5.看板娘のピンチ

 ***


 ヴァン・スナキア・ハンゼル・ウィンザーは、自室のベッドに寝転びながら、自身のその妙に長い名前について考えていた。


 スナキアは元々背負っていた姓。この国の守護者となることを宿命づけられた数奇な一族の名である。そしてハンゼルは第一夫人・ジルーナと、ウィンザーは第二夫人・ミオと分け合う新たな姓だ。


 この名前をさらに伸ばしていくのがヴァンの計画だ。この先何人ものビースティアと結ばれ、苗字を五個も十個も並べ立てる。ヴァンの奇行によってスナキア家は滅びるかもしれないとプレッシャーをかけ、この国を立ち直らせる。


 もはやそれしか道はなかった。国を救うためには仕方のないことだった。多少、いや相当国民を困らせることになったとしても、これが正しいのだと言い聞かせてきた。


 しかし、あのシュリルワ・ジルバという女性の言葉は響いた。「卑怯者」、「おぞましい」、「生き恥」、「変態」と罵られたことは別に構わない。事情を知らない国民に悪口を言われるくらいのことは元より計算の内。引っかかったのは、別の二つの言葉だ。


 一つは「怖い」。


 彼女は恐れていた。スナキア家が途絶えるかもしれないという現状が、国民にとってどれだけ「怖い」か考えろと彼女は訴えた。……頭では分かっているつもりだった。しかし、あれだけ威勢の良い女性でも恐怖を抱えながら生きているという事実は、ヴァンがそうさせているという事実は、改めて考えると罪深い。


 ヴァンの結婚は、何もかもをスナキア家に託す体制に呆れ、生きたかったら自力でやってみろと半ば切り捨てるような気持ちで決断したものだ。「あなたはスナキア家当主である前に一人の人間」というジルーナの言葉に救われ、目覚め、自分の気持ちを押し通すと決めた。しかしヴァンは結局、骨の髄からこの国の守護者だった。困っているなら助けてあげたいし、傷つかないように守ってあげたいと思ってしまう。損な性格なのかもしれないが性格は変えられない。これは当主としての意思ではなく、ヴァン個人の意思だった。


 自分のせいで、あんな小柄な女性が恐怖を抱えている。ヴァンにとってこれほど心苦しいものはない。強烈な罪悪感が心の奥底から噴き出し、居ても立ってもいられなくなった。


 しかし、解決する術がない。ヴァンには何もできないのだと、二つ目の手痛い言葉、「責任」が痛感させてくれる。ヴァンは後継を残すというスナキア家当主に課せられた「責任」を果たせない。果たさないのではなく、果たせないのだ。改めて無力さと直面させられた。


「どうすればいい……」


 虚空に問いかけても答えは返ってこない。ヴァンは国民に、彼女に恐怖を与えながらも自分の意志を貫き通す他ない。


 ────しかし、せめて。


 もっと国民の声に耳を傾けてみてはどうか。ヴァンの行いに対し、何が、どうして、どれくらい不満なのか。それを身をもって知っておくべきではないか。特に、あれだけの熱量でヴァンを叩きのめした彼女の話はもっと聞いておいた方がいいかもしれない。一体何がそこまで彼女を駆り立てるのか。せめて自覚的でありたい。もしかしたら少しでも恐怖を取り除いてあげる手段があるかもしれない。


「……九時半か」


 酒を出すような店だ。おそらくまだ営業中のはず────。




 ────ラクハ市街。


 ヴァンは魔法で姿を消しながら降り立つ。音も殺しながら例のプラネスという店を窓から覗き込んだ。


 ……まるでストーカーだ。しかし止むを得ない。あれだけヴァンを嫌っていた彼女である。数時間で舞い戻ってきたとあればさぞご迷惑だろう。それも忙しい時間なら尚更である。一旦店内を確認して混雑状況を見ておきたい。またあのアウェー感を体験したくないという弱気さの表れでもあるが。


 プラネス内は相変わらず酔っ払いが大勢騒いでいた。先ほどより酒が回ったのかより賑やかになっているくらいだ。


「シュリちゃん! こっちにビール二つ!」

「はーいです。アンタらもう次で最後にしとくですよ?」

「シュリちゃんこっちも! 一緒に飲もうよ!」

「シュリはまだ飲めない歳です。……フフ、まあ歳が問題じゃないですけど」

「え〜⁉︎」


 店内はあのシュリルワを中心に回っていた。そっけない対応ながらもどこか愛嬌があり、おじさん連中が夢中になるのも頷ける。あちこちのテーブルから声をかけられる彼女はその全てを舞うように捌いていた。働きぶりも人気ぶりもまさに看板娘である。


 どうやら今は忙しそうだ。閉店後……、それも迷惑か。いや、いつだって迷惑なのだ。そもそも彼女にこだわり過ぎる意味もない。今日のところは退散するか。


 ────そう決めた瞬間だった。


 季節に合わない真っ黒なコートを身に纏った男が、透明なヴァンを横切って店内に入っていく。即座にシュリルワが駆け寄って、威勢よく挨拶した。


「いらっしゃいませです! えっと、今お席が────」


 彼女の言葉を遮るように、男がドスの効いた低音で告げる。


「ヴァン・スナキアが来たと聞いた。どこだ?」


 突如飛び出した自分の名前に耳を引かれ、ヴァンは会話を追う。


「は、はい? えっと、もういないです」

「また来るのか?」

「追い返したから来ないと思うです」

「チッ……」


 男はこれ見よがしに不快感を露わにする。……何なんだアイツらは。ヴァンからすれば見ず知らずの男だ。ヴァンを探している理由も、どうにもヴァンにとって心地よいものではなさそうだ。


 姿を隠していたことが幸いした。鉢合わせになっていたらこの店に迷惑をかけていたかもしれない。このまま奴が消え失せるのを待っていた方が良さそうだ。


 だが────、


「……あいつはビースティアのピンチに駆けつけるらしいな」


 男は不敵に笑い、────あろうことかシュリルワの手首を掴んだ。


「は、離すです!」


 突然の凶行。店内に響く悲鳴。


「マズい……!」


 こうなってしまえば見過ごせない。訳もわからないままヴァンは咄嗟にテレポートし、彼らの間に割って入った。


「⁉︎」

「あ、アンタ……!」


 面々が呆気にとられる中、ヴァンは男の腕をねじり上げ、無理やり彼女から手を離させた。


「ヴァン・スナキ────」


 驚いた男が言い終える前に強制的に海外の砂漠にお連れする。事情聴取はそちらに任せ、この場にも分身を残した。ひとまず大きな被害は出なかった。


「大丈夫ですか?」


 ヴァンは若干の居心地の悪さを感じながらもシュリルワに問いかける。明らかにこの騒動の原因はヴァンだ。颯爽と助けに入ったヒーローだなんて顔はできない。


「……あ、ありがとです」


 シュリルワは状況を飲み込めていないようで目を泳がせながらも、ヴァンに向けて呟いた。あれだけ嫌っていた相手に礼を言うのは恥ずかしいらしく、尖った猫耳の先を少し垂らしていた。

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