5.国家の企みは?

 ***


「────という状況なんだが……」


 第二夫人・ミオの部屋にて、ヴァンはミオに軍で起きていることを伝えた。ソファーで横並びに座る彼女は、


「もう、私の可愛い旦那さんに意地悪しないでほしいわぁ……」


 細長い指を絡めてそっと手を握った。もう片方の手でヴァンの頬を撫でる。姉さん女房である彼女は学校で嫌な思いをしてきた子どもを慰めるような瞳を向ける。


(結婚して何年経ってもつい見惚れてしまうな……どうなってんだこの人……)


 妖艶さを漂わせる現実離れした美麗な顔立ち。落ち着いた色合いの大人っぽいワンレンボブ。パンツスタイルの似合うスラっとしたモデル体型。そして細長い体に対してアンバランスなほど膨らんだ胸。ヴァンは彼女の存在自体が夢なのではないかと疑って、一日平均六回は頬をつねっている。


「よしよし、お姉さんが励ましてあげる♡ 尻尾とおっぱいどっちか触るぅ?」

「じゃあ尻尾で」

「フフ、相変わらずねぇ♡」


 ヴァンは早速尻尾を掴んだ。右手で根元、左手で先端を担当し、撫でくりまわす。


「その性癖さえなければこんなややこしいことにならなかったのにねぇ。お姉さん的にはヴァンさんと結婚できたからラッキーだったけどぉ」

「それはもう考えても仕方ないさ。性癖って治療法ないからな。『飽きるまで堪能する』とかその程度しか」

「ヴァンさんほど堪能してる人もいないわよねぇ……」


 性癖は不治の病に等しい。特にヴァンほど重症だと改善はまず不可能だ。こうしてたっぷり触っていてもゾクゾクする一方である。ヴァンは勢いづき、どちらか一つという禁を破って胸にも手を伸ばした。


 しかしミオはその動きを読んでいたのか、ナイスタイミングでヴァンの手首を抑えた。


「ヴァンさん? いつまで経ってもお姉さんの身体に興味津々なのは可愛いんだけどぉ、今はそれどころじゃないでしょう?♡」

「うっ……!」


 ヴァンは慌てて手を引っ込めて小さくなった。であれば尻尾も今は差し出さないでほしかった。しかしミオは追い討ちとばかりに自らの猫耳を指差し、


「それで、お姉さんに何して欲しいか聞かせてくれるぅ? ここにね♡」

「……っ!」


 ニマニマと嬉しそうに笑いながらヴァンを挑発し続けた。どうやらお預けさせるというシチュエーションがお気に召したらしい。ヴァンは惑わされないように彼女から思いっきり視線を外して話を続ける。


「何かやり返してやろうと思うんだが良い案が────」

「あ、待って。お姉さん何の意味もなく一枚脱いじゃお♡」

「⁉︎」


 目を離したらこれである。何やら金属音が聞こえてくる。……ベルトか? まさか一枚って下から────?


「鍵でしたぁ♡」

「っ!」


 咄嗟に振り返った顔の目の前に、ミオは鍵を突きつけて蠱惑的に微笑んだ。


「ねぇヴァンさん、真剣な話なんだからもっと集中してくれるぅ?」

「き、君が邪魔してくるんだろ……!」


 完全に掌の上で遊ばれている。ヴァンはこの多少厄介なお姉さんに日々踊らされていた。しかし不思議と嫌ではない。できるだけ愉快に踊るのでお目かけいただきたいと思ってしまうほどだ。


「えぇっと、反撃? を考える前に一つ気になったことがあるんだけどぉ……。軍の人たちってこの条件でヴァンさんに勝てるのぉ?」

「ん? ……まあそれなりに強くはなってはいるんだけどな。軍隊としては世界最強と言えるはずだ」


 三万を数える魔導士。日々の鍛錬の成果で、一国対一国であればどこが相手だろうと負けないほどの実力を身につけている。ヴァンに後継をねだっている暇があったらこのまま黙って修行を積めばいいのにと思う。


「それでも、正直三万分の一程度じゃハンデにもならない」

「フフ、怖い人よねぇ本当に」


 どれほど優秀なファクターでも十人に分身するのがやっとだと言われている。分身は魔力消費が激しすぎるからだ。それを平然と万単位でやってのけてしまうヴァンと彼らとでは実力差がありすぎる。


「あっちも勝てないことくらい予想できてると思うの。だから勝ち負けとは別の狙いがあるんじゃないかしらぁ……。ねぇヴァンさん、軍の人が何て言って勝負を挑んできたか一字一句正確に教えてくれない?」

「……『我が軍がお前に傷一つでもつけられたら俺の要求に応じろ』、だったかな」

「それってヴァンさんじゃなくて軍の人たちが傷ついたらって意味にも取れない?」

「……!」


 確かに彼女の言う通りだ。直前に「今度こそ一泡吹かせてやる」という文言もあったためヴァンに痛手を与えてやるという意味だと受け取ってしまっていた。まったく、姑息なことを考えるものだ。


 ヴァンがムキになって反撃して手傷を負わせればあちらの勝利になってしまう。そんな罠を仕掛けたのだろう。思えば総帥が妻を侮辱したこともヴァンを挑発する目的があったのかもしれない。


 だが彼らの真意を見透かした今、ヴァンは軍に圧倒的に勝利できる。こちらからは一切攻撃せずに三万人の攻撃を受け切ってやろうじゃないか。全員が魔力を出し尽くしてぶっ倒れるまで。


「相談してよかった。ありがとなミオ」


 これで「ギャフンと言わせる」というシュリルワの希望を叶えられるかもしれない。力では敵わないヴァンに何とか勝つために講じた策をぶっ潰せるのだから。

「待って」


 しかしミオは依然として何かを考え込んでいた。


「まだ違和感があるのよぉ。仮に軍が勝ったとして、ヴァンさんが素直に言う事聞くなんて軍の人たちは思うかしらぁ?」

「その保証はない……はずだな」

「となると演習自体に全然意味がないのよぉ。……ってことはさらに本当の狙いがあって、演習はただの目眩しなんじゃない?」

「……なるほど」


 本当に頼りになる妻だ。勝利条件に罠を仕込みつつも、それはあくまで望みの薄いサブプラン。本命は別にあるのかもしれない。


 その前提で考えると、軍の目的はヴァンの注意を向けることだ。そしてヴァンを少しでも消耗させること。軍にいる分身に魔力を割いた分、自宅にいるヴァンの力は落ちている。その隙に国家が企てることがあるとすれば────、


「ヴァンさんを思い通りに動かそうと思ったら方法は一つよねぇ」

「……妻を誘拐して人質にする」


 愛妻家であるヴァンを相手取るにはこれほど有効な方法はない。妻の身柄を押さえられてしまえばヴァンは国の要求を飲まざるを得ない。返さなければこの国を滅ぼすぞと脅したとて、妻の命を盾にされればヴァンの動きは制限されてしまう。しかしヴァンはどう足掻いても後継を作れないのだから交渉は拗れるだけだ。


 もちろん妻に危害が及ばないようにヴァンは数々の対策を取っている。そもそも危なくなったら演習なんてほっぽり出して妻の護衛に集中すればいい。どれだけ国が策を講じようとヴァンと妻を引き離すことなどできないはずだ。だが、


「誘拐を防いだとしてもぉ……、お姉さんたちの顔を誰かに見られるだけでも厄介よねぇ?」


 妻の顔や名前はトップシークレットだ。この国の政府にすら明かしていない。流出すれば今後どんな危険があるか分からない。下手をすれば誘拐すら望みの薄いサブプランで、真の目的は妻の姿を確認することなのかもしれない。軍との戦い以上にあちらの勝利条件が緩い。


「お姉さんの推理が正しかったらぁ、多分国はヴァンさんにもっとたくさん分身しなきゃいけないように仕向けてくるわぁ。三万程度じゃ心許ないでしょう?」

「そうだな……」


 ここからの国家の動向が試金石となる。もし大量に分身が必要でヴァンが断りようがない仕事を何者かが持ちかけてくれば、ミオの推察は正解と見ていいだろう。


 ────その時、ヴァンの携帯が鳴る。画面に表示された名前を見て、ヴァンはいよいよ確信した。本日のこの国は、本気だと。


「……総理から緊急出動要請だ」

 

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