4.反撃の狼煙

 ***


 一方、自宅でもヴァンは戦っていた。


「ヴァン? シュリは優しいから、聞かなかったことにしてやるです。回れ右♡」


 子どもをあやすような甘い声色とは裏腹に、第三夫人・シュリルワの顔は怒りに染まっていた。


「こっちはもうとっくに夕飯を作り始めてるっていうのに、今更『量を増やしてくれ』とは何事です……⁉︎ こっちはアンタのためにいっぱい考えて計画的にやってるっていうのに……!」

「うっ……!」


 シュリルワは身長百五十センチに満たず、顔はソフトボール並みに小さい。それでいて目鼻立ちはくっきりしており、まるで精緻なお人形さんのようである。だが、この凄まじい肝っ玉。軍なんかよりよっぽど恐ろしい。……ツンと立った猫耳や威嚇するように膨らんだ尻尾は愛らし過ぎるが。


「今尻尾見んな! 目を見ろです!」

「は、はい!」


 きっちりバレた。確かに今のは悪かった。だが夕食の件に関してはこちらにも止むに止まれぬ事情がある。


「シュリ、軍で三万人に分身することになったんだ。急に総帥に言われてな……」


 消耗の激しい分身魔法を多用すれば異常な空腹状態で帰って来ることになる。悪いが本日の夕食当番の一人であるシュリルワに頑張ってもらうしかない。


「え⁉︎」


 シュリルワの小さなご尊顔から怒りがスッと消え失せ、途端に心配そうな表情になった。尖っていた猫耳の先を垂らす。


「……また何か難癖つけられてるです?」


 シュリルワは何となく理由を察したようだった。この結婚に関して国民から文句を言われたり嫌がらせを受けたりは日常茶飯事なのだ。ヴァンは軍で起きたことを説明する。


「────って感じだ。でも大丈夫だ。誰にも俺たちの結婚の邪魔はさせない」

「……っ! う、うん……。そうしてです……」


 シュリルワは気恥ずかしげに前髪をいじった。時にヴァンを厳しく叱りつけることもある彼女だが、何だかんだでヴァンのことが大好きらしいのだ。可愛すぎないか。


 シュリルワは少しはにかみながら宣言する。


「隙間で何か作り足してみるです。……お腹空かせて帰ってきて良かったって思うくらい美味しいの作るです。楽しみにしとくですよ?」

「シュリ……!」


 ヴァンは膝から崩れ落ちそうなほどの衝撃を受ける。彼女のおかげで軍でリンチに遭うという最悪の仕事もむしろ楽しんでできるような気がした。本当に妻は偉大だ。


「にしても……この国の奴らは相変わらず厚かましいです。アンタ一人におんぶに抱っこなくせに。アンタに文句言えるような立場じゃないです」

「ま、まあ、俺のせいで死ぬかもしれない状況だからな……」

「そんなの自分で蒔いた種です! この国がめちゃくちゃなことしてこなければ世界中に恨まれるようなことはなかったのに!」


 シュリルワは鼻息荒くプンスカ怒っていた。ヴァンだって自分の置かれた立場に不満はある。一緒に怒ってもらえると随分心が軽くなった。


 はっきり言ってヴァンがさっさとこの国を見捨ててしまった方が世界にとっては好都合だろう。ヴァンも結婚相手に関してとやかく言われることはなくなるし、一国を保護するという重責からも解放される。それで六百万人の命が失われてしまっても、「自業自得だ」と割り切ってしまえばいいという考え方もあるのかもしれない。


 だが────、


「確かに問題は多い国だけどな。……でも俺は突き放したくないんだ。この国を正しい方向に導いて、外国と平和な関係を築いて、誰も傷つかないし誰も奪われない世界にする。それが一番だろ?」

「ヴァン……」

「それに、この国が俺の手から離れれば結婚相手に文句を言われることもなくなるはずなんだ。それどころか国民は俺たちの結婚を認めて、祝福してくれるかもしれない。……俺はそれが楽しみなんだ。だから多少面倒かけられても頑張れるさ」


 シュリルワはしばらく無言でヴァンの目を見つめた後、呆れたような微苦笑と共にため息を漏らした。


「まったくもう。ウチの旦那がお人好しでみんな助かったです」

「ハハ、甘いかな?」

「……ううん。アンタのそういう、だらしない奴らでも、善人でも悪人でも、ぜ〜んぶ守ってやろうってとこは、シュリはその……す……」


 シュリルワは途端に口籠もってごまかすかのようにプイと顔を背けた。ツンツンしがちな彼女にとっては口にしづらい言葉が続くらしい。


「お、何だ? 続きは?」


 ヴァンは果敢にも煽ってみる。刺激しすぎると逃げられてしまうかもしれないので、「どうせベッドの上では甘々なくせに」という言葉はグッと飲み込んだ。


 シュリルワは誰も見ていないか確認するように辺りをキョロキョロ見回す。二本の太い三つ編みがワンテンポ遅れて首を追従する。そして今ならとばかりにヴァンにトコトコと駆け寄って、踵を持ち上げてそっと耳打ちする。


「大好きですよ♡」


 息混じりの蕩けそうな声に、ヴァンの聴覚神経は焼き切れた。咄嗟にシュリルワに顔を向ける。彼女は普段二人きりの時にしか見せない柔和な微笑みを一瞬だけ披露した。おかげで視神経も焼き切れた。


 シュリルワは照れくさそうにゴホンと咳払いを一つ置き、空気をリセットするかのようにエプロンをパッパと払ってシワを伸ばした。


「ヴァン、アンタはアンタがやりたいようにやるです。シュリたちが支えるです」

「ああ。ありがとな」

「でも……、軍の奴らがアンタにちょっかいかけてくるのは嫁としては我慢ならんです。二度とこんな真似させないようにできないです?」

「ん? ど、どうだろうな。とりあえず圧勝するつもりではいるが……」

「ただ勝つんじゃなくて、ぎゃふんって言わせて心をへし折るです!」

「む、難しいこと言うな……」


 確かに今日のように訓練にかこつけてヴァンに圧力をかける行為が常態化されるのは困る。先ほどのドレイクの様子を見る限り、「勝つまで何度でもやる」などと言いかねない。


 本来全軍対ヴァンという形で行われる定例大規模演習は、ヴァンの攻撃を全軍で力を合わせて防ぐことを目的としている。全世界からの総攻撃に備えた予行演習だ。対ファクターとの一対一での戦闘では直接的な修行にならない。軍にはヴァンに代わってこの国を守れるようになってほしいのに、これでは時間と労力の無駄だ。


 ただ勝つのではなく、こんなことをしても無意味だと悟らせる。求められるのはそんなゴールだ。……しかし、有効策が思い浮かばない。


「ヴァン? こういう時はアイツに相談です」

「……だな」


 二人は同じ人物の顔を思い浮かべていた。知略と策謀に長けたスナキア家の頭脳、第二夫人・ミオである。

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