6.彼女の事情
ヴァンは分身から届いてくる情報をまとめて彼女に告げる。
「どうやら俺に要求がある過激派のようです。……ご厄介をお掛けして申し訳ありません。こちらで対応しておきます」
「は、はあ……」
「ご迷惑でなければ居合わせたお客さん全員に飲み物を一杯ずつ……」
「う、ウチは歓迎ですけど……。いる人は?」
シュリルワが店内に問いかけると客たちは緊張が解けたのか一斉に騒ぎ始め、ヴァンを讃えた。先ほどのアウェーな空気はすっかり消え失せた。彼らのアイドルを救ったからなのか単に酒が飲めるからなのかは判別がつかなかった。
「……っていうか、アンタ何しに来たです? タイミング良すぎ……、ハッ! まさか監視でもしてたです⁉︎ 変態め!」
「い、いえ、たまたまです」
助けたのに変態呼ばわりなんて……とは言わないでおこう。実際ヴァンは監視に近いことをしてしまっていた。
「先程のジルバさんのお話が胸に響きまして、もっとご意見を聞けたらと思ってですね……」
「んん……? まあ、お望みとあらばけちょんけちょんにしてやるですけど、今は仕事中です」
「待ちます」
「へ、変な奴です。……一応あと三十分で閉店ですけど、あの酔っ払いたちなかなか帰らないからちょっと延びるですよ?」
シュリルワは口に手を当てて一考し、犬を躾けるような語気で告げる。
「アンタが近くをウロウロするとさっきみたいな奴が来るかもですし、奥の個室にいるです。ただし、ちゃんと何か注文すること」
「は、はい」
食欲がないとはとても言い出せず、ヴァンはビシッと指さされた方角に歩き出した。道中で先程会ったミゲルという店長らしき男が厨房から顔を出してきた。
「ヴァ、ヴァン様! この店最高の料理をお持ちするので少々お待ちを!」
「ど、どうも……」
どうやら食べないという選択肢はなさそうだ。まあ、気持ちを切り替えたら多少お腹が空いてきたような気がしなくもない。家に帰っても妻の料理は残っていないかもしれないし、ここでお世話になろう。
たどり着いた個室には本来四人掛けと思われる立派な机に椅子が二つだけ備えられていた。騒がしい店内とは一線を画し、静かに会話と料理を楽しめそうな特別席である。本来予約が必要なとっておきのスペースと見受けられ、ヴァンは所在なく椅子に浅く座る。
彼女を待つ間、ヴァンは強制テレポートさせた輩の尋問に集中する。明らかに自力では帰れない場所まで飛ばされたからか観念してヴァンとの対話に応じているようだ。男はファクターではなく、暴力的な交渉にはならなかった。
案の定と言うべきか。彼はヴァンに後継を残させるべく動いていたようだ。しかしたまたまヴァンがこの店にやってきたという情報から立脚した突発的な行動であり、シュリルワに危害を加えかけたのもその場の勢いから生まれた出来心だったようだ。ヴァンはその点をきっちり諌めつつも、「国民の話をしっかり聞く」と決意したてだったこともあり、彼がどんな思いでヴァンにどうしてほしいのかを誠意を持って聴取していた。
────三十分後。
「……お待たせです」
シュリルワが引き戸を開く。まだ喧騒は鳴り止んでいないことから営業中だとは思われるが、おそらくは店長に「行ってこい」とせっつかれたのだろう。本当はまだフロアに居たかったらしく、口をへの字に結んでいる。
そして彼女は手に持っていたトレーから料理をテーブルに移した。
「名物のグラタンです。……シュリが作らされたです。本当はよっぽどの常連が大金を積まない限りシュリの手料理は出てこないシステムになってるです」
「そ、そうですか……」
恐ろしい看板娘っぷりである。本人は苦々しげなあたり、店長・ミゲルの発案なのだろう。人の良さそうな顔してやることはえげつない。
「話は食べながらでいいです? どうせ毎日いいもん食べてるんでしょうし、口に合わんかもしれんですけど」
「いただきます。……あ、ジルバさんも食べられますか?」
ミゲルが発奮して作らせすぎてしまったのか、どう見ても数名分ある。普段のヴァンならなんてことない量なのだが今は苦しい。
「フン、アンタと同じ皿のもんなんか食べられないです」
「うっ……!」
「というかその敬語もわざとらしくて気分悪いです。普通に喋ればいいです」
「は、はあ……」
嫌われたものだ。それに、さっさと済ませたいと顔に書いてある。ヴァンはやや慌て気味にスプーンを手に取り、一口目を口に運んだ。
「……うまい」
思わず声が漏れる。褒めなきゃ許されない状況だからではない。本当に美味しい。その味たるやヴァンをここまで育ててくれたジルーナの料理に匹敵するのではあるまいか。随分若く見えるのにかなりの腕だ。
「そりゃどうもです」
シュリルワは視線を逸らしながらぶっきらぼうに言い捨てた。お前なんぞに褒められても嬉しくも何ともないと言わんばかりの態度だ。そしておもむろにヴァンの正面に腰掛け、威嚇するように尻尾を膨らませていた。
座って対面すると彼女の小ささがより分かる。多分、猫耳を入れなければ百五十センチに満たない。少し釣り上がった大きな猫目と輝くグリーンの瞳と相まって、まるで精緻に作り込まれたお人形のようだ。迫力だけは虎に匹敵しそうだが。
「それで……何を話せばいいです? もう言いたいこと大体言ったですけど」
「それなら、なぜそんなに俺に対して怒っているのか、特別な事情があるなら聞かせてほしい。俺が気づいていないことや対処できることもあるかもしれない」
「……結構プライベートな話になるです」
「あ、じゃあ無理にとは────」
「いや、話すです。確かに、……そこまで言わなきゃアンタには伝わりそうもないです」
シュリルワは面倒臭そうに頬をかいたあと、ヴァンの目を真っ直ぐに見つめた。彼女の瞳には哀しみが滲んでいるように見えた。
「シュリの両親は戦争で死んだです」
「!」
終末の雨ではラクハ市民二十数名が犠牲になっている。途端にヴァンの額に汗が伝った。そして彼女の「ジルバ」という姓から、ある記憶が鮮明に浮かび上がった。
「……君は、リガイル・ジルバ・クレライルさんとターナ・ジルバ・クレライルさんのお嬢さんか」
「な……なんでパパとママの名前を知ってるです?」
「犠牲者の名前は全員覚えているんだ。……俺が不甲斐ないせいで守れなかった人たちだ」
「え…………?」
この街が攻撃された時点では、まだヴァンはルーダス・コアを継承していなかった。攻撃を受けていたこと自体知らなかった。だが、自分さえしっかりしていればという後悔が拭えない。父・ラフラスを暗殺したとてヴァンが控えていると他国を恐れさせることができていれば、そもそも終末の雨なんて戦争は起こらなかったはずだ。
「俺は……君を守れなかったんだな」
「べ、別に。ピンピンしてるです」
家族を失わせてしまった。それでは守れなかったと同義だ。……今も強く印象に残っている声がある。ラクハの被害状況を確認しに来たあの時、「パパ!」、「ママ!」と叫ぶ声が聞こえた。あれは彼女の声だったのかもしれない。
「あ、あの! シュリはその件でアンタを恨んでるわけじゃないです!」
彼女はヴァンを庇うように首を横に振り、声量を上げた。
「アンタはまだ子供だったですし、なのにたった一人で皆を守ってくれたです。この国が攻め込まれた原因を作ったのもアンタじゃない。むしろアンタは正そうとしてるです。それはちゃんと分かってるですよ……?」
「……」
「それに……アンタだって親を亡くしてるです」
ヴァンの父・ラフラスが暗殺されたことはこの国民なら誰でも知っている。彼女はヴァンと同じだ。ヴァン、そしてジルーナと同じく、あの戦争が生み出した孤児。もう一人存在したのだ。このラクハの地に。
「本当に済まない。きっと苦労をかけてしまったよな……」
「だ、だからアンタが謝ることじゃないです。シュリは結構幸せにやってるです。パパの友達のミゲルがシュリを引き取ってくれたですし、街の皆にも育ててもらったです。……フフ、今でも可愛がってもらってるですし」
重苦しい空気を取り払うためか、彼女は得意げに微笑んでみせた。どうやらあの看板娘っぷりは、街の皆の娘というポジション故のものらしい。せめて愛に溢れた環境に居てくれて良かったと、ヴァンは少しだけ安堵した。
シュリルワはいよいよ本題とばかりに気合を入れ直すように大きく深呼吸して、ヴァンの心に訴えかけるように切々と言葉を紡ぐ。
「でも、ヴァン・スナキア。よく聞くです。……アンタが後継を作らないと、いつか誰かがアンタやシュリみたいになるかもしれないです。それは絶対放っておけないです!」
「……!」
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