7.妻にも言えない秘密

 彼女がヴァンに強烈な怒りを抱くのは当然だった。同じ痛みを抱えているはずのヴァンが、まるで次の痛みを生み出そうとしているかのように無責任に振る舞っている。彼女からすれば許し難い蛮行だろう。


「失った人はもう戻ってこないです。でも、アンタならこれ以上誰も失わないようにできるはずです。その力がある人間が勝手に放棄するなです。アンタは絶対に責任を果たさなきゃいけないです」


 ……放棄しているつもりはない。国民には安心して暮らしてほしいし、ヴァン自身が誰より子供を欲している。後継を求められている妻二人の苦しみだって取り除いてあげたい。だが、これ以上できることが何もないのだ。


 そしてシュリルワに事情を説明するわけにもいかない。ヴァンには現状後継ができそうもないなんて秘中の秘だし、言ったところでかえって怖がらせてしまうだけだ。彼女が抱える怒りや不安を取り除いてあげることができない。それがどうにも口惜しかった。


「……ジルバさん。貴重な話をしてくれてありがとう。本当は君を安心させてあげたいんだが、…………立場上言えないことが多い」

「……」


 これが伝えられる精一杯。本来アウトかもしれないくらいだ。だがあの戦争の被害者が相手となれば話が変わる。


「せめて俺が今この国のためにやっていることを説明させてもらえないか? 俺はスナキア家がいなくても平和を維持できる国を目指して全力で改革に取り組んでいる。……君にとってはそんな話雑音かもしれないし、君の考えを変えたいわけじゃない。それでも、君に少しでも安心して欲しいから」


 シュリルワは少し驚いたように目と口を開いたあと、


「……聞いてやるです」


 少し照れくさそうに呟いた。


 ヴァンは今まで行ってきた数々の施策を説明する。実際この国を取り巻く環境は変わり始めているのだ。


 ヴァンが自身を保有する権利を競売にかけた事件により、ウィルクトリアの財産はヴァンを通じて諸外国にばら撒かれた。そしてヴァンが海外に融和的な態度を示すことで関係はほんの少しずつ良化しつつある。さらに、ヴァンが導入した輸入減免法により国内経済は根本的に変わり始めている。


「……そういえばここのとこ皆景気がいいです。海外にお魚がよく売れるって」


 この街で暮らす人々にも成果は届いているらしい。シュリルワは所々相槌をくれながら、ヴァンの話を真剣に聞いてくれた。


「────こんなとこかな。もちろん、スナキア家の力もあった方が絶対良いというのは俺も理解しているんだ。ただそれは……」


 どうしても言い淀んでしまう部分があり歯痒かった。彼女はその苦々しさを感じ取ったようで、深くは追求しないでくれた。


 だが、このままでは足りない気がした。ヴァンは、────もう一つの重大な秘密を彼女に明かす。


「ジルバさん。……ここからの話が君の救いになるかは分からないんだが、君に知っておいてほしいことがある」

「……ん?」


 要領を得ない語り口に、シュリルワは小首を傾げる。ヴァンとしても戸惑っていた。これを語るのが正しいのか自信がなかった。そして何より、


「これは今まで妻にさえ言っていない話だ」


 初めてなのだ。あの件を言葉にするのは。口にしようとすると鼓動が早まる。息苦しさすら感じる。


「そ、そんなことをシュリに? わ、わけがわからんです」


 狼狽する彼女にヴァンは頷きを見せて、意を決して告げる。


「実は、俺は終末の雨で死んだんだ」


 ヴァンはミサイルを全て叩き落としたと思われている。だが実際は、ヴァンがそう装っただけに過ぎない。


「…………え? あ、アンタ今ここにいるです」

「まあ死んだのは分身なんだけどな。最後の一発がどうしても処理しきれなかったんだ。だからミサイルごと遠くにテレポートして、そこで粉々になった」


 シュリルワの表情が凍りついていく。あの日ヴァンは死んだのだ。それも、魔力の大部分を託していた分身がだ。


「ただ、俺はラクハの被害状況を確認するためにここに分身を残していたんだ。この判断がなければ俺は今頃完全にこの世にいなかったし、……そうなればその後再攻撃を受けてウィルクトリアは壊滅していたはずだ」

「……ってことは、ラクハにミサイルが落ちていたから、今も皆無事で済んでるってことです?」

「結果的にそうなる。ジルバさんのご両親の犠牲は、この国の平和に繋がっているんだ。……それを君に知っておいてほしい」


 本当にせめてものせめてだが、ラクハで消えてしまった命が後にその何万倍もの命を救ったという事実が、彼女の心を少しでも軽くできればと願う。


 シュリルワはほんの少し目に涙を浮かべ、それを悟られないようにと顔を伏せた。細い肩を震わせ、エプロンの裾を握りしめる。


「……うん、覚えとくです」


 やがて彼女は、小さく頷いた。


「あ、アンタ……死んじゃったことがあるんですね。大丈夫……って聞き方も変かもですけど、大丈夫なんです?」

「まあ気分は良くないけど、慣れたよ。その後修行中に数え切れないくらい死んだんだ。失った魔力を取り戻さなきゃいけなかったから必死でな」

「……」


 シュリルワはしばらく黙り込んでしまった。やがて捻り出した声はか細い。


「……アンタはもっと無責任な奴だと思ってたです。バカみたいに遊んでるだけかと……。でも、アンタが、アンタ一人が……、シュリたちを一生懸命守ってくれてたですね」


 その様子を見て、ヴァンはようやく彼女の前で深く息を吸えた気がした。あの烈火のような怒りはもう見て取れない。ヴァンは努めて柔らかい声音で告げる。


「そっちの責任は精一杯果たしているよ。平和は俺が保証する」


 少なくともヴァンが生きている間は、戦争によって誰かの命が奪われるなんてことは絶対に許さない。その覚悟を持ってここまで来た。


 シュリルワは恐る恐る顔を上げ、ヴァンに視線を向けた。どうやらあれだけヴァンを非難してしまったことが心苦しくなってきたらしい。もう気にしていないと言葉にしようと口を開く────その矢先。


「……あれ? 何かアンタ顔色悪いですよ?」

「ん? ……確かにさっきからちょっと体が────あ」


 ヴァンの背筋が凍る。鼓動が早いし息苦しい。何なら吐き気も目眩もしてきた。それはずっと抱えていた秘密を打ち明けるという緊張から生まれているものだと思っていた。だがこの感覚、体験したことがある。────つい二週間ほど前に。


「こ、このグラタン……きのこ入ってるか?」

「え? 入ってるです。すっごく細かく刻んでるですけど」

「……っ!」


 ヴァンはきのこアレルギーである。食べたと自覚した瞬間、スイッチが入ったように悪寒に襲われる。目眩が強烈になり、ヴァンはテーブルに顔を伏せた。


「ど、どうしたです⁉︎」

「な、何でもない……」

「そんなはずないです! 具合悪いです? ……え、まさか⁉︎ アレルギーです⁉︎」


 もはや誤魔化しは効かなかった。メニューを店側に決められていたことが災いした。量も多かった。残してはよろしくないとモリモリ頂いた。これはかなり────危険な状態かもしれない。


「ご、ごめんです! ちゃんと聞くべきだったです!」


 シュリルワはこれでもかというほど狼狽していた。しかし、ヴァンはたとえ事前に尋ねられても言えなかった。ヴァンの弱点は重要機密だ。何食わぬ顔で食べて、症状が出る前に立ち去る形をとっていたはずだ。


「い、いいんだ。味は最高だった」

「言ってる場合か! えっと、医者、救急車!」

「ま、待て。それはダメなんだ。俺の急所を知られる訳にはいかない……!」


 他国にはもちろん自国の政府に知られるのも恐ろしい。終末の雨だってきっかけは医者から父の病状が漏れたことだった。ヴァンはアレルギーの件で病院を頼ることはできないのだ。


「でもアンタすっごく辛そうです! だ、大丈夫です⁉︎」


 正直言ってかなり苦しい。意識が朦朧としてきた。健康な分身と合流して症状を緩和しなければ。今存在している分身は軍の緊急事態対策室の四人と、例の輩を詰問するため海外に一人。……ダメだ、いずれもラクハからは遠すぎる。この衰弱しきった状態では交信魔法が届かない。


 それに、魔法はこの分身の維持で精一杯だ。これだけ他の分身と距離が離れた状態で消えてしまうと、この分身に割いていた魔力は回収できないかもしれない。このヴァンは元々妻と過ごすために帰宅したヴァンの本隊であり、実に八割もの魔力を有している。失えばヴァンの力は大きく削がれる。


 であれば携帯で連絡を……、いや、それもできない。このヴァンが持っている携帯は魔法で生み出した携帯の分身。物理的に存在しているオリジナルの携帯は緊急対策室のヴァンが所持している。所有物、しかも携帯のような複雑な物体の分身を生み出すのは超高度な魔法であり、この状態ではとても維持できなかった。念のため震える手でポケットの中を確認したが、すでに消えていた。 


 ────待て。そもそも、仮に健康な分身と合流したとしても、それでも死んでしまう危険性だってある。助けを求めても被害を大きくするだけだ。もう覚悟を決めてひたすら耐え抜く以外に道はない。死んだら死んだで、またあの修行を積めばいい。


「ねぇ! 大丈夫です⁉︎」

「ほ、他の分身がいるから……、こ、国防上は問題ない……。何があっても必ず守る……」


 ヴァンはうわ言のように呟く。戦争の痛みを知っている彼女をこれ以上不安にさせたくなかった。今のヴァンの実力なら二割も残れば世界を相手に戦える。告げた言葉に嘘はない。


「そんな話じゃねえです! 自分の心配をするです!」

「分身だから……、どうなっても……、問題……ない……」

「そ、そんなの……!」


 ヴァンは力を振り絞り、どうにか立ち上がった。


「ど、どこかに……身を隠す……」


 個室内とはいえ、ここで倒れればいずれ店長には見つかる。早々に立ち去るべきだ。ヴァンは財布からありったけのお金を掴み取りテーブルに置いた。余ったらまた他の客に振舞ってくれればいい。


「ど、どこ行くです?」

「分からん……森の中にでも……」

「も……もうっ!」


 シュリルワはポケットから鍵を取り出して、ヴァンの手に握らせた。


「店出て右! 三軒隣のアパート! 二階の奥の部屋! 鍵はお店に予備を置いてあるから気にすんなです!」

「……?」


 ボヤけた視界の中でもはっきりと分かるくらい、彼女は頬を朱に染めていた。


「シュリの家です! そこで寝てろです!」

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