとニヤニヤが止まらなかったと告げられたそうだ。


 さらに、ミゲルは時々わざと「シュリちゃんはヴァン様嫌いだもんね?」と放り込んでは目を泳がせて肯定する様を楽しむという鬼畜な遊びもしていたらしい。


「もっと早く素直に打ち明ければ良かっただろ?」

「ミゲルにもそう言われたです……。素直になる練習をさせてるくらいのつもりだったらしいです……」


 ツンツンして本心を隠しがちな彼女を変えてやろうという親心みたいなものなのだろうか。────非常にありがたい。


「俺としても素直なシュリをもっと見てみたいしな」

「ちょ、ちょっとずつ頑張ってるです」

「ほう、そうか」


 ここぞとばかりにヴァンは踏み込む。


「じゃあシュリからキスしてみてくれ」

「なっ……⁉︎」


 シュリルワは途端にたじろいだ。ヴァンはせめてもの情けで口ではなく頬を差し出す。ジトッとした目で睨まれても知ったことか。


「……そ、そんなの簡単です!」

「!」


 シュリルワの柔らかい唇が当たる。ヴァンの唇に。彼女は堂々と腕を組んで去勢を張ったが、三秒も保たず顔を背けた。


「……その反応も可愛いからツンツンしててもいいんだけどな」

「じゃあなんでさせたですー!」


 シュリルワはポコスカと両手でヴァンの胸を小突く。うん、やはりこちらも可愛い。


「い、いいからそろそろ行くですよ!」

「そうだな。……緊張してきた」


 ヴァンは過去に二度も結婚しておいて「お嬢さんを僕にください」はまだ体験したことがない。気を引き締めて取り掛からねば。ミゲルはプラネスの個室で待っている。テレポートするために手を伸ばすと、シュリルワは躊躇なくぎゅっと握る。


 ────そして即座にプラネス内。


「あ、ヴァ、ヴァン様!」


 着席していたミゲルが大慌てで立ち上がった。


「さ、様はやめてください」


 こんにちはより先に口から飛び出た。本日許可を頂ければヴァンは義理の息子になるのだ。呼び捨てでも君付けでも何でも構わない。


「は、はは。シュリちゃんとお付き合いしてると気づいた時から心の準備はしていたんですが、いざ目の前にすると緊張してしまってねえ……」


 ミゲルは苦笑しながら後頭部をかく。家柄のせいでどうも人を萎縮させてしまうのがヴァンの昔からの悩みだ。肩書きを外してしまえばやっとお酒が飲める歳になった程度の若造なのに。


 ミゲルに勧められるままにヴァンとシュリルワは着席し、ミゲルと対面する。


「きょ、今日は来てくれてありがとう……、あれ、お越しいただきありがとうございます……?」

「あの、ラフに喋っていただいて大丈夫ですから!」

「ミゲル、今日はアンタの方が強いですよ!」


 二人揃ってフォローするも、ミゲルは依然困ったように眉を歪ませていた。ヴァンが何を頼んでも自動でイエスと言ってしまいそうな雰囲気だ。冷静にご判断頂きたい場面なのに。


「こ、こちらこそ貴重なお時間を頂きありがとうございます」


 ヴァンはせめてできるだけ礼儀正しく膝に手を乗せ、深々と頭を下げる。こちらが許しを乞う立場であることを見せつけねばなるまい。そして、


「お嬢さんとの結婚をお許し頂きたく、ご挨拶に参りました」


 首を垂れたまま、誠心誠意伝える。続け様に、ある種の言い訳を展開しなければならない。


「僕はすでに妻がいる身です。そして、ビースティアの女性と結婚することを好ましく思われない立場にあります。ですが僕の一連の行動には事情がありまして、まずはそれをご説明────」

「い、いえ! ヴァン様、それは大丈夫です!」


 ミゲルが突然割って入った。ヴァンは驚き、思わず顔を上げた。ミゲルはシュリルワを真っ直ぐに見つめ、優しい声音で問いかけた。


「あれだけ噛みついていたシュリちゃんが納得したんだ。きっとよっぽどの事情があるんだね?」

「は、はいです。なんかすっごいことになってたです」


 ミゲルは一つ頷いて、今度はヴァンに視線を向けた。


「僕なりにねぇ、考えていたんです。僕が二人にできる協力はとにかく口を噤むことだろうと。シュリちゃんのことが世間に知られたら困るでしょうから」

「……はい」

「だから、細かいことは知らないでおきます。結婚については許可も何もありませんよ。シュリちゃんをよろしくお願いします」

「……! あ、ありがとうございます」


 やけにあっさりと認めていただいた。何の説明もなしで。ミゲルは緊張しているとはいえ終始にこやかで、心の底から祝福してくれていることが伝わってきた。……ありがたいのだが、こんなに簡単に許されて良いのだろうか?


「僕はヴァン様を信頼していますから。なんせ────」


 話がまとまりかけたところに、シュリルワが神妙な面持ちで爆弾を放り込む。


「ミゲル。シュリ、結婚したらこの店を辞めるです。それでもいいです?」


 それは事前の打ち合わせにはない言葉だった。


「「え……?」」


 ヴァンとミゲルの声が揃う。突然何を言い出すんだ。結婚後もヴァンが送り迎えする形で仕事を続けるという話になっていたのに。


「ヴァン、ごめんです。シュリはなんとなく、自分はこの店に残った方がいいと思ってたですけど……。ちゃんと本当に自分がしたいこと言うことにしたです」


 シュリルワは意を決したように一度深く息を吸い、ミゲルの目を見据えた。


「シュリはこのお店もお客さんも大好きです。もっと子どもの頃から手伝ってきて、いっぱい思い出をくれた大事な場所です。……でも」


 シュリルワの小さな手が、ヴァンのジャケットの袖をつまむ。


「結婚するからには、シュリは自分の人生をこの人のために使いたいです」


 少し恥ずかしそうに、しかしそれをかき消そうとするかのように、彼女は強い語気で言い切った。


「ヴァンはたった一人で戦ってるです。シュリはそれを手伝えないですけど、せめてヴァンが全力で戦えるように、いつもそばで支えていたいです。だからもう、このお店では働けないです」


 衒わず、打ち明けた本心。シュリルワの途方もなく素直な気持ち。


 思わずこちらが赤面してしまいそうだった。彼女はそこまでヴァンに寄り添う覚悟をしてくれていたのか。ミゲルの目の前でなければとっくに抱きしめている。


 しかし、この告白は結婚そのものの可否に重大な影響を与える。彼女はこの店の看板娘なのだ。


 ミゲルは腕を組み、目を瞑ってしばらく考え込んだ。笑顔はもう消えていた。


「ヴァン様……、いや、ヴァン君」


 途端に緊張感が増す。ヴァンは背筋を伸ばし、次の言葉を待った。


「シュリちゃんは働き者だ。真面目で、きちんとするのが好きで、愛嬌があって人に愛される。うちのエースだよ」

「……はい」


 彼女は絶対に必要な人材のはずだ。ヴァンは彼から娘も大切な従業員も奪うことになる。ミゲルが快く思わないのは当然だ。無表情で向けられる視線が痛い。


 しかし、


「……だから、頼りすぎてしまってね。僕に子供が生まれたてというのもあって、ここ一年くらいは特にね」


 ミゲルは寂しげに微笑んだ。


「この子の両親が亡くなって僕が引き取った。シュリちゃんは僕に何か返さなきゃと、痛々しいくらい頑張っていた。早くフルタイムで働きたいからと飛び級までしたんだ。勉強なんてあんまり得意じゃなかったのにね?」


 揶揄うようにシュリルワに投げかける。彼女は何も言えず、縮こまって俯いた。その姿を見てミゲルは感慨深げに頬を緩める。


「いつかこの子を、自由にしてあげなきゃと思っていたんだ」


 何年分もの念がこもっているかのような、芯のある声だった。


 強かったシュリルワの肩が震えていた。静かな個室内で彼女の啜り泣きだけが聞こえる。大粒の涙が膝下に落ち、スカートを濡らす。テーブルの下でヴァンに手を伸ばし、膝に乗せていた拳を包むように握った。


「しばらく前、いつも仕事仕事だったシュリちゃんが、突然美術館に行くって言い出したんだ。この小さな街から飛び出して、世界を広げようとしたんだろうね。なんだか僕も嬉しくなって、お休みをいつもより多めに作ったんだけど……」


 ヴァンは知っている。彼女は行けなかった。それは予定していた日をヴァンが潰してしまったせいだと思っていたが、


「でもシュリちゃんはお店が忙しそうだと出てきてしまうんだ。予約が多かったからとか、火曜日はあの団体が来て大変だからとか……。あとは、僕の子どもが風邪を引いた日もそうだったなぁ」


 ヴァンの知らない事情もあったようだ。彼女が颯爽と店に現れてテキパキと働いている姿は容易に想像がついた。


「結局シュリちゃんは行けなかったんだ。……でも、君が連れて行ってくれたと聞いたよ、ヴァン君。本当にありがとう」


 ふいに、ミゲルの暖かい目がヴァンに向けられた。


「シュリちゃんには行きたい場所がいっぱいあったはずなんだ。行きたいという気持ちが自分にあることすら気づけない日々を送らせてしまった」


 シュリルワはえずくように泣き、とめどなく涙が溢れる目を袖で擦る。


「でも、ついに見つけたんだね? シュリちゃんが行きたいのは、彼の隣なんだね?」


 言葉は出ない。しかしシュリルワは懸命に首を縦に振った。


「じゃあ僕は応援したい。ヴァン君、僕は君を信頼している。シュリちゃんを頼んだよ」


 ミゲルはそっとヴァンに手を差し出した。ヴァンはそれを握り返す。握り潰してしまわないように気をつけなければならないくらい、強い強い決意を伴いながら。


「必ず幸せにします。あなたの大切なシュリルワさんを、僕にも大切にさせてください」


 

 ────その後プラネスはシュリルワの退職と共に二ヶ月ほど休業することとなり、ミゲルは子育てと後進の育成に集中する運びとなった。かえって良い機会を貰えたとミゲルは喜んでいた。


 大々的に開催されたシュリルワの卒業式には街中の酒飲みが押し寄せ、一日で普段の四ヶ月分の収益を上げる大賑わいを見せる。相手は伏せつつも結婚することを発表したシュリルワに、常連たちは「俺たちみんなの娘だぞ! 全員に挨拶させろ!」と迫っていた。中でも過激な人々は「見つけ次第ギタギタにしてやる!」と叫んでいたほどだ。


 透明になり、漁師町の屈強な猛者たちの男泣きを聞いていたヴァンは、珍しいフレーズを呟いた。────スナキア家の末裔で助かった、と。



(第15話 完)





——作者より——

シュリルワ編完結です!ここまでお付き合いいただき本当にありがとうございます!

途中長い間更新が停止してしまい申し訳ありませんでした。もう忘れられているだろうなぁと怯えながら投稿していたので、それでも読んでくださる皆様の優しさで毎日ビチョビチョに泣いていました。

連載開始してしばらくはコロナの影響で時間の余裕があったのですが、もうすっかり元の社畜に戻ってしまいました。でもどうにか細々と書き続けつつ、別の作品にも手を出そうと思っております。良かったら今後も応援よろしくお願いします!

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