13.乱れの記録
────ミオの意識がはっきりしたのは翌日の昼のことだった。
「ジル、お願いがあるんだけど」
地獄の底から捻り出したみたいな絶望的な声により、ジルーナはミオの起床を知る。ミオはベッドにうつ伏せになり、指一本動かさない。
「…………何?」
ジルーナはベッドサイドに置いた椅子に腰掛け、手元の本から視線を逸らさずに問いかけた。お説教を始める前に辞世の句でも聞かせてもらおうじゃないか。
「わ、私を……殺してくれない……っ⁉︎」
ミオは、泣いていた。
「……覚えてるの?」
「あんまり……画像だけ何枚か残ってるって感じ……。でも、悲惨なやつしかないのぉ……っ!」
自分への怒り、情けなさ、不甲斐なさ、二日酔いの苦しみ、罪悪感。それら全てに一挙に襲われ、ミオはダンゴ虫みたいに縮こまった。だが、ジルーナは容赦をしない。この酔っ払いのせいで大変な苦労を被ったのである。
「そう。じゃあ、死ぬ前に自分が犯した罪を知っておきなさい」
「は、はい……!」
事細かに聞かせてやろうじゃないか。昨日の壮絶な珍プレー集を。
「この物語は、ミオがシュリちゃんを勝手に敵視して『見に行こう』と言い張ったところから始まります。私はやめとこうって言ったのにさ」
「は、はい……」
「ところがミオは気づけばその敵にどハマり」
「可愛すぎたの……。『こんなことある⁉︎』ってくらい好みドンピシャだったのよぉ……!」
ミオはベッドの上でジタバタと悶えた。脳を渦巻いていた数多の感情の中に彼女への好意も混ざり込んでパニックになったらしい。
「ミオはシュリちゃんと話したくてお酒を何度も注文しました」
「楽しすぎたんだもん……。シュリちゃん……恨むわ……」
「何言ってんの! あの子、途中からはミオがどれだけ頼んでも頑なにお酒を出さないでくれたんだからね!」
「えぇ……シュリちゃん……ごめんねぇ……っ!」
酔っ払いへの対応は慣れたものらしかった。ジルーナでも撃退に苦労するミオのウザ絡みを見事に捌き切っていたのである。
「でもミオは小賢しいからさ、隣のテーブルのおじさんたちに代わりに頼んでもらって『密輸成功だー!』って笑ってました」
「もう最悪……っ! ジル……! 早く私を殺してよぉ……っ!」
まだだ。まだ死んでもらっちゃ困る。これでもまだストーリーの中盤だ。
「流石にこれ以上は迷惑かけられないと思って連れて帰ろうとしたんだけどさ、ミオはもうまともに歩けなかったの」
「あ、床に崩れ落ちたのは覚えてるぅ……」
「その時お皿二枚割ったからね」
「それは覚えてなかったぁ……!」
嗚咽が聞こえる。泣け泣け。誰が代わりに謝ったと思っているのだ。
「ヴァンに迎えにきてもらおうと思ったけど内緒であの店に行ってたし、電車に乗せるのも難しそうだったからさ。……しょうがないからタクシーで帰ってきたんだよ」
ミオの全身が硬直した。
「ま、待ってぇ……。電車で一時間半の距離を……っ? タクシーで帰ったって言うの……っ⁉︎」
「レシート見たい?」
稼ぎの良い旦那がいるとはいえ、これはあまりに無駄遣い過ぎる。いっそホテルでも取った方がはるかに安く済んだくらいだ。しかしヴァンに内緒でラクハに行った以上、ちゃんと帰宅するのは必須条件だった。
「払いますぅぅぅ……」
「冷蔵庫の側面にこっそり貼っておいたから、これからも生き延びて毎日見返しなさい」
ミオは顔を押し付けたシーツが破けそうな勢いで何度も頷いた。苦しくても辛くても生き抜いてその罪と直面するがいい。
「秘密通路まではどうにか連れてきたんだけどそこからはヴァンに任せたよ。その後一晩どう過ごしたやらだね」
「ヴァ、ヴァンさんにもこの痴態を見られたのぉ……?」
「それも覚えてないの……? 私今朝聞かなかったしヴァンも何も言わなかったけどさ、あの後家でもうひと暴れしたかもね」
「ヒー〜〜っ!」
今朝もヴァンはいつも通りの顔で出勤していった。真相は闇の中である。
「……でもあの店に行ったことは言ってなさそうだったよ。あれがバレてたら流石にヴァンから私にもツッコミがあっただろうけど、何も言われなかったもん」
「じゃ、じゃあ、私多分完全に寝てたんだわぁ……。起きてたら口ガバガバだったと思うしぃ……」
おそらくそうなのだろう。タクシーの中でもよく寝ていた。降車させるときもヴァンが駆けつけてくれたときも陽気に喋っていたが、あれも意識がない状態だったのかもしれない
一通り解説を終えると、ミオはスンスンと啜り泣いて肩を震わせていた。本腰を入れて落ち込み始めたらしい。流石に可哀想に思えて背中をさすってあげた。
「お、お酒なんてもう一生飲まない……っ」
「それがいいかもね」
「迷惑かけてごめんなさい……」
「……いいよ。楽しいは楽しかったし」
二人だけで遠出したのは初めてだった。良くも悪くも一生忘れられない思い出になりそうだ。今後ミオが面倒臭いときは「酒」の一言で黙らせられそうなことも大きい。きっかけをくれたシュリルワにはある意味感謝である。
「シュリちゃん可愛かったね」
「うん……。不覚にも家に置いておきたいと思っちゃったわぁ……」
「い、いいんじゃない? もし本当にそうなったら嬉しいじゃん」
ミオはそのまま黙り込み、時々バタ足して、また黙り込む。普通に一人の女の子としてシュリルワのことは素敵だと思っているらしい。しかし彼女がヴァンの妻になると考えると身構えてしまうようだ。自分にとって理想みたいな女性と横並びになると考えるとより恐ろしくなったかもしれない。
……気が早いと言っているのに。ヴァンも彼女もまだ何もしていない。
「あ、そうだ。シュリちゃんから電話があったことはヴァンに報告したよ」
「……! な、何て言ってた?」
「う〜ん、特に。私の勘だけどさ、今のとこ本当に何にもないよ」
改めて言い聞かせておく。ミオは顔を埋めたまま「ジルの勘なら……」とか細い声を絞った。
「それで、シュリちゃんに顔見せに行くように言っといたよ」
「え?」
ミオは顔をあげ、まん丸にした目を向けてきた。シュリルワを警戒している彼女には悪いが、旦那が気苦労をかけてしまったのなら送り出すしかなかった。
「シュリちゃんね、きっとウチに電話するのすごく怖かったと思うんだよ。ほら、私たちを怒らせただけで犯罪ってことになってるじゃない? 下手すりゃ捕まるかもって思ってたんじゃないかな」
「そ、そうなのよねぇ……」
シュリルワはよほど彼のことが気がかりだったのだろう。自分の店の料理が原因なら尚更だ。とんでもないリスクを負ってでも、ヴァンの安否を確認したかったのだ。夫はすっかり元気になった姿を見せにいくくらいのことはしてあげてほしい。
「……でもねぇ、ジル。私がこんなことになってるのはねぇ、だからこそなのよぉ。ヴァンさんはシュリちゃんに嫌われてるって言ってたけど、嫌いな人のことをそんなに心配するぅ?」
「個人的には嫌いでもお店の責任ってものがあるでしょ。……それにさ、ウチの夫が嫌いな人は多いけど、死んじゃえなんて思ってる人はこの国に一人もいないんだから」
「…………そうよねぇ」
ミオは渋々自分を納得させているようだった。
────果たして、彼女の真意は。
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