9.守護者のその後

 ***


 夫が強烈なアンチに打ちのめされて帰ってきた翌朝。


 一人になりたいという彼の願いを聞き届け、ジルーナは一晩彼と交流を持たなかった。しかしそろそろ様子を見に行かねばと廊下に出る。


「……あ、ミオ。おはよう」

「おはよ♡」


 彼女も同じタイミングで廊下に現れた。考えていることは一緒だ。二人並んでヴァンの書斎に向かい、ドアをノックする。やがて彼の返事が聞こえ、ゾロゾロと中に入っていった。


「おはよう。昨日はごめんな」


 ベッドの縁に腰掛けているヴァンはまだどこか表情が曇っている。しかし昨日よりは随分マシだ。


「大丈夫?」


 ジルーナが問いかけると、彼は笑顔で頷いた。その様子にジルーナはホッと胸を撫で下ろした。


「よく休めた?」

「まあまあ……だな。あの後も色々あったんだ」

「?」


 彼は昨夜の出来事を語り始めた。何を思ったか彼は果敢にも例のアンチに再び会いに行き、流れできのこを食べてしまったらしい。魔法は使えず、ラクハの森の中に身を隠して安静にしていたそうだ。医学博士でもある彼は可能な限りの対処をし、どうにか耐え切ったそうである。その後他の分身と合流したことで症状はさらに改善されたとのこと。


「そ、それで見たことある顔になってるのねぇ……」


 ミオがまだ心配そうに彼の表情を覗き込んだ。つい二週間前も彼はミオの目の前でぶっ倒れたそうだ。


「もうほぼほぼ戻ったよ。ハハ、さすがに結構焦ったけどな」


 彼は言いながら立ち上がり、体の動きを確認するように肩を回したり首を回したりしていた。そして満足げに呟く。


「……よし。案外平気だ」


 どうやら体調は全く問題ないらしい。元々身体が強い彼だし、日頃の妻の体調管理の成果も相まってか回復力も高いようだ。


 ふと、ジルーナはミオに視線を送る。彼を苦しめてしまったことがトラウマになってやしないか気掛かりだった。だが、彼女もすっかり元気そうなヴァンを見て安心したようだ。むしろきのこを食べても乗り越えられたこの姿を目撃できて少し気が楽になったのかもしれない。


「「!」」


 ジロジロ観察していたら目が合った。きのこから連想して喧嘩の件を思い出したのはお互い様だろう。しばらく何も言えず、見つめ合ってしまう。


 ────しかし、


「……フフ♡」

「ハハハ」


 自然と笑みが溢れてきた。何故だか今この瞬間、二人の間に横たわっていたわだかまりが完全に消え去った気がした。二人であんなに大騒ぎするようなことではなかったのかもという考えが過り、それでも必死に思いを伝えあったことにはやっぱり意味があったのだと確信めいたものを感じた。


「な、何だ?」


 喧嘩の件を夫は知らない。一生言う気もない。夫婦とはいえ、言っても心配をかけることなら秘密にしておくべきだ。夫はわけもわからず順番こに妻の顔色を伺う。


「なんかもう笑えちゃうなと思ってさ」

「こっちの話♡」

「……?」


 説明する気が一切ない気配を察したのか、ヴァンはそれ以上追求してこなかった。


「あ、そうだ。君たちに謝らなきゃいけないことが……」


 突然、叱られる前の子どものようにおずおずと進言する。ジルーナとミオはやや警戒しながら揃って彼に猫耳を向けた。


「……話の流れで、例のアンチの子と二人で食事した。よくよく考えればビースティアの女性と二人きりでというのは……その……」

「ハハ、なんだそんなこと。別に悪さするために会ったわけじゃないでしょ?」

「もちろんだ。……そもそも強烈に嫌われてるしな。正確には食べてたのは俺一人だったし。『同じ皿のものなんか食べれない』って言われたよ」


 ヴァンは自嘲気味に笑い、後頭部をかいた。


「そんな子によくまた会いに行ったね」

「どうしてあれほど怒っていたのか理由を知りたかったんだ。事情を聞いたらすぐ納得したよ。……彼女は終末の雨で親を亡くした子だった」

「え⁉︎」


 ラクハという地域で人的被害があったと聞く。……戦争孤児か。自分と同じだ。そして夫もそうだった。それが二人を強烈に結びつけた理由でもある。


「……それ聞いちゃったら引っ叩けないや。よくしてあげてね」


 ミオとの仲直りのきっかけになったことも併せて、夫を叩きのめした件は見逃すという結論に至る。


「ああ。……と言っても、もう会う機会もないだろうけどな」


 夫はさっぱりと言い切って、「風呂に入ってくる」とその場を立ち去った。


 ではその間に朝食の準備を整えようと、ジルーナも自室へ向かおうとする。────しかし、背後からの悲痛な声に足を止めざるを得なかった。


「女の子と食事ですって⁉︎」


 振り返るとミオが真っ白な顔に両掌を添えていた。


「あ、あれ? そこ引っかかってた?」

「え⁉︎ ジルは平気なのぉ? 私と同じで内心バクバクだったのかと思ったのにぃ……」

「えぇ……? 全然やましい感じじゃなさそうだったじゃんか」


 今まさに彼が「もう会う機会もない」と言いのけたばかりだ。大体、相手はヴァンが立てなくなるくらいの暴言を浴びせてきたらしい人物である。そんな女性に好意を抱くのは救いようもないほどのドMしか有り得ない。


「か、可愛い子だからもう一回会いに行ったとかじゃない?」

「ど、どうかな……? 責任感強い人だし、何かのスイッチが入ったんでしょ」


 大方「俺はもっと国民の声を聞くべきだ!」とか考えたのだろう。ほどほどに放っておけばいいのに。夫の気苦労が増えるのは妻としては好ましくない。でも彼はそういう人なのだ。


「もしそういう気持ちがあって動いてるならちゃんと事前に私たちに言ってくれるよ。ミオのときなんて、私に許可取るまで連絡先も聞かなかったんでしょ?」


 ミオと連絡を取るにはイリスを通さねばならなかったらしい。普通に不便だったろうに、律儀な人である。


「私の……とき……」


 ミオはそう呟いて、しゅんとうなだれた。


「私、ジルにこんな思いさせたのねぇ……」

「え、ちょ、ちょっと。気が早いってば」


 珍しくややパニック気味である。慌てるのも落ち込むのも性急過ぎる。いつもは余裕たっぷりのお姉さんなのに。


 しかし、安易に宥めたり慰めたりするのも憚られた。現実として、いつか彼は次の結婚相手を見つけてくるのだ。そうでもしなければこの国は破滅を迎え、下手すら全人類が滅びかねないのだから。


「……ミオ、酷なこと言うようだけどさ、心のどこかで覚悟しておかないとだよ」

「…………そうよねぇ」

「私も複雑だったけどさ、ミオが来てくれてかえって楽しくなったよ。頼もしい味方ができてすっごく安心したの。きっと次もそうなるんじゃないかな」

「ジル……っ!」


 ミオは不安やら嬉しいやらで心の中がぐちゃぐちゃになったらしく、がむしゃらにジルーナに抱きついてきた。たまに子どもっぽいところが見え隠れする。その態度に応じて子どもをあやすように背中を撫でてあげた。


「でもさ、ミオがハードル上げちゃったからしばらくはないと思うよ」

「何言ってんのよぉ! ハ、ハードルなんてジルのせいでとっくに高かったんだからぁ! お姉さん死ぬほど頑張ったのよぉ⁉︎」

「そ、それだよ」


 ミオの言う「頑張り」は、それはそれは途方もないものだった。お化粧やお洋服に気を遣ったなどという生易しい話じゃない。彼女がやってのけたのは、ウィルクトリア政府を世界経済から孤立させる大企業連合の創設である。


「ヴァンのために国家転覆の計画立てられる子なんて他に絶対にいないからさ。ミオレベルを求めてたらあの人一生相手見つけられないよ」

「た、確かにねぇ……」


 もし彼が「スナキア家に力をもたらしてくれる人じゃなければダメ」なんて基準を設ければ、世界中の女性が物足りなく映るはずだ。だがヴァンはルーダス・コアの継承条件「愛する人」を満たせる人物を探し当てねばならない。妻が二人になっても子どもができる気配もない現状、五人でも十人でも見つけ出すくらいの心構えが要る。


 となれば彼の課題は、普通の相手と、普通の恋をすることだ。何で貢献してくれるとか、どんな武器をくれるとか、そんなのは全部抜きにして、ただ惹かれあって結ばれる。そんな恋を探すこと。


 ────ま、せいぜい頑張って見つけてね。ジルーナは心の中でほくそ笑む。だって、流石にそれを手伝う義理はないし。でも止めはしない。今度は泣いたりもしなくて済みそうだ。信頼できる人と出会って、ありきたりなラブコメみたいなことをすればいい。例えば最初は印象最悪の相手と、いつの間にか恋仲になっているとか。


「…………あれ?」

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