10.何でアイツのために
***
シュリルワ・ジルバは憔悴していた。
あれは二日前のこと。突然勤務先に訪れたかのヴァン・スナキアが、自分の作った料理で倒れた。置き手紙ひとつ残して消えてしまったが、……その後いかがでしょうか! 震えるほど心配なのですが!
昨日はせっかくの休日だった。しかし気が休まるはずもなく、彼の動向を必死で探っていた。とはいえこの田舎でできることなんて、彼が生出演する番組でもやらないかとテレビ欄を血眼で探すくらいしかなかった。いつもなら奴が映った瞬間チャンネルを変えていたくらいだったのに、出てほしい時に限って見つからない。
「助けて」と叫べば呼び出せるというヴァン・ネットワークとやらも、今は毎日全地域でやっているわけではないと聞く。二日前このラクハで実施していた様子から、次に順番が回ってくるのはしばらく先かもしれない。それでも僅かな可能性に賭けて街外れに赴いて試してはみた。……来やしない。正直自分の声が小さかった疑惑も拭えないのだが、これ以上は照れくさくてとにかく無理だった。大勢の前であれだけ彼を批判した身である。彼に助けを求めている姿なんて誰かに見られたら恥ずかしくて死んでしまう。
そんなこんなで呆気なく休日を浪費してしまい、次の出勤日である。
「ミゲル〜、来たですよ!」
入店するや否や店主に声をかける。ミゲルは不思議そうな顔を厨房から出した。
「は、早くない? あと二時間あるけど……」
「こ、この前早上がりしたからその代わりです」
シュリルワはテキパキとエプロンを身につけながら真意を誤魔化した。単に居ても立ってもいられなくなっただけだ。……それに、ヴァンが元気になった姿を見せにくるとしたらこの店だ。あの様子じゃ自宅には来ない。一秒でも長く店内で待っていたかった。
「ミゲル上がっていいですよ。あとは任せとくです」
「え⁉︎ ……い、いいのかい?」
シュリルワは腰に手を当てて堂々と頷いた。実際彼も助かるはずだ。他にも何人かパートがいるとはいえ、店長業務ができるのはミゲルの他にシュリルワ一人。自分が働かなければ彼は休めないのだ。まだ生まれたばかりの子どもがいるというのに。
ミゲルは少し申し訳なさそうにしつつも帰り支度を始めた。しかしまだ彼に尋ねたいことがある。シュリルワは「さりげなく、さりげなく」と何度も心の中で呟いて、顔を見ずにボソッと問いかけた。
「そ、そういえば、昨日はアイツ来たです?」
「アイツ?」
「そ、その……、例の変態です」
シュリルワは元々背けていた顔をさらにプイッと背けながら言い捨てた。だが小芝居の甲斐もなく、
「……はは〜ん、気になるんだね?」
ミゲルは興味深げに意地悪なトーンで問う。くっ、顔見られないけど、絶対笑ってる。
「シュリちゃんもついに嫁入りかぁ。寂しいけど送り出すよ」
「べ、別にそんなんじゃないです! また変な輩呼び寄せられたらたまったもんじゃないです!」
「あー、そっちの意味ねぇ。残念だけど来てないよ。……輩の方は来たけど」
「え?」
「あ、また来た」
ちょうどそのとき、先日シュリルワの手首を掴んだ男が店内にやってきた。だがあの時と違って随分と小綺麗なスーツを身に纏っている。多分、正装のつもりだ。
シュリルワが身構えていると、男は神妙な面持ちでそばにやってきて、────風の音を巻き起こす勢いで頭を下げた。
「も、申し訳ございませんでした!」
「⁉︎」
声も出ない。何なのだこの急激な態度の変化は。
「あ、アイツにボコボコにでもされたです?」
混乱させられて仕方ないが、とにかくヴァンが絡んでいることだけは察することができた。男は頭を下げたまま供述する。
「い、いえ! 平和的な話し合いで解決していただきました! あなたに誠心誠意謝罪することと、この店の売上に貢献することを条件に見逃していただいたのです!」
「そ、そうですか」
変に血生臭い展開にならずに済んだなら良かった。ちょっと気を遣い過ぎだと思うけど。
「ですがお嬢さんを怖がらせてしまうようなら二度と現れません!」
「別にもういいですけど……。アイツの方がよっぽど恐ろしいです」
「ありがとうございます……! 今後はこの店に通わせていただきます!」
奇妙な常連ができてしまった。まあ店の売上に繋がるなら構わない。彼は元々シュリルワに害意があるわけでもないのだし。
他の常連たちが冷やかすように男に声をかける。
「兄ちゃん気をつけるです! シュリちゃんにハマったら搾り取られるです!」
「俺たち毎日財布を空っぽにされてるのにどうしても通っちまうです!」
酔っ払いたちはゲラゲラと豪快に笑い、輩二人を囃し立てた。
「お金なんてまたどっかで補充してくればいいです♡」
シュリルワはケロッと言い放ち、フンっと彼らから視線を外した。その態度でかえって盛り上がる彼らは中々の強者だ。今日も今日とてシュリルワは街の皆に愛されていた。
「さ、じゃあお兄さんはこちらへ。ちなみにお名前はなんていうです?」
常連客は名前で呼ぶアットホームなお店だ。これから通ってくれるのであれば把握しておこう。男はオルドリッジと名乗った。ガリガリで背の高い、少し顔色の悪い男だ。その容貌も合わせて脳内のお客さまリストに記入しておく。
シュリルワはオルドリッジを席に座らせて、メニューをざっと説明する。彼は値段の欄ばかりを見つめており、結局一番高いワインを注文した。彼はヴァンと「平和的な話し合い」をしたと語ったが、絶対嘘だと思う。コッテリ搾られたに違いない。
「アイツに何されたです?」
探りを入れてみると、オルドリッジがおずおずと答えてくれた。
「と、とんでもない魔法を見せられました。もちろん当てられはしませんでしたが……」
「あ、ありゃまあ」
「ですがその後は本当にただの話し合いを。後継の件で色々とこちらの考えを伝えさせていただきました。まあ平行線ではあったのですが、みっちり四時間も意見を交わし合っていただきまして」
随分と熱心なものだ。思えばわざわざ自分のところにも話を聞きにきた男である。
「あ、っていうか体調大丈夫そうだったです?」
「え? いえ、特に問題はなさそうでしたが……調子を崩されていたんですか?」
「あっ!」
うっかり尋ねてしまった。彼がきのこで大ダメージを受けたことは絶対に内緒なのだ。上手く誤魔化さなければ。
「シュ、シュリが水を引っ掛けちまいまして、風邪でも引いてないかと……」
「そういうことですか。別の分身だったと思いますし、特に変わったご様子は……」
……そうか。自分が会っていたヴァンとは別のヴァンなのか。分身というものがよく分からない。この田舎町にはファクターはほとんどおらず、魔法については詳しくなかった。
特に怪しまれることなく、シュリルワは胸を撫で下ろした。その時ふと、オルドリッジが不思議そうに呟いた。
「実際に会って話してみると、……昔のヴァン様のままだったなぁ」
シュリルワは心の中で頷いた。性癖を振り回して奔放に振る舞っている彼と、実際に対面した彼ではあまりにイメージが異なった。可哀相とすら感じてしまうほどに、彼はスナキア家の使命に全力で向き合っていた。
「結局電話番号まで教えてもらったんですよ。意見があるなら直接言えと。ま、まあヴァン様を探してまた誰かに迷惑かけるのは止めろという意味だったのでしょうが……」
シュリルワの猫耳がツンと立つ。────電話番号?
「あ、アイツの連絡先知ってるです?」
「ええ。固定電話のようですし留守電専用と伺ったので、メインのものではないと思われますが」
これはチャンスだ。その後元気を取り戻したのか、確認しなければ落ち着かない。
「あの……差し支えなければ教えていただけないです? 勝手に伝えるのはちょっとマズイかもしれないですけど、お兄さんの件は解決したとシュリからも伝えたいですし……」
「……う、う〜ん。あのヴァン様の個人情報ですからね……。お嬢さんならお許しいただけるかもしれませんが……。あ、私の携帯を使ってご連絡する形でいかがでしょうか?」
「そ、それで大丈夫です! ありがとです!」
こいつはラッキーだ。安否を確認できるかもしれない。しかし二つ問題がある。会話の内容をオルドリッジに聞かれるわけにはいかない。
「ちょ、ちょっと離れてもいいです?」
「ええ。……はい、ここを押せば電話がかかります」
オルドリッジは携帯を操作し、差し出してくれた。シュリルワはそそくさと厨房の奥に逃げ込む。いつの間にかミゲルは退店していたためこれなら内緒話ができる。だが本当に頭を悩ませているのはもう一つの問題である。
固定電話。ということは自宅だろうか? そして自宅なら、────彼の妻が出る可能性もあるのだろうか。いや、留守電専用だとは聞いている。あれだけ秘匿されている妻が気軽に誰かと会話するとも考えづらい。しかし妻が留守電を確認するくらいはあり得る。
きのこを食べて意識が朦朧としながらも決して他所の女の家には入らなかった彼だ。知らない女から、しかも店の電話ではなく個人の携帯から電話がかかってくるなんて、奥様方は許してくれないのかもしれない。困ったことに彼の妻の気分を害すれば重罪というイカれた法律が存在する。……別に女としてかける訳では決してないけれど!
「う〜……、何でアイツのためにこんなに悩まなきゃならんです!」
誰にも見られないように、シュリルワは地団駄を踏む。
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