12.酒乱の女
────電車を三本乗り継いで一時間半。
ジルーナとミオはラクハの地に降り立った。
すっかり夫のテレポートに慣れ切っているのだと反省した。一般的には大した長時間ではないはずなのに、ジルーナは随分と乗り物疲れしてしまった。だがミオは元気そのもので、駅からプラネスというレストランまでの道を早足で突き進んでいく。
「ジルは声でバレるかもしれないから気をつけてねぇ」
「バレても言いふらす子じゃなさそうだったよ。あ、でもあの電話に怒ってプレッシャーかけにきたと思われちゃうか。……実際かけにきてるんだし」
「違うわよぉ! ちょっと見てみたいだけなのぉ!」
口ではそう言うが、何かしでかさないか不安だ。お目付役として監視しておかねば。
やがて辿り着いたプラネスは店の外から分かるほど客の声で賑わっていた。この辺りじゃ相当な人気店なのだろう。ミオがジルーナと目を合わせ、まるで敵の基地に突入するかのような覚悟を決めた顔で小さく頷いた。一方ジルーナはやれやれと呆れてと目を瞑る。
「いらっしゃいです!」
二人を迎えてくれたのは、小柄な女性の店員だった。尖った猫耳をお持ちのビースティアである。
「さ、さ。どうぞこちらへ」
彼女は太い二本の三つ編みを揺らしながら二人を引き連れて奥へと歩いている。その背中をジロジロと観察しながら、ミオがこっそり囁く。
「……この子っぽいわねぇ。声の感じ」
「多分そうだね」
おそらく電話で聞いたあの声だ。やがて彼女が他の客から「シュリちゃん」と呼ばれているのを耳にする。これで間違いない。彼女がシュリルワ・ジルバその人だ。
ジルーナの見立てでは少し歳下。しかし立派に働いているところを見ると少なくとも中学は卒業しているはずなので、同い年くらいの可能性もある。制服らしい緑のロングスカートと白いエプロンがよく似合う素朴で可愛らしい子だ。背が低く、顔も拳みたいに小さい。まるでお人形さんみたいだ。
導かれるままに席につくと、彼女は慣れた手つきでメニューを二人の前に並べながら問いかけてきた。
「お二人はアラムから来たです?」
「え? ど、どうして……?」
「フフ、ラクハにはこんな綺麗なお姉さんたちいないです。都会から来てくれたに決まってるです」
「……! あらぁ♡」
それはお世辞だったのかもしれないし、誰にでも言っている言葉なのかもしれない。だがジルーナと、どうやらミオも、一瞬でまんまと良い気分になった。
「普段は街のおっさんばっか相手にしてるですから、目の保養になって助かるです」
シュリルワはうんざりした表情でこれ見よがしにため息をついた。すると周囲の客たちが騒ぎ始める。
「おっさんはおっさんでも愉快なおっさんです!」
「汚くてもちゃんと貢ぐから許してです!」
「あーはいはい」
シュリルワは彼らに視線も送らない。口元がほんの少し綻んでいるだけだ。酔っ払いたちはぞんざいに扱われても嬉しそうだった。常連客とは独特の関係を築いているようだ。
「先にお飲み物だけお伺いするです」
「えーっと、……せっかくだしお酒飲んでみようかしらぁ」
ミオはウィルクトリアで飲酒を許される十八歳を超えている。今のところスナキア家では唯一だ。しかし飲んでいる姿を見たことはなかった。
「……大丈夫なの?」
「平気よぉ、ちょっとにするから♡ あんまり詳しくないので白ワインでおすすめのお願いできますぅ?」
シュリルワはちょっと悪いニヤケ顔を見せてきた。
「任されちゃうとつい高いの持ってきちゃうですよ?」
「えぇ⁉︎」
「フフ、嘘です。お手頃で飲みやすいのをお持ちするです」
ミオは呆気に取られたのか、口を開きっぱなしで彼女の顔を見つめていた。
「そちらのお姉さんは?」
ジルーナは声を出せない。注文はミオにお任せしたいのだが、彼女はまだシュリルワに視線を向けたまま固まっていた。やむを得ずテーブルの下で足を小突く。
「あっ! えっとぉ、この子はまだお子ちゃまなのでオレンジジュースを一つ♡」
「一つしか違わないでしょ────って、あ」
小馬鹿にされ反射的に抗議してしまった。しかしシュリルワは気に留めず、手元のメモに注文を記入していた。……電話の声は雰囲気が変わる。それにまさか妻が押しかけてきているなんて彼女は思うまい。どうやら普通に喋っても不都合なさそうだ。
ドリンクだけ確認し、シュリルワは一旦二人の席から離れた。厨房に戻るまでに各テーブルの客から声をかけられ、愛嬌と少しの棘を振りまきながら舞うように店内を駆け回っていた。
「看板娘って感じだね」
この店のアイドル的な存在であることはすぐに伝わった。きっとミオも同じ感想を抱いただろうと思い、ふと彼女に目をやる。
「……⁉︎」
様子がおかしい。ミオは目を輝かせ、ニマニマとやや不気味な笑みを浮かべていた。
「超タイプなんだけどぉ……!」
「えぇ……⁉︎」
ミオは、見惚れていた。
「小っちゃい子っていいわよねぇ♡ 何しても可愛いもん♡」
「え? ミオ……?」
「それにああいうなかなか思い通りにならなそうな子って素敵よねぇ♡ 手懐けてよしよしした〜い……♡」
「……」
わざわざ敵情視察に来たというのに、その敵に一目惚れしてしまったようだ。……まあ敵ではないのだからいいんだけど。ミオも頭ではそれを理解しているからこそのこの反応なのかもしれない。
「あ、でも胸はしっかりあるわよぉ。ジルよりあるかもぉ」
「は、はぁ⁉︎」
「大丈夫! お姉さんは勝ってるから仇は取ってあげる♡」
「き、キィー!」
口から怒りと悲しみが入り混じった叫びが溢れる。この女、絶対許さん。帰ったらその乳片方だけもぎ取ってやる!
「ど、どうしたです? おっきい声出して?」
不審がったシュリルワがテーブルに寄ってきた。ちょうど飲み物を持ってきてくれるタイミングでもあったらしい。ジルーナは平静を取り繕ってグラスを受け取り、これを機に食べ物の方も注文させていただくことにした。ミオも同じことを考えたのかメニューを開いて尋ねる。
「きのこが食べられるのってありますぅ?」
せっかくなら夫が食べたものを頂こうという算段なのだろうか。ジルーナとしても家ではあまり食べられないきのこを頂けるのはテンションが上がる。
「でしたら名物のグラタンがおすすめです。ちょっと大きいサイズしかないですけど大丈夫です?」
「二人いるし食べれるんじゃないかしらぁ……?」
ミオが視線を投げかけてきたので、ジルーナは黙って頷いておく。
「せっかくなら他にも何か頼む?」
ジルーナが提案すると、ミオは大慌てで首を横に振った。
「ダメよぉ! こういうときは注文は細かく! シュリちゃんに何度も来てもらうの!」
「め、めんどくさこの人……」
ついに言葉になった。まったく、家での怯えた姿はなんだったのか。大体そんなやり方お店にご迷惑である。しかし、
「あら♡ 気に入っていただけだです?」
シュリルワは余裕の態度。手慣れた対応だった。もしかしたら普段から似たようなことを他の客もやっているのかもしれない。この店の客たちはミオと同じく、彼女と喋りたくて仕方ないのだ。
「ヒヒヒ、これで今日の売り上げも期待できそうです」
彼女はあえて含み笑いとちょっとの毒を残し、ミオを一瞥してさっさと席を離れていった。ミオ的にはこのすげない接客がツボらしく、声にならない声を漏らして身悶えていた。
「ジル、かんぱ〜い♡」
「ああもう……」
まあ、機嫌が良くなったならいいんだけど────。
────僅か一時間後のことである。
「シュリちゃ〜ん♡ お膝に乗ってぇ♡」
ミオは、シュリルワにどハマりしていた。赤ら顔でダル絡み。そして早くもかなりぞんざいに扱われ始めている。
「う、ウチはそういう店じゃないです」
「は〜可愛い♡ 意地悪したくなっちゃう♡」
「可愛かったら優しくしたくなれです!」
「あん♡ ちょっとキツいのも素敵♡ 手のひらの上でコロコロした〜い♡」
ジルーナは「めんどくせぇ女だな」と念を込めてミオを睨んでみる。初対面であるはずのシュリルワも全く同じ目をしていた。しかしミオはまるで意に介さず、うっとりした目でもう何杯目か分からないワインを飲んでいた。
「分かるよ姉ちゃん……!」
ふと、近くの客たちが割って入る。
「そうやってシュリちゃんに翻弄されてる内に搾り取られるんです」
「たまにちょっと優しくされるだけで天にも登る気持ちになっちまうです……!」
「フフ、これは貢いじゃいますねぇ〜♡」
すっかり酔っ払いたちの仲間入りしたミオは見知らぬおじさまたちとシュリルワ談義を始めた。元スパイという経歴からか人と打ち解けるスキルを持っているのが厄介だ。もう何年も通っているかのように店に馴染んでいた。
「……お姉さん、お守り役大変ですね」
シュリルワはこそっとジルーナに呟いた。
「ハァ〜、もう一人くらい欲しいよ……」
このとっ散らかった女を九十分も電車に乗せて家に帰らなきゃいけないのか。想像するだけでうんざりしてきた。
「……あ、やっぱりグラタン多かったです?」
シュリルワがお皿を指差しながら問いかける。
「えっと、ご、ごめんね? 食べ切れなくて……」
「構わんです。これ、取り分けのスプーン使ってたです?」
「え? うん」
するとシュリルワはグラタンのお皿を手に取って、周囲をキョロキョロ見回した。
「お姉さんさえ嫌じゃなかったら誰かにお裾分けするです。このままじゃもったいないですし」
「私は平気だけど……いいの?」
「いつもこんな感じです。最後の方はテーブルの境目なんてなくなるです」
シュリルワは愛おしそうな瞳で店内を見渡していた。きっと、この店が大好きなのだ。ツンツンした彼女からそんな本音が見え隠れした。その視界の隅に変な女がいてごめんねと心の中で謝罪しておく。
シュリルワは近くの一人客に声をかけた。
「オルドリッジさん、グラタンいかがです?」
「えっ? い、いいんですか?」
男は狼狽し、ジルーナとシュリルワの顔色を交互に観察した。ジルーナは少し気まずくなって軽く会釈するのみ。するときっちりこっちの会話にも耳を傾けていたらしいミオが割り込んできた。
「どうぞどうぞ♡」
ミオの言葉を受けてシュリルワがオルドリッジと呼ばれた男のテーブルにグラタンの皿を移動させた。酔っ払ったミオの口はまだ止まらない。
「きのこの風味が効いててすっごく美味しかったですよぉ♡ ウチ旦那がきのこダメなので────」
「ちょ、ちょっとミオ!」
良からぬことを口走りそうだったため、慌てて自分の声で上書きした。まさかその旦那がヴァン・スナキアだとは分かるはずもないが……。
「心配しすぎよぉ♡」
ミオは何が楽しいのかケラケラ笑っていた。────潮時だ。連れて帰って、もう片方の乳ももぎ取るとしよう。
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